第二幕 ⑥
「グレン様は厳格なお方のイメージでしたが、アリサ様には別の顔をお見せになるのですね。微笑ましい限りです」
一先ずは安堵した様子で、モルテガがワインを口にした。
「これで、すべての不安は晴れましたね」
と、フレイも胸を撫でおろす。
「そうね」
アリサは頷いて、牛肉をフォークで突き刺し、ナイフで二つに切断した。
瞬間、昨夜のレストランに響いた悲鳴が、再び傍で聞こえた。
アリサはびくりと肩を震わせ、はっと背後を振り返る。
「どうなさいました?」
「――いえ、ごめんなさい。まだ昨日の疲れが残ってしまっているみたいです」
テーブルに向き直って平静を装い、グラスの水を一気に飲み干すアリサ。
皿の上に溢れ出した肉汁とソースが絡まり、赤黒い血のように見えた。
フレイの手が、アリサの肩にそっと置かれた。
「早めに休ませて頂きましょう。私が傍についていますので」
「良いですか? モルテガ卿」
「もちろんです。メイドにベッドメイクをさせてありますので」
モルテガ卿は立ち上がり、アリサのグラスに水を注ぎ足した。
それから少し経って、アリサは料理の大半を食べ残してしまったことを謝罪した。
「よいのです。まだ一夜明けたばかりですし、ご無理はなさらないでください。空腹のときはいつでもお呼び頂ければ、すぐに何かお持ちしますので」
モルテガは心中を察してくれていた。
「――アリサ様」
寝室に入ったとき、フレイが言った。
「忘れましょう。すべて」
「ええ……」
アリサはまだ心のどこかに、ネガティブな想像が現実に起きてしまいそうな、胸騒ぎのような違和感を抱えていた。
「……フレイ」
「はい?」
「髪を切りたいわ」
アリサは絨毯の一点を見つめて言った。
「――承知しました。モルテガ卿に許可をいただき、ハサミを借りて参ります」
フレイはアリサの心境を察してくれたらしく、すぐさま用意を始めた。
♡
青空の下、館の裏手。
アリサは持ちだした椅子に座り、散髪用の布を頭から被った。
「髪の長さは、どのくらいにしますか?」
「なんだか、バッサリいきたい気分だから、ショートがいいわ」
「承知しました」
アリサの銀の長髪を、フレイが慣れた手つきでカットしていく。
フレイはアリサだけでなく、ケインを始め、従者たちの散髪も請け負っており、その器用さは魔王城で一番の評価を得ていた。
アリサが最後に髪を切ったのは、陸軍に入隊する直前。数えると、およそ二年半ぶりである。
「髪を切ると、なんとなく、心機一転というか、気分が変わるのよ」
「わかります」
「フレイもそうなんだ! あとでわたしが切ってあげようか?」
アリサは椅子に座ったままフレイを見上げ、くいっ、と元に戻される。
「私は自分で切れますし、今はこのままで大丈夫です」
「えー? なんでよぉ」
「アリサ様はお上品に見えて、手先は意外と豪快だったりしますから」
「それ、褒めてないわよね?」
「その気になれば大概のことはできてしまう器用なタイプですが、気を緩めると大雑把が出ますねー」
「た、例えばなに?」
アリサは顔が熱くなるのを感じた。
「お水を、グレン様みたく豪快に呑み干したりとか。腰に手を当てれば完璧でした」
さきほどの食事のことを言われていると、アリサは思った。
頬を膨れさせるアリサだが、軍に居た時も、同僚から「大男が書いたみたいに文字がでかい」と言われたことを思い出し、反論できない。
「お、男勝りって言われたほうが、まだマシかも」
「自覚があるのですか?」
「人間には、腕相撲でも走りでも、負けたことない」
「男勝りなのは良いことじゃないですか。変な男が寄り付きません」
「なんだか、複雑な気分」
眉を顰めたままのアリサ。
チョキチョキと、軽快なハサミの音が続く。
「アリサ様は誰が見ても、正真正銘、可愛らしい女の子ですよ」
「い、いまさら、わたしの機嫌を取ろうとしても遅いんだから!」
アリサの頬が、ほんのりと赤くなる。
「――はい、できました」
フレイがアリサに手鏡を渡した。
「わぁ」
深紅の瞳を輝かせ、目を見開くアリサ。
首筋の辺りで揃えられたショートカットをベースに、前髪から三つ編みを作り、そのまま後ろでまとめたスタイルだった。
「編み込む必要がないので簡単なうえ、三つ編みを解けばガラッと雰囲気を変えることができます。パーティーなどにもおすすめの髪型です」
「とっても好きだわ! ありがとう、フレイ」
アリサは満面の笑顔で、弾むように言った。