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第三幕 ①

 モルテガ辺境伯と共にした食事は、時間帯で言えば遅めの朝食で、散髪を終えたアリサとフレイは寝室に戻り、新しい髪型とスーツの相性を確かめた後、夕暮れまで眠りについていた。


「……ん」


 アリサは目を開け、来客用のネグリジェの肌触りと、干したての()の香りから、ここが魔王城(キャッスル)の寝室ではないことを改めて自覚した。

 ふと視線を感じたアリサが顔を横に向けると、


「わっ⁉」


 既に起きていたらしいフレイが、アリサのすぐ隣で横になっていた。

 アリサは思わず声を上げ、身を起こした。


「もぉ、フレイったら。脅かさないでよ」


 アリサが頬を膨らませると、フレイは口に手を当て、堪らずといった様子で笑みを溢した。


「すみません。あんまり寝顔が可愛かったもので、つい」

「グレン兄様がこのことを知ったら、怒られちゃうわよ?」


 アリサはぷりぷりとそっぽを向いて、スリッパに素足を通した。


「今ここに、グレン様はいらっしゃいませんので」


 人差し指を口にあてがい、上目でアリサを見つめるフレイ。

 彼女はアリサに負けず劣らずの整った顔立ちで、エルフ特有のとがった耳と高い鼻梁は、アリサよりも大人びた印象がある。

 アリサはフレイの、二人きりの時にしか見せない悪戯な表情に弱い。


「また小悪魔な顔をして。まるで魔族じゃない」

「私は由緒正しきダークエルフ。暗黒の森の出身で、列記とした魔界の住人ですよ? アリサ様と同じ魔族です」

「小悪魔のフレイ」

「まるで、私が(タチ)の悪いエルフみたいじゃないですか」

「悪いじゃないの、タチ」

「そんなこと言うと、お顔に落書きしちゃいますよ?」


 フレイはニヤリと笑って両手を構えると、アリサに飛び掛かってきた。


「きゃーっ」


 フレイとこうしてはしゃぐのは久しぶりだな。

 心の片隅で思いつつ、アリサは本気で逃げようとする。

 だが、フレイはアリサの侍女を務める格闘のエキスパート。

 アリサを後ろから羽交い絞めにして、ベッドに引き倒す。

 アリサはそのまま両脚を絡められ、両の脇をくすぐられた。


「もぉ! フレイ! やめてったら!」


 こんなところをモルテガ卿に見られたらどうするの! と叫びたいアリサ。


「ほーら、こちょこちょ!」

「あはははは!」


 アリサはどうにか身を捩り、ごろごろと転がってベッドから脱出。


「昔に比べて、格段に強くなりましたね。最後は力負けしました」


 楽しげな笑みを残して、フレイも立ち上がった。


「いつまでも子供のわたしじゃないのよ? 格闘でも負けないんだから」

「だーめですよ。お部屋が壊れてしまいます」

「わかってるわよ」


 と、アリサも頬を綻ばせた。


「――妹は元気?」


 アリサのその問いに、フレイはバツが悪そうに頬を掻く。


「まだ、暗黒の森の病院からは出られないそうで」

「そんなお手紙が来たの?」

「はい。完治にはまだしばらく掛かると」

「そう……」


 フレイには十年ほど年が離れた妹がいて、魔界でも人間界でも治療が難しい難病に(かか)っており、ダークエルフ領にある暗黒の森の病院で寝たきりの生活を送っているらしい。

 アリサは以前、社会勉強で魔界を見て回った際に、フレイの妹のお見舞いに行きたい意思を示したのだが、面会もできないとのことでフレイに断られ、まだ一度も会えていない。

 だが、フレイが時々、エルフ語で書かれた手紙をやり取りしているのは知っており、文通を続ける元気はあるのだと認識していた。


「早く、良くなるといいわね」


 困ったように笑って、アリサは沈黙を払った。


「アリサ様がそうして笑顔でいてくれれば、きっと妹にも幸運が訪れます」


 フレイも同じように笑った。


(わたしもフレイからしてみれば、妹みたいなものよね)


 フレイは、見た目こそアリサと大差ないが、年齢はちょうど十個上なのだ。


(フレイは、妹とわたしを、重ねていたりして?)


 アリサはそう思うと、フレイが持つ優しさで胸がいっぱいになる。

 そのとき、寝室のドアがノックされた。


「はい?」


 フレイがドアとアリサの間に立ち、返事をした。


「失礼いたします」


 年齢はアリサより少し年上と思しきメイドが、粛々とドアを開けた。

 夕日が沈みかけ、部屋に大きな影が差していたところへ、彼女はランプを持ち込んでくれた。


「ご入浴の用意が整いましたので、そのご案内に上がりました」

「「あ……」」


 アリサとフレイは同時に言って、顔を見合わせる。今まで緊迫した事態が続いたために、我慢せざるを得なかった入浴。それが叶うというのだ。


「「ぜひ、お願いします!」」


 またも同時に言って、二人はくすくすと笑った。


   ♡


「お二方。いくらか休めましたか?」


 メイドに続くアリサとフレイが、清掃の行き届いた広い廊下――赤い絨毯の上を歩いていると、奥からモルテガがやってきた。その手には果物が入ったバスケット。


「おかげさまで、ありがとうございます」

「それに加え、お風呂も頂けるなんて感激です」


 アリサとフレイがそれぞれ頭を下げたあとで、ちらりと果物に目を向けるのを見たか、


「――これですか? 夕食の際に、フルーツジュースをご用意しようと思いまして」


 と、モルテガはにこやかに言った。


(フルーツジュース!)


 アリサは声を上げて喜ぶところを、笑顔で会釈する程度に抑える。


「とても楽しみです」

「我が家自慢の大型バスでさらに疲れを癒してください。料理も用意してお待ちしております」


 お互いに会釈してすれ違ったあとで、


「あ、そうだ」


 モルテガに呼び止められ、アリサとフレイは同時に振り返る。


「バスルームは二つ用意がございますので、ごゆるりと」

「なんとまぁ」


 改めて会釈してモルテガと別れ、廊下の角を曲がったところで、アリサはぐっと、拳を握りしめた。


「アリサ様?」


 フレイは、「はしたないですよ」と言いたげな目。


「いつもいつも、グレイス姉様に取られてばかりで、アツアツのお風呂なんて滅多に入れないのよ? ほとんど水浴び。わたしにとってお風呂は至福(しふく)。ガッツポーズだってするわ」

「陸軍ではなかったのですか?」

「向こうはバスに浸かる文化じゃなくて、寮に備え付けのシャワーだけだったから」

「――こちらでございます」


 アリサとフレイが話しながら着いていくと、メイドは廊下の横に現れた二つの入り口を示し、粛々と一礼した。


「案内して頂き、ありがとうございます」


 アリサはそう言って、二つある入り口の左側へ、フレイは右側へ、それぞれ入った。

 大きな目隠しの布をくぐった先は脱衣所。そこでネグリジェを脱げば、あとはバスルームで身体を洗い、久々のアツアツ・バスタイムである。

 ドアの向こうからは、ほかほかとした湯気が僅かに漏れ出しており、何やら石鹸のような香りも漂っている。


(二日も身体を洗っていないままお食事をするの、抵抗あったのよね)


 アリサはそんなことを思い起こしながら、スルスルと服を脱いだ。

 そして、横開きと見えるバスルームのドアに手を掛けた、次の瞬間。


「っ⁉」


 ドアがひとりでに開いて、中から人が現れた。

 濡れたブロンドの短髪は降ろされ、ライトブルーの目に少し掛かっている。素肌は女の子のようにきめ細やかで、目鼻立ちも整った美少年。


「――え?」


 彼のテノール調の声が零れた。

 沈黙が湯気と共に漂う中、アリサは少年が服を着ていないことを認識。

 二人は互いに、顔、胸、お腹と、視線を下向けて行き――。


「うわぁああああああああああああああ!」


 少年が叫び声を上げた。

 アリサはネグリジェを身体の正面に、少年は動転したせいか足を滑らせ、バスルームの中へ仰向けに倒れ、あろうことか両脚をVの字に開いてしまう。


「アリサ様⁉ なにごとですか⁉」


 隣のバスルームから、フレイがベージュの長髪を振り乱して駆け付ける。


「ぎゃああああああああああああああ! キサマぁあああああああああああああ!」


 フレイは全裸の少年に仰天して仰け反り、今度は怒りを露わに前のめりになる。


「だ、だ、誰ですか! あなた方は⁉」


 と、少年はバスの裏へと回り込み、そこから顔だけを出す。


「キサマこそ何者だ⁉ アリサ様の追手か⁉」


 フレイは髪の中に仕込んでいた矢じりを少年に向けた。


「ぼ、ぼくはローラン。アステラス王国の第二王子です」

「――な、なに⁉」


 予想だにしない名前が飛び出し、フレイは構えていた矢じりを降ろす。

 アリサはアステラス王国と聞いて、一昨日に魔王城(キャッスル)で開かれたパーティーに、第一王子のカスバートが来ていたことを思い出した。

 ローランは、カスバートの弟だ。


「そんなお方が、どうしてここに?」


 ネグリジェで身体を隠したアリサが聞くと、ローランは気まずそうに視線を逸らす。


「い、家出、してまして……」

「「家出?」」


 アリサとフレイは顔を見合わせた。


「こ、ここではお話できません! 一度上がらせてください!」


 アリサたちはローランに着替えさせるため、一度廊下へ退去。詳細は食事のときに聞こうということになった。


「まさか、第二王子とここで会うなんて……」


 アリサは独り言ちて、今度こそバスルームに入り、身体を念入りに洗う。

 たしか、第一王子のカスバートが二十歳で、四つ下の弟がいるという話を聞いた覚えがある。

 ということは、ローランはアリサより二つ下の十六歳。


(可愛かったな。お顔真っ赤にしちゃって)


 髪の水を撫でて払いながら、のぼせ上がったローランの顔を思い出す。

 魔族は一部の種族を除いて、裸体を見ることにも見られることにも、これといった感情は抱かない。

 アリサは自分の裸を見られて、人間ならこうするであろう反応が思い浮かび、ネグリジェで身体を隠しはしたが、顔は熱くならなかった。

 だが、たとえ演技であろうと、然るべき反応をしてみせなければ、どちら側の種族からも、奇異の目で見られる。


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