第十四話 束の間の帰郷
古びた木造住宅の周囲を小さな庭が囲っている。そこでは、ユミヨの母が花壇に水をやっていた。
「お母さん、ただいま~!」
遠方から、ユミヨが右手を振りつつ走り寄る。小さな目を見開いた母が、水差しを放り出した。
「ほら、これお土産。仕事で寄ったルパイヤ族から、チーズ分けてもらったの」
ユミヨが、布袋に包まれたチーズの塊を掲げる。
「良かったわ、無事で。心配で胸がはち切れそうだったわ……」
眉を八の字にした母がユミヨの両手を握る。
「アハハ、大丈夫だって。さすがにちょっと疲れたけどね」
ユミヨが後頭部を掻きながら苦笑する。
「晩御飯作るから。とりあえず、部屋でゆっくりしなさい」
ユミヨがうなずくと、母はいそいそと庭の竈に向かった。
夜の食卓に色とりどりの料理が並んでいる。コンソメ風の鶏スープに山菜のサラダ。そして、メインデッシュはチーズをたっぷりと使ったオムレツだった。
「私の好物、覚えていてくれたのね」
「何言っているの、当たり前でしょう」
目を輝かせたユミヨが、オムレツにスプーンを差し込む。その中央には、ケチャップ代わりに茹でたトマトソースが添えてあった。
「うんまい。生きててよかった~」
懐かしの味を噛みしめ、思わず涙線が緩む。
「ちょっと~。大げさじゃないの」
母が満面に笑みを浮かべる。趣味の料理を褒められるのが最大の喜びなのだ。
「ルパイヤで、遊牧民の取材でもしたのかい?」
「うん。仕事も手伝ったけど、凄くいい経験になったよ」
ユミヨが答え、真顔の母が数秒の沈黙を挟む。
「食べ終わったら少し話があるから。寝るのはちょっと待ってくれる?」
「いいよ。じゃあ、腹八分にしておこうかな」
生返事したユミヨが、いそいそと食事を再開する。久しぶりの団欒に、これ以上ない幸せを感じながら……。
こじんまりとした居間には藁を編んだ円座が敷かれ、正座した母が待ち受けていた。満腹になったユミヨが、片目を擦りながら両膝をつく。
「ユミヨ、この仕事は今すぐ辞めなさい」
大きな顔の中央の目元が真剣に娘を見つめる。ユミヨの眠気が一気に消し飛んだ。
「そ、その……」
不意を突かれたユミヨは動揺を隠せない。
「どうして突然そんなこと言うの? 就職できて、喜んでくれたじゃない」
抑えがたき不平が表情ににじむ。
「入社後いきなり屋外で活動するなんて、聞いていないわ!」
膝立ちになった母が力説する。
「魔物が活発になって、村民にも被害が出ている。とにかく危ないのよ」
ユミヨが半ば呆れつつ、昔を思い出す。
(そうだった。お母さんは極度の心配性。そしていつも私にべったりだった……)
「ユミヨ、お願いだから分かってちょうだい。私にはあなたしかいないのよ!」
現実世界の亡き母とピタリ重なる台詞に胸を抉られる。だがしかし、力なく泳いでいたユミヨの瞳に力がこもる。
ユミヨは唐突に立ち上がると、目前の母の両肩に手を置いた。その手に力を込めて母を座布団に座らせる。
「何なの?」
「お母さんの気持ちは嬉しい。だけど……」
ユミヨが軽く深呼吸して話を紡ぐ。
「私は独り立ちしたいの。仕事には、大なり小なりリスクは付きものよ。そこは割り切らないと」
「ならこの村で畑仕事をなさい。私と一緒に働くのよ!」
母の提案に対し、ユミヨは断固として首を横に振る。
「私の人生は私が決める。身の安全には気を配るから、安心してちょうだい」
ユミヨが努めて穏やかな眼差しを母に送る。その両肩を揉むように立ち上がると、自室へ歩を進める。
「晩御飯、美味しかったよ。お休みなさい」
その場に取り残された母は、深くうつむいたまま固まってしまった。