第4話 お供は三人、騎士とメイドと犬神?
『落ちつきましたかい?』
黒い仔犬が不安そうな顔でロッタローゼを見ている。
「ああ……」
ロッタローゼは取り戻した神通力で自分の身なりを整える。
懐かしい白絹の着物にしようかと思ったが、なんだか少し気が引けて、さっきまで着ていたドレスに似た洋装にした。
「取り乱しちまって悪かったね。もう大丈夫さ」
臙脂色のドレスは金髪の時は華やかに見えたのに、黒髪になるとずいぶんと大人びて見える。
水面に映る姿を見て、久しぶりの自分の姿に違和感を感じていることに気づいた。
『ショウビ姐さんは……』
「悪いね、薔薇ではなく、ロッタローゼと呼んでおくれ、この世界ではその名前なんだ」
『へぇ、ロッタローゼ姐さん』
「姐さんもやめとくれ、アンタだって妖なら歳は似たようなもんだろ」
黒い仔犬は目を丸くする。
『……俺の本性が見えると?』
「……本性までは見えないね。昔のアタシなら見えたろうが、今じゃアンタが妖だってくらいしかわかんないよ」
『ふぅん』
黒い仔犬はぶしつけなほどじろじろとロッタローゼの様子を見てくる。
周りをぐるぐると回って匂いまで嗅いでいる。
「何だい?」
ロッタローゼは足元をウロチョロする黒い仔犬を再びつまみ上げた。
すると、黒い仔犬はぶらぶらと体を揺すって、勢いをつけてロッタローゼの顔に飛びついた!
『俺の妖力を返してもらうよ』
そう言うなり、ロッタローゼの赤く艶やかな唇に吸い付いた。
「えっ!? んっ、んーっ!」
ちゅーっと吸い付く黒い仔犬を振り払おうとしたが、クラッと地面が揺らぐ気がしてロッタローゼは尻落ちをついてしまう。
それでも吸い付き続ける黒い仔犬を掴んで無理やり引きはがした。
「ぷはっ! おい! 何するんだ……い……」
仔犬だと思ってつかんでいたのは髪の毛だった。
目の前には褐色肌に黒い髪の男がにやにやと笑いながらこちらを見ている。
ロッタローゼはその男の髪を掴んでいた。
「アンタ……」
「ふぅん、姐さんの今の姿はそんななのか。俺はボインボインの姐さんのほうが好きだなぁ」
「し、失礼なっ!」
男の顔をひっぱたこうとするが、すっと顔を引かれてしまって手が空ぶる。
「お待ち……って……」
視界に入る手が小さい。
気が付いてみれば、声も幼い少女のように甲高くなっている。
「えっ……」
慌てて姿を確かめようと水路の水面を覗き込むと、こちらを見返しているのは金髪の少女。
ロッタローゼの姿はすっかり元の少女の姿に戻ってしまった。
「姐さん、妖力が不足してんのか」
男は座り込んだロッタローゼの顔をじっと見つめると言った。
「溺れて気を失ってから、気付け代わりに少し妖力を与えようとしたらごっそり吸い取られちまってさ、どういうことかと思ったけどそう言うことか」
「…………」
元の姿に戻ってしまったことから、多分、その妖力はこの男に取り戻されてしまったのだろう。
今のロッタローゼには何の力もない。いつもの幼い人間の少女だ。
(まずい……か?)
獣の姿に変化できるうえに、妖力をやり取りできるこの男はただの人間ではない。
元々少女を誘拐して身代金を取ろうとしたと言っていた。今、この男がロッタローゼを何とかしようとしたら逃れる術はない。
そんなことを思いめぐらせていたら、男がいきなり話を切り出した。
「姐さん、取引しねぇか?」
「取引?」
「見たところ、姐さんは身なりもいいし良いところのお嬢ちゃんだろう」
「……だから?」
「姐さんの従者として雇ってくれよ。ボディガードでもいいぜ」
「……何が目的だ?」
何の目的もなしにそんなことを言うわけがないと思っていたら、案の定、悪だくみを考えているようだった。
「いや、なにね。姐さんにくっついて社交界を覗かしてもらいたくてね。金のありそうな家の子供の目星がついたらすぐに出ていくからさ」
「アンタねぇ……アタシに誘拐の片棒を担がせようっていうのかい?」
「まぁまぁ、姐さんにも悪くない話だと思うぜ? 俺が傍にいる間は、姐さんが必要なときに俺の妖力を貸してやるよ」
「っ!」
ロッタローゼは思わず目を瞠った。
「どうだい? 悪い話じゃないだろ?」
男はにやにやと笑っている。
この妖の男を素直に信じてよいと思うほど、ロッタローゼは単純ではないが――。
(神通力が一時的とはいえ戻るのはありがたい)
もしかしたら、これを呼び水に力が戻るかもしれない。
(万が一戻らなくとも、この男から力を奪えば――)
不可能なことでない。
「なぁ? どうだい?」
食えない男だと思うが、ロッタローゼだって見た通りの幼い少女ではない。
(齢三百年の神狐、七つ尾の薔薇様の手管を見せてやろうじゃないか)
ロッタローゼは幼く愛らしい顔に似合いの柔らかな笑みを浮かべて言った。
「わかりましたわ。あなたを私の従者として雇いましょう」
身体が小さくなってぶかぶかのドレスの裾を抓んで優雅に挨拶する。
「私はロッタローゼ・フクス・シェーンベルグ。シェーンベルグ侯爵の息女。よろしくお願いいたしますね」
優雅なロッタローゼの挨拶を受けて、男も気取った仕草で胸を手に当て頭を下げる。
「俺の名前はマギア。犬神だ」
マギアは褐色の肌に黒髪、金色の瞳はこの国の人間としては珍しい色だろう。
犬神だと言うマギアはどこか異国の民を思わせる風貌の主だ。
(さて、アレクシアたちにどうやって説明するかねぇ……)
お人好しの兄は何とかごまかせるだろうが、実務を担うアレクシアや執事たちはそうはいかない。
まずはなんとかしてアレクシアを説得して、マギアを巡礼の旅に同行できるようにしなくては。
「とりあえず、マギア、あなた、溺れている私を助けたことになさい。それに恩を感じた私があなたを同行すると言うことにするわ」
「……姐さん、その姿だとお嬢様なんだな」
「マギア、話聞いてらっしゃる? あなたの正体をばらして、私の護衛に退治させることもできるのよ?」
「勘弁してくれ、姐さん! そりゃねぇよ!」
「ならば、上手く芝居してくださいね。それと、姐さんはやめて。私の名はロッタローゼです。ロッタローゼ様かお嬢様です」
「……わかったよ。ねぇさ……じゃなくてお嬢様」
「……よろしい」
そこまで二人で打ち合わせたところで、遠くから人の声が聞こえてきた。
「スヴェンの声だわ。――マギア、上手くやってね」
「まかせておけ」
マギアは自信満々に応えるが、ロッタローゼは不安しかない。
だが、マギアは利用できる。彼が居れば神通力を取り戻すきっかけになるかもしれない。
ロッタローゼにとっても、マギアを逃すわけにはいかない。
ここが踏ん張りどころだ。
◇◇◇
「ロッタローゼ様っ! ご無事ですか!」
茂みの向こうからスヴェンが姿を現して、ロッタローゼを見つけるなり駆け寄ってくる。
そして、駆け寄るなり剣を抜き、ロッタローゼの隣に座っているマギアの顔に切っ先を突き付けた。
「やめて! スヴェン!」
ロッタローゼはマギアを庇うようにマギアに抱き着くと、スヴェンに向かって言う。
「彼は私を助けてくださったの!」
「ロッタローゼ様……」
「大丈夫です。彼は私を助けてくださいました」
改めてそう言うと、スヴェンは剣を下ろし、ロッタローゼをマギアの前に膝をついた。
「申し訳ございませんでした。私はロッタローゼ様の護衛騎士、スヴェン・グンターハルと申しま――」
「このっ……不届き者があああああああっ!!!」
スヴェンの謝罪はアレクシアの叫びにかき消される。
そして、その声と同時に黒い突風が吹き抜け、その勢いでマギアが吹っ飛ばされた。
「ええっ!」
気が付けば、ロッタローゼはアレクシアの腕に抱きあげられている。
「え? え? え?」
全く何が起こったのかわからなかった。
「いてててて……」
吹っ飛ばされたマギアが尻をさすりながら立ち上がる。
「マギア! 大丈夫ですか!」
「お嬢様、いけません。あの男はお嬢様を誘拐し――」
「違います! アレクシア! 彼は溺れていた私を助けてくださったの!」
「え?」
ロッタローゼはアレクシアの腕を振りほどくと、マギアのほうへ駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
お嬢様として完璧な仕草で、泥まみれになったマギアの頬をドレスの袖でそっとぬぐった。
「ごめんなさい、助けてくださったのに、私の従者が無礼を働きました」
ロッタローゼはそう言うとちらりとアレクシアを見た。
(これを利用しない手はない)
この儚い美少女の中身は、齢三百年の古狐だ。使えるものは何でも使う。
「大丈夫です。あなたが無事でよかった」
マギアもわざとらしく痛みをこらえながらにっこりと微笑む。
ロッタローゼはマギアを労わるふりをして、アレクシアたちの方を見ずに行った。
「アレクシア、スヴェン、彼は私の恩人です」
「はい。ロッタローゼ様」
「……はい、お嬢様」
「何か言うことがあるのではありませんか?」
ロッタローゼの言葉に小さくなっていた二人が顔を上げる。
そして、マギアの前に進み出ると、二人は膝をつく。
「マギア殿、我が主ロッタローゼ様をお助けくださりありがとうございました」
スヴェンは騎士らしく胸を手に当て静かに頭を下げる。
「お嬢様を助けていただきましたのに、勘違いして失礼をいたしました。改めて、お礼と謝罪を申し上げます」
アレクシアは祈るように両手を胸の前で組みながら頭を下げた。
二人がそれぞれに謝罪と礼を口にしたのを確認してから、ロッタローゼは二人の前に立って言った。
「助けていただいたお礼に、マギアには巡礼の供をしていただくことにいたしました」
助けた礼になるのかと思うだろうが、貴族の家に雇われることは生活の安泰を約束されるようなものだ。
報酬だけではなく、貴族や高位の人間と関わるために必要な礼儀作法や知識を得るために高等教育を受けることもできる。
「お嬢様、それは……」
案の定、アレクシアは難色を示す。
それはそうだ。身分もはっきりしない、どこの馬の骨ともわからない男を侯爵令嬢の旅に同行させるなど正気の沙汰ではない。
「スヴェン殿、アレクシア殿、申し遅れました。私は――」
戸惑う二人の前に声を上げたのはマギアだった。
マギアは泥で汚れたシャツの下から金鎖を抜き出し、そこに通された金色の指輪を抜き取った。
そして、その指輪を二人に見えるように手のひらに乗せて差し出して言う。
「私はシュティレ王国国王にお仕えするヴァイデ男爵の第三子、マギア・ヴァイデと申します」
その名前を聞いて二人は目を瞠った。
そして「失礼いたします」と言いながらアレクシアは金色の指輪を受け取り見分する。
「これは……確かにシュティレ王国の貴族を表す紋章の指輪」
持てば重みで金だとわかり、そこに刻まれた繊細な意匠は間違いなく高貴なものの持ち物であると知らしめる。
アレクシアは指輪を恭しく返しながら再び頭を下げた。
「失礼いたしました。マギア様」
「マギア様はやめてください。実は自分は正式にこの国に来訪しているわけではなく、いわばお忍びで聖都へ行こうとしている大中だったのです。ですので、ご同行をお許しいただけるのであれば、自分は貴族ではなく従者として扱っていただけるとありがたい」
マギアは指輪を元通りに鎖に通して懐にしまうと、そう言いながら少し困ったような顔をした。
「しかし、それは……」
ロッタローゼより身分が低いとはいえ、まがりなりにも貴族の三男坊を従者扱いはできない。
そんなことを勝手にやったら、マギアの事情が良くわからない以上、後々問題になる可能性もある。
だが、ロッタローゼもそれを承知してするのであれば話は別だった。
「それも含めてお礼だと思って、アレクシア。お願い」
アレクシアはその言葉を聞いて、ほんの少し眉をひそめてからスヴェンの顔を見る。
スヴェンは渋い顔をしているが、ロッタローゼの言葉がある以上、反対もできない。
それに、この旅での責任は二人にかかっているが、従者となるとスヴェンではなくアレクシアの管轄だ。
アレクシアは意を決したように姿勢を正すと、ロッタローゼとマギアの両方の顔を見てから言った。
「……わかりました。ただし、巡礼の旅の間だけというお約束でよろしいでしょうか?」
「そうですね。その後のことはまた終わった時に考えましょう」
ロッタローゼは内心ガッツポーズを決めながら、表向きは静かに頷いて見せた。
「それではよろしくお願いいたします。アレクシア様、スヴェン様」
「こちらこそ。マギア」
「よろしく頼む」
アレクシアとスヴェンは苦いものを噛みつぶしたような顔をしていたが、それは見なかったことにして、そっと微笑みながらロッタローゼとマギアは顔を見合わせたのだった。
―― 続