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第一幕 ②

 アリサは側廊にさらに数名、スーツ姿の護衛が控えているのを横目に、自分の定位置、――玉座から見て左脇のソファに戻った。


「父上。今の話を聞くに、勇者めは未だ健在で、戦いの傷も大部分が癒えていると思われます。カスバートの阿呆はさておき、人間界の動向には注意すべきかと存じます」


 玉座から見て右隣のソファで、グレンが言った。


「他の領主たちの動きも気になるところよね、お父様? 今の魔界は、人間界への反撃派と静観派、二つの派閥に分かれてる。感情を下手にこじれさせて、同族間で争うのは勘弁だわ」


 グレンのさらに右隣のソファで、グレイスが言った。彼女のグラマラスな身体にジャストフィットしたドレスは、胸の部分は大きく開いたデザインになっていて、そこを見つめれば大抵の男は骨抜きである。


「わかっておる。今日パーティーを開いた真の目的は、我が魔界の各方面の領主たちを呼び寄せ、腹の内を探るためなのだからな」


 と、魔王が玉座に座り直したときだった。

 大広間の虚空に魔法陣が出現。次の瞬間、その魔法陣からドラゴンの頭がずいっと現れ、

 長い首、胴体、蝙蝠を思わせる巨翼が続けて出てきて、鋭いかぎ爪の生えた太い足が大理石に着地。さきほどカスバートが使っていた椅子とサイドテーブルを粉砕した。


魔王(ダーク・ロード)よ。久しぶりだな」


 ドラゴンは赤い鱗に覆われた身体を窮屈そうにくねらせ、その場の全員が聞こえるテレパシーで言葉を放った。


「おお、北のサラマンダーではないか! よく来てくれた」


 魔王は両手を広げて立ち上がり、ドラゴンの名を言った。


「この巨体だ、ノックもできず悪いな。尻尾が入りきらん故、半端な姿で邪魔するぜ?」

「構わぬ。しばらく見ぬうちに、転移魔法を覚えたのか?」

「ああ。アリサが俺の領地へ社会勉強に来た際、贈り物として魔導書をもらってな。それで学び、練習したんだ」


 サラマンダーは長い首を折り曲げ、両膝を揃えて座るアリサを見下ろした。


「お久しぶりです、サラマンダー卿」

 アリサがにこやかに言うと、サラマンダーの焼けるような鼻息が掛かった。

辺りに硫黄の臭いが立ち込めた。


「お前ほどのドラゴンなら、転移魔法などなくとも、この魔王城(キャッスル)まであっという間に飛んで来られように」

「俺が転移魔法を学んだのはな、魔王よ。人間界に再び進出することを見越してのことだ。あの遠方の地に瞬時に赴くには、転移魔法があったほうが、所要時間が少なくて済む。時間が余った分、向こうでたくさん暴れられるからな」


 サラマンダーの発言に、魔王は片方の眉をぴくりとさせた。


「人間界で、暴れる気なのか?」

「俺は反撃派だぞ? 当然だ。今回相談したいことは、ズバリ、反撃についてだ!」


 側廊に控える護衛たちがざわついたように、アリサは感じた。

 サラマンダーは続ける。


「休戦してから十八年。我が領地の戦力は全盛期に匹敵するほどにまで回復した。勇者の刃を直に受けたお前は、まだ全快ではないかもしれんが」


 魔王とグレンが再び視線を交錯させるのを、アリサは見た。


「人間界の下等生物どもは、戦争は完全に終わったものと思い込んでいるようだが、終結ではなく休戦だ! そうだろう? 休戦してやる代わりに、俺たちは人間界に対し、ひと月に百人の生贄を渡すように要求した。その要求は満たされたか?」

「私はサラマンダーの意見に強く共感するわ。人間界の奴ら、いつまで経っても生贄を寄越さないじゃないの! そんな中で、気の短いサラマンダーが十八年も我慢したの、凄いと思う」


 サラマンダーに続いてグレイスが言うと、魔王は鋭い眼差しを彼女へ向ける。


「グレイス。お前には今、意見を求めてはおらぬ」


 魔王が怒気を込めた、ただそれだけのことであった。だが、王の間全体の空気がビリビリと震え、暖炉と松明が燃え盛っているにもかかわらず冷気が漂い、グレイスは口を引き結んだ。


魔王(ダーク・ロード)。あまり連中を甘やかすと、さらに図に乗るぞ? 今は水面下で魔界と人間界のビジネスも盛んなようだが、連中はいずれ、自分らにもっと有利なビジネスを押し付け始める。それで魔界の経済が傾いてみろ、魔界の統治者たるお前の立場も地の底だぞ?」


 魔王が放つ怒気にまったく動じていないのはサラマンダーのみ。

 魔族の三大欲求のうち二つ――支配欲と戦闘欲が特に強いと言われるドラゴン族の長なだけはあると、アリサは思った。

 サラマンダーは、弱り切った今の魔王となら、互角に戦えるという噂もある。


「魔王への信頼が揺らげば、たちまち忠誠度の下落へとつながるのは目に見えているだろう? ここらで一度、人間界を軽く脅かして、魔族の力を思い出させてやる必要があると、俺は思う。軍を編成し、攻勢に打って出るべきだ!」


 魔王はサラマンダーの意見を、玉座に深く座したまま、こめかみの辺りに指を当てて聞いた。


「たしかに」


 魔王はさきほど放った鬼気を収め、ゆっくりと頷く。


「サラマンダー。お前の言うことは、間違ってはおらぬ」

「そうか! さすがは我が魔王(ダーク・ロード)、話のわかる奴だぜ! ではさっそく、戦の采配についてを」


 魔王はここで片手を持ち上げ、サラマンダーの発言を制した。


「間違ってはおらぬが、儂の答えはノーだ。サラマンダー」

「……なんだと?」


 サラマンダーは喉を鳴らした。猛獣が唸るようなおぞましい音だった。


「生贄は確かに送られてこない。だがそもそも、生贄を欲しているのはお前の領地で暮らす、食人種のドラゴンだけであろう? サラマンダー」

「そうだ、食人種のドラゴンたちが生贄を欲している! 他の食い物とは味が格別だからな!」


 魔王は目を細めた。


「戦に敗北した責任はこの儂にある。これはとうの昔に認め、謝罪として我が領地の三分の二を、お前たちを始め他の魔族に分配し、資産も食糧も同じようにした。そうして我が魔界はこの十八年間、互いに忍耐の日々を乗り越えて来た。皆が、等しく、我慢をしたからだ」


 アリサは、魔王が来客時以外、酒類や豪華な食事を口にするところを見た覚えがなかった。


「サラマンダーよ。お前が憤る理由は二つ。人間界側が約束を破ったまま何食わぬ顔でいること。それから、自分らの好物が届かないこと」

「何が言いたい? 魔王」


 サラマンダーは鋭い牙を覗かせた。


「我慢をしろ。例え約束を破られようともだ。なぜならこれもビジネスの内だからだ」

「理解できんな。なにがビジネスだ! 約束を破るということは、俺たちを、魔王を、侮辱しているのと同義だぞ⁉」


 呼吸を荒げるサラマンダーに対して、魔王は冷静さを欠くことなく応じる。

 アリサは、魔王の冷気とサラマンダーの熱気とがせめぎ合っているように感じた。


「儂も他の魔族も、生贄が必須なわけではない。現状、とくに問題になるような一方的なビジネスが人間界との間で行われているわけではなく、争いの火種となるような事件も起こってはいない。ここでこちらが怒りを露わに騒ぎ立てれば、向こうの思う壺というもの」

「どういうことだ?」


 サラマンダーの問いに、グレンが横槍を入れた。


「父上を煩わせるな、サラマンダー。わからんのか? お前が戦支度を進めているように、人間界側でも、同じことを企む輩がいるということだ。奴らは今度こそ我らを根絶やしにすべく、その口実を欲している。我らが下手に動いて、あの勇者めが出てくれば、戦局は難航を極める」

「グレン。お前も口を挟むでない」


 魔王に指差され、グレンは僅かにたじろぎ、浅く頭を下げる。


「サラマンダーよ。人間界の者たちは、我らにこのように逡巡させ、お互いに手を出すか出さぬかの瀬戸際で良い顔をし、自分たちが勝ち残る術を画策しているのだ」

「……ビジネスの内と言えど、良いようにされているだけでは、いずれ魔界で反乱が起こるぞ?」


 サラマンダーのその一言で、再び場の空気がぴりりと震えた。

 魔王は、サラマンダーの窪んだ小さな目を見つめたまま立ち上がった。その一挙手一投足だけで、周囲の者を圧倒し黙らせる。それほどの存在感があるのは、魔界でも魔王(ダーク・ロード)――自分の父親ただ一人だと、アリサは心強い思いでいる。


「サラマンダーよ」


 魔王の声が広大な部屋に響き渡り、サラマンダーがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。


「――もし、仮にだ。この儂が統治する魔界で、反乱などという考えを持つ輩がいたなら、一族の長ではなく、魔界すべての長として、儂はその輩にどう仕打ちするのが相応しいと思う?」


 魔王の眼差しは今、サラマンダーにのみ注がれている。しかし、その様子を横から見上げるアリサにも、突き刺すような緊迫感が伝わってきた。

 きっとサラマンダーは、魔王の視線から今すぐにでも逃れたいと思っていることだろう。だが、ここで視線を逸らせば、魔王の威圧に屈したことになる。

 故に、逸らすに逸らせず、送られ続ける恐怖と重圧にひたすら耐えているのだと、アリサは推測する。


「サラマンダー、どう思う?」


 魔王がもう一度、問いを放った。


「お、俺としては、そうだな。そ、そんな奴がいたなら、同じ魔族とは思わん。問答無用で死をくれてやるべきだ……」


 魔王は視線を落とし、腰を下ろした。

 フロアに暖炉の暖かさが戻った。


「そうだとも」


 魔王は床を見たまま、静かに言う。


「だからな、サラマンダー。我が友よ。ここはまだ、儂に任せてはくれぬか?」

「あ、ああ。なにも、お前に代わって俺が仕切ろうってわけじゃないんだ。ただ、人間どもをいい気にさせておくのが癪なだけで――」

「我が娘アリサも、半分は人間だぞ?」


 魔王の眉が吊り上がり、声が一段階低められた。

 ごぎゃ! と、またもサラマンダーの喉から音がした。


「お前はついさっきも、下等生物などという言葉を使い、人間界の生き物たちを侮辱した。これで二度目だ」

「そ、その、アリサのことを言ったわけでは――」

「その自惚れが、過剰な自尊心が、お前の沸点を下げていることを知れ。他者を見下せば、いずれ痛い目を見る。三度目は、ないぞ?」

「わ、わかった! わかったよ」


 サラマンダーは、巨体に見合わぬ小さな手で、宥めるかのような素振り。


「わかってくれたのなら、外へ出てパーティーを楽しんでくれ。生憎、ドラゴンサイズの椅子は用意が無いが、広場の隅にでも腰を降ろせば、給仕が酒を運ぶだろう。樽ごとな」


 魔王は眉を開いて、片手をゆっくりと出入口の方へ向けた。


「い、いやぁその、お、俺はいい。こんな図体だ、邪魔しちゃ悪いからな」

「そうか? 遠慮することはないぞ」

「気持ちだけで結構だ、我が君」


 サラマンダーは挨拶もそこそこに、中空に展開した魔法陣に身体をねじ込むようにして、自分の領地へと戻った。


「……若手のドラゴンは特に血の気が多いな。押さえるのに毎回苦労する」


 魔王は小さく息を吐いた。


「父上。あの者の無礼な態度、いかが致しますか? ご命令くだされば、このグレン、直ちに首を取って参ります」

「お前まで馬鹿を言うな。儂はもう、血で血を洗うような真似はしたくないのだ」


 魔王は、サラマンダーの処遇を尋ねるグレンを、鬱陶しそうに制す。


「お父様」


 アリサが密栓されたボトルを開け、中身の血(、)をグラスに注いで、魔王に差し出した。


「ありがとう、アリサ。ただ、まだ相談客は残っているのでな。血酒(ブラッディワイン)はそのあとで、みんなと一緒に頂くとしよう」


 アリサは父親にそう言われると眉を困らせ、頭を下げた。自分から気遣いのつもりで動くと、よく空回ってしまう。

 姉のグレイスがわざとらしいため息をついた。


『このお節介! 自分だけいい顔しようったって、私の目は誤魔化せないわよ!』


 いつか姉に浴びせられた罵声が脳内に響く。

 そこへ、ドアが豪快に三度ノックされた。三度目の来客。


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