【短編】魔女との契約婚で離縁すると、どうなるかご存知?
「これにサインをしろ」
「今、おっしゃるのですか?」
喪服を着た夫が提示してきたのは、離婚届の書類でした。
「今日はお義父様の葬儀が終わったばかり、このような……」
「もう! うんざりなんだよ!」
机に手を打ちつける夫の隣には、大きなお腹を抱えた女性がいます。
「子供の時から思っていた、お前のような辛気臭い女が俺の妻など嫌だったのだ!」
結局何もわかっておられなかったということですか。
「父が死んだ今、俺が当主でファインバール伯爵だ!」
国王陛下から拝命して初めて名乗れるのですが、そこはわかっておいででしょうか?
「お前のような者が妻だと、三年間もよく我慢したものだと、俺でも思う」
ほとんど顔を合わせることなんてありませんでしたのに、煩わしいことを全部私に押し付けてよく言いますわね。
亡くなったお義父様が次期当主のための仕事をお渡しになったときも、そのまま私に横流ししてきましたよね?
今、領地のことを采配しているのは誰だと思っているのです?
伯爵夫人を名乗るならこれぐらいできると言われ、全て私が受け持っているのですよ?
「ファインバール伯爵夫人を名乗るのは、俺の愛するメリッサだ!さっさと、この離婚届にサインをしろ!」
そのように言う夫の横には、金髪の青い目が印象的なお腹の大きな女性がいます。
ええ、貴方がその娼婦に入れ込んでいたことは存じていましたよ。
愛人という立場でしたので、何も言いませんでしたが、娼婦が伯爵夫人を名乗るなど、貴族社会で何を言われることか……いいえ、もう私には関係ないことですね。
「そうですか。わかりました」
そう言って私は書類にサインをします。
「一つご忠告を……」
「うるさい! お前などさっさと出ていけ! そんな気味が悪いアザがある顔など二度と見たくない!」
夫は……いいえ、元夫はそう叫んで、書類を持って私の執務室を出ていきました。
顔のアザ。
私は黒いベールの下にある右頬を撫ぜます。私の右半分の顔には大きなアザがあります。
何かの紋様に見えなくもない赤いアザ。
幼い頃には無かったアザ。
それを私は受け入れていました。
「はぁ、片付けないといけない書類が山のようにありますのに出ていけなど、どれほど身勝手なことかわかっていないのですね」
私は愚痴を言いながらパチンと右手の指を弾きます。
すると、積み上がった書類にペンが走り、文字を書き込んでいきました。不要な書類は廃棄スペースに、引き継ぎに必要な書類はひとまとめに、この先三年間分の計画事業を順番通りに。
全てが私が手を出さなくても書類が勝手に移動していきます。
「スウェン」
「はい。シルヴィア様」
側に控えていたファインバール伯爵家の執事に声をかけました。
「魔女の契約婚は解除されました。その意味はわかっていますよね?」
「はい、存じております」
壮齢の執事は、ことの重大さに理解を示してくれました。
「伯爵様から、もしそのようなことが起こった場合の指示は承っております」
そうですか。お義父様も夫の態度から懸念はされていたようです。
私は立ち上がり喪に服する黒いベールを取り外しました。
「必要になる物はここに出しているわ」
「はい」
「これがファインバール伯爵を名乗るのに必要な指輪よ。スウェンに預けるわ」
体調を崩されたお義父様から預かっていた、ファインバール伯爵家の家紋が刻まれた指輪をスウェンに手渡します。それをうやうやしく受け取るスウェン。
「お預かりいたします」
これで、次のファインバール伯爵になる者の手に渡ることでしょう。
「ほころびは直ぐには現れないわ。だけど、このアザが消えていく頃には、問題が現れてくるでしょう」
私は右頬にある赤いアザを指して言います。
「承知いたしました。魔女との契約反故は恐ろしいものだとお聞きしております」
「そうね。契約期間が長かったわね」
「私どもも伯爵様の命に準じる所存であります。今までファインバール伯爵家のためにお力を使っていただきありがとうございました。それでは失礼いたします」
「もう、会うこともないわね。こちらこそ、今までありがとう」
慌てて去っていくスウェンに感謝の言葉を述べ、私の執務室には誰もいなくなりました。
「はぁ〜。ファインバール伯爵領の人たちには申し訳ないけど、やっと解放された!」
伯爵家の者として気取らなくていいとは素晴らしいです。
さて、元夫であるロイド・ファインバールはどのような結末を迎えることでしょうね。
まぁ、もう関わることはないので、私が知ることもないでしょう。
シルヴィア・ファインバールを示すものは、全てここに置いて行きます。
何があっても私を頼ろうとは思わないように。
左指をパチンと鳴らし、シルヴィア・ファインバールの私物は全て燃やします。ええ、だってここには私の大切な物なんて一つもありませんもの。
後始末を終えた私は、ファインバール伯爵家から姿を消したのでした。
*
魔女は生まれながら魔女である。
それは世界の理。
私はとある子爵家に生まれた。兄が三人、姉が二人、生まれた瞬間に見た光景がこれだった。
似たような容姿に黒い髪で榛色の瞳。彼らが兄妹だとひと目でわかります。
「幸せそうな家族ね」
赤子である私がそう喋った。
年上の兄二人は変な顔をした。
姉二人と一番下の兄は喜んだ。
父と思われる男の目には恐怖の色が滲んだ。
私を産んだ母は「我が家に魔女が産まれたわ」と喜んだ。
その光景を見た瞬間、喋らなければよかったと後悔したのです。
それから、父は母を侮蔑するような視線を向けることが多くなりました。
母は私に魔女の昔話を話すようになった。
うん。その話は知っている。だけど、ちょっと結末が違う。
私の中には当たり前のように知識があり、真実を知っている。だけど、言葉にはしなかった。
だって見てしまったから。父が母に向けて呪いを発していることに。
人は毒を吐く。それは言葉と共に毒を吐くのだ。それを人が吸うとどうなるか。
身体が不調を訴えてくる。だけど医者に診せても異常はない健康だと言われる。
それが呪い。
人の恐ろしいところは、その呪いを無意識に発していること。自分が誰かを呪っているだなんて思いもしていない。
そして母が倒れた。医者に診せれば、過労だろうと言われて休むように言われる。
だけど貴族と言っても子爵家。使用人なんて三人ほど。そして六人の子供がいる。
母は休むことなんてしなかった。
このままでは母が死んでしまう。そう思った私は、母の呪いを引き受けた。
すると腕に小さなアザが浮き出る。
これが魔女の契約痕。
魔女は呪いに耐性がある。だから、相手の呪いを引き取ることができる。それは契約痕を通じてだ。
それから母は元気を取り戻す。
母は少し疲れていただけだったのねと笑っていた。
私が三歳になった頃、父が家に殆ど帰ってこなくなった。
どうも愛人のところに居座っているらしいと使用人のコックが話しているのを、聞いてしまう。
私と散歩中の母が。
今度は母が毒を発するようになった。
愛人の居場所をつきとめ、父を連れ帰ってきた母。
そして母は家を出ていった。家中に毒をばらまいて。
だから、私は契約痕を解除した。もう、私の母でなくなったのなら、守る必要がないからだ。
一年後に母が死んだと父の元に連絡がきた。そう、母は離婚に応じることがなく姿を消したので、身分は子爵夫人のままだったのだ。
多分愛人の女に、名実共に父の隣に立つことを許さなかったのだろう。まぁ、これは母から聞いたわけではないので、私の勝手な思い込みだ。
私が5歳になったころ、父と愛人が死んだ。母が残していった毒によって。
そのあと爵位をついだのは一番上の兄だった。
「お前が生まれてから、悪いことばかり続く」
18歳になる兄に言われた言葉だ。
「父が言うには、母は魔女の家系だったらしい。その母からお前が生まれた。さっさと殺しておけばよかったのだ」
毒を吐き、怒りと共に剣を抜く兄。私はそれをただ見ている。
母が魔女の家系だろうことは知っていた。そう、知っているのだ。
父は金髪の空のような青い瞳の色を持っていたが、子供は誰一人父の色を持っていなかった。
六人の兄妹が全て、母の黒髪に榛色の瞳を受け継ぎ、私だけが金色の目をしていた。
魔女の血は血族に受け継がれる。
だからこそ、魔女は生まれながら魔女である。
頭上から振るわれた兄の剣は私から逸れ、床を叩きつけた。
心臓を突こうとした剣は兄の手から飛んでいく。
私の首を切ろうとした剣は私の首元で止まった。
「なんだ! お前は!」
恐怖の色が混じる兄の目を見ながら答える。
「魔女だと、兄は言ったよ」
「うるさい!」
何度も剣を叩きつけ弾き返されている兄に、ため息がでます。
諦めるということを知らないのでしょうか?
その剣を右手で私は受け止めました。
「なっ!」
「自分の身を守る結界ぐらい魔女なら張れるよ?」
わかっていないのだろうと、説明をしてあげます。いくら結界に剣を叩きつけても、兄如きの剣では打ち破ることなどできないと。
「わかっている? 兄にも魔女の血は流れているよ?」
すると、兄は力なく剣を手放した。
その瞳には絶望の色が浮かんでいる。
母が話してくれた魔女の話は全ていい魔女の話でした。しかし世間一般的に噂になるのは悪い魔女の話が多く、兄もそのような話を耳にしたのでしょう。
「俺も厄災を振り撒く者なのか」
ん? 何を言っているのでしょう?
「魔女は厄災を振り撒く者だろう。もしかして自分は違うと言いたいのか」
「違う。そもそも魔女から何かを引き起こすことはない。何かを引き起こすのはいつも人の方。無自覚な悪が一番恐ろしい。人は人を呪っているって知っている?」
魔女は魔女の理の中で生きている。だから、魔女自らが厄災をばらまくなんてことはしない。きっかけはいつも人だ。
そして、私は兄に人の吐く毒の話をしたのだった。
*
「ここにいらっしゃるのは、ロイド・ファインバール伯爵子息様だ。挨拶をしろ」
七歳のとき突然王都に連れて行かれました。そしてたどり着いたのは一軒の大きなお屋敷。子爵家とは比べ物にならないぐらい大きなお屋敷。
「シルヴィア・ファンベルです。ファンベル子爵の妹にあたります」
私が挨拶をしたのは豪華なベッドに寝かされた黒い物体でした。私の目にはもはや黒い物体にしか見えません。形すら認識できません。
「こんな小さな子が魔女なの?」
やせ細った御婦人が不安そうな声を上げます。この部屋に入る前に、ファインバール伯爵夫人と紹介された方です。
「本当にこの子は死ななくていいのよね?」
私に聞かれても、私は兄から何も説明はされていません。
「ファインバール伯爵夫人。夫人の家系のことを妹のシルヴィアに説明していただけますか?」
ああ、直接夫人から話を聞けということね。
「ディレイニー伯爵家は女系の血族なの。男児は生まれても必ず十歳まで生きられないの。だけど、この子はファインバール伯爵家の跡取りなのよ! そんなことで死ぬなんて……」
ああ、ディレイニー家ね。これは厄介なことね。あの家は一度魔女を怒らせたことで、制裁を受けているの。
もう五百年も前の話だけど、その魔女はまだ生きている。だから、私が制裁を解くことは、魔女同士の争いごとに発展するから駄目なのよね。
そうすると、契約痕で私自身が引き受ければいいのだけど、この真っ黒さは簡単にどうこうできるものではないわ。
「一つ提案があります。できれば、ファインバール伯爵を交えて、お話をしたいです」
私はそう切り出しました。
「ディレイニー伯爵家は五百年前にとある女性の禁忌に触れて、制裁をうけています。それは子々孫々受け継がれるものです」
私はファインバール伯爵を交えて、話を始めました。
「そんな話は聞いたことないわよ」
言えるはずないわよね。魔女の恋人を殺して、悲しんでいる魔女に近づいて、いいように扱おうとしていたなんて。
魔女にそのような愚策は通じないとは思わなかったのでしょう。本当に愚かな男。
まぁ、その魔女の恋人が魔女の恩恵を受けているように見えたのでしょうね。
「魔女は小さくても魔女だ。黙って話を聞きなさい」
夫人を諌めるファインバール伯爵。伯爵は良識のある人のようです。私に頼るのはあまりよくないと思っているのが雰囲気から受け取れました。
「私であれば、御子息にかかっている制裁を身代わりでうけることはできます」
「だったら今直ぐにやりなさい! あの子が可哀想でしょ!」
……引き受ける私は可哀想ではないのですか?
「黙りなさい。相手は魔女だとわかっているのか?」
夫人を再度諌める伯爵。兄に話を持ってきたのは夫人のほうですか。伯爵は魔女を危険視しているようです。
「御子息に掛かっている呪いはとても強力です。一度引き受けたとしても、直ぐに御子息の方に戻ってしまうでしょう」
「ではどうしようと言うのかね?」
「魔女の契約婚です。魔女が行う契約婚は強固であり、御子息の呪いは契約婚を解除しないかぎり、御子息に現れることはないでしょう」
契約痕はただの印のみの媒介になりますが、契約婚は夫婦という絆を強制的に作ることで、契約を強固なものにするのです。
「魔女をファインバール伯爵家は受け入れる気はありますか?」
「あるから、直ぐに行いなさい!」
「黙れと言っているだろう!」
勝手にことを進めようとする夫人を叱咤する伯爵。おそらく先祖の方も、このように自己中心的な考えをお持ちだったのでしょうね。
この性格が御子息に引き継がれないことを祈っていますわ。
「それはロイドの妻になりたいということか?」
「違います」
そこはきっぱりと否定します。はっきり言って私が契約婚までする必要など、これっぽちもないのです。
しかし私の所為で家族が崩壊したと思っている兄には、良い話でしょう。さっきから隣でソワソワしていますからね。
「表向きは確かに私が妻という立場となるでしょう。しかしファインバール伯爵子息様に好きな方ができたとなれば、その方を愛人としていただいて結構です。」
別に真っ黒い人の妻になりたくはありません。好きな方ができれば、その方と一緒になってもらって構いません。
「大事なのは、魔女の私を結婚という契約で縛り、絆を強めることです。まぁ互いに幼いですので婚約という契約を結び、定期的にこちらに足を運んでいいという許可をいただければ、私が呪いを引き受けます」
魔女の制裁は普通ではありません。これぐらいしなければ、ファインバール伯爵子息は1年待たずに死ぬことになるでしょう。
「わかった。魔女と契約をしよう」
「ああ、これでロイドは以前のように元気になれるわ」
そうして契約婚により、私の右顔面に魔女の制裁の紋様が浮かび上がったのでした。
出現する紋様の色と場所と大きさは、その呪いの強さと相手の想いに比例する。赤い色とは、その魔女の怒りが凄まじかったという事を意味し、呪いの強さが一番目につきやすい顔面に現れ、500年という年月の蓄積が大きさに現れたのです。
元通りの生活をするようになったロイド・ファインバールに最初に会った時に『こんな気味が悪いヤツが俺の婚約者だと!』と言われたのでした。
*
そんな元夫と別れて1年が経とうとする頃には、顔のアザも薄れてきました。きっと今頃は魔女の制裁に発狂していることでしょう。
いいえ、まだ完全には解除されていないので、体調が悪くなってきたというぐらいでしょうか?
そして私と言えば、辺境の地にいました。
辺境の地はいいですわ。ワケありの者たちが流れ着くので、人の事情を聞き出そうだなんて者が居なくて。
辺境都市『エルヴァーター』。ここは深淵の森『ヴァングルフ』に隣接し、深淵の森の獲物で生計を立てようとする荒くれ者が多い町です。
その町の一角で一軒家を購入し、私はそこで暮らしていました。魔女として。
家の購入資金はファインバール伯爵様が、この未来を予見してか『契約婚報酬』などと言うお金を毎月、私にくださっていたので、余裕で購入する事ができたのです。
できる男は違いますわね。
「魔女さんや。腰が痛くてのぅ」
「よう! 魔女さん。疲労回復の薬を売ってくれ」
「彼が最近素っ気なくて、もしかして、他に女ができたんじゃないかと……」
という感じで何でも屋をしております。
路地の奥まったところに家を構えているので、客なんて来ないと思っていましたのに。
そう。大通りから外れた薄暗い路地の突き当たりに『魔女の薬屋』という怪しげな看板を掲げた家の扉をノックする勇気は無いと思っていました。
店主の魔女の顔には怪しい紋様が浮かんでいるのによく購入しようと思ったものです。
さて、今日も店を開けましょうか。
「お! おはようさん。魔女のねーちゃん」
店の看板を「開店」にするために扉を開ければ、出待ちをされていました。
「わりーけど、傷薬を売ってくれないか? 昨日、買い忘れちまったんだよ」
ガタイのいい男は深淵の森で魔物を狩って生計を立てている者です。
「5つで良いかしら?」
「おう!」
「どうぞ」
傷薬を渡し、代金を受け取る。この者は店ができた当初から来てくれているので、慣れたものです。
「やっぱり、魔女のねーちゃんの傷薬じゃねーと不安でな」
「気に入ってもらえて嬉しいわ」
「そういや、昨日からこの辺で見かけない貴族っぽいヤツがウロウロしているから気をつけろよ」
私にそう告げて店を後にしました。
貴族っぽいヤツですか……。
「魔女さんや。孫がくれたんじゃが一緒に食べんかのぅ」
「あら? サイさん。今日は早いですね」
腰痛持ちのご老人も、常連客です。
店の外で受け渡ししていたので、そのままサイさんを店の中に招き入れます。
おそらく、本当の名はもっと長いのでしょうが、皆さんからサイ爺と呼ばれていますね。
お孫さんがパン屋で働いているので、残り物を時々分けていただくのです。その時は朝の早い時間に来られることが多いですね。
パンを受け取った私は固くなったパンを薄く切り、少し炙ってから焼いたベーコンと卵と洗って千切った葉物野菜を挟み、一口で食べれるように切り分けます。
そして身体が温まるお茶を用意しました。
「フォッフォッフォッ。魔女さんの薬もよく効くし、ご飯も美味しいからのぅ。今日は朝食は抜いて来たんじゃ」
「ご飯は食べてから来てください」
サイさんがここで長話をするようになってから、設置している四人かけのテーブルに2人分のサンドイッチとお茶を置きました。
「さっきもバルトが言っておったがのぅ」
席についた私にサイさんが私に話しかけました。さっきの話ですか?
「どうも呪いを解いてくれる者を探しているらしいのじゃ」
その言葉に私は固まってしまいました。まさか元夫のロイドが私を探しているのですか?
しかし、もし私に助けを求めてきても、私は何もしませんわよ。貴方から縁を切ったのですからね。
「その感じじゃと教えない方が良さそうじゃのぅ」
「そうしていただけると助かりますわ」
「ならこの件は終いじゃ。ひ孫のレイリアがのぅ!」
サイさんはその話は終わったと言わんばかりに、ひ孫の話をしだしました。
おそらく私の店に人が出入りするようになったのは、下町の顔役であるサイさんのお陰なのでしょう。
荒くれ者が住み着いているわりには治安がいいのは、こうやって人々の関係を調整してくれているサイさんがいてくれるからだと、ここに住んで思いました。
普通ならば怪しい魔女の住処に足を踏み入れようとはしないでしょうから。
ここは辺境の地。訳ありの者たちがたどり着く町なのです。
*
怪しい人物がうろついているという噂話を他の人からも聞いた翌日。
『開店』のプレートを出しに、店の外に出れば……
「ひっ!」
真っ黒い物体が立っていました。
思わず足を引くと外の地面と扉との段差に足を引っ掛け、そのまま後ろに倒れ込む……痛くない。
「すまない。驚かせてしまった」
……ん? この声は元夫のロイドではない。
え? 誰?
こんな真っ黒な物体は元夫だったと思われる物体X以来見たことがありませんわ。
そして、私は黒い物体Xに背中を支えられていました。
どうやら中身は人間のようです。
「貴女が魔女なのか?」
「どなたか存じませんが、離していただけますか?」
私の視界はほぼ黒い物体Xに占められているので、引きつった笑みになってしまいます。
「ああ、すまない」
解放されたので、取り敢えず笑みを浮かべ、店の外にそのまま出て、落ちたプレートを回収し、笑顔で扉を閉め……られませんでした。
「今日は定休日です。後日来てください」
扉の隙間から物体Xの触手か、なにかが入りこもうとしています。
「いや、どう見ても店を開けようとしていたよな」
「気の所為ですわ」
「話だけでも聞いてくれ」
「嫌ですわ」
「ここが最後の砦なんだ」
「使い方を間違っていますわよ!」
「どこに頼んでも駄目だったんだ」
「聖王国の聖女様に掛け合いなさい」
「その聖女様でも無理だと言われた」
「は?」
思わず扉を閉める力を弱めてしまいました。そして強引に扉を開ける物体X。
しかし、扉のノブを持ったままでしたので、必然的に外に引っ張られる私。
外に飛び出た私の身体は物体Xに受け止められてしまいました。
「ひぃぃぃぃ! なに? この執念? 憎悪?」
魔女の制裁の比ではありませんわ。
「離してください」
「話を聞いてくれるまで、離さない」
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
私は脅しに屈して、中に招き入れることにしたのでした。
サイさん。私のことを言わないと言ってくれたではありませんか。本人が来てしまいましたよ。
内心愚痴りながら、物体Xに四人かけのテーブルの席に勧めます。
一応、お茶を出しました。精神安定と浄化効果が入っていますが、所詮お茶なので、気持ちが落ち着く効果しかありません。
「なぜ、そんなに距離を取るのだ? 話を聞いてくれるのであれば、強引なことはしない」
「私には貴方が人ではなく物体Xに見えるので……」
「目が悪いと?」
「違います! その呪いが具現化して見えるのです!」
失礼な人ですわね。
私は店のカウンターの奥から物体Xを睨みつけます。
「それでは話してさっさと帰ってください」
「いや、話を聞いてくれと言ったが、そんな邪険にしなくても……はぁ」
そして物体Xはことの原因を話しだしたのでした。
「俺はアンドラーゼ聖王国の聖騎士だった」
「とても口が悪い聖騎士ですわね」
「もう聖騎士じゃないからな」
確かに規則に縛られることはないので、話し方は自由ですが、強引な手段は許せません。直接呪いに触れる私の身にもなって欲しいですわ。
「グラフェルト帝国の話は耳に入っているか?」
「帝国の話? 異界から勇者を召喚したっていう噂話のこと? 本当にくだらないことをしたものね」
帝国は軍事力を高めるために、異界から勇者という者を喚び出したらしいのです。勇者召喚は古代魔法に確かにありますが、成功率は低く、何がでてくるかわからないところが難点です。
「それが人の形をした化物を召喚してしまったのだ。民衆には上手く隠しているが、当時は各国から非難されたものだった」
確かに勇者召喚は上手くいったという話は聞くけど、その勇者がどんな姿で今どこにいるかなんて聞かないわね。
「帝国は扱いに困った勇者を討伐するように各国に願いでたのだ」
「なんとも身勝手なことですわね」
「そして各国のつわ者が集まり勇者を討ち取った」
「可哀想ね。勝手に呼び出されて、殺されるなんて」
「最後に巨大な竜に変化した勇者は、その場に居た者たちに呪いをかけて息絶えた」
「当然の報いじゃないかしら?」
「聖女様に解呪を願ったが、呪いを弱めることで精一杯だと言われたのだ。そして魔女であれば、呪いに対処できると聞いて、この地までやってきたのだ」
「ご苦労さまでした。お帰りはあちらの扉からどうぞ」
話は聞いたので、扉を指しながら退出するように言います。
「魔女殿! どうにかならないか!」
カウンター越しに詰め寄ってこられても困りますわ。
「その話。どちらに正義がありますの?」
「それは……」
「帝国の話にのった時点で、共犯者になったのではないのですの? まぁ、貴方個人からすれば、国のとばっちりを受けて、放り出されたという感じでしょうが、扱いきれなかったから殺すのは間違っていると私は思いますわ」
聖騎士という立場であれば、国が死ねと言えば死ななければならないことはわかります。これは聖王国で彼の呪いを解除するという手段を模索しなければならなかったことだと私は思うのです。
だから私がどうこうするのは違う気がします。
しかし、ここまで呪われていて普通に立っているのは凄いですわね。普通は起き上がることも難しいことでしょうに。
私は立ち上がってカウンターの一部になっている場所を上げて、店の中を通っていきます。そして扉を開けました。
「どうぞ。お帰りを」
*
「シルヴィア!」
私の名を呼ぶ声に、肌が粟立ちます。店の外を見ると、遠くの方に黒いモヤをまとった見慣れた人物が駆け寄ってくるではありませんか!
「探したぞ! シルヴィア!」
ヤバい!
そう思い。扉を閉めて鍵をかけます。
「出てこいシルヴィア! 俺の呪いをなんとかしろ!」
「お断りします。貴方はメリッサさんと仲良く暮らしていたのでしょう?」
「メリッサだと! あれは俺を騙していたんだ! 叔父が伯爵の地位を奪いとっていったら、どこぞかの男と共に消えたんだよ!」
そうですか。執事のスウェンは伯爵の指示通りに、伯爵の弟君に指輪を渡したのですね。
それに娼婦であったあの女性は、ロイドの地位が目当てだったことは明白です。ロイドが伯爵にならないとなれば、別の男の元に行くでしょう。
「魔女の契約婚でもなんでもしてやる! だから出てこい! ちっ! 町の奴らはシルヴィアなんて知らないと言っていたが、いるじゃないか」
あら? もしかして、昨日言っていた貴族っぽいヤツというのは、ロイドのことだったのですか?
それも私の名前を出して聞き回っていたのですか?
これは昨日のように皆が心配して来てくれるわけです。
ロイドは人の話を聞きませんもの。
ということは、私の背後に立っている物体Xは、サイさんが言っていた人とは別人だったということです。
無言で背後に立たないでいただけます?
「魔女のケイヤクコンとは?」
「今、話しかけないでいただけます? 取り込み中だとわかりますよね?」
「シルヴィア! 出てこい!」
扉をどんどんと叩く元夫のロイド。背後には謎の物体X。
この状況詰んでいません?
「体中が痛いんだ! なんとかしてくれ! わけの分からない女の声がずっと聞こえるのだ。ユルサナイユルサナイって、もう狂いそうだ!」
「私は忠告しましたよ。私との契約は貴方から破棄されたのです。私の醜い顔など二度と見たくないと言ったのは貴方なのですよ」
そう、全てはロイドから私の縁を切ったのです。それを自分勝手に復縁しようなど、許されるものではありません。
「醜い? その顔のアザのことか?」
物体Xから触手が伸ばされ、顔を上に向かされました。
「離してください」
「聖痕に近いな。これと同じようなものだろう?」
「すみません。私には物体Xにしか見ないと言っていますよね? 聖痕なんて私の目には映りません」
「シルヴィア! 誰と話している!」
「ん? そうだったな。それで扉の向こう側にいるのは魔女殿の何だ?」
同時に喋らないでもらえますか?
「はぁ。名前だけの元夫です」
「ああ、契約婚という意味は、そういうことか。それなら任せろ」
物体Xは私が開かないように持っている扉の鍵を開け、外に出ていきました。
「俺の妻に何の用だ? 元夫かなにかは知らないが、さっさと失せろ!」
「あ……聖騎士ハイヴァザール……がなんで、この国に……え? 妻?」
驚いたロイドは私と物体Xを交互に見ています。
そう言えば聖騎士とは聞いていましたが、名前は聞いていませんでしたわね。物体Xの。
これならロイドは引くしかありませんわね。
「ロイド様。私のアザは、もうすぐ消えるでしょう。それまで余生を後悔なく過ごしてくださいませ」
「あ……あんなに赤かったアザが……そんな……嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 死にたくない! 死にたくない! シルヴィア! 助けてくれ」
「嫌ですわ。ファインバール伯爵家にお戻りください」
私は時間を稼ぎながら描いていた転移の陣を発動させます。
それは絶望しているロイドの足元にです。
「さようなら。もう二度と会うことはないでしょう」
「嫌だ! 助けてく……」
声だけを残して、ロイドの姿はこの場から消え去りました。
私のアザもあと一ヶ月もすれば消えてなくなることでしょう。
魔女の契約婚の恩恵を受けておきながら、ことの大きさに気づかなかったロイドの落ち度です。
この結末は私も伯爵様も見通していました。
ただ、わかっていらっしゃらなかったのは、伯爵夫人とロイド様のみ。
魔女を怒らせたディレイニー伯爵家の血をもつ愚かしさを見せつけただけになりましたわね。
そして私はそっと扉を閉じます。
が、物体Xの触手に止められてしまいました。
「魔女殿。契約婚の話を詳しく聞かせてもらえないだろうか」
「ちっ!」
物体Xを排除するのに失敗してしまいましたわ。
*
「まぁ? 名乗りもしない方に説明する義理はないというものです。このままお帰りください」
「いや。この姿をみればわかるだろう?」
「はぁ……どれだけ自信過剰なのでしょうね? その辺りで遊んでいる子供に同じことが言えるのですか? 物体X」
「むむっ!」
黒い塊に何を言われようが説得力がないですわ。
「魔女殿は人を認識できないのだったな」
「違います! 呪いに覆われた物体にしか見えないと言っているのです」
「わかっている」
そう言って物体Xは店に押し入ってきました。そして私の足元で縮みます。
ん? 座り込んだ? 跪いている? わからないわね。
「はじめまして、漆黒の魔女殿。聖騎士クロード・ハイヴァザールと申します」
「聖騎士を辞めたのではなくって?」
「聖痕がある限り、聖騎士と名乗れる。ただ、どこの国にも所属していないだけだ。魔女殿の名はいただけるのでしょうか?」
ん? 聖騎士対応なのでしょうか? 丁寧な言葉遣いに違和感を感じます。まぁ、私には物体Xにしか見えませんから仕方がないというのもあります。
「シルヴィアよ。魔女としては禁厭のシルヴィアよ」
魔女の名は生まれながら持っています。それはその者の定でもある名です
名乗り終わった瞬間、目の前に文字が浮かんできました。それも魔力で書かれた文字です。その文字を目で追っていきます。
これは……主従の契約……まさか!
私は物体Xを見ました。
相手は聖騎士。聖騎士が正式に名を捧げるのは聖王ただ一人。
しかし、今はその契約を破棄され、主がいない聖騎士です。
しまった! これは名乗れと言ってしまった私の失態。
普通、聖騎士ハイヴァザールだけ名乗るでしょう! なぜ名前まで名乗っているのよ!
くっ! 相手が正式に名乗ったから、私も魔女としての名を名乗ってしまったのも悪い。
最悪に最悪が重なってしまった結果。目の前に主従契約書が形成されていってしまっているのです。
「ああ……なんてこと」
私はこの現実を受け入れたくなく、床にへたり込みます。
「名乗りましたので、契約婚の話を教えてもらえますか?」
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
「聖騎士なら魔女に対しての知識もあるわよね!」
同じテーブルの席について、私はバシバシとテーブルの天板を叩きます。
「勿論ある」
物体Xは堂々と言います。
因みに主従の契約書は私と物体Xの中に溶け込むように消えていきました。このことに関して私は怒っているのです。
「そもそも聖騎士の主従の契約書は王の剣としての契約書でしょう? 主が死ぬまで縛られるのをわかって聖騎士を名乗ったのよね?」
「勿論。聖王に仕えていた聖騎士だったからな」
だったらなぜ、フルネームで名乗ったのよ!
「魔女の寿命はいくつだと思っているの?」
「千年ほどか?」
「長い魔女は五千年生きているわよ」
「すごいな」
その反応に、テーブルをドンと叩きます。
「わかっているの? 貴方はそれぐらい生きなければならなくなるのよ? だからさっさと契約を破棄して」
普通の主従の契約であれば、主から破棄を命じればできるのですが、聖騎士の契約のややこしいところは、聖騎士の聖痕を媒介して主に縛り付けるものだからです。
これが聖騎士には聖痕がないとなれない理由になります。
そしてこの主従契約書の恐ろしいところは、主の死が聖騎士の死につながるところです。逆にいえば、主の生が聖騎士の生になるのです。
だから、魔女の私に主従の契約をすると、簡単には死ねないということです。
「楽しそうでいいじゃないか。それで、契約婚とは何だ?」
楽しそうで終わらされてしまいました。まぁいいでしょう。生きるのに飽きたら、契約の解除を申しでてくるでしょうから。
別に共に生きる必要はないのですからね。
「魔女は呪いを引き受けることができるのは知っているわよね?」
魔女を探していたのだから、その知識があったからでしょう。
「ああ」
「軽い呪いであれば、相手に知られることもなく呪いを引き取ることは可能だけど、強力な呪いはある程度の繋がりで縛らないと直ぐに本人に返ってしまうのよ」
「だから契約で縛るのか」
「元夫だった者の呪いもそうね。あれは『淵底』の魔女の制裁の術だったからね。普通の契約では賄うことが出来ずに、魔女である私と婚姻することで強固な繋がりを作ったのよ。とは言っても月に一度会えばいいほどの繋がりよ」
「だったら、その契約婚をして欲しい」
だからそれを簡単に言わないでくれる? ことは最悪に傾いているのだから。
「はぁ、問題はさっきの主従の契約よ。契約婚だけならば、私は貴方の死を待つだけで良かった」
そう、私はロイドの死を待つだけでよかった。そうすれば、ロイドは伯爵になってロイドが思い描く未来を歩めたでしょう。
「もし、あの男のように契約婚を破棄したいとなれば、私が引き受けた呪いは全て貴方に返っていく。それも時間が経てば経つほど蓄積されていくのよ?最後は発狂ものでしょうね」
一ヶ月後のロイドの状況です。いいえ、その前に彼は耐えきれずに自死してしまうかもしれません。
「別に破棄する必要ないよな?」
「まぁ、一ヶ月に一度は会ってもらう以外は自由ですから、それを苦痛に思わなければ問題ないでしょう」
「違う。違う。本当に夫婦になればいいだけだろう?」
「は?」
何を言っているのです? この物体Xは?
「あ……順番が違うか。まずは……禁厭のシルヴィア殿。この聖騎士クロード・ハイヴァザールの妻になっていただけませんか?」
……聖騎士モードになると、そういう口調になるわけね? 物体Xだけど。
でも思い返せば、ロイドからそんなことは一度も言われたことはなかったわ。
「一つ言っておくけど、契約婚をすると私の身体に契約痕が刻まれるわ。今はだいぶん薄くなったけど、このような感じのものよ」
私は右頬を指して言います。ピンク色にはなりましたが、まだ契約痕が残っているとはっきりわかります。
「多分、貴方の場合はこれよりも大きくなりそうね」
「いいじゃないか。俺の妻だと見せびらかしているってことだろう?」
……そう言われると、恥ずかしくなるから別の言い方にして欲しいわ。
はぁ……ロイドの時は、兄との確執があったので、家をさっさと出るために決めることができたのだけど、物体Xの呪いを引き取るメリットがないのよね。
「その呪いを引き受ける対価に、貴方は何を差し出すの? 息子の呪いを引き受ける私に父親の伯爵は、あらゆるものを私に与えてくれたわ」
魔女の知識では得ることがない、一般常識や子爵家では教わらなかった貴族のしきたりは基本として、生活に必要な物全て、人の一生は遊んで暮らせる賃金。そして本当の父から得られなかった、父と子の関係。
伯爵には本当に感謝しかありません。
「俺の全てだ」
……何か凄く重い言葉を言われましたわ。
「あの男の言うこともわかる。全身を襲う痛みや水の中で溺れているような息苦しさ、そして異界の勇者の呪詛がずっと聞こえるのだ。これに耐えきれず自ら命を絶った者もいる。自我を手放し狂ったものもいる。だが、悔しいじゃないか。俺達はただの捨て駒か? 使い潰せばいいだけのモノか? それでは不要だと言われた異界の勇者と同じじゃないか。俺は生き足掻きたい。俺を捨てた王を見返したい」
ああ、その執念というものだけで、この状態でも正気を保っているのね。
「いいわ。貴方と契約をしてあげる。いつか王を見返してあげればいいわ」
そう言って私は立ち上がった。
そして空間に両手が入るほどの魔法陣を描きます。
その魔法陣の中央から一枚の紙がでてきました。今はなにも書かれていないただの白い紙です。
「我、禁厭のシルヴィアが紡ぐ。我は古の盟約によりアランカヴァルに呈するモノなり、その力を持って、聖騎士クロード・ハイヴァザールと縁定す。これにより、かのモノの呪は我が承る。だが、これを反故した場合全ては元に帰すものなり」
呪文が言い終わると、今は使われていない古代の文字で、契約されたことを記した契約書が出来上がった。
それを手に取り、空間から取り出したペンで私の名前を書く。そしてそれを物体Xに差し出した。
「ここにフルネームを書いて」
「アランカヴァルってなんだ?」
「気にしなくていいから。書く」
「気になるのだが?」
「始まりの魔女の名よ」
納得したのか、物体Xは私からペンを取って、名前を記入した。
まぁ、始まりの魔女という説明はちょっと違うのだけど。
書き終わった契約書を空間に浮かべる。
「契約は成った」
すると、契約書は瓦解していき、青みがかった黒い紋様を形成していく。
これはなんと言いますか……大きい上に、深淵のような冷たさを感じます。
その紋様が私に向かってきました。
「いっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
紋様が張り付いたと同時に襲ってくる呪い。
「シルヴィア!」
世界を呪うような呪詛。
全てを打ち壊そうとするほどの怒り。
切り裂かれる痛み。
鈍器を打ち付けられる衝撃。
死への恐怖。
そして故郷への哀愁。
「貴殿の想いを禁厭のシルヴィアが全て承った。貴殿の想いを虚空に封じよう……」
そして私の意識は途絶えたのでした。
*
「はっ! 痛み止めが足りていない!」
作り忘れていたことを思い出して目が覚めました。が、誰ですか?
目の前には、銀髪の偉丈夫がいます。赤目でガン見されても困りますわって、この状況は何!
何故に偉丈夫に横抱きに抱えられているのですか!
ん? 左頬に聖獣青虎の聖痕?
「あ? もしかしてクロード・ハイヴァザール?」
確かにこの聖痕を見れば、ひと目で聖騎士クロード・ハイヴァザールだとわかるわね。
詳しい姿は伝わっていなくても聖獣青虎の青い聖痕は有名ですから。
「夫のクロードだ」
何故か訂正されてしまいました。
「それで、この状況はなに?」
身を起こそうとしても、がっしりと掴まれているので身動きがとれません。
「倒れた妻を床に寝かすわけにはいかないだろう? ここには別の部屋につながる扉も見当たらないし」
「扉は目に見えないようにしているだけよ。もう、大丈夫だし、呪いは引き受けたから、好きなところに行っていいわよ。月に一度は会ってもらうけど」
私はもう店から出ていっていいと、追い払うように手を振った。
すると、その手を掴まれる。なに?
「聞いていなかったぞ」
「何が? 重要なことは一通り説明したわよ」
「魔女にも呪いが効くだなんて」
「別に呪われてはいないわよ。どんな呪いか判断して、それにあった対処をしているだけ。今回は力が大きすぎたから、虚空に封じたのよ」
「そうじゃない! 俺は痛みや苦しみを与えたかったわけじゃない。あんな……」
ああ、私が呪いを受け入れたときの話ね。それは必要なことよ。何もわからない呪いには対処できないもの。
「大したことではないわ。もう、貴方は苦痛なくどこにでも行けるのだから、好きにすればいいのよ」
「だったら、ここにいる」
「は?」
「俺の妻は魔女のシルヴィアだ」
そう言って私の左頬を撫ぜています。なに?
「所詮、契約なだけで、別に……」
「まずは、魔女殿を俺に惚れさせればいいのだろう?」
「え?……いや。それは必要ないかと……」
「それに青炎竜の痕なんて、お揃いでいいじゃないか」
「は?」
意味がわからず首を捻っていますと、目の前に氷鏡が現れました。
あら? 流石聖騎士だけあって魔法も得意なのですわね。
表面が綺麗に整った氷鏡に映った私の顔には左半分を覆うような青い紋様が現れていました。
それも青い炎を模したような紋様です。
お揃い……そう言ったクロード・ハイヴァザールを見ます。左頬に青い紋様が……こここここ……これは、これで、恥ずかし過ぎるわ!
「あと前の夫とかいうヤツの契約も強制解除されたみたいだしな」
指摘されて右頬を見てみると、ピンク色のアザはきれいさっぱりと無くなっていました。
試したことはなかったのですが、契約の重複はできないということなのですね。
これは強制解除と共に、ロイドに全ての呪いが返ったことでしょう。
「ということで、まずはクロードと呼んでもらうことから始めようか。シルヴィア」
「取り敢えず、下ろしてもらえませんか?」
……これは名前を呼ばない限り、解放してもらえない感じなのでしょうか?
「クロード」
これが、聖騎士クロードとの出会いだったのでした。
嘘予告
次回。
聖女様襲来-クロード。呪いが解けたのなら、わたくしの元に帰ってきなさい-の巻
◆(お礼の続きの話です)
「これを受け取ってくれ」
目の前に差し出されたのは手のひら大の大きさの革袋でした。
「何ですか? これは?」
何やら金属のようなカチャカチャという音が聞こえて来ます。
「金だ。生活に必要だろう?」
確かにお金は必要ですが……私は視線を上げて、赤い瞳をジトメで見返します。
「これまさか中身が全部金貨とか言いませんわよね?」
「金貨だが?」
……これは下町でお金を使ったことがないですわね。いいえ。全て金貨で支払ってお釣りはいらないと言っていた感じですね。
「いいですか? ここでは一食銅貨5枚が普通です。誰がこの辺りで金貨で買い物なんてするのですか」
「使えなかったのか?」
「使えないのではなく、店側がお釣りが用意できないのです。金貨3枚で一年を余裕で過ごせるのですよ? この袋の大きさからいけば100枚はありそうですよね?」
「空間拡張機能がついているから1000枚入っている」
金貨1000枚。その言葉に目眩がします。
クロード・ハイヴァザール。その名は聖王国以外にも名が知れ渡るほどの剣士であり、聖騎士です。
そしてハイヴァザール公爵家は代々聖騎士を輩出してきた家系です。これはどうみても貴族的な金銭感覚。
はぁ……貴族の一般常識と庶民の一般常識の違いは、とても大きいものです。嫌な予感はしていたのです。
そう、あの時から……
ちょっと荷物を取ってくると言ったクロードが外に出ていきました。見送る風を装って、扉の近くまで来て、出ていったところで、扉を閉め鍵をカチャリと回します。
元物体Xを家の外に追い出して、大きくため息を吐き出しました。
今日はお店は休業です
なんだか凄く疲れました。
私は踵を返し、カウンターの奥に行きます。そしていろんな薬が並んでいる薬品棚に手をかざすと、棚が音も立てずにすっと横にスライドしていきました。
この家は元々普通の家で、店舗にしているところは広いひと間のリビングでした。壁際に小さなキッチンがついており、薬屋の店舗ではありますが、料理もできるようになっています。
その奥には水回りと2階に続く階段に行くための扉があったのですが、魔女と言えども女の一人暮らし。プライベート空間へは簡単にいけないようにしました。
私の魔力に反応して移動する棚の設置。それを扉代わりにしたのです。
そしてフラフラと二階に行く階段を上がって行き、三つある扉の内の一つの部屋に入っていきます。
ベッドとクローゼットしかない部屋。
殺風景な何もない部屋です。その部屋のベッドの上に倒れ込むようにダイブしました。
「聖騎士の主従の契約ってあり得ないでしょう!」
枕越しに叫びます。
聖騎士が魔女に仕えるってなに?
騎士を護衛として雇った魔女の話はありますが、主従関係はありません。
魔女は魔法に長けているので、大抵のことには困りません。しかし時々物理攻撃しか効かない魔物がいますので、どうしてもその魔物の素材が欲しいとなれば、騎士を雇うこともあるかもしれません。
なのに主従の契約……。
「聖騎士は普通の騎士じゃないところが厄介なのよね」
剣術が得意なのは当たり前だけど、魔法も使いこなすのです。そしてあの聖痕。
聖獣青虎の青い聖痕。
虎の模様のような紋様が特徴的で、聖獣との契約の証でもあるのです。
主に仕えることでその爪を隠す虎。
主が仕える者が悪となれば、死の審判を下す神の使い。魔女にとっては相性が悪い存在になります。
何故なら、魔女は魔女の理の中で生きており、それが悪であろうが、魔女として必要ならば行動を起こす。
それが魔女。
「はぁ、聖獣を鎮める鈴があるのだけど、こんなところでは手に入らないわよね。はぁ……このままどこかに行ってくれないかしら?」
ただ、その悪の基準が主である聖騎士に準じるという曖昧さ。まぁ、聖王もその聖獣の死の審判を恐れて、契約の解除に至ったのでしょう。
聖騎士ハイヴァザールが納得しようがしまいが、国に仕えるのであれば、王の命は絶対。
しかし、私はまだ年若い魔女であり、聖騎士の契約を書き換える資格はない。魔女には魔女の掟がある。それを破ると、他の魔女から制裁されるのです。
はぁ……もうため息しかでません。
そしてウトウトとしていますと、外の扉をノックする音が聞こえてきました。が、無視です。
今日は臨時休業ですよ。
「シルヴィア。開けてくれないか?」
「ちっ!」
もう、戻ってきたようです。はぁ、何故私は禁城の魔女ではないのでしょう。
彼女であれば、鉄壁の結界を張って何者にも侵略されない空間を作り出せますのに。
たぶん。私の結界ではあの聖騎士では打ち破ってしまうでしょう。
「あ……取っ手が壊れた」
外からの言葉に、思わず起き上がって窓を開けて顔を出します。
「人の家の扉を壊さないでください!」
「いや、取っ手が脆かっただけだろう?」
上を見上げてきて言い訳をするクロード。確かに古い建物ですが、今まで普通に使えていたのです。直ぐにガタがくるような扉ではありませんでしたわ。
「すぐに直す。『衛者の楼閣をあ……』」
「その呪文ストップ! それは駄目! 私が直す!」
聞こえてきた呪文に私は待ったをかけて、慌てて下に下りて行きます。
あんな呪文を使うなんて、貴族の家じゃないのだから止めてほしいわ!
一階に下りて行って、取れたドアノブを持っている偉丈夫を見上げます。
「部外者が入れない呪文を使わないでもらえる? ここはお店なのだから!」
先程の呪文は一部の魔法使いしか使えない、守り扉の呪文です。
これは貴族の屋敷などに使われる部外者に入ってほしくない場所に施行する魔法になります。
そして壊れても修復機能つきという侵入者泣かせの魔法でもあるのです。
「いや、普通は使うだろう?」
「一般庶民は使いません!」
「むっ……使わないのか?」
「というか、そんな呪文は普通は使えないのです。取り敢えず私が直します」
私は『修復』の魔法を使って、扉を元通りに戻しました。そして再び、偉丈夫に視線を向けます。
騎士というより、歴戦の冒険者という姿ですが、腰に佩いている剣が白く異様に煌めいていて、違和感がありすぎます。先程まで剣など持っていませんでした。
それも、頑張って稼いだお金で、いい剣を買ってしまったぜという感じぐらい剣が浮いています。
おそらく聖騎士の力に耐えきれる剣なのでしょう。
「え? 本当にここに住む気なのですか?」
聖騎士の剣を持ってきたということは、ここに住む気満々のようです。勘弁して欲しいですわ。
「主の身を守るのは聖騎士の役目だ」
「……別にここに住まなくてもいいわよね? だってこの家は一階は店に改装したから、住むには狭いわよ?」
「聖騎士が主の元を離れるにはそれ相応の理由が必要だと契約にはある。それを反故した場合。俺は聖獣に食われる」
聖獣。本当に厄介なモノですわね。
契約の監視者という感じでしょうか。
「聖獣の力を使う対価にしては面倒事が多すぎるのではなくて?」
聖騎士が聖騎士である所以です。
聖獣と契約をすることにより、聖獣の力を奮うことができる人。そして、その力は契約者個人の采配で振るうことをよしとはせず、契約者の主の命によって振るわれる。
だから、クロードは聖王との契約を破棄されてから、私と契約をするまで聖獣の力を使えなかったということになります。
己の力ではないモノを使うリスクかもしれませんが、あまりにも制約が多すぎると思うのです。
「さぁ? これが当たり前だったから、別に何とも思わない」
はぁ、聖獣に監視されるのが当たり前。幼少期からそのように教育されてきたのであれば、きっと何も疑問にも思わないのでしょう。
「ああ、そうだ。これを受け取ってくれ」
そして冒頭に戻るのでした。
*
「はぁ。聖騎士の契約を解除しませんか?」
「するつもりはない」
取り敢えず、庶民の一般常識を身につけるようにと、外に連れ出しました。
ついでに外で昼食を食べようとしているのです。
そして町の中を歩きながら、ため息を吐きつつ、隣を歩く偉丈夫に交渉します。
「これ、どちらもメリットがないですよね?」
どちらかと言えば、聖騎士側のリスクが大きいです。主の死は聖騎士の死。魔女はそんなに簡単に死にませんが、契約する意味がないと思うのです。
「禁厭の魔女。はっきり言ってこの名は今まで耳にしたことはなかった」
そうでしょうね。人に正式に名乗ったのは今回が初めてですから。
「ということは、まだ年若い魔女だろう?」
「そうですね」
姿と年齢が同じなのは、魔女の中では私ぐらいでしょう。
「護衛が必要だと思ったのだが?」
「さて? どういう意味でしょうか?」
年若い魔女と言いきった時点で、クロードはわかっているようですが、私からは敢えて口にはだしません。
「魔女は300歳になるまで人の中で暮らさなければならないらしいじゃないか」
「……」
魔女には魔女の掟がある。
生まれてから300年経つまでは、人の世界で暮らさなければならない。
それは魔女自身の定に由来することです。
いわゆる修行を積めという話です。ですから、私は魔女としてはまだ未熟者。
魔女の中では見習い魔女と蔑まれる立場です。
そして、魔女としては未熟な魔女をいいように扱おうという人がいるのも事実。
それが後の世に悪い魔女として世間に広まるきっかけになるのです。
ですから、見習い魔女はそういうモノから身を守るために、使い魔や、悪魔と契約する者も居たほどなのです。
「聖騎士は聖獣の監視を受ける立場だ。これ以上うってつけの護衛はいないだろう?」
「はぁ……確かに、魔女であっても力任せにこられると対処のしようがないときがあります」
私は禁厭の魔女です。術をつかって薬を作ることや病気を治すことが私の定。そして今回のように人の呪いを肩代わりすることもです。
ですから、絶対不可侵の結界を張れるわけでもなく、全てを排除する攻撃魔法を使えるわけでもありません。
「呪いの件は俺も強引に頼んだことは自覚している。だから、俺の全てをシルヴィアに捧げよう」
呪いの苦しみから解放されたいと強く望むのは、きっと呪われた者にしかわからないことでしょう。
それで対価に己自身の全てと言ったのですか。
「わかりました。取り敢えず護衛ということでお願いします」
「いや、そこは契約婚したのだから、夫だろう」
……そこはこだわらなくてもいいと思います。
しかし、さっきから人の視線が気になるのですが、やはり聖騎士ハイヴァザールは有名ですからね。人の視線を集めてしまうのでしょう。
*
「いらっしゃいませ~」
昼食をいただくため、町の食堂にやってきました。宿と食堂が一つになっているところです。
中に入りますと、昼時には少し早いためか、客はまだおりません。
「ま……魔女さん! どうされたのですか?」
「え? なにがです?」
よく私のところに彼氏のことで相談してくるウエートレスの女性が駆け寄って来ました。
この宿の店主の娘さんです。
そして私の隣に立っている偉丈夫と交互に視線を向けてきます。
席に座っても良いかしら?
「お揃いですか?」
「はい?」
何を言っているのかわからず首を傾げます。するとウエートレスの女性は自分の左頬を指しました。
「お二人。お揃いですよね?」
その言葉にハッとして左頬を手で押さえます。
今まで契約痕なんて気にしたことなんてありませんでしたが、もしかして町の中を歩いているときに、視線を感じたのはこれの所為だったのですか!
はははははは恥ずかしい! お揃いじゃないのに!
「違うわ」
「え? でも同じ色で同じ場所……」
「違うわ」
言葉を被せて否定します。
「確かに聖獣青虎と青炎竜の紋様は違うな」
「聖獣青虎ってもしかしてあの聖騎士ハイヴァザール様ですか!」
「ああ、そうだ」
聖獣青虎の聖痕は有名ですからね。こんな辺境の地域の絵姿なんて出回らない場所でも耳にする言葉ですからね。
「魔女シルヴィアの夫としてこの街に住むことになったから、よろしくな」
ちょっと何をここで言っているのです。彼女にそんなことを言えば町中に広まってしまうではないですか!
まさか! ワザとですか!
「ま……魔女さんが結婚! ここここれは由々しき事態」
「そんなことでは何も起こらないわよ?」
「魔女を探していたら漆黒の魔女のことを直ぐに教えてくれた『愛想が良い』『可愛い』『しかし用もなしに迂闊に店に近づけばジジイが邪魔をしてくる』とな」
サイさん! 何をしているのですか!
確かにお店に来てくれる人は決まっていますけど。
「それでお揃いなんですね?」
「それは違うから!」
お揃いじゃないのに! 知らない人から見れば同じように見えてしまう紋様が恥ずかしい。
こうして、魔女シルヴィアと聖騎士クロードの生活が始まったのでした。
嘘予告
次回『魔女の会合-若い子は元気がええですなぁ(生意気言ってるんじゃないわよ!クソガキが!)-』の巻
*
(沢山の方に読んでいただきましたお礼です。ありがとうございます。)
小話:辺境都市『エルヴァーター』に到着!
「ここが辺境都市『エルヴァーター』なのね」
魔物がいる深淵の森『ヴァングルフ』に隣接しているためか高い外壁に囲まれている。外からは町の様子が全くわかりません。
ここまで寄り合いの長距離馬車に乗ってきました。途中であまり人が下りないと思っていましたら、かなり大きな町のようです。
外壁の端から端までを馬車の中からは確認できず、馬車や騎獣に乗った者たちとそれなりにすれ違いますので、人の出入りも多いようです。
そして、魔女としての知識には、深淵の森『ヴァングルフ』の近くに都市はないため、かなり最近できた町なのでしょう。
私がここに来た目的。それは、人に紛れ込んで暮らすためです。魔女は300年間は人と共に暮らしていき、修行をしなければならないのが、生まれて間もない魔女の役目です。
それには理由があります。
魔女は生まれたときから魔女です。その知識は膨大であり、人という枠組みを優に超えます。
ですが、その知識が魔女が生まれた時代に使えるとは限りません。人の中で暮らすことで、新たな知識を得て、魔女として更に高みを目指すためなのです。
この『エルヴァーター』は人を受け入れていると聞いてやってきたのです。
普通はその地に元々住んでいる者しか住めなかったり、市民権という権利を莫大なお金を出して購入しなければなりません。
そうでなかったら、なかなか定住することが難しいのが世間一般の常識。
はぁ、六十年ぐらいは、ファインバール伯爵夫人でもしながら過ごせると思っていましたのに、残念ですわ。
そして、役場にやってきました。移住を希望する人はここで書類を提出しなければならないそうです。
さっき、馬車を降りるときに冒険者風の人に教えていただきました。自分は根無し草だから、必要ないと言っておりましたので、ここでお金を稼いだら次のところに行くのでしょうね。
「何か身分を証明できるものはありますか? 薬師様でしたら、商業ギルドの会員証でもいいですし、星花紋でもいいですよ?」
役場の女性がカウンター越しに身分を証明できるものを提示するように言ってきました。……これって結局誰も彼もを受け入れていないってことではないですか。
いいえ。誰も彼もを受け入れていたら、無法地帯になってしまいますものね。
しかし薬師には、星花紋が与えられるものなのですか? うーん? 私の知識では聖女見習いに与えられる称号でしたが、やはり、色々知識の更新が必要ですわね。
ですが、私はそのようなものは持っていません。
私の身分ですか……。
右の手のひらを上にして女性の目の前に掲げます。
「アランカヴァルの系譜の者よ」
黒い炎。この世には存在しない黒い炎を手のひらの上にだします。
これは己が魔の者である証です。そしてアランカヴァルの系譜は魔女を指します。
ですがそれは一般的ではありません。
黒い炎が揺らめき形を変えていきます。黒い猫です。
そう、黒い炎を魔導生物に変えて使い魔として扱うという昔話から、黒い魔導生物が魔女の証として定着されています。
「ひっ! ままままマジョ!……さま」
え? 何かすっごく怖がられている? 周りからの視線が痛いですわ。
魔女ってやはり悪い魔女のイメージが強すぎるのかしら?
「あ……やっぱりなしで。これにするわ」
私はファンベル子爵家の家紋を出します。
離婚してしまいましたので、伯爵家の家紋を出すわけにはいきません。
兄に嫌われているので、身分証として出すのは控えたかったのですが、この場合は仕方がありません。
「おおおおおおおお貴族さまぁぁぁぁぁ!」
え? 子爵家の紋にそこまで驚かないでほしいわ。庶民に二・三本毛が生えたようなものですのに。
「私には荷が重すぎますぅぅぅぅ!」
そう言って受付の女性は姿を消してしまいました。
え? どこに行ってしまったのですか?
このあと不動産屋に行って住む場所を決めたいのですけど?
そして女性の代わりに現れたのは、腰が曲がった年老いた老人でした。
「お主が、魔女さんかいのぅ?」
「ええ、そうです」
「フォッフォッフォッ。わしはサイ爺と呼ばれている者じゃ。魔女さんはここに何をしに来たのかのう?」
「移住の手続きですが?」
このカウンターの上には移住者管理課と札があるではないですか。
当たり前のことを聞かないでいただきたいわ。……もしかして、ボケ老人?
「いやいや、そうではなく、このエルヴァーターにじゃ」
「『ヴァングルフ』には珍しい薬草があると聞きましたので、研究のためですわ」
本当の理由なんていいませんわよ。見習い魔女とわかれば、人というのは簡単に態度を変えるのですから。
「魔女さんの修行かのぅ?」
その言葉にビクッと肩が震えます。この老人は何を知っているのでしょう?
「よいよい。知り合いの若作りババァからその辺りのことは聞いて知っておる。魔女さんにうってつけの家があるのじゃが、今から一緒に見に行かんかのぅ?」
これが、下町の顔役であるサイさんとの出会いだったのでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
2025.03.24
2025.03.25
総合日間2位。
沢山の方に読んでいただきましてありがとうございます。
そして
スタンプで応援、ありがとうございます。
ブックマークでのお気に入り、ありがとうございます。
☆評価、ありがとうございます。
続きをというお言葉を受けまして、連載を投稿いたしますが、更新頻度は週1回から2回となります。
ストックがないのと、他の連載作品の兼ね合いですね。宜しくお願い致します。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
面白かったと評価をいただければ、下の☆☆☆☆☆を推していただけると、嬉しく思います。
よろしくお願いします!
連載版
↓
https://ncode.syosetu.com/n4037kg/