1-3 メイドを頼んだはずなのだが
「……は? 今なんて言った?」
信じられないものを見るような目で、ユリウス殿下がこちらを見た。手にしていた羽ペンの先から、ぽた、とインクが書類に落ちる。
「ですから。若い女性をひとり、紹介していただきたいと申し上げたんですが」
繰り返すと、殿下はゆっくりと首を回し、隣に控えるアルベルトの方を見やった。何かを訴えるような視線だ。普段冷静な彼も、同じように目を見開いている。
(……そんなに驚くようなことか?)
俺が殿下の執務室を訪れたのは、定例の報告書を届けるためだった。要件はすぐに済み、退出しかけたところで、ふと思い出してメイド探しの相談を持ちかけたのだが。まさか、こんな反応が返ってくるとは思っていなかった。
「できれば、すぐにでも邸に住んでくれる人がいいのです」
痛そうに腰をさすっていたマチルダの姿が脳裏をよぎり、俺はそう付け加えた。
「す、住むっ!? すぐにっ!?」
椅子がガタリと鳴った。ユリウス殿下が小さくのけ反ったかと思えば、今度は勢いよくアルベルトの方を振り向く。
「……おい、アルベルト……これ、どう思う?」
「ええ、まさかこんな……でも、これはなかなか……」
二人はなぜか神妙な顔でコクリと頷き合っていた。
(……いや、だから、何の話をしてるんだ)
殿下は「コホン」と咳払いをすると、なぜか真剣な顔で俺に向き直った。
「……ヴォルフ、お前、いくつだった?」
「……二十八になりましたが」
唐突な質問に首を傾げつつも、答える。
「伯爵家の次男……騎士団長で、部下の信頼も厚い。王都に邸宅あり、家柄よし、経歴よし……」
殿下はぶつぶつと何かを唱えるように呟き、突然バンッと机を叩いて立ち上がった。
「問題は筋肉だけだな!!!」
「は?」
勢いよく詰め寄ってきた殿下が、俺の腕をむぎゅっと掴んだ。
「……ふむ、この二の腕。申し分なし」
さらに、ぐるりと背後に回ると、しゃがみこんで太ももに手を当てる。
「これは……爆発力に満ちた大腿部ッ!」
「な、何してるんですか!?」
「ちょっと脱いでくれ! いや、上だけでいいから!」
「脱げるかっ!!」
思わず声を荒げる俺をよそに、殿下は満面の笑みで親指を立てた。
「よし! 条件は全て満たした!!」
(条件? ……何のだよ!?)
殿下はすくっと立ち上がると、すごい勢いでアルベルトの方を振り返る。
「なあ、レゼはどう思うかな!?」
アルベルトは一瞬だけ考える素振りを見せ、淡々と答えた。
「……おそらく、快諾するかと」
「よしっ、決まりだ!!」
そう言って、殿下は急いで机に戻り、引き出しから書類を取り出すと、スラスラと何かを書き込み始めた。
「ヴォルフ、ちょっとこれにサインしてくれ」
「……何の書類ですか?」
「心配するな。形式的なものだ」
「……はあ」
訝しく思いながらも、殿下があまりに堂々としているせいで、こちらが細かく尋ねるのも気が引ける。隣でアルベルトもごく自然に頷いている。
「まあ、手間が省けるなら助かります。レゼ……というのが、紹介してくれる娘の名前ですか?」
「そうだ。とてもいい子だぞ。な、アルベルト?」
「そうですね、ちょっと変わり者ではありますが……信頼はできます」
……信頼、ね。使用人の紹介にしてはずいぶん熱の入った口ぶりだが、ユリウス殿下とアルベルトの推薦なら、悪い話ではないだろう。
俺がサインすると、殿下は書類を両手で掲げて満足げに頷いた。
「じゃ、いつからお前の家に行けるかは、レゼに確認してまた連絡するから!」
「はあ……よろしくお願いします」
色々と腑に落ちない点はある。紹介のはずが、なぜか話が異様にスムーズだったし、何より殿下とアルベルトがやたらと楽しそうだったのが気になる。
だが、あの王子の考えなど昔から読めたためしがない。
(まあ、ちゃんと働いてくれるなら、誰でもいいか)
*
屋敷に戻ってすぐ、俺はマチルダを呼んでその旨を伝えた。
「というわけで、近々若い女性がひとり来るらしい」
「まあっ!! 本当ですか坊ちゃまっ!」
マチルダはパァッと顔を輝かせて、思わず手を叩いた。
「王太子殿下が紹介してくださるって?」
「ああ。信頼できる子らしい」
「まあまあまあ、ありがたいことですわ。これで腰も少しは休まります……!」
目元をハンカチで押さえるマチルダをよそに、俺はふと考える。
「どの部屋を使わせるか、決めておかないとな」
「そうですわね。西棟の使用人部屋はまだ掃除が済んでおりませんので、空いてる来客用のお部屋にでも」
「客間を使わせるのか? 使用人なのに?」
「だって、紹介してくださるのが殿下でしょう? 最初の印象が大事ですから、きちんとした部屋でお迎えしませんと」
……なるほど、マチルダにしては珍しく気が回っている。彼女がそれだけ気合を入れているのなら、任せておいて問題ないだろう。
「どんな子なんですかねえ。明るい子だといいですけど」
「さあな。殿下もアルベルトも、細かいことは言ってなかった。名前は……たしか、レゼと言ったか」
「レゼ? あら、可愛らしい響きですねぇ。楽しみですわ!」
こうして、マチルダは張り切って迎え入れの準備を始めたが──
この時の俺はまだ知らなかった。
「若いメイドをひとり」のお願いが、まさか「若い令嬢が一人、嫁に来る」話になっているなどと。