第2話 侯爵令嬢生活は順調に?
「聖都への巡礼……ですか?」
しばらくたったある日、ロッタローゼが日課にしている午後のお茶をしている中庭のバラ園にやってきて、兄のデヴィンが深刻な面持ちで告げた。
バラ園でのお茶は体が弱いロッタローゼが唯一部屋から出る時間でもあり、少しでも気の晴れる環境で話をしようというデヴィンの心遣いだったのかもしれない。
「そうだ。体の弱いお前には酷な話かとも思うのだが……」
デヴィンは眉をひそめて渋い表情で言う。
高位の貴族の息女は、聖都の大教会で祈りを捧げ洗礼を受ける必要がある。
表向きは、聖女信仰のあるこの国では、女子は幼いうちに聖女であるかどうかの選別を洗礼の時に受けると言うのがある。
聖女に選ばれれば、聖女のみを祭る王宮教会へと召し上げられ、そこで国と民の安寧を祈ることになる。
聖女が生まれるのは貴族とは限らないが、聖都までの旅はそれなりに費用が掛かるので庶民はあまり行わない。
金のある貴族が、その財力を見せつけ、幼い娘を聖都に送る。
自分の娘が聖女となれば、一族の繁栄は約束されたようなものだ。
しかし、実際には聖女に選ばれるのは百年に一人ほど。しかも何か災厄の兆しがあるようなときだけだ。
そんな微かな希望にかけて貴族たちがこぞって自分の娘を送り出しているわけではない。
実際は巡礼にかこつけた息女のお披露目なのだ。
社交界に出る前に、縁談が持ち上がる前に、国内の有力な貴族の息女を品定めする為に集められ、王族にでも見初められれば女の大出世であり、貴族たちの地位も安泰となる。
教会としても、洗礼に訪れる息女たちが持たされる莫大な寄付は――非常に魅力的だ。
教会で丁寧にもてなし、礼拝と称して有力な貴族たちが集まる礼拝堂で祈りを捧げる。
そこで聖女に選ばれれば聖女ルートに進むが、聖女に選ばれるよりも高位の貴族か大商人に嫁がせる方がお家のためとなる。
そういった大人たちの事情が相まって、この世界では貴族の幼い令嬢が聖都巡礼というイベントが成立しているようだ。
(貴族の喜捨を集めるためとは、この国の神は生臭だねぇ……)
心の中でそんな風に思うが、顔には全く出さずにロッタローゼは儚く微笑んで見せた。
兄としては病弱なロッタローゼを巡礼に向かわせるのは不安だが、親族の貴族たちに何か言われているのかもしれない。
デヴィンはロッタローゼより10歳以上年上であるが、侯爵位を継ぐ貴族としてはまだ若い。親族の後ろ盾無くしては立ち行かない。
(お兄様もお気の毒な事だね)
ロッタローゼは心の中でため息をつきながらデヴィンの姿を見ているが、薔薇である意識が圧倒的に勝っているのでどこか他人事だ。
ロッタローゼは薔薇が憑依してから、実は目覚ましい回復を遂げている。外見の線の細さ儚さは変わっていないが、中身はすっかり健康どころか、獣時代の頑強さを取り戻していた。
別に一人で巡礼の旅に出でろと言われても何の問題もないだろう。
(これで神通力が戻れば文句なしなんだが……)
それだけは相変わらずどうにもならず、この身体から出て行ける見通しは立っていない。
神通力を取り戻すまでは、おとなしく病弱な侯爵令嬢のふりを続けるのが吉だろう。
「私にその大役が務まりますでしょうか……」
そっと口元をレースのハンカチで押さえながら不安げに震えて見せた。なかなかの令嬢っぷりではないだろうか?
「大丈夫だ。護衛の騎士と使用人を同行させる」
貴族の娘が旅する時は複数の騎士と兵士の護衛に、身の回りの世話をする使用人が複数同行する。
しかし、巡礼の旅は清貧をもって良しとする精神のため、最低限の護衛と使用人しか伴えない。
それでもデヴィンはシェーンベルグ侯爵騎士団の中から副団長を護衛につけると言ってくれた。
「メイドは――そうだな、アレクシア、お前が同行してくれ」
デヴィンが指名したのはロッタローゼ付きのメイド長だった。
女性にしては背が高く、使用人の制服である黒いロングドレスに白いエプロンの姿であっても、どこか兵士のような凛としたたたずまいを感じさせる黒髪の美女だ。
同性であるために常に如何なる場所でもロッタローゼの傍にいて、ある程度の護衛も兼ねているので体格の良いものが選ばれているのかもしれない。もちろんメイドとしての働きも申し分ない。
アレクシアが居れば、シェーンベルグ城にいるのと変わらぬ快適さで過ごせることだろう。
「畏まりました。ご主人様」
デヴィンの言葉にアレクシアは静かにだがはっきりと答えた。
「あなたがいてくれるのならば安心です。よろしくね、アレクシア」
ロッタローゼもアレクシアに微笑みかける。
その微笑みにアレクシアはほんの少し表情を緩めると「よろしくお願いいたします、お嬢様」と言った。
「……ロッタローゼ、私から申し出ておいてなんだが、本当に無理であれば行かずともよいのだぞ?」
デヴィンはまだそんなことを言っている。
そんな押しの弱いことでは侯爵として他の有象無象たちと戦ってゆけるのかと不安にすらなる。
(巡礼に行って戻ってきたら城がないなんてことになりかねないじゃないか)
ロッタローゼはこの若い領主となろうとしている青年に不安を感じる。
(病弱なお姫様とか弱い王子様じゃ御伽噺にもなりゃしない)
どちらも弱弱では、悪い魔物に食われて終わってしまう。
(アタシがしっかりしないと……)
シェーンブルク家の行く末はロッタローゼにかかっていると言っても過言ではない。
(なんせ、アタシは三百年の修行を越えて神となった狐。 こんなところでしくじるわけにはいかないよ)
優雅な仕草で温かなお茶に唇を付けながら、胸の中でこぶしを握り締める。
(このお嬢ちゃんも見た目は悪くないんだ。十分にこの国で人間どもを牛耳ることができるかもしれない)
淡く輝く金色の髪、透けるような白い肌、バラ色の唇に、宝石のような青い瞳、華奢な手足をレースのドレスに包んで、儚げに微笑みかければ、周囲の大人たちはロッタローゼを聖女の様に崇めてくれる。
(まぁ、昔の身体と比べると少々貧弱だが、これはこれで使いようだね)
目指せ傾国! はロッタローゼになった今でも生きている目標だ。
聖都の大教会で聖女に選ばれれば、その生活はさらに確かなものになるだろう。
聖女となれなくとも王族の誰かを誑かして、そこを足掛かりにこの国を乗っ取るのもいい。
「フフフ……」
「ロッタローゼ?」
思わず漏れてしまった笑みに、デヴィンが驚き目を瞠る。
しまったと思ったが、デヴィンは珍しいロッタローゼの笑い声を聞き逃してはくれなかった。
「何か愉快なことでもあったのかい?」
「あ、あの……ごめんなさい、お兄様。なんだか聖都へ行くのは冒険に出るようで、少し楽しみになってしまいましたの」
ロッタローゼは内心冷や汗をかきながら何とか取り繕う。
侯爵令嬢たる淑女としては冒険などという単語は不釣り合いであったが、最近は情報を得るために大量の書物を図書室で読み漁っていたおかげか、デヴィンは複雑そうな心情はにじませながらも、ロッタローゼの子供っぽい発言に微笑みを浮かべた。
(淑女ってのも面倒くさいねぇ……)
ロッタローゼは誤魔化すように柔らかく微笑みながら、アレクシアが入れなおしてくれたお茶に口を付けるのであった。
◇◇◇
聖都への巡礼が決まり、周辺が準備にあわただしくなる中、ロッタローゼは物憂げにその様子を眺めていた。
お嬢様であるロッタローゼ自身が支度をする必要はない。
すべてアレクシアを筆頭に使用人たちがやってくれるのだが――。
「そのような華美な支度は必要ないかと」
アレクシアが用意した荷物の見聞をして、いちいち文句をつけている男がいる。
シェーンベルグ騎士団副騎士団長のスヴェン・グンターハルだ。
スヴェンはアレクシアが馬車に積み込もうとした荷物を見て、すぐにアレクシアを呼び出し、荷物を十分の一程度まで減らせと言ってきた。
しかし、アレクシアは「お嬢様の生活に最低限必要なものだ」と言って譲らず――この大騒ぎとなったのだ。
「お嬢様が朝から晩まで同じドレスで過ごすなんて信じられません! 朝のドレス、昼のドレス、夜のドレス、就寝前のドレスが必要です。それを最低10日分はご用意させていただきます」
「寝巻とドレスがあれば十分だろう。洗い替えのために2着もあればなんとかなる」
「はっ! これだから戦場あがりの騎士は! シェーンベルク侯爵令嬢であるロッタローゼ様にたった2着のドレスで恥をかけと?」
確かに上級貴族たちの品定めに長旅でよれよれのドレスで登場したら最低ランクが付くだろう。
とはいえ、朝昼晩とお茶の時間とお祈りの時間のドレスを10日分も持っていったら、商隊のように馬車を連ねて行かなくてはならないだろう。
(う~ん……どっちの味方をするかねぇ……)
ロッタローゼは椅子に座って、別のメイドが入れてくれたお茶を飲みながら、アレクシアとスヴェンの戦いを見守っている。
(アタシとしては身軽がいいんだけど、向こうで王族を誑かすならきれいな衣装は必要だしねぇ……)
とはいえ、旅の途中であれやこれやの着せ替えごっこは面倒くさい。
どうしたものかと悩まし気に二人を見つめていると、いきなりこちらに火が飛んできた。
「お嬢様、お茶の時にレースと薔薇のドレスを着ないなんてありえませんよね?」
黒髪の美女が愛らしい刺繍でいっぱいのドレスを掲げて言う。
それを押しのけるようにして、金髪に青い目という派手な色味の美形な騎士がロッタローゼの前に膝をついて言った。
「ロッタローゼ様、巡礼の旅は清貧をもって良しとする。聖女様のご加護を頂いての旅であれば華美な姿は厳禁です」
黒と白の美人と美形がずいっとロッタローゼの前に迫ってくる。
「え、ええ……」
めんどくさ! とも言えずに、ロッタローゼは困ったように微笑んで見せた。
こういう時は余計なことを言わないに限る。
「私にはわかりませんわ……」
少々アホっぽいが、幼いのだからそのくらい許されたい。
「そ、そうですわね。大丈夫ですよ、お嬢様。このアレクシアがきちんとお嬢様のお支度を揃えますからね」
にっこりと黒髪の美女が微笑む。
同時に金髪の美形が、きりっとした顔で言った。
「ロッタローゼ様、道中の安全は必ずや私がお守りいたします。ドレスを何十着も持たずとも、泥汚れ一つなくロッタローゼ様を聖都へ送り届けて見せましょう」
「ありがとう、二人とも。よき働きを期待しています」
ロッタローゼは貴族の娘らしくそう言うと、極上の微笑みを返す。愛らしく整った顔であることを十分に熟知した効果満点の笑みだ。
「お嬢様……」
「ロッタローゼ様……」
諍い合っていた二人が、うっとりと自分のほうを見つめているのを見て満足する。
(精々、良く尽くしておくれよ)
心の中でにやりと笑うロッタローゼである。
ロッタローゼもこのか弱いお姫様ごっこにも大分慣れ、この調子であれば少人数での長旅という親密な時間も何とかごまかすことができるだろう。
(いいや、誤魔化すだけじゃ駄目だ)
この旅の間に、城内の使用人たちに信頼の厚いアレクシアと次期騎士団長と評価の高いスヴェンの二人を腹心の味方としなくてはならない。
(お兄様には申し訳ないが、シェーンベルク侯爵家の実権はこのアタシが握らせてもらう)
そして行く行くは高位の貴族へ嫁ぎ、その家も乗っ取り、さらにはこの国を手中に収める。
ロッタローゼの野望は絶大である。
顔が可愛いだけでそこまで行けるのかとも思うが、中身は弱い三百年を超え、かつ、神位にまで達した狐だ。
(神通力がなくとも、美貌一つで国の一つも取れなければ傾国としての名折れ)
まずは、この聖都巡礼の旅から、ロッタローゼ・フクス・シェーンベルグ侯爵令嬢の野望の幕が切って落とされるのだ。
本来ならば腰に手を当て高らかにホホホ笑いで見せつけてやりたいところだが、そこはぐっと我慢して、ロッタローゼはもう一度自分のほうを見ているアレクシアとスヴェンに儚げな笑顔を向けるのであった。
―― 続




