3-5 想定外の目撃者
午後。王都の表通りから一本外れた、古い町並みの残る裏通りで、アメリア姫がおどけたように俺の腕に手を添えた。
「では、参りましょうか。ヴォルフ様?」
すました顔で俺を見上げるアメリア姫──いや、町娘に変装したアメリア嬢の姿は、先ほどまでの煌びやかな装いとは打って変わって、落ち着いた生成り色のワンピースに、薄手の羽織を重ねたシンプルなものだった。
髪は低い位置でまとめられ、麦わら帽子を目深に被っている。控えめな装いではあるが、元の気品が隠しきれていないのは、もはや天性のものだろう。
そして、その隣に立つ俺はというと。
(……慣れねぇ)
着慣れた軍服ではなく、カジュアルな麻のシャツに、ダークグレーのパンツ。そして軽装のジャケット。腰に剣こそ下げているものの、目立たぬよう黒い鞘に替えた上、全体的に落ち着いた平民の青年ふうにまとめられていた。
(……なんで俺がこんな格好で……姫と腕を組んで……何してるんだ俺……)
空を仰ぐふりをして、ため息をひとつ押し出した。
「ヴォルフ様? あまり浮かない顔をなさらないで。設定は『仲睦まじい恋人同士』ですのよ?」
「……心得てます」
ぶっきらぼうに返すと、アメリア姫はふふっと悪戯っぽく笑った。肩を並べ、俺たちは人の流れに溶け込むようにしてゆっくりと歩き出す。
とはいえ、歩き出してすぐ、つい周囲に目を走らせてしまう。街角で偶然、知った顔に出会ってしまったらどうする? そんなありもしない想像が頭をかすめる。
(……いや、大丈夫なはずだ)
もともと辺境に長くいたから、騎士団以外のこっちでの知り合いは少ない。それに一番会いたくない者たちへの対策はとってある。今頃はユリウス殿下とアルベルトが気を利かせて、俺の屋敷へテレーゼ嬢を訪ねて行っているはずだ。
少なくとも今日の午後に限っては、王都のどこを歩いても、ヴォルフ邸の誰かとばったり遭う心配はない。
(……たぶん、な)
それにしても──
(演技とはいえ……この距離感、どうしても慣れない)
アメリア姫の手は、すでに俺の腕にしっかりと絡んでいた。ただ添えてる、なんて可愛いもんじゃない。ぴったりと体を寄せてきて、明らかに「恋人らしさ」を強調している。
(おい……そんなぎゅうぎゅうくっつかなくてもいいんじゃないか!?)
自然に見せようとしてくれてるのはわかる。だが、さすがにこれは……。
(む、胸が……って、やめろ俺! これはあくまで仕事だ!)
顔に出していないつもりだったが、たぶん耳は真っ赤だ。
(あーもう、どこ見ればいいんだ……!)
ちらりと視線を送れば、アメリア姫はこちらを見もせず、何食わぬ顔で歩いている。ただ、帽子の影からのぞく横顔は、どこか面白がってるように見えた。
(……わかっててやってるだろ、絶対)
*
街の中心広場は、午後のやわらかな陽射しに包まれ、石畳の上には人々の話し声や子どもたちの笑い声が心地よく響いていた。噴水の周りでは、子どもたちが元気に追いかけっこをしている。
アメリア姫はふと足を止め、笑い声の響く、その光景に目を細めた。
「……ああして、無邪気に遊んでいる子たちは、皆どこかの家の子なのでしょうけれど」
ぽつりと、アメリア姫がつぶやいた。
「この国には、孤児や身寄りのない子どもたちのための施設は、あるのでしょうか?」
意外な問いだった。遊ぶ子どもたちを見て、そんなことを考えるのかと、少し驚く。
「孤児院はいくつかあります。教会の支援で運営されているところが多いですが、近年は民間の寄付で成り立っている施設も増えてきております」
「まあ。公的な支援は?」
「規模は大きくないですが、王宮の福祉管理局がいくつかの施設に補助金を出しているはずです。ただ、現場の人手や予算が足りてるかと言われると……」
アメリア姫は真剣な表情で頷き、何かを思案しているようだった。その姿に、俺は少し目を細める。
(……この姫、ちゃんと見てるんだな)
てっきり「民の暮らしを見学したい」と言いながら、ただの気まぐれかと思っていた。
だが違った。この姫は子どもたちの笑顔を見ながら、その裏側にまで自然と意識が向いている。王族の誰もが、そういう視点を持てるわけじゃない。
「孤児院に限らず、教育の機会が平等に与えられているかどうかって、子どもたちにとって大切なことですわよね」
「……姫は、そういうことに関心が?」
「ええ。わたくしの国でも、王立の学院に入れるのは、貴族かごく一部の才能のある平民に限られますの。でも、もっと多くの子に学びの場を届けるべきだと、ずっと思っていました」
アメリア姫の言葉に、俺は思わず感心したように息をついた。
(……やっぱり、姫なんだよな)
じっと子どもたちを見つめる彼女の横顔は、さっきまでのじゃれ合うような無邪気さとは違って、どこか遠くを見つめていた。まるで、この国や自分の国の、少し先の未来の姿を見ているかのように。
そのまましばらく、ふたりで無言のまま広場の光景を眺めていた。やがて、アメリア姫がふと微笑んで俺の方へ振り返る。
「では、参りましょうか」
軽やかな声とともに、再び俺の腕に手を添えると、そのまま歩き出した。
*
広場を離れ、俺たちは街の中心部へと足を進めた。通りには商店が立ち並び、通行人の数も増えてくる。香辛料の匂い、焼き菓子の甘い香り、誰かが呼び込みに使う鐘の音。それらが雑多に入り混じって、この街の日常を形作っていた。
「まあ、なんて賑やかで楽しい通りですこと」
アメリア姫は目を輝かせながら、あちこちの店先に視線を走らせている。露店の花束に顔を近づけて匂いをかいだり、珍しい果物を見ては「これはなんていう名前かしら?」と俺に尋ねたりと、まるで遠足を楽しむ少女のようだった。
と、不意にアメリア姫が足を止めた。
「あら……あちら、本屋さんではなくて? 素敵ですわね」
彼女の視線の先、木の看板に「書房トルーヴェ」と書かれた、こぢんまりとした本屋があった。年季の入った扉と、ガラス越しに見える本の背表紙たちが、どこか落ち着いた空気をまとっている。
「少しだけ、立ち寄ってもよろしいかしら?」
「……どうぞ」
もちろん、止める理由もない。というか、護衛という立場上、ついて行くしかない。
扉を押して入った書店の中は、しんと静かだった。外の喧騒が嘘のように、紙の匂いと木の床の軋む音だけが空間を満たしている。
アメリア姫は棚を一つひとつ眺め、やがて一冊の本を取り上げた。
「まあ……懐かしいですわ。このお話、この国でも売られているのですね」
姫は愛おしそうに表紙を撫でながら、遠い目をする。
「女の子が騎士に助けられるお話ですの。わたくし……昔ヴォルフ様に助けてもらった時のことを思い出して、何度も読み返しましたのよ。大好きな本ですわ」
「……」
不意に名を呼ばれ、俺は返事を探しあぐねた。
(俺にとっては、言われるまで忘れていたような出来事だったのに。姫にとっては、それほど強く刻まれた記憶だったのか……)
何を返すべきかわからず、ただ黙って立ち尽くす。けれど姫は気にも留めぬように微笑み、そっと本を棚に戻した。
「さ、次のお店を見てみましょう」
「……はい」
俺も慌てて後を追う。
*
大通りに出たところで、ふいに姫が足を止め、くるりと振り返った。
「そうですわ、せっかく恋人という設定なんですもの。もう少し……らしく、してもよろしいかしら?」
「……は?」
その意味を理解するより先に、姫の手がすっと伸びてきて俺の手をとり、指先を絡めてきた。
「こうすれば、周囲にも自然に見えますわよ」
帽子の影からのぞく姫の横顔は、あくまで落ち着いて見える。けれど、その瞳の奥にわずかな高揚がきらめいているのを、俺は見逃さなかった。
(ちょ、ちょっと待て!? これはちょっと……)
反射的に手を引こうとした。
だが──脳裏に、レオポルト陛下の「任務だ」という、低く重厚な声が蘇る。
(……っ、くそ……)
ガックリと肩の力を落とし、俺は絡められた手を、そのまま受け入れた。
そうして諦め気味に通りを歩き出したその時。
ふいに強烈な視線を感じて顔を上げる。そこにいたのは──見覚えのある男だった。
ゆるいベージュのシャツに、細身のパンツ。長めの前髪がさらりと揺れ、華奢なフレームの眼鏡が、どこかインテリ風の印象を添えている。
(フェルナン・グレイ!?)
思わず、心の中で叫ぶ。ばっちり目が合ってしまったその男は、いつだったか、俺の邸にテレーゼ嬢を訪ねて来ていた編集者だ。
フェルナンは口をあんぐりと開け、あからさまに驚いた表情のまましばらく固まっていた。そしてその視線がゆっくりと、俺とアメリア姫の繋いだ手へ落ちる。
その瞬間、「ひっ……」と小さな悲鳴を漏らすと、まるでバネ仕掛けのオモチャみたいに、ぐるんっと勢いよく身を翻し、全力で走り去って行った。
「……え?」
唖然とする姫の隣で、俺は片手で顔を覆う。
(マズい……マズすぎる……!!)
(いや、今のはどう見ても誤解されただろ……!)




