第十八話 狂騒前夜
天と地の境目に、険峻な灰色の稜線が連なっている。鋭利な岩山から成るサパトマ山脈を仰ぎ見る。その視線には各々の感慨が浮かぶ。
山の麓では、勇者パーティとユミヨたちがキャンプを張っていた。盛り上がった岩棚で囲まれたそこは、天然の土塁よろしくうってつけのロケーションだ。
「魔王の拠点、その間近とは思えぬほど静かね。道中の魔物も大人しいし」
座って爪切りに勤しむミレニはリラックスしている。鉄火場に似合いの強い肝を持っているようだ。
「その分迷宮内の防備は分厚い。皆の衆、心せよ」
ヨタナンの言葉に、三人の仲間たちがうなずく。
「では、私どもはこの場で馬車を見守ります。勇者様方にご武運を」
モズルフが恭しく一礼する。傍に控えたユミヨもつられて一礼する。
「魔王を倒せば、統率を失った魔物たちは全て野生に還る。帰路はかなり楽になるじゃろう」
「元君主を討伐せねばならぬとは。世界平和のためとはいえ、つらい戦いだな」
ヴァグロンがモズルフの苦悩を思いやる。
「魔王討伐でなく、皆さんの命を優先してください。チャンスはこれ一度ではないはずだから」
ユミヨが皆に呼びかける。
「それはできない相談じゃ。だが、二度目のチャンスのためにも、殿下の命だけは守るつもりだ」
ヨタナンが見つめる先にはレカーディオが佇んでいた。手ごろな岩の上に腰かけて、物思いに耽っている。
ユミヨはペンと手帳を手に取ると、レカーディオの前に躍り出る。
「レカーディオさん、ついに故郷への凱旋ですね。抱負を聞かせて下さい」
降参顔の彼が重い口を開く。
「討魔戦役に終止符を打ち、祖国を取り戻す。魔王の正体が誰だろうと、容赦するつもりはない」
メモを取ったユミヨが、努めて明るく発破をかける。
「ありがとうございます。皆さん頑張って下さい」
「期待しといて! ユミヨちゃんに号外出してもらうから」
ミレニがユミヨにウインクを送ると、勇者パーティたちが動き出す。出立の準備が完了したのだ。
「では行ってくる。後を頼んだぞ」
勝手知ったるヨタナンを先頭に、勇者たちが出発する。
最後尾のミレニが馬車馬の鼻面に頬をよせ、別れの挨拶を終えた。
デルモンソ城内の軍議場には、軍服と鎧を着用した兵士たちが入り乱れている。複数階に跨る吹き抜けを、濁った空気が舞い上がる。
その一角に静寂に満ちた空間があった。絨毯と見まごう巨大なローテーブルの前には、帝国軍総督のエルドリッサーが陣取っている。
総督の狐のような糸目が、周囲の幹部たちに睨みを利かせている。白髪交じりの黒髪を七三にわけており、軍服をスーツに変えればやり手のビジネスマンに見える。
前のめりに座る彼の前に、ボロ布で包まれた物体が運ばれてくる。それに気が付いた周囲の軍服たちがにわかにざわめく。
「開け。中身を見せろ」
エルドリッサーが顎をしゃくると、蛮兵が恐る恐る布を剥ぐ。異様に毛深い男の生首が露になると、周囲の喧噪がピタリと止んだ。
「なるほど、そういう事か……」
エルドリッサーが苦々しく歯ぎしりする。
「失礼」
仮面を被った検死官が生首に肉薄してその顔を検める。口の中央から輪切りにされており、下顎が抜け落ちている。
「間違いない。ドブロニャク将軍です」
周囲の幹部たちが嘆息する。帝国軍の大損失が確定したからだ。
「まさかこやつがやられるとは。おい蛮兵、経緯を説明せよ」
エルドリッサーの隣に控えていた若い副官が憔悴気味の蛮兵を指さす。話を振られた蛮兵が、おそるおそる口を開く。
「リブムール湿地帯にて、勇者レカーディオに討たれました。決闘陣内部のことです」
「ということは、魔法力を使われたのだな?」
副官の問いに蛮兵がうなずく。
「黒雷の威力たるや凄まじく、抗う事敵いませんでした」
この言に周囲がざわつき、暗澹たる雰囲気が漂う。
「我々正規軍の仕業だと、誤認されなかっただろうな?」
エルドリッサーの鋭い眼光が蛮兵を射抜く。
「はっ! 全員囚人服の上に鎧を着用。隊長の独断と認識したはずです」
この言に、幹部連中が顔を見合わせる。
「はず、では駄目だ。そんな仕事は認めない」
総督が首を捌くモーションに合わせて、仮面姿の検死官が鞭を振るう。すると蛮兵の首が宙を舞い、ドブロニャクの生首の真横に並んだ。
周囲の空気が凝固し、静寂が訪れる。沈黙と恐怖が場を支配したのだ。
「予定変更だ。共和同盟を叩くのは、魔王逝去の後にする。魔物どもの無力化が先決だ」
「それが丸いでしょう。勇者など、圧倒的軍事力の前では無意味な存在です」
追随した副官がハンカチで返り血を拭った。