4-6 理想のプロポーズってなんだ!?
想いが通じ合ってから、半月ほど。毎日はそれなりに平穏で、けれど、どうにも落ち着かない日々が続いていた。いや、正確には「俺の心が」だ。
テレーゼ嬢……いや、レゼは毎日変わらず朗らかで、笑顔で、なんというか、すごく楽しそうに暮らしてくれている。なのに、だ。どうしてこうも俺は、気を張ってばかりなんだろうな……。
「ヴォルフ様、そろそろ結婚式の段取りも考えねばなりませんね。王宮の式場がよろしいですか? それとも、もっと落ち着いた教会をお望みですか?」
帰宅した俺に、ハロルドがいつもの調子でそんなことを言い出したのは、昨日のことだった。
(け、結婚式!? いや、確かにそうなんだが……)
すでに戸籍上は夫婦だし、使用人たちも堂々と「奥様」扱いをしている。あの日、想いを伝え合ってから──寝室こそまだ別ではあるが、俺たちは明らかに夫婦らしい雰囲気を漂わせていた。……と、思っている。
(だが……)
ハロルドがどこで手に入れたのか、恭しく差し出してきた一冊のカタログの中には、白いドレス姿の花嫁や、指輪交換の図がしっかり描かれていた。
(……やるのか? 本当に、これを……?)
もちろん、嫌なわけじゃない。レゼが望むなら、何だって叶えてやりたい。だが「結婚式を挙げる」という現実味に、なぜか俺の心はそわそわと落ち着かなかった。
(まあ、その辺りはレゼとちゃんと相談してから……)
そう自分に言い聞かせながら、騎士団の執務室へ向かったその日の午後。書類整理の手を止めて、ふと窓際に寄ったときだった。下の訓練場から、団員たちの楽しげな声が聞こえてきた。
「マジで!? おまえ、ついに彼女にプロポーズしたのかよ!」
「うっす! 昨日、意を決して言いました! そしたら、もうボロ泣きして喜んでくれて……」
「おおお……青春だなぁ!」
──プロポーズ。
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かがピキリと音を立てた。
(……俺……してないぞ)
いや、だってそもそも、俺たちの場合はちょっと……いや、だいぶ特殊で……。最初から誤解で結婚が始まって、いろいろすったもんだの末にようやく想いが通じ合ったわけで。
(今さら、改めて……っていうのも、な)
でも。
(……いや、ちょっと待て)
結婚式の話が出たってことは……今じゃないのか? レゼに結婚式の相談をする前に……ちゃんと、伝えるべきなんじゃないか? 「結婚してください」って。いや、もう結婚はしてるけども。
そんな事を考えている間も、外から聞こえる部下たちの会話は続いていた。俺は遠くを眺めるふりをしながら、もはや意識は完全に耳に集中していた。
「で、どんなシチュエーションで言ったんだよ? やっぱレストランとか?」
「いえ、海辺です。彼女、昔から『波の音を聞きながらプロポーズしてほしい』って言ってたんで」
「なにそれ……最高じゃん……」
「そうなんすよ。ずっと憧れてたって言ってくれて……」
(…………)
(あ、憧れのプロポーズだと……!?)
(……レゼにも、そういう夢があったりするのか?)
「団長? 書類、確認お願いできますか」
不意に後ろからかけられた声に、俺はびくりと肩を震わせた。振り返ると、副団長のギルバートが怪訝な顔でこちらを見ている。
「あ、ああっ……すまん、今行く……っ」
慌てて机へ戻ったものの、そこから先の仕事は、まるで頭に入らなかった。
(……レゼの、理想のプロポーズ、か)
(ど、どんなのだ……?)
(レゼのことだから、筋肉に包まれて──とかそういうやつなのか……? それなら俺にも……いや、まさかな……)
俺はペンを握ったまま、完全に妄想の海へ沈んでいった。
*
その夜。邸の食卓には、変わらず美味しそうな夕飯が並んでいた。けれど、当の俺はといえば──
(……プロポーズ)
昼間から頭を離れないそれが、まだぐるぐると脳内を回っていた。目の前のスープも、ステーキも、今日はなんだか味がよくわからない。
(……マチルダに聞いてみるか? 情報通だし、女性の気持ちには詳しいかもしれん)
「なんですか坊ちゃま、さっきからジロジロこちらをご覧になって。私の肌つやでも気になりますの?」
「いや、断じて違う」
(……やめだ。マチルダなんかに相談したら、次の日にはこの邸の使用人全員に『坊ちゃま、テレーゼ様にプロポーズするんですって♡』とか広まってる未来しか見えん)
俺は目線をそらし、今度はちょうどキッチンからやって来たルーディを見やる。
(じゃあ、ルーディはどうだ? 年齢も近いし、案外そういう話──)
「ヴォルフ様! 今日のこの特製マッスルスープ! 筋肉はもちろん……」
そこまで言うと、ぐっと身を寄せ、声をひそめてくる。
「(……精力も、つくんですよ)」
そして、ニヤリ。
(……ダメだ。余計なことしか考えてないこいつに、女心がわかるはずがない)
ふと視線を上げると、テーブルの端で給仕をしていたハロルドと目が合った。
(いや、意外とハロルドかもしれん。年の功ってやつもあるし、恋愛のひとつやふたつ──)
俺がすがるような目で見ていたのを勘違いしたのか、ハロルドがこそこそと近寄って来て、そっと囁く。
「ヴォルフ様、結婚式のことでお悩みですか? そうですね、我々の頃は、一輪の薔薇とともに、自作のラブソングを捧げたものですよ……」
(……いや、ダメだ。センスが二十年前で止まってる!)
最後に、紅茶を静かに注いでいたセシル嬢の方へちらりと視線を向ける。
(セシル嬢は? レゼの侍女だし、常に一緒にいる。案外、彼女が一番──)
そう思った瞬間、セシル嬢がすっとこちらに視線を寄越した。そして、ほんのわずかに目を細め、口元だけで、ニヤリと笑った。
(……っ!? そうだ、俺は彼女の「全て見透かしてます」感が苦手なんだ。……とても相談なんて、できん)
じゃあ、いっそ本人に直接聞いてしまえば──
「ヴォルフ様」
ふいに名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。視線の先には、にっこりと笑うレゼの姿。
「明日のデート、楽しみですわね♡」
無邪気な笑顔に、俺の胸が一瞬で掻き乱される。
(……くっ、かわいい)
(できれば、レゼには内緒で……驚かせたい)
(明日のレゼとの街歩きで、少しでもヒントを得られればいいんだが……)
そして俺はまたモソモソと、ちっとも味がわからない肉を咀嚼した。




