2-7 可愛い店は鬼門だ
「……な、なんだここは」
思わず声が漏れた。街歩きの最後に、「カフェに行きたい」というテレーゼ嬢の希望で、王都で大人気だという店に連れて来られたのだが。
店先からしてピンクと白の配色で、入口のアーチには花飾り。窓越しに見える内装は、ふわふわのレースやリボンで埋め尽くされている。どう見ても、屈強な男がくつろぐ場所じゃない。
客の大半は若い女性だが、時おり恋人同士らしき男女も見える。もっとも、その男たちは例外なく、この空間に溶け込むような華奢で整った顔立ちをしていたが。
(……俺だけ明らかに、浮いてる……)
ここはまずい、と別の店に変えてもらおうとしたのだが、
「この店、以前から一度行ってみたかったんですの! なんて可愛いのでしょう!」
すでにハートになっている目でそう言われてしまうと……。仕方なく席に着いたものの、周囲の視線がやけに刺さった。店員も他の客も、俺を見るたびに「なんであんなのがここに?」と言いたげな顔をしてくるのが、嫌でもわかる。
一方のテレーゼ嬢は、まるで気にも留めていないようで、嬉しそうにメニューを手に取る。
「まあっ、このケーキ、薔薇の形ですわ! それにこちらはハート型のマカロン……あぁ、どれも可愛すぎて選べませんわ〜♡」
メニューを覗き込みながら、テレーゼ嬢は次々とページをめくっている。その指の先まで楽しげで、まるでこの店のために仕立てられたみたいに、自然にそこにいた。
「ヴォルフ様は、どれになさいます?」
「……紅茶でいい」
「えっ、紅茶だけ? せっかくですのに、可愛いパフェなどはいかがです?」
「……いらん」
「まあ、こんなに美味しそうですのに?」
「……ああ、紅茶だけでいい」
頑なな俺の返答に、テレーゼ嬢は一瞬「つまらないですわね」という顔をしたが、すぐにまた嬉々としてメニューへ視線を戻した。
「では私は……薔薇のケーキと、苺のミルフィーユ、それからミニマカロンセットを」
「……そんなに食えるのか」
「もちろんですわ!」
ほどなくして、テレーゼ嬢が注文したケーキや菓子が、まるで宝石のように皿に盛られて運ばれてきた。
「まぁ……なんて可愛らしい……♡」
フォークを手に、ひと口食べた瞬間、テレーゼ嬢の瞳がとろんと細まり、口元がやわらかくほころぶ。
(……ほんと、うまそうに食うな)
その表情に、つい半端な笑みが口元に浮かぶ。
「ヴォルフ様も食べます?」
首をちょこんとかたむけて、テレーゼ嬢が尋ねる。
「いや、俺は……」
どう断れば角が立たないかと、言葉を探していると──
「まあっ! この店に来てスイーツを食べないなんて、饗宴に招かれて、水だけ飲んで帰るようなものですわよ!」
大げさに両手を広げ、まるで世界の真理でも説くかのようにテレーゼ嬢が熱弁する。
「……例えがよくわからんが……じゃ、じゃあ」
「はいっ」
そしてマカロンを小さなフォークで器用に刺すと、そのまま俺の口元へ──むぎゅっと押し込んできた。
(た、食べさせるのか!?)
思わず目を見開きながらも、口の中に広がる甘さに、もぐもぐと噛むしかない。
「ふふっ。美味しいでしょう?」
得意げに微笑むその顔が何だかやけに眩しくて。俺はわざとらしすぎる咳払いで取り繕うと、熱くなった顔を隠すように視線をそらした。だが、またすぐに思い直して前を向く。
(別に俺が目を逸らす必要なんて……)
すると、まだ同じ笑顔でにこにことこちらを見つめてくるテレーゼ嬢と目が合って、慌ててまた逸らす。
(……くそっ)
行き場を無くした視線を持て余し、俺は口に残った甘さを、ぐいっと紅茶で流し込んだ。
(まさか俺が休暇をとって、こんな甘ったるい空間でスイーツをつつく日が来るとは。部下が見たら腰抜かすだろうな)
そう思うくせに、不思議とこの時間が居心地良いと認めざるを得ない自分がいた。
*
──くすっ。
背後から小さな笑い声が俺の耳に届いたのは、テレーゼ嬢が幸せそうに、ミルフィーユの苺にフォークを刺した時だった。最初は気にせず、カップを口に運ぶ。だが、断片的に聞こえる言葉が徐々にはっきりしてくる。
「あの方、レヴェラン侯爵家のテレーゼ様じゃありません?」
「まあ……本当に。騎士団の団長様とご結婚なさったと聞きましたけど……」
「まさか、お相手ってあの方?」
「すごく大きな方ですわね……」
「わたくしは、自分の夫があの体型はちょっと……」
「ねえ、隣を歩くのが恥ずかしくないのかしら」
かすかな声なのに、はっきりと耳に残った。甘い香りに満ちていたはずの空気が、すっと冷えていく。紅茶を飲むふりをしながら視線だけを向かいのテレーゼ嬢に送ると、彼女は、ほんの少しだけ眉を寄せていた。
(……テレーゼ嬢が笑顔を向けてくれるから忘れていたが)
カップに残った紅茶をぼんやりと見つめながら、俺は諦めたように短く息を吐く。
(まあ、これが世間の普通だよな)
「……すまん。俺と一緒じゃ、君まで悪く言われる。出よう」
そう言いかけた俺の前で、テレーゼ嬢が椅子を勢いよく引き、立ち上がった。そのまま迷いなく令嬢たちのテーブルへ向かう。
(おい、何を……)
俺は声も出せずに、ただ成り行きを見守るしかなかった。
「ごきげんよう。どうやら……少々聞き捨てならないお話を伺ってしまいましたの」
口元には笑みを保ちながらも、その瞳は凛と光を帯びていた。
「ヴォルフ様の筋肉は、毎日の鍛錬の賜物──いわば、騎士の誇りそのものですのよ!」
令嬢たちが気まずそうに顔を見合わせる。
「それを自慢こそすれ、恥ずかしいだなんて思うはずがございませんわ! むしろっ、これほど逞しい背中に守られる安心感は他にありませんの!」
そこで、すっと目を細めると、店内をぐるりと見渡す。
「逆にお伺いしたいのですが。そこにいる殿方の、その細腕で……あなた方を本当に守ってくださいますの?」
令嬢たちが言葉を失った隙を逃さず、テレーゼ嬢はさらに勢いを増す。
「ヴォルフ様の筋肉は、もう芸術品ですのよ! 盛り上がり、引き締まり、あの逞しさ……!」
「お、おい……」
俺は控えめに声をかけたが、テレーゼ嬢は耳に入っていない。
「先程腕を組ませていただいた時も、その鎧のような硬さに思わず息を呑みましたわ! しかも、その温もりがじわじわと伝わってきて……あぁ、あのままずっと離れたくなかったくらいでしたのっ♡ しかも胸板! あの分厚さと安心感! 私の背中が当たった瞬間なんて……まるで大きな毛布にくるまれているみたいで……っ♡」
「やめろ!! 恥ずかしいからほんとにやめろっ!!」
俺が真っ赤な顔で叫ぶと、テレーゼ嬢はハッと我に返り、すぐに令嬢たちへと向き直る。
「と、とにかく! そんな素敵なヴォルフ様を笑うなんて、わたくし許しませんわ。隣を歩くのが恥ずかしいですって? 冗談ですわ。むしろ毎日、皆様に見せびらかしたいくらいですもの」
ポカンと口を開けたまま固まっている令嬢たちを残し、テレーゼ嬢はくるりと踵を返す。そして何事もなかったかのように俺の前へ戻ってきて、満足気に微笑んだ。
「お待たせしましたわ、ヴォルフ様」
そう言って、皿に残っていたミルフィーユをフォークでさっくりと切り分け、パクリと口へ運ぶ。俺はしばらくその様子に見入っていたが、ふと我に返り、
「俺は別に何を言われても構わない。ああ言うのは慣れてるからな。ただ、俺と一緒にいることで、君が嫌な思いをするかと思ったんだ」
言い訳のようにそう伝えると、テレーゼ嬢は、心外ですわと言わんばかりに、ぷくりと唇を尖らせた。
「わたくし、ヴォルフ様と一緒にいられるのは誇らしいくらいですのよ? 何を言われても構いませんわ!」
フォークを静かに皿に置くと、まっすぐな視線を俺に向ける。
「ただ──ヴォルフ様を悪く言われるのは、嫌ですわ」
その澄んだ瞳に射抜かれ、言葉が喉に貼りついたように出てこなかった。
(……何なんだよ)
面と向かってそんなふうに言われると、調子が狂う。熱くなる頬をごまかすように、俺は視線をカップに落とし、
「……そうか」
短くそう返すので精一杯だった。
テレーゼ嬢は、にこっと笑って再びミルフィーユを口に運ぶ。さっきまで令嬢たちに言い返していた人とは思えないほど、無邪気で幸せそうに。
窓から差し込む午後の光が、彼女のプラチナブロンドの髪を透かしてきらめく。俺はその光景を胸の奥にそっとしまい込み、黙ってカップを傾けた。




