2-5 強制デート休暇
「はぁ……」
既に何度目のため息だろう。足取りはまるで鉄球でもぶら下げられているかのように重い。差し込む陽光がやけにまぶしい回廊を、俺は渋々進んでいた。
今朝、騎士団詰所に顔を出した瞬間、伝令がこう告げたのだ。
「ユリウス殿下がお呼びです」
……危うく舌打ちしかけた。定例の報告があるわけでもない日に呼び出しなんて、まともな話なはずがない。いや、もうだいたい想像はついているが。
執務室の大きな扉の前まで来ると、最後にひとつ深く諦めの息を吐き、ノックした。
扉を開け、型通りの挨拶をして顔を上げると、窓際のソファに腰をかけたユリウス殿下が、ひらひらと手を振っている。その隣にはやけに穏やかな笑みを浮かべたアルベルトの姿。
(……この雰囲気、どう考えても碌なことじゃない)
「よく来たな、ヴォルフ。まあ座れ」
殿下が力強い手招きで向かいの席を示す。俺が腰を下ろした途端、身を乗り出し、興味津々の顔になった。
「で、レゼとの新婚生活はどうだ?」
……やっぱりその話か。
ちらりとアルベルトを見ると、こちらは殿下ほど露骨ではないが、俺がどう答えるのか、静かに観察するような目を向けてきていた。
「いやぁ、気になるんだよ。お前があのレゼと、毎日どんな顔して暮らしてるのか」
殿下はにやにやしながら、肘掛けに頬杖をつく。
「……別に、普通ですよ」
俺はできるだけ平坦な声で返した。
「へぇ? 普通、ねぇ……」
その視線は、まるで俺の反応を楽しんでいるかのようだ。片眉を上げ、殿下がにやりと笑う。
「レゼは素直で可愛いだろ?」
その言葉に、俺の脳裏に浮かんだのは——植え込みの陰からこっそり俺を覗く熱い眼差しや、机の上に置きっぱなしだった観察日記の数々。あれを素直と言うなら、確かにそうなのかもしれない。気づけば、口元がわずかに動いた。
「……まあ……素直なのは否定しませんが」
少しだけ考えて、俺はそう答えた。
「うわ……お前にそんな顔をさせるとは、さすがレゼだな」
殿下は面白そうに腹を抱えて笑い、アルベルトは拳を口にあて、そっと苦笑している。
(なんだ? 俺は普通に答えただけなのに)
俺が眉をしかめるのを見て、殿下は口元の笑みをいっそう悪戯っぽく深めた。
「で、お前はちゃんと、その素直でかわいい新妻に、夫らしいことをしてやってるのか?」
「は? お、俺たちはそんな仲じゃ──」
殿下の不意打ちに、思わず口ごもる。
「いやいや、そんな仲だろ? きちんと書類も交わして、一緒に住んでる。れっきとした夫婦じゃないか」
「ぐっ……」
「まあ、どうせお前のことだ。出会ったばかりで『まだ早い』とか言って、夫らしいことは何もしてないんだろ?」
言葉を詰まらせた俺に、殿下は「ほら、図星だろ?」とでも言うように目を細めた。
そして、ぼふんっと大げさにソファの背もたれに倒れ込み、額に手を当ててみせる。
「あ〜、レゼがかわいそうだな〜。な、アルベルト?」
わざとらしく嘆くその声は、部屋いっぱいに響いた。
「はい。兄として、とても心が痛いです」
アルベルトは悲しそうに顔を歪め、相槌を打っている。が、その口元がわずかに上がったのを、俺は見逃さなかった。こいつら、なんか企んでるな。
「そこでだ!」
殿下がガバッと起き上がり、指を突きつけてくる。
「明日、お前は休暇を取れ!」
「はぁ!? なんで俺が──」
「理由? そんなの決まってるだろ?」
殿下は人差し指を立て、堂々と言い放った。
「俺の可愛いレゼが! 結婚して半月も経つのに! 夫にデートの一つも連れて行ってもらってないなんて!」
そこで、大きなため息をひとつつくと、思い切り眉をひそめる。
「可哀想で仕事が手につかない!」
「はあああっ!?」
殿下のわけのわからない理屈に声を上げる俺の横で、アルベルトが眉間に皺を寄せ、静かに頷いた。
「私も兄として、気が気ではありません。心配で書類の数字が頭に入らない日々です」
その口調は深刻そうだが、目の奥は明らかに笑っている。
「お前まで何言ってんだ!」
俺が思わず突っ込むも、ふたりは聞いちゃいない。
「というわけで、これ」
ユリウス殿下は懐から一枚の書類を取り出すと、ひらりと俺の前に滑らせた。
「休暇願い。お前の名前は書いといたから、あとは副団長のサインもらっといてくれ」
そう言って、やけにあっさりと腰をあげた。
「は?」
「じゃ、よろしくな!」
有無を言わせぬ笑顔を残し、殿下とアルベルトはまるで用事は済んだとばかりに、同時に席へ戻っていった。
(……完全にハメられた気がする)
*
「……ったく。あの能天気王太子と、その悪ノリ側近のやることは……」
呆れと諦めをこれでもかと詰め込んだため息を吐きながら、俺は詰所へ戻った。
「……はぁ」
先程ユリウス殿下に押し付けられた書類を手に、しぶしぶ副団長・ギルバートの机へ向かう。
「すまん、急だが明日休むことになった。これ、俺の代わりにサインしてくれ」
書類を差し出すと、ギルバートは怪訝そうに眉をひそめて顔を上げた。
「団長が休むなんて珍しいですね。何かあったんですか?」
その目が少しだけ心配そうに揺れる。だが次の瞬間、書類に目を落としたギルバートの口元が、ピクリと引きつった。
「…………」
小さく肩が揺れ、そして——
「……ブハッ!」
腕で顔を覆い、必死に笑いを堪えるも、肩の震えは隠しきれていない。
「……? 何だよ」
「い、いえ……この理由……新婚さんで羨ましいです」
「は?」
まだ笑いの尾を引きながら、ギルバートが書類を差し出してくる。受け取った俺は、訝しみつつ申請理由の欄に目を落とし、数秒の沈黙。
『 大好きな妻とデートの為 』
「はあああああっ!?!?」
頭の中で、王太子のしたり顔が浮かぶ。
「あんのクソ王子ぃぃぃ!!!」




