第5話 お供のメイドは何かがおかしい?
「貴族でしたら、そう言ってくださればよかったのに……」
ロッタローゼはそう言うと、マギアの隣に腰を下ろした。
時間は月の光が明るい夜中、場所は本日の宿にと提供を受けた領主の館の露台の屋根の上。
人目を忍んでこっそりと話をするにはもってこいだが、アレクシアかスヴェンに見つかったら大騒ぎになるだろう。
「…………」
「なんですか?」
目を丸くしたままじっとロッタローゼを見つめているマギアに眉をひそめて訊ねる。
「こうしてみると本当に貴族のお嬢様みたいだな」
「…………」
マギアの言葉にロッタローゼはさらに眉間のしわを深くする。
とても13歳のお嬢様がする顔ではない。
「一年もお嬢様やってんのよ、慣れもするわ」
薔薇の頃のような行儀の悪い話し方で話すと、マギアはやっと緊張を解いたようだ。
「何よ、アンタだって貴族じゃない」
「ああ、あれは方便だな。指輪は拾った」
「え?」
詳しく聞くと、指輪は旅の途中で見かけた屍から抜き取ったのだと言う。
指輪を持っていた男の身なりは質素だったが、仕立ても品質も良く、庶民ではないと一目でわかった。
それで調べてみたら隣国のヴァイデ男爵の末っ子が出奔したと言うニュースを見つけたのだ。
「実家でいろいろあったんだろう……親は探しているようだが、人を雇ってまでは探していないようだ。この国にいる限りばれることはないだろうな」
「そりゃあ、まぁ、気の毒に」
口では軽く言ったロッタローゼだったが、野ざらしになっているであろうヴァイデ男爵の三男坊には深く同情している。
(きっと、アタシも……)
玉藻の兵に討たれた後は、良くて野ざらし、悪ければさらし首だ。
兵に討たれた薔薇を弔ってくれるような当てもない。
「お嬢様はどうしてお嬢様なんかやってんだ?」
「……急な質問ね」
「そりゃ気になるだろう! お嬢様は異国の神様だろう? 狐にはそういうのがいるって聞いたことがあるんだ」
「アンタだって犬神でしょ。神様じゃない」
「違う違う。俺たちは神とは言われるが妖だ。この国で言うならモンスターだ。妖力はあっても奇跡は起こせない」
「…………」
「お嬢様は奇跡が起こせるだろう?」
薔薇は神狐だ。生まれた時は野に生きる狐で、三百年という時を経て神格を得た。
妖と神の大きな違いは奇跡だった。妖力で曲げたり伸ばしたりとは違って、生き死ににかかわるような術――例えば、枯れた草木を蘇らせたり、人や動物の病を癒したり、極めれば死者を蘇らせるといったものだ。
「昔はね。だが、この姿になっちまった今では奇跡もくそもないよ」
現に自身の神通力は失われ、借りていた妖力をマギアに返した今では、変化することすらできない。
「アタシは神だった記憶があるだけのただのお嬢様さ」
「ふぅん……」
マギアが明らかに落胆したような返事を返してきた。
ロッタローゼが神であることを期待していたのかもしれない。
「……そういう事情で、この世界でしくじるわけにはいかないのです。あなたもバレないようにしっかりお願いね」
ロッタローゼは侯爵令嬢の顔で優雅に微笑み返す。
マギアの腹の中まではわからないが、貴族社会に入り込むと言う企みがある間くらいは上手くやるだろう。
(気を許すことはできないけどね……)
ロッタローゼは屋根の上で危なげもなく立ち上がると、着ているネグリジェについた埃を掃う。
「それではご機嫌よう、マギア。明日は長距離移動のようですから朝は早いですわよ」
そう言って、軽くネグリジェの裾を抓んで会釈すると、ロッタローゼはそのままふわりと露台に飛び降りた。
青いタイルで美しく飾られた露台は、この屋敷で一番見晴らしの良い特等室――侯爵令嬢のロッタローゼのために用意された部屋のものだ。
ロッタローゼは静かに扉を開けると、音を立てないように部屋の中へ滑り込んだ。
◇◇◇
ロッタローゼが部屋に入ると同時にトトト……とかすかな足音が響いた。マギアが屋根から降りて行ったのだろう。
マギアに屋根の上に呼ばれたときはどうしたものかと思ったが、子供の身体は軽く、難なく上がることができた。
(内緒話には向いているのかもしれないけれど……)
お嬢様としては見つかるわけにはいかない所業だ。
「お嬢様……」
「ぎゃあっ!」
いきなりのことにとてもじゃないがお嬢様とは思えないような悲鳴を上げてしまった。
「ア、ア、ア、アレク、シア?」
バクバクと激しく脈打つ心臓を抑えながら、ドアの隣に立つ黒い影に声をかけた。
そこにいたのは完全に気配を消したメイドのアレクシアだった。
「お嬢様、夜更かしはあまり関心いたしませんね」
すすっと暗がりから、寝台の傍に灯された小さな明かりの光の中にメイド服姿のアレクシアが進み出る。
「ひ、あ、あの、あの……」
ロッタローゼは激しく刎ねる心臓を落ち着けるべく大きく深呼吸をした。
「……ごめんなさい。少し夜風にあたりたくて……」
なんとか心臓を落ち着けて、なんとか声を絞り出したが、弱弱しく細い声しか出ない。
「お嬢様」
「は、はい? え?」
すすすっと近づいてきたアレクシアがロッタローゼを抱きしめてきた。
(は、はぁっ!? 何これっ!?)
ロッタローゼは再び激しく動揺したが、何とか悲鳴は堪えた。
そうしている間にも、アレクシアがロッタローゼの小さな体を包み込むように強く抱きしめる。
ふわりと柔らかいかと思いきや、腕は思いのほか力強くロッタローゼの体に回された。
「あ、アレクシア?」
「今日は……生きた心地がいたしませんでした……」
アレクシアはぽつりぽつりと話し始める。
いつもの凛とした様子はなく、抱きしめる腕も振るえていた。
「お嬢様に何かあったら私は……」
アレクシアは元々別の貴族に仕える使用人だったが、ロッタローゼが生まれた時に父親のシェーンベルグ侯爵が引き抜いて専属として連れてきたのだと聞いている。
アレクシア自身も低位の貴族の出身で教育も十分に受けており、本来ならば王城へ奉公に出ても不思議ではないほどの経歴の主だ。
ロッタローゼを溺愛しており、両親が他界した時も常に寄り添いロッタローゼを支えてきた。
そんなアレクシアが声を震わせて、ロッタローゼに心の内を吐露している。
「……ごめんなさい」
ロッタローゼは静かに謝罪を口にした。
それ以外に言葉がない。心配をかけてごめんなさい。辛い思いをさせてごめんなさい。
「お嬢様……」
よりぎゅっと強く抱きしめられる。
甘い香りがふわりと漂い、幼い頃からこの胸に抱きしめられていた記憶が微かによみがえる。
ロッタローゼが無条件に安心できる胸の中。
(病弱な幼子が縋った胸……それを取り上げてしまったアタシ……)
しんみりとした気持ちで、その頬を胸に預けていると、アレクシアの震えが少し大きくなった気がする。
「アレクシア……? 泣いているの?」
ロッタローゼが顔を上げて、その胸の中からアレクシアを見上げると、そこには予想外のものがのぞき込んでいた。
「……えっ?」
そこにあるのはアレクシアの顔。間違いなく見慣れた専属メイドの顔なのだが――。
「お嬢様」
「は、はいっ」
「こんなに私を心配させるなんて悪い子ですね」
「え……?」
アレクシアの瞳はこの暗闇の中でギラギラと輝いているように感じるほど強い眼差しを放っていた。
そしてそこにあるのは悲しみでも怯えでもない――静かな笑み。
「ア、ア、アレクシア? どうしたの?」
「お嬢様。私はお嬢様のためなら何でも致します。この命を懸けてもお嬢様にお仕えいたします」
「……ありがとう、う、嬉しいわ」
「お嬢様っ」
「ひゃ、ひゃいっ!」
ずいっと顔を寄せてくるアレクシアの目は笑っていない。なのに形の良い唇だけが笑みの形を作っている。
「お嬢様が望まれるなら、お嬢様を閉じ込める柵から救い出して、どこか遠くへ逃げることも厭いません」
「…………」
「ねぇ、お嬢様?」
「……はい」
「お嬢様は私をお見捨てになりませんよね?」
いつもブラシで髪を梳いてくれる手が、今は直接ロッタローゼの金髪を撫でる。
指先に絡む金髪が梳かれるたびに、そわそわと落ち着かない気持にさせられる。
「み、見捨てたりしないわ。私の専従はアレクシアだけよ」
言葉に嘘はない。スヴェンはメイドではないし、マギアは従者とはいっても一時的なものだ。
ロッタローゼがそう伝えると、今度こそアレクシアはにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「アレクシアこそ、私以外の人間を主とするようなことがないようにね」
「ロッタローゼ様……」
アレクシアが歓喜に目を輝かせ、体を震わせている。
「もちろん、もちろんですわ。私はロッタローゼ様の――ロッタローゼ様だけにお仕えいたします」
そう言って、アレクシアはロッタローゼから手を離し足元に跪く。
「ロッタローゼ様に忠誠をお誓いいたします」
アレクシアは誓いの言葉を口にして、それを証するためにロッタローゼの素足に恭しく唇を落とした。
アレクシアの唇が素足の甲に触れた時、その冷たさにぞわっとしたものが背筋を駆けあがる。
「さあ、お嬢様。もう夜遅いですわ。夜更かしは明日に響きますので、ベッドにお入りください」
顔を上げたアレクシアは、いつも日の光の下で見るアレクシアと同じ笑顔だった。
そして、今度はゆっくりとロッタローゼを抱き上げると、寝台の上にそっと下ろし、柔らかな毛布を掛けてくれる。
その一連の仕草はメイドとして手練れたアレクシアのものだ。
「眠れないようであれば、温かいミルクをお持ちいたしましょうか?」
「……必要ないわ。もうすぐに眠れそうよ」
「畏まりました。それではお休みなさいませ、お嬢様」
「おやすみなさい、アレクシア」
ロッタローゼの言葉ににっこりと微笑んでから静かに部屋を出て行った。
カチャッとドアの閉じる音がひどく大きく聞こえた。
その時に初めて、アレクシアが全く物音を立てずにいたのだと気が付いた。
(な、なんなの……あれ……)
ロッタローゼは毛布を引き上げてすっぽりと包まると、巣穴の中で眠るように体を丸めて目を閉じた。
◇◇◇
「おはようございます。お嬢様」
明るい声に起こされて、ロッタローゼが目を覚ますと、部屋の中がすっかり明るくなっていた。
露台に続く扉のカーテンは開かれ、さわやかな朝の光が部屋の中一杯に差し込んでいる。
「おはよう、アレクシア」
ゆっくりと体を起こすと、アレクシアが素早く肩にストールをかけてくれる。
「洗顔をお済ませくださいませ。お茶の準備をいたします」
ベッドサイドにはワゴンに乗せられた銀の洗面器に水が満たされている。
その水にはさわやかな花の香りがほんのりと漂う。ロッタローゼの好きな香りだ。きっとアレクシアが洗顔前に水に花を活けて匂いを移しているのだろう。
冷たすぎない心地よい水で顔を洗い終えると、アレクシアの用意したお茶を飲みながらその日に着るドレスを選ぶ。
「本日はこちらの領地の名産である蜂蜜入りのお紅茶です」
「ありがとう」
今は旅の途中で選ぶほどのドレスを持ってきてはいないが、それでも飾りや手袋、スカーフなどで見栄えを変えるのは必要だ。
世話になっている屋敷の主である領主がミモザの花が好きだと言うので、黄色のストールと髪飾りを用意して飾り立てた。
ドレスを着替え、メイクを整え、人前に出られる格好になると屋敷付きのメイドたちが呼びに来てやっと朝食となる。
(特に変わったところはないわね……)
ロッタローゼの隣を一歩引いて歩くアレクシアの様子をそっと見てため息を吐く。
昨夜のあれは何だったのだろう。
朝起きてあのままだったらどうしようかと考えていたが、昨夜のような素振りは一切なく、いつも通りのアレクシアだった。
「お嬢様?」
チラチラと見ていたのに気づかれたのか、アレクシアが何か用かと微笑み返してくる。
「やはりこの髪飾りより、黄色い羽根のついた帽子のほうが似合うかもしれないわ。朝食はこのままでよいけれど、出発の時に変えられるようにしておいてくださる?」
ロッタローゼは咄嗟にそう言うと、貴族の令嬢らしく不満を口にした。
こういう時は何でもないと返すよりも、何かを言ったほうが誤魔化せるものだ。
案の定、アレクシアは畏まりましたと答えると、再び何事もなかったように歩き始める。
(足音は……しているな)
昨夜とは違い、アレクシアの革靴の足音が控えめにだがコトコトと聞こえる。
(本当に、昨夜のあれは何だったんだ?)
物音を立てず影のような振る舞いのアレクシア。
笑わない瞳で、冷たい笑みを浮かべるアレクシア。
見捨てないでといったアレクシア。
その時の顔を思い出すと、ぞわりと悪寒のようなものが背筋を駆け上る。
(これは……本当に悪寒?)
アレクシアを思うと感じる――なにか。
(……答えを出すには情報が足りない)
姿勢を正してまっすぐ前を向くと、余計な懊悩はやめた。
今は何をすることもできないのだ。
油断しないようにしなくてはと思いながら、貴族の令嬢の笑みを作りロッタローゼとして食堂の扉をくぐるのだった。
―― 続