1-1 誰か妹をもらってくれ
「それで? 最近レゼはどうなんだ?」
ユリウスはおもむろに足を組み、ソファに深く座り直すと、思い出したようにこちらに視線を向けた。研ぎ澄まされたブルートパーズのようなその瞳が、レースのカーテン越しの柔らかな陽光を受け、一段と輝きを増すのを、俺はぼんやりと眺めていた。
(……こいつ、やっぱり綺麗だよな)
艶のある蜂蜜色の髪はどこまでも柔らかく、さらりと美しい額に影を落とす。華奢な首筋から伸びる肩のラインもまるで絵画のようで、隣に座っていると、同じ「男」という分類が間違っている気さえしてくる。
ユリウス・アレシオ・ディ・ヴァレント。この国の王太子にして、俺の主君。見た目も言動もどこか飄々としてるくせに、不思議と目が離せない存在だ。そして時折、こんなふうに妹の話題を振ってくるあたりが、ますます厄介だった。いや、こいつなりに、レゼを可愛がってる証拠なんだろうけど。
「……相変わらずですよ」
思わず見惚れてしまったのを隠すように、俺は極めて冷静にそう答える。
「…………敬語」
「…………」
ユリウスが不満気にボソリと呟くのを、聞こえなかったことにしようと、俺はゆっくりと紅茶のカップを口に運んだのだが。
「ア・ル・ベ・ル・ト?」
わざとらしく首を傾げ、にっこり笑いながら俺の顔を覗き込んでくる。
「うるせぇな! 聞こえてるよ! てか、おまえは王太子で俺は側近なんだよ! 敬語使うのは当たり前だろ?」
「うわ、アルベルトこっわ。また俺の側近が反抗期ですよ〜」
──くっ、こいつは……。
まったく、昔から調子のいい男だ。
ユリウスとは、王立学院での同期だった。貴族階級でも上位の家に生まれた俺と、王族であるこいつが、唯一「対等」だった時代。
あの頃から軽口ばかり叩いていたが、根は案外、面倒見のいい奴だ。たぶん、誰よりも人のことをよく見ている。まあ、今も昔も、「こいつ、王族って自覚あんのか?」ってくらい自由奔放なのは変わらないけど。
「で? 相変わらずってことは……やっぱりレゼは……夢中なのか?」
ユリウスがにやっと口の端を歪める。問いの先にある「何か」を、わかっていて訊いている顔だった。
「……ああ。おかげで、もうすぐ二十歳になると言うのに、貴族からの縁談はほぼ全滅だ」
俺はため息まじりに答えた。言葉の端が、少しだけ自嘲気味になったのは自覚している。
「ほんっと、レゼは!」
肩をすくめて笑うユリウスは、どこか呆れ顔の中に愛しさを滲ませていた。
「レゼさえ良ければ、いつでも俺が貰ってやるのにね〜」
冗談めかしたその台詞に、俺はこれ以上細められないくらいに目を細めて睨む。
「お前が弟になるとか、何の罰ゲームだよ」
「ひでっ、お兄様〜」
「……やめろ」
わざとらしく肩を抱え、泣き真似までしてみせるユリウスに、俺はうんざりした声で応じる。
けらけらと無邪気な笑い声が残る中、コンコン、とノックの音が響いた。音の先に視線を向けると、返事をする前に、見慣れた明るい髪がひょこりと顔をのぞかせる。
「ごきげんよう! お茶菓子、追加で持ってきましたわよ〜」
絹糸のようなプラチナブロンドの髪を揺らしながら、にこやかに入ってきたのは、俺の妹、テレーゼ・レヴェラン。家族やユリウスは、親しみを込めて「レゼ」と呼んでいる。
持ち手に薔薇の細工を施した優雅なティートレイを両手に抱え、まるで貴婦人のような軽やかさで近づいてくる。トレイの上にはちゃっかり三人分のアップルパイが並んでいるところを見ると、自分も混ざる気満々なんだろう。
ついさっきまで「王子と側近だけの静かな茶会」だったはずの空間が、レゼの登場によって一気に華やいだ。
「ふふ。ユリウス様もアルベルト兄様も、何をそんなに楽しそうに話してたんですの?」
明るく笑うレゼは、まるでこの場の空気を読んでいない。というか、読めていたらその余裕の笑顔なんて出せないはずだ。
(お前が嫁に行き遅れる心配をしてんだよ……)
なんてことは口に出せるはずもなく、黙る俺。ユリウスはというと、俺の方をちらりと見てから、にっこりと悪い顔で微笑んだ。
(……やめろよ、絶対なんか言うつもりだろ)
そう心で念じたのも虚しく、この自由な王太子の口は、何の躊躇いもなく開かれた。
「レゼが俺のところに嫁に来ればいいのに〜って話してたんだよ? どう? 嫁にきちゃう? レゼなら大歓迎だよ?」
両手を広げて受け入れポーズをするユリウス。だが、レゼはそんな王太子の扱いにも慣れたもので、にこりと微笑みながら、ちらりとユリウスの細い腕に視線を落とした。
「まあ、ユリウス様。冗談はその細っこい二の腕だけにしてくださいます?」
ピシッと音がしそうなほどの完璧な笑顔。
「ユリウス様は、確かに素敵なお方ですわ。華やかなお顔立ちに、気さくなお人柄、頭もよろしいし、話していて飽きませんもの」
にこやかに続けるその口調は、誰が聞いても上品で穏やかだ。だがその瞬間、レゼの瞳だけが真剣そのものに変わる。
「……でも、でもですわっ!」
そして次の言葉は、まるで裁判官が有罪判決を下すかのように、堂々と響き渡った。
「ユリウス様に足りないのは──圧倒的に、筋肉ですっ!!」
ドン、とトレイをテーブルに置いたかと思えば、両手を胸元で組み、天を仰ぐように語り出す。
「わたくしにとって男性の魅力とは、筋肉がすべて!! 隆起した胸筋、鋼のような上腕、広く厚い背中に、爆発力に満ちた太腿……っ! そこに至るまでの鍛錬と努力が、全身から語りかけてくるのですもの!」
(始まった……!)
俺は心の中でそっと顔を覆った。
この妹、美貌に恵まれ、家柄も申し分なく、王宮の茶会では「王都の花」なんて呼ばれていたはずなのに、なぜこうなった。
レゼは一言で言えば、絵本から抜け出したような可憐な令嬢だ。雪のように滑らかな肌に、紫がかった青い瞳。長く濃いまつげに縁取られたその目元は、笑みを浮かべるたびに、やわらかな光をたたえる。すっと通った鼻筋と、ふっくらとした唇まで、どこから見ても完璧な美貌。
その美貌の持ち主が、今は恍惚とした顔で筋肉を語っているんだから、ほんと救いようがない。
「だよね〜! レゼが俺を選ぶなんて、筋繊維の一本も通ってない幻想だったよね〜!」
ユリウスは自分で言っておきながら腹を抱えて笑い出した。肩を揺らしながら涙まで浮かべているあたり、相当ツボに入ったらしい。
「ふふっ。世の中がなんと言おうと、わたくしは、筋肉を愛しておりますの!」
レゼは胸を張り、誇らしげに言い切る。まるで国是でも宣言するかのような、堂々たる態度だった。
(……ああ、こいつが筋肉を語り出すと、もう誰にも止められない)
俺は心の中でため息をついた。
この国では今、「中性的な美しさ」が流行の最先端だ。線が細く、優美な顔立ちの男こそが理想の貴公子とされている。爵位の高い家柄ともなれば、なおさらだ。
当然、侯爵令嬢であるレゼと釣り合うだけの家柄となると、そうした華奢な貴公子が候補に挙がってくるわけで……。
だが、レゼは頑として首を縦に振らない。
細身は論外。鍛えていない身体に興味はない。筋肉があるなら、家柄など問わず、むしろ庶民の方がいいとまで言ってのける始末だ。……いや、言っていた。つい最近も、普通に。それを聞いた母が気を失いかけたのは、さすがに気の毒だった。
もちろん、レゼがそんな勝手な結婚を許されるはずもなく、縁談はことごとく流れている。本人はまるで気にしていないが、周囲の方が肝を冷やしている状態だ。俺とユリウスがこうして頭を悩ませる理由も、まさにそれだった。
「まったく……」
ソファにもたれながら、ユリウスが空を仰ぐ。
「どこにいんのかなぁ、レゼの筋肉愛を全力で受け止めてくれる猛者は」
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