3-6 今日のヴォルフ様が……!
視察を終え、城へ戻る馬車の中。窓の外を流れる街並みがやけに遠く感じる。頭にあるのは、さっきの一件だけだった。
(……絶対、誤解された)
窓の外をぼんやりと眺めながら、俺はひとり、心の中で唸っていた。
(よりによって、あんなタイミングで……!)
恋人設定で手をつないで、まさに「いちゃついている」ように見えたに違いない。その現場を、フェルナン・グレイに見られた。
(最悪だ。何より……テレーゼ嬢に伝わったら……)
そう思った瞬間、胸の奥が、きゅうっと締めつけられるように痛んだ。
悲しまれるのが、怖い。
そして、ふと、そこまで気にしている自分に、思わずドキリとする。
(……俺、そんなに……?)
仕事での任務だった。やましいことなんて、何ひとつない。けれど、彼女の耳に妙な形で話が入れば、それだけで彼女を傷つけてしまう気がした。
(ちゃんと、俺が話さなきゃな……)
ごまかさずに、正しく、先に自分の口から伝えよう。それが、せめてもの誠意だと思った。
「ヴォルフ様? どうかなさいました?」
向かいに座るアメリア姫が、不思議そうに小首をかしげる。
「……いえ。なにも。問題ありません」
短くそう答えて、目を逸らす。
*
王城の一室。ユリウス殿下の執務室には、すでに殿下とアルベルトが揃っていた。
「ご苦労だったな、ヴォルフ」
ユリウス殿下が先に声をかけてくる。アルベルトも、どこか気遣わしげな視線を寄こしてきた。
「姫のご機嫌はどうだった?」
「特に問題はありませんでした。視察は、予定通り無事に終わりました」
形式的にそう答えたものの、表情までは隠しきれなかったのだろう。アルベルトがすぐに首をかしげた。
「……で? その顔は何だ」
「……実は、視察の帰りに少し厄介なことが起きまして」
俺は、内心の緊張を押し隠しながら、事情を端的に話した。姫の希望で手を繋いで街を歩いたこと。そして、その様子を、テレーゼ嬢の担当編集者であるフェルナン・グレイに目撃されたこと。
「あちゃー、レゼの知り合いが居合わせたのか……」
先に声を上げたのは、ユリウス殿下だった。額に手をあて、あからさまに頭を抱えている。隣でアルベルトは静かに頷くと、机の上の書類を指先でトントンと揃えながら冷静に口を開いた。
「まあ、姫の希望だったとはいえ……レゼに伝わると厄介だな。あいつ、そういうことには結構、真っ直ぐだから」
アルベルトの言葉に、俺は小さく頷いた。その通りだと思う。だからこそ、変に伝わる前に……。
「今日レゼに会ったけど……」
と、ユリウス殿下が何気なく口を開く。
「ほんっとに、何にも疑ってなかったなぁ。俺らが行ったらすごく喜んでたし。……だから、たぶん、知ったら絶対ショックだよな?」
その言葉に、胸の奥が、ずきりと痛んだ。この間、あんなに不安そうにしていたんだ。
今日から始まる任務のことだって、気にしていないはずがない。きっと彼女は、それを殿下やアルベルトには見せまいとしていたんだろうな……。
「なので、俺から言おうと思います」
自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。
「他人の口から妙な伝わり方をするよりは、俺が自分で、きちんと説明すべきだと」
その瞬間、ユリウス殿下とアルベルトが、ぴたっと動きを止める。
「うっわ、アルベルト、今の聞いたか?」
ユリウス殿下が、思い切り口角を上げてニヤニヤしながらアルベルトを見る。
「『自分の口でちゃんと説明したい』……だってさ? これ、完全に恋してるやつのセリフだろ〜?」
「ええ。確かに、俺の知ってるヴォルフなら、もっとこう……『任務なんだから別にどう思われようと構わない』と流すタイプだったと思ったんですけどね」
アルベルトも、口元にうっすら笑みを浮かべている。
「お前、ほんとはけっこうレゼのこと、気にしてるんだな?」
「ち、ちが……いや、違います。そんなんじゃ……!」
慌てて否定するも、二人の視線はすでに「はいはいわかってます」モード全開。
(クソっ……こいつら)
「兄としては、ちょっと安心したよ」
と、アルベルトが淡々としつつも、どこか温かく笑う。
「ふふーん。やっぱりね〜。俺が見込んだだけあるな、おまえ」
ユリウス殿下が椅子にもたれ、脚を組みながら気楽に続ける。
「まあ、今日は任務で恋人設定だったことは、ちゃんと伝えてやれ。それだけで十分だと思うぞ」
「……はい」
「ただし」
ユリウス殿下がぐっと身体を起こし、指を立てる。
「姫の気持ちは……伏せとけ。その後なにか言ってきたわけでもないしな」
「わかっています」
俺は静かに頷いた。
*
夕食を終えた後、使用人たちが片付けをしている間に、俺とテレーゼ嬢は談話室に移った。
テーブルに置いたランプが、ぼんやりとした明かりを灯すなか、テレーゼ嬢は、当然のような顔で俺の隣に腰を下ろした。
「それで、ヴォルフ様。お話って……なんですの?」
その何気ない問いに、思わず目をそらしたくなる。俺の心臓は、さっきからずっと、妙に落ち着かない。
(……くそ、落ち着け)
わずかに汗ばんだ手のひらを膝の上でぎゅっと握りしめ、呼吸を整える。どう伝えるのが正しいのか、何度も頭の中でシミュレーションしたのに──いざとなると、うまく言葉が出てこなかった。
「……今日の午後、アメリア姫の視察に同行していた」
ようやく絞り出した声は、いつもより少し低かったかもしれない。彼女の笑顔が、ふっと和らぎ、少しだけ真剣な表情に変わる。
「姫の希望で……その、恋人のふりをして、街を歩いた」
「……恋人のふり……ですか?」
テレーゼ嬢が首を傾げる。まだ微笑みを残してはいたが、その瞳の奥に、かすかな陰りが差したのが見えた。
「ああ。仲睦まじく見せるために、腕を組んだり……その……手を繋いだりもした」
最後の言葉は、まるで喉の奥にひっかかったように出てきた。
「……手を」
小さく反芻するように、彼女がつぶやいた。伏せられた視線、そっとすぼめられる肩。わかりやすい反応に、胸の奥がツキンと痛む。
「い、いや、あくまでも演技で……深い意味はない。全く」
俺は少しだけ体を捻り、テレーゼ嬢の方を向いた。
「今日……その様子を、編集者のフェルナンに見られてしまって……っ」
言葉が詰まり、ぐっと息を呑んだが、今さら引き下がれるはずがない。
「勘違いしないでほしいんだが……見られたから白状するんじゃない。あれはただの任務で、知らないならその方がよかったくらいだ。でも、君に妙な風に伝わるのだけは……どうしても嫌で……」
自分でもなんでこんなに必死なのかわからない。けれどそれが、今の俺の、正直な気持ちだった。
ちらりとテレーゼ嬢を見やると、彼女はしばらく視線を伏せていたが、やがて──ふいっとそっぽを向く。
「……ずるいですわ」
「……え?」
思わず聞き返すと、彼女はそっぽを向いたまま、口をとがらせて繰り返す。
「ずるいと申し上げましたの!」
「な、なにが……」
「だって! わたくしとは、まだ手もつないでくださらないのに……お姫様とは、そんな……!」
テレーゼ嬢の声は、どこか拗ねたようで、でもどこか寂しげでもあって……。俺は完全に言葉を失った。
(やばい。拗ねて……る?)
いや、それは任務であって、俺だって別に好き好んで……。
(……違う。そうじゃない)
彼女が気にしているのは、そういう理屈じゃない。だけど……どうするのが正解なんだ。謝るか? 否定するか? それとも何か言うべきなのか? 膝の上で握った自分の手に、またじわりと汗がにじむ。
(くそ、どうすりゃいいんだ)
「でも……お仕事ですから。仕方ありませんわよね」
テレーゼ嬢は、精一杯平静を装ったような声でそう言った。少しだけ笑って見せようとしているが、目元はかすかに揺れていた。
「大丈夫ですわ。ただ、ちょっと……羨ましかっただけで……」
その寂しそうな言葉を聞いた瞬間、何かが、ぷつんと切れた。
(……もうどうなっても知らん)
気づけば、俺は勢いに任せて──テレーゼ嬢の手を掴んでいた。そのまま、ぎこちなく指を絡める。
「……こ、これなら、いいか?」
情けないほど声がかすれていた。同時に、顔が一気に熱くなるのがわかった。
テレーゼ嬢は、しばらくぽかんとしたまま握られた自分の手を見つめていたが、それから、はっとしたように瞳を見開く。
「ヴォルフ様が……て、手を……」
呟いた声はかすれていて、頬はみるみるうちに赤く染まっていく。
(……ど、どうすんだこれ……!)
逃げ出したいような気持ちを無理やり飲み込み、俺は必死に口を開いた。
「い、言っとくが……! これは、言われて仕方なしにしたわけじゃないからなっ!」
何をどう言いたいのか、自分でもよくわからなかったが、ただ、とにかく誤解だけはされたくなかった。
「……羨ましいとか言うなら……い、いくらでも……繋げばいいだろ……っ」
テレーゼ嬢は、ぱちぱちと瞬きをして、しばらくこちらを見つめたまま……言葉もなく、ただ、こくん、こくんと首を縦に振る。
(しまった! 何言ってんだ俺!?)
だけど、時すでに遅し。
「きょ……きょ、今日のヴォルフ様がっ!!」
テレーゼ嬢が突然、耳まで真っ赤にして立ち上がりそうな勢いで叫ぶ。
「な、なんですの!? なんだか!! すごく!! かっこいいですわぁ〜〜〜っ!!」
その目は完全にハートマークだった。
「やめろっ! 今のなしだ! 忘れろ! 頼む! 忘れてくれっ!!」
慌てて叫ぶ俺に、テレーゼ嬢は「はい♡」と明らかに忘れる気ゼロの笑顔でうなずいたのだった。




