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第三幕 ③

「ローラン様。よろしいですね? 不安げなあなたの顔を見るとつい、決断を渋ってしまいましたが、アリサ様のおかげで踏ん切りが付きました。万が一、カスバート様があなたに対して何らかの報復を試みようと、この私がついていれば良いだけのこと。手出しはさせません」


 その日の夕食は、アリサ、ローラン、モルテガの蹶起集会のような様相を呈し、フレイも含めた全員の酒が進み、ワインのボトルが開けられた。


「――うぅむ、大分酔ってしまいましたな。これは良くない。ささ、アリサ様、ローラン様、フレイ殿。明日から行動開始ですから、そろそろ寝る用意をなさって――むにゃ」


 モルテガは、こくりと、食卓に着いたまま眠りこけてしまった。酒には強くないらしい。


「旦那様はわたくしが寝室までお連れ致しますので、皆さまもお部屋でお休みください」


 メイドは困ったように笑って、モルテガを立たせると、彼に連れ添ってダイニングを出た。


「アリサ様、参りましょう」


 フレイに続いて立ち上がり、アリサは座ったままのローランを振り向く。


「ローラン様? よく見たら顔色が……?」

「うぅ、気持ち悪い……」


 ローランは青ざめた顔でそんなことを言う。


「え?」

「じつはぼく、お酒はまだあんまり飲めないんです。ただ、今日は皆さんと話せるのがなんだか嬉しくて、つい、無理しちゃいました」


 ふらふらと左右に揺れながら、ローランは立ち上がった。

 焦点が定まっていない。

 ローランは、城では常にカスバートに怯える日々。そこから解放されて、久々に心が安らぎ、羽目を外してしまったのだろう。


「フレイ。悪いけど、先に部屋に行っててくれる? わたし、ローラン様を介抱してから行く」

「アリサ様、それは――」


 アリサ専属の護衛を務めるフレイの立場としては、たとえ友好的な領主が管理する安全な場所でも、目を離すのは躊躇われるのだろう。


「わたしはいいから」


 それをわかっていて、しかしアリサは、ローランの腕に手を回す。


「でも……」

「フレイ。あなたには明日から、もう一働きしてもらわなくちゃいけない。そのためにも、今は先に休んでほしいのよ」


 アリサとフレイは明日の午後から、モルテガの馬車でアステラス王国の王都まで赴き、アステラス国王の前で、ローランのことを直に話すのである。フレイにはその間、一人でアリサの身の回りの安全を確保してもらう必要があるのだ。


「わかりました。ではお言葉に甘えて、先に戻っていますね?」


 フレイはアリサに背を向け、広々としたダイニングルームを出て行く。


「……」


 アリサはおもむろに、天井から吊り下げられた豪奢なシャンデリアを見上げる。


「――アリサ様」

「え?」


 戸口のところで、フレイが振り返っていた。


「早く、戻ってくださいね?」

「ええ……」


 アリサはにこりとして、フレイを見送った。


「ローラン様? 大丈夫ですか?」


 アリサは言いながら、ローランの片腕を自分の肩に回し、空いた方の腕で彼の身体を支え、立ち上がらせる。

 そして、彼のあまりの軽さに驚いた。

 アリサは魔王の血を半分継いでいるため、人間の男性以上の筋力がある。しかしそれを差し引いても、やはり軽い。服越しに伝わる二の腕の感触も、まるで棒のようだ。


 風呂場で遭遇したときは、状況が状況なだけに気にしていられなかったが、改めて思い返すと、確かに痩せ細った身体つきをしていた。

 身長はさほど変わらないが、恐らく体重はアリサの方が重い。


(これも、いじめから来るストレスかしら?)


 アリサは拒食症の線を疑うが、ローランはそれなりに食事を口にしていた。


(カスバートに、食事を抜かれていたとか?)


『兄は――隠蔽がうまいんですよ』と、ローランは言っていた。


「……」


 事の真相は、ローランの目が覚めてから聞く他ない。


「うーん」


 ローランは自分の状況がよくわかっていない様子だ。

 アリサはダイニングを出て、ローランを連れて廊下を歩く。


(どうしよう? 抱っこしたほうが早いかしら?)


 そう思ったとき、ローランが口を開いた。


「アリサ、さん?」

「ん? どうしました?」


 アリサがローランの顔を覗くと、


「こんなことまで、すみません」


 彼はがくりと項垂れた。頭を下げたつもりなのだろう。


「いえ。魔王城(キャッスル)にいるときは大抵、給仕と似たようなことをやっておりまして、人のお世話が好きなのです」

「――ぅぷ!」

「えっ、ローラン様⁉」


 ローランの部屋があるという二階への階段に差し掛かったところで、ローランが口を手で押さえた。


「きぼぢわるい……」

「たいへん!」


 アリサは咄嗟の判断で、ローランをひょいと抱きかかえ、玄関でスリッパを脱ぐと、ワンピース姿で館の外へ飛び出した。

 アリサは街道からこの館へ来る際、すぐ近くに川があるのを見ていた。

 彼が吐いてしまっても、川原であれば掃除も必要あるまいと考えて、アリサはそこを目指して走る。


 館の広大な敷地は、景観を意識して草が刈り取られており、そこを走り抜けると、アリサよりも背の高いとうもろこし畑にぶつかる。

 畑の中を走ること一分弱。今度は砂利と草が混じった斜面に出て、下った先に膝丈ほどの深さの川が見えた。

 こういうときに、魔王一族としての丈夫な身体は役に立つ。

 アリサは裸足だったが、石の混じる斜面を勢いよく駆けおりても、足に痛みは無い。尖った石などで切傷や刺し傷を負っていたとしても、川原に着くころには完治している。


「さぁ、ローラン様? ここに屈んで?」


 アリサはローランを川原に降ろし、四つん這いの姿勢を取らせると、背中を擦る。


「うぐ!」

「ぜんぶ吐いて、楽になってください」


 ローランの背に手を置いたまま、膝を揃えてワンピースの裾を折り、その場にしゃがむ。


「うぇえ!」


 アリサには、ローランがこれまで抱えて来た苦しみを吐き出しているかのように見えた。

 川の水面に、辛そうに目を瞑るローランと、慈愛を思わせる眼差しの自分が映る。

 今は、あの薄ら笑いは見えない。


(今のわたしは、わたしだ)


「大丈夫ですか?」


 しばらくしてローランが顔を上げたので、アリサは聞いてみた。


「……はい。なんとか」


 肩で息をするローランは、川の水で口をすすぐと、両膝を抱えるようにして座る。


「お水も飲んだほうがいいですよ。そうすれば明日に引きずらないと、聞いたことがあります」


 と、アリサもローランと同じように膝を抱いて座った。そこは平らな石の上で、ワンピース超しにひんやりとした感触が心地よかった。

 魔王一族は、樽の酒を飲み干してもほとんど酔わない。故にアリサには無縁の知識だが、こうした社交の場で他者を介抱する際は役に立つ。


「アリサ様は、――魔族と違って人間なのに、お酒、強いんですね」


 自分は普通の人間ではない。と言おうとして、やめる。

 ローランは酔いもあって、アリサのことを純粋な人間だと勘違いしているだけだ。

 それでもアリサは、【人間】と言ってもらえたことに喜びを感じた。

 魔族と人間。どっちつかずで、姉からは【出来損ない】と言われ続けてきたアリサにとっては、どちらでも構わないから、自分の立ち位置を明確に捉えてもらえることが重要だった。


「――親の遺伝なのか、酔わない体質なんです」

「酔わない体質、いいですね。飲みニケーションがたくさんできて、社交に有利だと思います」


 さきほどよりはスムーズに話せるようになったローランは、顔色も幾分か良くなっていた。


「飲みニケーションのような、お酒の強さを活かせる機会に恵まれればよいのですが、生憎、そうした社交の場にはまず、魔王一族の顔として兄と姉が招かれます。わたしはお留守番というパターンがほとんどで、……中にはわたしのことを、出来損ないだと言ってくる人もいて、なかなか表に出してもらえなくて……」

「アリサ様は、大変な思いをなさって、でもそれを乗り越えたんですよね?」

「……ええ」


 まだ、乗り越えてはいない。父親の容態は依然深刻。姉からのいじめも無くなっていない。

 脳裏には、あの薄ら笑い。


「うでっぷしだけじゃなくて、心まで強い人だなんて、ぼく、尊敬します」


 ローランは無垢な瞳をきらきらさせて、アリサを見た。

 アリサは胸の鼓動が高鳴り、思わず目を川面に逸らす。

 丸く大きな星の、控えめな白い明かりが反射していた。


「わたしは、尊敬を得られるほどの者ではありません。ローラン様を見たことで、自分自身を見つめ直して、そう思うのです。まだ、解決できていない問題があるのだと」

「解決できていない問題、ですか?」


 ローランに聞かれ、アリサは我に返る。


(わたしは彼に、何を言おうとした⁉)


「い、今のは忘れてください。わたしよりも、あなたのことの方が重要です。ここには他に誰もいませんし、戻る前に少し、お話しませんか?」


 アリサの脳裏に、フレイの顔が浮かぶ。

 正直なところ、アリサはローランが吐かなければ、ダイニングに残って、その場で少し話をするつもりでいた。

 理由は自分でもわからない。だが、魔界では見かけない人間の男の子――その豊かな表情を見たときから、無性に彼のことが気になっていた。


「はい。ぼくも、アリサ様とお話したいです!」


 眉宇を引き締めて、ローランはこくりと頷いた。

 再び脈が強まった。いつの間にか、顔が熱い。さらにどういうわけか、片手を彼の頭にぽんと置きたくなった。


「ローラン様は、ちゃんとごはん、食べていますか?」


 アリサは聞きながら、抱きかかえていた両足を伸ばして、川の水に入れた。

 (すね)から先が冷気で包まれ、顔の熱が引いて、頭が冴え渡るような気がした。


「最近は、あんまり食べられていないんです。今日は、モルテガ卿が用意して下さったので、頑張って食べましたけど……」


 自分の体形のことを言っているのだと察したか、ローランの眉尻が下がる。


「食欲がないのですか?」

「はい」

「いつから?」

「はっきりとは思い出せませんが、兄のいじめが始まった頃から」

「……いじめはいつから?」

「この一ヶ月くらいです。兄は城で、勇者が憎いとかって、ぼく以外誰もいないときに発狂してまして、たぶんですが、ぼくはその八つ当たりをされているのだと感じてます」


 アリサの心臓が、何か別の理由で強く動いた。


「以前の兄は、優しかったのですが……」


 ローランは川面に視線を移す。


「たった一人の弟を、そんなことで傷つけるなんて、最低です」


 アリサは水面に映る自分の表情が薄まり、無になっていくのがわかった。

 そして、


(人間は、水の中に頭を沈められたら、たったの十分も生きられないと聞くが、カスバートはどうだろうか?)


 そんなことを、川の奥底を眺めて考え始めた自分に気付いた。

 アリサの脳裏を、父親の言葉が過る。


『魔人化の度が過ぎれば、お前の身体は変異に侵食され、次第に戻れなくなっていく――』


(まさか、この冷酷な考えは、魔人化の影響?)


 魔族の三大欲求は、性欲、支配欲、そして、戦闘欲。

 魔王一族は、それらの欲求が一際強いと言われているのを、アリサは思い出した。


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