2-4 お茶係に就任ですわ!
5:00
ヴォルフ様、日課の鍛錬を開始されます。本日も中庭にて、朝日を浴びながら黙々と 剣を振るうお姿……うっとりするほど美しい筋肉の動き。本日も眼福でした♡
本当はまたこっそり近くで見たいのですが、セシルに「はしたない」と怒られますので、わたくしはお部屋の窓から。でも、やっぱりちょっと物足りませんわ!
6:00
だいたい1時間で鍛錬は終了。汗で濡れたシャツが背中にぴたりと張りついて……はぁっ、なんてセクシー!! あら、コホン。
この時間になると、マチルダさんが湯気の立つお茶と、ふかふかのタオルを持って中庭へ向かわれます。おふたりが親しげに言葉を交わすその輪の中に、わたくしも入りたいと、何度思ったことでしょう!
6:30
食堂にて朝食。私もご一緒しますが、ヴォルフ様は大抵、新聞と書類を広げて黙々と完食されます。話しかける隙が……ほとんどございませんっ! タイミングさえ間違えなければ、きっと! と、毎朝スプーン片手にチャンスをうかがっておりますのに。
意外にもヴォルフ様はトマトがお嫌いみたいです。うふ、かわいいですわ♡ でも、好き嫌いはいけませんことよ!
7:00
出勤。ヴォルフ様は、毎朝騎士団本部へご出発されます。精悍な背中がドアの向こうに消えていくのを、わたくしは今日もお見送りいたします。たまに、目が合うような気が……? いえ、でも、気のせいかもしれません……。
それにしても、ヴォルフ様の騎士服姿は素敵すぎますわっ!! 肩に輝く団長様の立派な肩章。それがまた、ヴォルフ様の凛々しいお顔を、いっそう引き立てていらして……! 朝から鼻血が出そうになりますの、ほんとうに。
18:00
ご帰宅。食堂にて夕飯を召し上がられます。メニューはもちろん、ルーディさん特製の「筋肉育成メニュー」! 最近ではマチルダさんもすっかり公認されていて、味もボリュームも、ますます磨きがかかっているような!? もりもり召し上がるヴォルフ様を見るたび、私も思わず笑顔になってしまいますの。
そのあとは、温かいお茶を一杯飲んで、すぐに自室へ。お風呂……たぶん入ってらっしゃると思います。熱い湯船にじっくり浸かって、筋肉の疲労回復に努めておられるはずですわ。ええ、きっと。
「テレーゼ様。またヴォルフ様の観察日記ですか?」
ノートに熱心に書き込んでいた手が、ぴたりと止まる。背後から聞こえてきたのは、セシルのため息混じりの声だった。
「お、おおお夫のスケジュール管理は、妻の大事な務めですわっ! けっして観察などでは……っ!」
私は慌ててノートを閉じ、ぴしっと背筋を伸ばす。あくまで真剣ですのアピールである。
「……それ、毎日つけてらっしゃいますよね。内容、毎日まったく同じじゃありません? そろそろ冊子一冊分くらいにはなっているかと……」
「そ、それは愛ですわっ!」
胸を張って堂々と言い返すと、セシルは呆れたように眉を寄せた……が、すぐにふっと微笑む。
そう。これは、嫁いでからのここ数日間における、ヴォルフ様の観察日記──いえ、生活記録でございます!
毎日毎日、ぴったり同じスケジュールをこなされるお姿……さすがヴォルフ様! その真面目さと律義さに、わたくしは心から敬意を抱いておりますわ!
でも……でも、ですわ! 足りませんのっ!! あまりにもっ……圧倒的に! わたくしとヴォルフ様との、会話が……っ!!
ただでさえ、寝室は別、お忙しいのでお出かけもなし、触れ合いもご遠慮くださいとのことで……。
(それなのに、会話までままならないだなんて……。そ、そんなのって、あんまりですわ〜〜〜っ!!)
*
「それなら、明日から朝の鍛錬後のお茶とタオルを、テレーゼ様がお持ちになりませんか?」
昼食後、食堂のテーブルに突っ伏して嘆いていた私を見て、マチルダさんがぽんっと手を打ち、思いついたように提案してきた。
「いいんですのっ!? ええ、それはもう、ぜひとも!!」
私はガバッと勢いよく身を起こし、突然現れた救世主に熱い視線を送る。ああ、なんて素晴らしいご提案なのでしょう! 今、マチルダさんの背後に……光が差して見えますわっ!
「ふふ。坊ちゃまも、新婚なのですから、たまにはかわいい奥様と朝のひとときを過ごして、少しは人間らしくなっていただかないと」
にやにやと笑いながら、テーブルを吹き上げるマチルダさん。その声には、どこか母のような温かさと、からかいの入り混じった優しさがあった。
そんなマチルダさんを横目に、私は思いがけず舞い込んだ、この新たな「任務」に、胸をときめかせていた。
(これでっ! ヴォルフ様と少しでも仲良くなれるかもしれませんわっ!)
*
そして迎えた、翌朝。
私は、いつもならマチルダさんが持っていくはずだったお茶とタオルを大切に両腕に抱え、そろりそろりと中庭へと歩を進めていた。
朝靄に包まれた中庭の奥。そこには、剣を握り、静かに鍛錬に打ち込むヴォルフ様のお姿が。まばゆい朝日を背負った姿は、ただの鍛錬とは思えないほど荘厳で、思わず足を止めて、じぃっと見入ってしまいそうになる。
(いけません、落ち着きなさいわたくし! まずは、お役目をしっかり果たさなければ!)
私は胸元でタオルとお盆をぎゅっと抱きしめ、ゆっくりと息を吸い込んだ。
ヴォルフ様は集中されているご様子だったので、私は声をかけるのを控え、そっと距離を取って、少し斜め後ろに立つ。
(……美しすぎますわっ)
張り詰めた空気の中、剣を振るたびに浮かび上がる筋肉のライン、汗に濡れたシャツが背中にぴたりと張りついて、肩から腰にかけての隆々とした輪郭が、くっきりと浮かび上がる。
そのあまりの色気に、思わず息を飲んだその時、ヴォルフ様が「ふう……」と息を吐いて、剣を納めた。
「……マチルダ、今日はやけに静かだな?」
ヴォルフ様はまだ私の存在には気づいていないようで、のんびりとシャツの裾を整えている。その無防備な後ろ姿が、なんだか愛おしくて、私は思いきって声をかけた。
「おはようございます。ヴォルフ様!」
びくっ、とヴォルフ様の肩が跳ね、勢いよく振り返る。
「テ、テレーゼ嬢っ!?」
ギョッとしたように目を見開き、慌てて一歩後ずさると、気まずそうに目を逸らした。
「いや……あー……えっと、今日はマチルダは?」
「ふふ……」
私は笑みを浮かべながら、ヴォルフ様にタオルを差し出す。
「わたくし、ヴォルフ様ともっとお話したくて、マチルダさんに代わっていただきましたの」
「お、俺とっ?」
「今度から、このお茶とタオル、わたくしが持ってきてもよろしいですか?」
「……あ、いや、それは……えっと……ま、毎朝……?」
言葉をどもらせながら、ちらちらと視線を散らすヴォルフ様。耳の先がじわじわと赤く染まっていくのが、はっきりと見える。
「ええ。いけませんか?」
私がにこやかに頷くと、ヴォルフ様は小さく咳払いをし、ぼそりと呟いた。
「……いや、ダメでは……ない……が」
そう言ってヴォルフ様は私が差し出しているタオルに手を伸ばす。大きな手がタオルに触れた瞬間、私の指先とヴォルフ様の指先がほんの一瞬、かすかに触れ合った。
「っっっ!!?」
ヴォルフ様の指先がびくりと強張り、まるで触れてはいけないものに触れたかのように慌ててタオルを引き取ると、さっと視線を逸らした。
「す、すまんっ……!」
(……そんなに驚かなくても)
笑みがこぼれそうになるのを必死にこらえたけれど、口元がほんのり緩んでしまう。
それからヴォルフ様は、汗なんてとっくに乾いてるでしょうに、ずっとタオルで顔をごしごしと乱暴に拭い続けていた。
(ふふ。やっぱり最高に可愛らしいですわ)
*
その日の朝、俺はいつものように鍛錬を終え、汗を拭きながら自室へ戻った。
(ふう……なんだか疲れた……)
なんとなく、胸がざわついている。原因は、数日前から毎朝かかさずやってくるようになった、「彼女」のせいだ。爽やかな笑顔で「おはようございます♡」なんて言いながらお茶を差し出されて、ペースが狂わないはずがない。
(『話したくて』って……そんなこと普通わざわざ言うか?)
最近では、俺がお茶を飲む間、少し会話を交わすようにもなってきた。どうでもいい日常のことを、楽しそうに話してくる彼女を見ていると、妙にそわそわする。
(別に嫌ではないんだが……なんか落ち着かなくなるんだよな……)
ふと、先日タオルを受け取るときに、ほんの一瞬だけ触れた彼女の細い指先を思い出してしまう。柔らかくてすべすべとした感触が、なぜかまだ指先に残っているような気がして──。
(……っ、やめろ)
顔が火照りそうなのを、ぶんぶんと頭を振って追い払った。ため息をつきながら、水を一杯飲もうと食堂に行った、その時だった。
「……ん?」
ふと、テーブルの上に置かれた一冊のノートに目が留まった。うす桃色の布張り表紙に、可愛らしい金色の飾り模様。何気なく手に取り、ぱらりとページをめくる。
「……っ!?」
そこには、丁寧な字でこう記されていた。
5:00 ヴォルフ様、日課の鍛錬を開始されます。本日も中庭にて、朝日を浴びながら黙々と剣を振るうお姿……うっとりするほど美しい筋肉の動き。本日も眼福でした♡
(……は……!?)
思わずページをめくる手が止まる。
6:00 汗で濡れたシャツが背中にぴたりと張りついて……はぁっ、なんてセクシー!!
6:30 トマトがお嫌いみたいです。うふ、かわいいですわ♡ でも、好き嫌いはいけませんことよ!
「な……なんなんだこれ……!!」
思わず顔が熱くなり、急いでノートを閉じた、その時。
「……ああ、そちらにございましたか」
背後から、すっと現れたのはセシル嬢だった。彼女はちらりと、赤くなっている俺の顔を見て、ふっと口元だけで笑った。
「どうか、見たことはテレーゼ様にはご内密に」
「……っ」
「私のご主人様、可愛いでしょう?」
彼女は俺の手からノートをすっと回収すると、そのまま踵を返してスタスタと立ち去っていく。残された俺は、手も足も出せずその場に突っ立ったまま、顔が焼けそうなのをどうすることもできなかった。
(……ほんとになんなんだよ、あの子は)




