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第三幕 ②

 魔族からは、裸を隠そうとするのを臆病者として見られ、逆に人間からは、裸を見られることに抵抗のない不埒な女として見られる、といった具合に。

 アリサはバスへと向かいながら、


(不埒と思われないようにしながら、あの子の恥ずかしがる顔、もっと見たいな)


 などと考えてしまう。


(当然、お風呂以外で)


 自分自身に訂正するアリサ。

 裸体に対する種族間の感受性の違いは面白いが、同時に複雑だ。

 魔界に着衣の文化が広まったのは、マナーに厳しい人間界とのつながりが影響したからだが、今でも魔界の田舎のほうでは、特に服を着ることにこだわらず暮らす魔族もいる。ドラゴンなどは、身体の大きさから服を仕立てにくいこともあって、今でも皆全裸である。


(オークなんかも、ああ見えて裸には敏感なのよね。ケインがそう言ってた)


 思考がオークへと及んで、アリサはまたも、昨夜の出来事を想起する。それも、レストランの入口で遭遇した見張りの、嫌らしい目つきだ。


(思えば、あいつは痛い目を見ていないわね。骨の一本でも折ってやるんだったわ)


 と、アリサは湯気を立てる水面に映った自分の顔を見て、はっと我に返る。


(笑ってるの、誰?)


 見開いた目の中で、紅の瞳を淡く光らせ、口元に薄っすらと笑みを浮かべる顔は、昨夜のレストランで見た、狂気と美がない交ぜになったものと同じだった。


「――っ⁉」


 アリサは自分の頬を触る。顔は(ほころ)んでおらず、むしろ恐怖で引き攣っているように感じる。しかし、水面に映る自分は笑っている。


「うぅッ!」


 アリサは咄嗟に口を押さえ、排水溝の上に(くずお)れ、胃袋の中身を吐き出した。

 昨日の出来事が深刻なトラウマになっているのか、アリサは自分が自分ではなくなっていくかのような不安に襲われた。


(なんなの? この感覚)


 何か良くないことが起こりそうな、不吉な気配。それが再び、自分の内側から湧き上がってくるような感覚だった。答えを教えてくれる者は、どこにもいない。


(落ち着くのよ、アリサ。あなたはこの安全な場所で、トラウマが消えるまで過ごす。それに専念すればいいのだから)


 アリサは胸に手を当てて、深呼吸する。石鹸の香りが肺を満たす気がして、少しだけ気分が良くなった。


「……」


 アリサは湯舟には一切浸からず、シャワーだけを浴びて退室した。

 まだ水面に、あの薄ら笑いがあるような気がした。


   ♡


「これは大変失礼いたしました。じつは、あなた方を受け入れる用意をしていたところへ、彼がやって来たものでして。紹介するタイミングを計りかねておりました」


 夕食の席で、モルテガが謝罪した。

 アリサとフレイが館に到着する数時間前、ローランが突如、助けを求めてきたのだという。

 アステラスの城下町に出たローランは従者の目を盗んで、モルテガ領行きの荷馬車に紛れ込み、モルテガの屋敷から数キロ離れた市場から、ここまで徒歩で来たという話だった。

 館を訪れたアリサたちが朝食を取ったのは遅いタイミングであったため、そのときは偶然にも出会わなかったのだ。


「ぼくは城で、兄のカスバートから執拗ないじめを受けているんです。お父様もお母様も、家来たちも、優等生のカスバートがそんなことをするわけがないと言って耳を貸しません。実際兄は、他の人がいるときは普通にしているので、バレないんです。……隠蔽がうまいんですよ」


 家出をしてきたというローランは、俯き気味に言った。

 彼は以前、農地管理の社会勉強でモルテガ領に滞在していたことがあり、単純にアステラス王都から距離があるため、今回の家出先に選んだらしい。


 とはいえ、早馬ならまだしも、ゆったり進む馬車で一日である。大した距離ではない。

 アリサはフルーツジュースのグラスを置いて、対面に座るローランを見た。

 社会勉強を積むのはどこの王族も同じらしいが、アリサは些か視野の狭さを感じてしまう。


「私としましても、対応をどうしたものかと思案中で、彼をあまり人目にさらすのも躊躇われましたので、明るいうちは部屋でじっとして頂いていたのです」


 モルテガも、まさか大国の第二王子までをも匿うことになるとは思っていなかったのだろう。すぐに魔法札でアステラス国王に連絡するか、しばらくこの館に宿泊させるかで、迷っているに違いない。


「居候の立場のわたしが言うのは、些か筋違いかもしれませんが、アステラス国王には一度、しっかりとご連絡して、ローラン様のご意向を考慮し、しばらくこちらに滞在頂くというのはいかがしょうか?」


 アリサはモルテガの顔色を観察したうえで、そう提案した。


「私も、そうするのが然るべきと思うのですが……」


 モルテガの目がローランへと向けられる。


「モルテガ卿、ぼくがここにいるのは言わないでくださいってば! もし兄様がこのことを知ったら、いじめをする一生モノの理由にされてしまいます。お前は父上に黙って城を抜け出した、だから処罰を受ける必要がある。みたいな感じで……」


 アリサは、魔王城(キャッスル)の【王の間】で泣きじゃくっていたカスバートを想起する。


(まさか、あんな頼りない御仁(ごじん)が、裏では弟を――?)


「カスバート様はそんな無茶苦茶な理由で、あなたをいじめるのですか?」


 アリサの問いに、ローランは両手を膝の上に置いて、こくりと頷いた。


「グラスの中身を溢しただけで暴行してくるくらい、嗜虐的ですから……」


 アリサの脳裏に、姉のグレイスの嘲笑が浮かんだ。

 同じだ。と、アリサは思う。

 だが、脱衣所で出会った際にローランの身体を見たが、目立った傷は見当たらなかった。


「あなたの身体を正面から見た限りでは、――いえ、その……」


 ローランが顔を赤らめたので、アリサは(しまった)と思う。


「やましい意味ではなく、外傷は見当たりませんでした……」

「兄は巧妙なので、僕を痛めつけたあとで、回復魔法を掛けるんです。だから傷も残らない」


(この子の境遇は、やっぱりわたしと同じ)


 アリサは確信すると同時に、こうも悟る。

 姉のいじめは、普通の人間であれば(・・・・・・・・・)、とうに逃げ出すほどの苦しみなのだと。


「しかし、ローラン様。私の立場はあくまで、アステラスの国境の領地を治めるだけのもの。それは、アステラス国王陛下が私を信頼し、任命して下さったからこそ在るものです。国王陛下のご家庭事情に関しましては、意見を挟む権利を持ちません。ローラン様のことで、然るべき対応を怠ったとあれば、相応の罰が下りましょう」

「身勝手なのはわかっています。ですが、ぼくはもう、あの城にいたくはないんです。またあそこに戻ったら、今度こそ頭が変になりそうで……」


 アリサはモルテガから、再びローランに視線を移す。


(彼なりに考えはしたのでしょうけれど、あまりにも逃避に重きを置き過ぎている)


「ローラン様。じつは、わたしも以前、身内の者からいじめを受けていたことがあります。だから気持ちはとてもよくわかります」


 そのいじめは現在も続いているという部分は伏せ、皮膚を剝がされたり身体を串刺しにされたり骨を折られたりといった、具体的ないじめの内容も伏せて、アリサは共感の意を示す。

 ローランは「あなたも⁉」と言いたそうな目でアリサを見た。


「――しかし、その悪い状況を変えるためには、やはり誰かに話す必要があります。わたしがそうでした。では誰に? というと、ローラン様の場合は、国王陛下です」

「アリサ様。ぼくは何度も父に話しました。でも、信じてくれないんです。証拠が無いから」


 アリサ自身、姉からの虐待行為にはうんざりしていたが、そこで止まって(・・・・・・・)いた。

 姉は憤ると、何かに当たらずにはいられない人なのだ、そういうものなのだ。という具合に、諦めていた。


 たとえ傷を負わされても、痛みはあまり感じず、すぐ元通りになってしまう。証拠は残らない。そんな魔王一族特有の能力もあって、アリサは尚更、それより先の行動を自ら起こそうと思わなかった。

 必要であると自分自身が思わない限り、自発行動は発生しない。


 だが、ローランは人間の男の子。

 痛みにはアリサよりも敏感で、強く感じるだろう。

 痛みがある分、恐怖も()く。恐怖が湧けば、逃げたくもなる。

 能力の違いが生み出す格差のような状況に、アリサは憤りと悲しみを一緒に抱いた。


(かわいそうなローラン)


 アリサは今すぐにでも、ローランという少年を〝包み込みたい〟という衝動に駆られた。

 初めて抱く衝動に、アリサはしばしの間、それを表現する言葉が出てこなかった。


(でも、この衝動こそが格差。わたしは平気で、ローランは平気じゃない。これはまるで、わたしが上から見下ろしているような構図。不公平だ)


「……モルテガ卿。ローラン様のこの件、わたしにもお手伝いさせてくださいませんか?」


 アリサはローランを見つめたまま言った。


「アリサ様が、ですか?」


 これも予想外だったか、モルテガは僅かな戸惑いの色を浮かべた。


「わたしは魔王(ダーク・ロード)の娘。序列第一位のグレン兄様に比べれば発言権は弱いですが、それでも立場でいえば、ローラン様と対等であると言えなくもありません。そのわたしが証人となって、カスバート様の、ローラン様に対するいじめを、国王陛下に証言するのです」


 アリサの考えを聞いたローランは目を見開いた。その瞳は潤んでいた。


「それなら、国王陛下も無視はできませんね。カスバート様も、アリサ様のことは容易に邪魔できない」


 顎に手を当てて、フレイが言った。


「信じてもらえるでしょうか? アリサ様は、兄がぼくをいじめる場面を、一度も見ていないんですよ? 証拠もないままです」


 ローランは僅かに眉を開いたものの、まだ不安が残っている様子だ。


「あなたの身体に虐待を思わせる痣があって、処置をしたと、わたしが言えば良いのです。他者の証言があったほうが、影響は強い。少なくとも国王陛下はカスバート様に対して疑問の目を持つでしょう。そうなれば、監視がつけられたりして、カスバート様自身、動きづらくなるはずです。まして、その場では取り繕っておきながら、実際にいじめをしていたことが知れれば、タダでは済まないでしょうし」

「で、でも、まだ会ったばかりのあなたに、そこまでして頂くのは申し訳ないというか、どうお礼をしたらよいのかわからないというか……」


 ローランはせっかく開いた眉を困らせて、ちらちらと、上目でアリサを見る。


「お礼など要りません。わたしが必要だと思うからやるのです。いじめをして楽しむ者、いじめられて苦しむ者。両者の格差は淘汰すべきもの。決して諦めてはいけません。わたしはそれを、カスバート様にわからせたい」


 アリサは、境遇が近似するローランと自分を重ねていた。


(そうよ、アリサ。あなたも諦めて、いじめられるままではいけない)


 アリサの凛とした物言いに、モルテガは感銘を受けたかのように深く息を吐き、


「アリサ様にそこまで仰って頂けるなら、このモルテガも、ローラン様のため、覚悟を決めましょう」


 モルテガは、アステラス国王への橋渡しを引き受けることをアリサに申し出た。さらに、ローランが自分の館に滞在していることを国王に伝えはするが、ローランを至急国王の下へと帰すよう命じられた場合はこれに従わず、ローランに対するしばしの休息を進言することも約束してくれた。

 行動開始は、明日と決まった。


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