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再会

作者: 戯れペン

 3月13日によせて。

 最終電車を待つホームの空気は淀んでいた。桜が八分咲きになる陽気だ。夜になっても温い空気が凪のように辺りにわだかまっている。

 長野の空気はもっと爽やかだったと、数時間前に友人と別れた松本駅のホームを(あや)は思い出していた。長野にある国立大学に進学した飛鳥(あすか)とはおよそ1年ぶりの再会だった。こちらに帰省してきた飛鳥が再び長野に帰るタイミングで、今度は文が飛鳥の一人暮らしの住まいを訪ねるという春休みの計画だった。


 地元の駅で再会した飛鳥は髪を短く切り、ブリーチをしてきれいな金髪になっていた。

 「大学デビューだから。笑えるでしょ」

 そう言って開口一番におどけてみせた飛鳥だったが、飛鳥のSNSを定期的にチェックしていた文は知っている。あのブリーチは少なくとも1カ月以内にやったもので、彼女はこの1年間のほとんどを黒い長髪で過ごしていたはず。つまり、彼女の「大学デビュー」は周囲の環境の変化に無理矢理合わせただけの痛々しいものではなく、彼女の自然な変化の表れということなのだろう。

 だから長野への車中で、近況を嬉々として語る飛鳥の姿は眩しかった。それで文も負けじと最近の楽しかった出来事を挙げようとするのだが、親元から東京の大学に通う日々は高校の頃とそう変わらないように思えてしまい、充実した日々を送っているであろう友人の前で口に出すのは憚られた。

 鈍行を乗り継いでたっぷり3時間。松本駅に着いた頃にはすっかり夜になっていた。お互いお腹が空いていたが、「手作り料理でもてなす」と張り切る飛鳥に引っ張られてアパート近くのスーパーに入ったのが21時を回った頃だった。

 ずんずんとカートを押して、手際よく買い物かごに食材を入れていく飛鳥が急に大人びて見えたのは気のせいではなかった。聞けば、親からの最低限の仕送りと週4回のバイトで学生生活を送っているという。そこには、文の知らない現実をしっかりと生きている大人の女性がいた。

 夜も更けて、やっと到着した飛鳥の部屋はお世辞にも整理されているとは言えず、部屋の隅では乱雑に投げ出された衣類が山となっていた。そう言えば、部室のロッカーが一番汚かったのも飛鳥だった。そういう、友人の変わらない一面は、文を一気に高校時代まで引き戻した。

 「飛鳥さーん、部屋の隅っこが高校の部室みたいになってますよー。部長が見たらブチ切れるな、こりゃ」

 「畳むの面倒くさくてさー、ついそのままにしちゃうんだよね。適当に端に寄せて、そこら辺に座っててよ」

 「うん、分かったー」

 お互いに何の遠慮もいらない仲だ。洗濯物の山を勢いよく両手で向こうに押しやる。すると女物の滑らかな色遣いの中に、明らかに異質な黒のボクサーパンツがちらりと見えた。

 生活感以上の生々しい現実。私は今、見てはいけないものを見ているのかもしれない……。

 数秒間の硬直の後、右手に掛かったそのパンツを素早く衣服の山に突っ込んだが、時すでに遅し。飛鳥の右手が伸びてきて、ひょいっと男物のパンツを摘まみ上げた。

 「あ、こんな所にあったんだ。ごめんごめん。変な物見せちゃって」

 「その……パンツ……男物……彼氏……の?」

 窺うように尋ねる文に、飛鳥はさらりと答えた。

 「いやー、そんなんじゃないよ。大学で仲のいい男友達がいてさ。そいつが研究室に泊まり込みで実験とかするもんだから、そいつのパンツとか洋服、私が洗ってんの。時々ノートとか見せてもらってるから、しょうがないんだよね」

 「そ、そうなの?理系の学部は実験が大変って聞くけど、それって理系あるある?」

 「ま、パンツまではないかもしんないけど、割とあるんじゃない?」

 「はあ、左様ですか。文系には分からない世界だわ」

 理系の飛鳥は高校の時からサバサバしていて男友達が多かったから、男ばかりが集まる理系学部では、もしかしたらお母さん的なポジションにいるのかもしれない……。

 んな訳ねーだろ。

 全然お母さん的ではない飛鳥の細くくびれたウエストを横目に見て、文は内心で腕まくりをしていた。久しぶりの友人との恋愛話である。この種の話題には久しく触れていなかった。

 「飛鳥は、彼氏とかいるの?」

 「んー、今はいないかなー」

 キッチンに向き直った飛鳥が、野菜か何かを包丁で刻み始めた。とんとんとん、という優しい音とのんびりとした口調があいまって、前のめりぎみの文の言葉を柔らかく受け止めて包み込んだ。

 「そっか……」

 今は、ということは、前はいたということになるのか?そのボクサーパンツは元彼の忘れ形見なのか?

 文の頭の中で、パンツ氏に関する質問が矢継ぎ早に弾き出されたが、今の飛鳥にそれを言っても、正直には答えてくれないような気がした。

 「そう言う文は最近どうなの?友達とか彼氏とか、そういうの聞いてなかったけど」

 勢い込んだ質問を軽くいなされ、返す刀で自分に向けられた矛先にぎくりとする。

 「うーん、なんかいろいろと乗り遅れちゃってさ」

 「ふーん、そっかー」

 「高校の時からだけど、私たちってオンライン授業が多かったじゃない?最近はそうでもなくなってきたけど。大学でも初めの頃は割とオンラインが多かったから、なんか馴染めなくて……」

 文はちゃぶ台のような机の上で、きちんと重ねた自分の指先をじっと見つめた。

 「はい、おまちどおさま」

 湯気の立った大皿がごとりと目の前に置かれた。山盛りのパスタにフォークが突き刺さっている。

 「あ、美味しそう!はは、でも、結局パスタ。お腹が減ったらさ~、やっぱ炭水化物に限るよね~」

 「サラダは頑張ったから。これで許して」

 大袈裟に揉み手してみせる文の頭ごしに、緑の彩りが目に鮮やかな二皿目がさっと現れた。パスタとサラダのセット。立派な夕食だ。

 「ううん、全~然!遅いのに作ってくれてありがとう。嬉しいよ。すっごく美味しそう!」

 「ふふ、召し上がれ」

 2人とも空腹が限界に達していたので、しばらくは競うようにして黙々とパスタを食べ続けた。

 それにしても、こうして無心で食事をしていると、コロナ禍以前の部活漬けだった日々を思い出す。マスクなしで生活をして、チームメイトや友人と気兼ねなく笑顔で話し合えていた日々だ。

 文は忘れていた。

 マスクで塞がれた口元から、こんなにも楽しげに言葉が紡ぎ出されるということ。

 「ねぇ、卒業式の日、覚えてる?相原が文を呼び出すために私を探してて。だけど全然見つかんなくて。それでやっと見つけて私経由で文を呼び出そうとしたらさ、肝心の文がさっさと帰っちゃってたっていう!」

 フォークに巻き付けた最後のパスタをほとんど飲み下し、飛鳥がハイテンションでまくし立てた。

 「もう、またその話……」

 「だってさー、まじウケたんだもん。あいつの顔!ほんとにショック受けてて。『なんで手塚がいないんだ!』とか言ってさ。あれは絶対、文に告るつもりだったんだよね。相原くんかわいそう~」

 「……私に用なんて、何かの勘違いだったんじゃない?だって私、相原くんのこと、よく知らないし」

 「またまた~。『ちょっと好きかも』って高2のとき言ってたじゃん」

 「あれは別に……なんとなく言ってみただけで……あの後コロナでほとんど学校行けなくなっちゃったし……」

 「あ!そうやって全部コロナのせいにするの、先生良くないと思うな~」

 そう言われて俯いてしまった自分が大嫌いだ。飛鳥はただ、未だにコロナを極度に恐れている文を茶化しただけだった。それは彼女なりの励ましですらあったかもしれないというのに。


 「分かってるよ。そんなの……」

 最終電車を待つ人の列が長い。春の陽気のせいだろうか。いつもより人の出が多いのかもしれない。

 文はその列から離れて、ホームの端にあるベンチに一人腰掛けていた。帰りの電車に乗ってからこのホームに着くまで、飛鳥に言われたことをずっと考えていた。

 COVID-19。いわゆる新型コロナウィルスは、2019年に中国で初めてその存在が確認された未知のウィルスである。咳やくしゃみなどによる呼吸器飛沫を主な感染経路とし、感染者の呼吸器系に甚大な影響を及ぼすとして世界中の人々を恐怖に陥れた。

 特筆すべきは肺炎や急性呼吸窮迫症候群などの合併症であり、無自覚なまま症状が進行すれば、血中酸素濃度の低下による呼吸不全を引き起こし、最悪の場合は死に至る。

 現在、感染は230の国と地域で起こっており、感染者は累計6億人以上、死者は640万人を優に超えると予想されている。

 この事態を受けて世界保健機関は、当該事象を1918年のスペイン風邪を超える人類史上最悪のパンデミックであると位置づけたが、未だに収束に向けた具体的な見通しは立っていない……。

 文はCOVID-19に関する情報を頭の中で淀みなく暗唱した。文字にすると、このウィルスの圧倒的な悲惨さが改めて思い知らされる。

 飛鳥は「すべてコロナのせいにするは良くない」と言った。しかし、夜毎テレビで流れる本日の感染者数、重症者数、死者数の無機質なテロップが、文の日常と無関係であるとはとても思えなかった。

 死者数10の増加は数字上の話ではなく、実際に生きていた10人のリアルな死であるはずで、その「死者数1」が自分であったとしても、何の不思議もないではないか。

 それなのに、日々は何事もなく過ぎていき、テレビ画面の累計死者数だけが静かに積み重なっていく。そのことが文には耐えられなかった。

 そして東京での感染者数が連日5,000人を超え、その局面が第5波を迎えた高3の夏、文のCOVID-19に対する恐怖は許容量を超えて溢れ出し、その感染源である他者へと向けられていった。

 一日中部屋に引きこもり、海外のロックダウンされた都市生活者と何ら遜色ない日々を送った。学校が再開されてもそれは変わらず、極力誰とも会わないように、会話も必要最小限に控えた。

 そのことで人間関係に支障を来すこともあったが、そんなことはどうでもよいと思っていた。

 ただ、死ぬのが怖かった。

 同時に、テレビ画面に表示された累計死者数72,068名の人々に申し訳ないとも感じていた。感染した末に亡くなってしまった人々と、たまたま感染せずに生き永らえている自分。両者の間に違いがあるとは思えない。

 だとしたら、自分は本当に生きていてもいいのか。何の取り柄も持ち合わせていない平凡な自分が。テレビ画面を見る度に、誰かにそう責められているような気がした。

 やがて感染者数が減少し、COVID-19の脅威が徐々に遠のきつつあると、世界は再び明るい方向に向けて動き出したが、文の孤独は更に深まっていった。

 周囲との絆を断ち切ってしまった自分は、もうその輪の中に入る資格がないのではないか。そう思った。文は生き永らえてしまった自分の無力を恥じるようになっていった。

 卒業式の日。

 逃げるように学校を立ち去ったのはそのためだ。

 あれ以来、文は誰とも交じらうことなく大学に通い、そうすることが義務であるかのように淡々とした日々を過ごしている。

 大学の大教室で、息を潜めていつも祈っていた。許してください。こんな私だけど、誰か、私を見つけて。

 もう、だめかもしれない……。

 ポケットのスマホが振動している。飛鳥からの着信だ。

 「もしもし?」

 「もしも~し。文~。ちゃんと帰れた~?」

 おどけた声に拍子抜けする。

 「最後の乗り換え待ってるところだよ。あと2駅。ありがとう……どうかした?」

 「私がいなくなって寂しがってるんじゃないかな~、と思ってさ」

 「もう、なにそれ」

 思わず漏れた苦笑が止んで、飛鳥が一息置いてゆっくりと言った。

 「……文」

 「ん?なに?」

 「あんまり思い詰めないでね。何かつらいことがあるんだったら、いつでも相談にのるから」

 思いがけない言葉に胸が詰まった。

 「……ありがとう」

 「私たち、友達でしょ?」

 「うん……うん。そうだね」

 涙をこらえて頷くことしかできなかった。

 もう二度と繫がることはないと思っていたのに、その細い糸を手繰り寄せてくれた。もう二度と解けないように、優しい言葉で幾重にも包み込んでくれた。

 文は熱くなった目頭にそっと手をやって涙を拭った。

 滲んだ視界の中で、ホームの灯りが暖かく瞬いている。

 ありがとう、飛鳥。私ほんとに

 「手塚!!」

 「ひゃっ?!」

 壁のような野太い声が、正面からまっすぐ迫って突然ホームに反響した。

 「あ、相原くん!?」

 いつからそこにいたのか。反対車線のホームに、1年前と変わらない人懐っこい笑顔の相原優弥が手を振り回している。

 「そこで待っててくれ!動くなよ!そこにいてくれよ!」

 列をなした人々が、何事かと2人を交互に見遣る。「手塚だ手塚だ」と文の名前を連呼しながら、相原はホーム上の階段を勢いよく駆け上がっていった。

 「相原?相原がそこにいるの?」

 「……分かんない。そこにいろって言われた」

 「……え?……え?」

 「ごめんね、飛鳥。また連絡するから」

 通話を切る。文は相原が消えた方向を見つめていた。自然と笑みが溢れ、胸が高鳴る。

 久しぶりの再会。それもほんの一瞬の出来事だったけれど、文は突然現れた不審な男を一目で相原と見分けた。不思議だった。さっきから、止まった時間が動き出したようなことばかり起こる。

 「手塚!」

 一段飛ばしで階段を転がり下りてきた相原が、文のもとに駆け寄ってきた。

 「久しぶりだなぁ、手塚。俺のこと覚えてるよな?さっき名前呼んでくれたもんな?はは。卒業以来か。ほんと久しぶり」

 「うん、相原くんも」

 「びっくりしたよ。バイト帰りで電車待ってたら目の前に手塚がいるんだもん。すごい偶然」

 「うん、偶然だね」

 「手塚は?……どこか旅行でも行ってたの?」

 ベンチの脇にあるキャリーケースを指差して、相原が尋ねた。

 「うん、ちょっと小旅行にね」

 「ふーん……」

 相原が文の頭の上辺りに視線を泳がせて、所在なげに上体を揺らしている。文はその顔を見つめ、2人だけの沈黙を噛み締めた。それだけで胸がいっぱいだった。

 「あのさ」

 「なぁに?」

 2人の視線がゆっくりと重なる。

 「いきなりこんなこと言うなんて変に思うかもしれないけど、俺、卒業式からずっと後悔してて。手塚に会えなかったこと。……伝えたいことがあったから。それで……俺、手塚ともっと仲良くなりたいんだ。だから、友達からでいい。もし良かったら、俺と連絡先を交換してくれないか?」

 堪えていた涙が文の頬を伝った。

 「ご、ごめん!いきなりそんなこと言われても困るよな。でも終電がもう来るから、早く言わなきゃと思って……」

 「違うの……そんなんじゃない……嬉しくて、私……」


 2023年3月13日。

 COVID-19の新規感染者数、重症者数が低下傾向にあるとして、日本政府はマスクの着用について、3月13日から屋内・屋外を問わず個人の判断に委ねるとした上で、医療機関を受診する際や通勤ラッシュ時といった混雑した電車やバスに乗る際などには、マスクの着用を推奨するなどとした方針を決定した。

 さらに学校教育の現場では、新学期となる4月1日から着用を求めないことを基本とするほか、それに先だって行われる卒業式では、その教育的意義を考慮し、児童・生徒などは着用せずに出席することを基本とするとした。

 これはCOVID-19に関する政府の最新動向だ。この政府方針には賛否両論あるだろう。未だに収束しないウィルスへの恐れや間違った知識による偏見、マスクを外すことへの心理的抵抗。なにより、COVID-19自体が今後どのような変異を遂げるのか誰にも予想できない。通常の社会生活への道のりはまだまだ険しいのかもしれない。

 けれど……。


 文は心から祈った。

 笑顔が溢れる日々でありますようにと。

 みんなが、大切な人と出逢えますようにと。


 八分咲きの桜が、駅舎の片隅で凛と咲いていた。

 お読みいただきありがとうございました。

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