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プロローグ

平成二十二年 五月某日


 しとしとと落ちる雨音が、由実世(ゆみよ)の耳をくすぐっていた。板張りの六畳二間。自室の床に正座をして真正面を見据える。

 眼鏡越しの眼差しは十九歳とは思えぬほど大人びている。真剣そのものだった。


「私が御社を志望させていただいた動機は徹底した現場主義に感銘を受けたからです」


 言い終えると、目前のコタツにあるカンペにチラリと視線を落とす。


「自らの足で現場を訪れ、見聞きしたものをタイムリーに発信する。情報の鮮度にこだわる姿勢が素晴らしいと思います」


 軽く息継ぎした由実世が言葉を紡ぐ。


「体力と文章力には自信があります。フィールドワークとデスクワーク、双方で御社の力になれると確信しています」


 言い切ると、満足げに鼻をならす。面談のロープレとしては上出来だった。立ち上がり外を眺めると、陰鬱な自身の表情が窓に映る。

 普段は優し気なタヌキ顔からは生気が抜け落ち、セミロングの黒髪にはいつもの張りがない。カーテンを握りしめる彼女の右手に力がこもった。


 次の日の午前中。フォーマルなスーツに身を包んだ由美世は、理倶知(りくち)新聞社を訪れていた。

 面接室に通された彼女は、下座のパイプ椅子に腰を下ろしている。


(大丈夫、ここまでは普通に話せた。今日はうまくいくはず)


 由実世は腹の下に溜まった空気を、すぼめた口からゆっくり吐き出した。


――トントントン

 ドアのノック音に気が付いた由実世が席を立つ。そこから、二人の男性面接官が姿を現した。


「お待たせして申し訳ない。どうぞ、おかけ下さい」


 初老の面接官に黙礼した由実世が着座する。同行してきた若い面接官と共に、由実世の差し向かいに座った。

 小兵な初老面接官が、骨ばった顎をゆっくりと動かした。


「では、まず履歴書をお願いします」

 由実世が用意していた茶封筒を初老の面接官に手渡す。ここまでは順調だった。


「私は理倶知新聞の加須貝と申します。彼は原田課長ね」

 初老面接官が、ぞんざいに片手で名刺を差し出す。由実世は恭しく両手でそれを受け取った。


「では自己紹介を……」

 三十代らしき青年面接官が由実世に話を振る。座高がやたらと高く、やや小柄な由実世を大上段から見下ろしている。

 浅く頷いた彼女が口を開いた。だが、そこからは何の言葉も出てこない。酸欠の鯉の様に口をパクパクさせている。

 怪訝な面持ちの面接官たちが狼狽する。由実世の見開いた眼が虚ろに泳ぐ。


 見かねた青年面接官が立ち上がり、由実世に歩み寄る。

「君、呼吸は大丈夫か?」

 その言を受け、由実世が二度頷く。泣き出しそうな眼で何か訴えているが、半開きの口元からは言葉が出ない。

 面接官たちが右手で口元を隠し、ひそひそ話を始める。そして、二人は改めて由実世に向き直った。


「すまないが、面接どころではなさそうですね。彼が出口まで見送ります」

 初老の男が述べると、その後ろでもう一人の面接官がドアを開いた。


 自室に帰り着いた由実世は、コタツの前に座り一人うなだれていた。目前には手書きの履歴書が散乱している。それを両手で鷲掴みにした由実世は、ゆっくりと力を込めて左右に引きちぎる。やり場のない怒りと焦躁が、彼女を支配していた。


 壁に吊るされたビジネスバックの中から、バイブレーションの鳴る音が聞こえてきた。気が付いた由実世が立ち上がり、バック内のガラケーを取り出す。


「オッス、由実世。面接どうだった?」

 受信ボタンを押すと、幼馴染のハツラツとした声が聞こえてきた。そのとたん、由実世の表情が解れる。

「理之香ちゃん、声聞けて安心したわ。まあ、ワンチャンあるかも……ぐらい? ちょっと期待薄かなぁ」

 おどけた感じで答えると「現実は厳しいねぇ」と、理之香が合いの手を入れる。


「夢を見るのもいいけど、そろそろ仕事決めた方がいいかもね。まだ若いんだし、バイトでもいいっしょ」

「それそれ。そろそろ現実を見ないとね」

 由実世が高校を卒業してから、就職浪人が約半年ほど続いている。理之香の指摘は的を得ていた。


(高校を卒業してから、早半年……。そろそろ進路を決めないと)

 会話を終え、スマートフォンを充電器に繋ぐと、部屋の隅に置いてある母のミニ仏壇前に正座する。太ましい頬に浮かぶ腕白そうな笑みが心の芯を打つ。


 母が事故で突然亡くなったのはつい二カ月ほど前だった。工事現場の前を横切る際、ビル屋上から落下した天板の下敷きになってしまったのだ。

 父は幼少の頃亡くしており、由実世は天涯孤独の身となった。遠方に住まう親戚とは、長年音信不通になっていたのだ。

 母の遺影を見つめると、由実世の涙線がきしむ。泣き顔になるが、涙はこぼれなかった。


「電話では話せるのに、直接会って少しでも緊張したら駄目。どうすればいいの……」

 母が亡くなってから、由実世は失声症になってしまった。初対面の相手に対してのみ発症する、典型的な場面緘黙症だ。一過性かと思いきや、今に至るまで解決を見ない。

 長らく一人親を務めてきた母は、由実世を溺愛していた。それ故に、喪失感の大きさが重くのしかかっていた。

 合掌のために合わせた両手をおでこにくっつけると、由実世はそのままの姿勢で動かなくなった。


   その翌日


 ディスプレイ上では2Dのキャラクターたちがダンジョン内を練り歩いている。四人の勇者パーティが敵モンスターとエンカウントすると、戦闘画面に切り替わる。


(この『エティテュ―ド戦役』。過去ゲーだけど、前から遊びたかったのよね。内容は予習済みだけど……)

 コントローラ―を操作しているのは由実世だった。レトロゲームをこよなく愛する彼女は、特にRPGがお気に入りだ。


 戦闘が終わると、場面が移り変わる。暗闇に浮かぶ厳めしい古城は魔王の居城だった。老齢の男が魔物たちに囲まれている。豪奢な白髪をたなびかせ、厳かな佇まいが目を引く。


「眷属どもよ、デルモンソの民を一人残らず駆逐せよ。軍事力を失った今こそ叩くのだ!」

 肩当付きのマントローブが翻る。魔王の指示を受けた配下の魔物たちが四散していく。


 画面が暗転し、一人残された魔王にスポットライトが当たった。


「こんな展開あったかしら?」

 口を半開きにした由実世が独り言ちる。


 画面の真正面に立った魔王が、一直線にこちらを見つめている。複雑な目元の皺が、眼光に威厳を与えていた。


『ユミヨ、勇者を操りし者よ。私の話を聞くのだ』

 魔王の台詞に面食らった由実世が自身を指さす。


『あなたに、私の真意を世界に伝える役目を担ってほしい。この世界に来てはくれまいか?』


 画面上に「はい」、「いいえ」の二択が表示される。苦笑を浮かべた由実世は、いったん「いいえ」に合わせた選択肢を「はい」の位置に戻した。そして決定ボタンを押そうとする。


 だが、ボタンに触れた指が震え、決心がつかない。ドット絵の魔王の目が、現実世界の由実世を見据える。


「伝えるって、何を?」

 つぶやきと共にボタンを押す。すると、画面上の視点が急上昇し、魔王と勇者の姿は見えなくなった。


 架空世界『エティテュード』の全体マップが、2Dドット絵で美しく書き込まれている。

 ユミヨの体を淡い光が包むと、握っていたコントローラーが床に落ちる。光輝く幽体になった彼女は、ディスプレイ内に吸い込まれていった。


 立体感のある雲をかき分けて、空中を急速落下していく。体はまったくGを感じないが、条件反射で目を閉じてしまう。

 瞼の外に明るい日差しを感じ、由実世は目を開いた。見下ろす先は『エティテュ―ド』の海と大地だった。2Dドット絵ではない、リアルで雄大な世界が広がっている。


 幽体の由実世の顔が思わずほころぶ。これから起こる体験に胸を躍らせているのだ。地面が近づくにつれ、落下の速度が遅くなっていく。リアルな実体では起こりえない事象だった。


 由実世の視線の先には人々が住まう村落が待ち構えている。片田舎らしき朴訥な様子だ。

 立ち並ぶ家々の中でも、一際小ぶりな一軒家内に落下していく由実世。そのまま、一階のベッドの上、その中空でピタリと静止する。


 目前には、ベッドの上で午睡を貪る若い女性の姿があった。その背格好は、十九歳の由実世と瓜二つだ。

 由実世の幽体が真下にゆっくりと沈み込む。そのまま、ベッド上の女性の体と一体化していった。

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