第一幕 ⑦
ここに居たのがグレンやグレイスであれば、容易く転移魔法を発動させ、今頃は魔王城で専門医を呼びつけていただろう。だが、アリサは魔法が使えない。フレイも転移魔法は無理だ。
「――魔法札はいい! 手を貸して!」
「こ、ここから徒歩で戻るおつもりですか⁉」
「それしかないじゃない!」
怒気を孕んだ声で、アリサはフレイを見た。
ここから魔王城まで、二人で魔王を抱えて歩くには、少なくとも半日以上掛かる。
毒による回復の妨害と、爆発の深刻なダメージは、手当が遅れれば魔王の命を奪いかねない。
「アリサ様はさきほど、攻撃とおっしゃいました。まだどこかに敵が潜んでいる可能性があります。ここは下手に動かず、どこかに身を隠して朝を待つべきです」
「朝までなんて待てない! お父様の命が最優先よ!」
アリサの覇気に圧され、フレイは頷いた。
そうして、二人で魔王の両脇を担ぎ、持ち上げたときだった。
向かうはずだった北の方から突風が吹きつけ、キャビンの炎が激しく揺らいだ。
アリサとフレイは、何事かと北の空を振り仰ぐ。
「「っ⁉」」
彼女たちが見上げる先に、一体のドラゴンが滞空していた。
全身が黒い鱗で覆われ、サラマンダーよりも一回り大きな翼を力強く羽ばたかせ、青く光る目でアリサたちを見下ろす荘厳な姿は、言うなれば、空の覇者。
ドラゴン族の先代の長にして、かつての魔王の右腕。戦闘力で言えば、衰えた今の魔王に勝るとも劣らぬ存在。
「ベルリオーズ卿!」
アリサが歓喜の涙を浮かべ、ドラゴンの名を呼んだ。
ベルリオーズは、頷くかの如く長い首を上下させた。
「アリサ。人間の言葉では、これを虫の知らせと言ったか……」
彼からテレパシーが放たれた。年老いた男の声で、滋味深く、現在のドラゴン族の長――サラマンダーよりも、理性と知性を感じさせた。
「ベルリオーズ卿、助けて下さい! お父様が!」
「わかっている、私は嫌な予感がして、北の領地より馳せ参じたのだ」
ベルリオーズは羽ばたきを弱め、太く逞しい二本足でしっかりと大地を踏みしめた。
「魔王をここへ。お前たちも、魔王城まで運ぼう」
ベルリオーズが首を地面に寝かせるようにして降ろした。
アリサとフレイは頷き合い、協力して魔王をドラゴンの頭の上へ乗せ上げた。
アリサはも続いて飛び乗り、
「フレイ、手を」
と、片手を差し伸べた。
「すみません」
「さっきは怒鳴ってごめんね?」
謝るフレイを引っ張り上げて、アリサは言った。
「いえ、私こそ……」
フレイはアリサと目を合わせ、頭を下げた。
「掴まっていろ。少し寒くなる」
ベルリオーズはテレパシーを飛ばし、再び大きく羽ばたいた。
強風が吹きつけ、アリサは鱗の凹凸に片手で掴まり、もう片方の腕を魔王の胴部に回す。ただれた肉や体液のどろりとした感触がして、僅かに眉を顰めた。
誰が毒を盛ったのか?
誰が馬車を爆破したのか?
犯人は複数なのか? それとも単独なのか?
傷が父の命に関わったら……。
そうした思考が、アリサの頭を埋め尽くしていた。