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それぞれの場所で

日曜日の午後、美羽は大学時代の友人・田坂真樹と、話題のフレンチレストラン「SPUR」でランチを楽しんでいた。

白を基調にした店内には花の装飾がさりげなく並び、若い女性たちの笑い声が響いている。


「ほんとに来たかったんだ、ここ。美羽って、こういうおしゃれな店、見つけるのうまいよね」


「いやいや、SNSでバズってただけ。予約、がんばったんだから」


パリッと焼かれた前菜がテーブルに運ばれ、ふたりは「美味しそう!」と声を合わせた。

仕事が始まってから、こんなふうに落ち着いて話すのは久しぶりだった。


「で、営業はどう? 慣れてきた?」


「うーん、慣れたって言うにはまだまだだけど…先輩について現場回って、お客さんに物件案内したり。ちょっとずつね。でもさ、この前『あなたに案内してもらってよかった』って言われたとき、嬉しくてさ。“人のために”できてるのかなって、ちょっと思えた」


「へえ…いいな。そういうの、まだないや」


「美羽は研修中だっけ?」


「うん。まだ社内の制度とか、安全衛生とか、そんな感じ。働くって何なんだろうって、最近よく考えちゃう。お金のため? 会社のため? それとも……やっぱり“人のために”って、思いたいよね」


「美羽っぽいわ、それ」


真樹が笑いながら、ナイフを動かした。


「でもさ、ちゃんと考えてる時点で、すごいと思うよ。私はけっこう流されがちだからさ。美羽は、昔から筋が通ってるよね」


「筋…っていうか、迷ってばっかりだよ」


そう言いながらも、美羽は少しだけ背筋を伸ばした。

何もしていないわけじゃない。小さな一歩だけど、動き出している。


「そういえば、この前、ボランティアサークルに入ったんだ。“太陽の会”っていうんだけど、市の広報で見て。まだ右も左もわかんないけど…なんか、やってみようかなって」


「え、すご! ほんとに行動してるじゃん。“人のために”って、まさにそれだよ」


「うーん、どうかな。ちょっと自己満かも。でも、自分なりに、何か見つけたいなって思って」


「かっこいいじゃん、そういうの。私も、少し見習わないとなあ」


メインディッシュを前にしたところで、美羽がふと思い出したように顔を上げた。


「そういえばさ、真樹。中川くんとは会ってるの? 仲良かったよね。いっつも一緒に帰ってて、私、置いてけぼりだったし」

笑いながら、冗談っぽく言うと、真樹は「うわ、懐かしっ」と吹き出した。


「中川くん? あー、別れたよ。っていうか、向こうから。入社してすぐ、同じ会社の子に一目惚れしたらしくて、あっさりそっちに乗り換えたらしい」


「え〜!中川くん、そういうタイプだったんだ…!」


「ね、意外でしょ? まあでも、今思えば、あんまり合ってなかったのかもね。別れてみてわかることってあるね」


「大人になってく〜」


ふたりでまた笑い合いながら、デザートを選びはじめる。

この時間も、きっと自分たちにとって、ちょっとだけ“人のために”なる瞬間かもしれない。そう思えた。


夕方、美羽が帰宅すると、玄関はしんと静かだった。

靴を脱いでリビングへ向かうと、キッチンからトントンと包丁の音が聞こえる。


「ただいまー」


「あら、おかえり。真樹ちゃんとランチだったんでしょ?」


エプロン姿の母が、ちらっと顔をのぞかせて微笑む。


「うん。“SPUR”っていうフレンチのお店。ずっと行ってみたかったとこでさ。おしゃれで、料理も美味しかったよ。しかもお手頃価格!」


「いいじゃない。最近流行ってるらしいわね、そこ。若い子たちに人気なんでしょ?」


「うん。店内、女子率100パーセントだった」


ソファに腰を下ろしながら、美羽は足を投げ出す。

今日は特に買い物もせず、ランチをゆっくり楽しんだだけだった。


「真樹ちゃん、営業始まったって言ってたわよね?」


「そうそう。まだ先輩の同行だけど、お客さんの案内とかやってるんだって。“人のためになってる感じが嬉しい”って言っててさ。ちょっとまぶしかったなあ」


「美羽も、そういう風に思える日がきっと来るわよ」


「……うん、そうだといいな」


母の声はやわらかくて、安心感がある。

鍋からは、だしの香りがふわっと漂ってきた。


「そういえば、太陽の会のほうは? ちゃんと行ってる?」


「うん、先週また会議に出たよ。ちょっとずつ慣れてきたけど…まだまだ“新入りさん”って感じ。でも、自分の居場所、見つけられたらいいなって思ってる」


「焦らなくて大丈夫よ。人と関わるって、時間かかるものよ」


トントントン…と、再びまな板の音がリズムよく響く。

外はもう薄暗くなってきていた。


「お父さん、今日はゴルフよね?」


「うん。職場の人と。夕飯には間に合うって言ってたけど…どうかしらね、負けて機嫌悪くなってなければいいけど」


「絶対“今日は風が強くてさ〜”とか言い訳するに一票」


ふたりで顔を見合わせて、クスッと笑い合う。


こんなふうに、日常のなかにぽつんとある、あたたかな時間。

美羽の心の中には、ほんの少しだけ前向きな光が差し込んでいた。

大学時代の友人との再会を通して、美羽は社会人としての立場や歩幅の違いを実感する。

家庭では、穏やかな夕暮れの中で小さな安心を得るひとときが流れる。

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