とある公爵家侍女の失言
「ちょっと貴女」
ある日、いつものように登城されるお嬢様の馬車をお見送りして邸内に戻ったところで、先輩侍女のひとりに呼び止められた。
「はい、なんでしょうか」
この方は伯爵家の次女で、代々公爵家に娘を行儀見習いに出しているお家のご出身。お母様は若かりし頃は奥様の侍女をなさっていたと聞いている。
この方自身も古株の侍女で、私と同じ、お嬢様の専属。つまり私を指導監督して下さっている先輩のひとりだ。
「少し話があるわ。この後いいでしょう?」
この後は他の見習いたちと奥様の元に御用聞きに行く予定だったのだけど。
でも、先輩に呼ばれたのなら無視するわけにもいかない。
「畏まりました」
だからそれだけ言って、大人しく先輩の後をついて行った。
「貴女、何様のつもり?」
邸の中庭の、植え込みがあって目立ちにくい一角まで連れて行かれて、振り返った先輩に唐突にそう言われて面食らう。
「何様、と言われましても」
別に何者でもないよね。元男爵家の娘で、今はお嬢様のお情けで侍女をやってる、元罪人の平民の娘です。伯爵家のご令嬢が気にかけるほどの存在ではございませんよ?
「よくもいけしゃあしゃあと。ほんっと、面の皮だけは分厚いわね」
何だろう、怒らせてるのは分かるけど、なんで怒られてるのかが分からない。気付かないうちに何かヘマやっちゃった?
「何のことだか分かってないってその顔がまたムカつくわ」
そんなに憎々しげに睨まれたって、本当に分からないのだから仕方ない。
というかこの先輩は、思えば最初から私を良く思ってなかったような気もしてきた。
でも先輩、なんだか言葉遣いが平民のそれみたいになってますけど…?
「貴女が何をやったのか、知られてないとでも思ってるのかしら?でも残念だったわね、こっちは全部知ってるのよ」
ああ、そうか。
一度はお嬢様を追い落とそうとした私を、この人は憎んでるんだ。それなのにお嬢様に拾われて目をかけられている私のことが赦せないのね。
「あれだけのことを仕出かしておいて、何故まだ貴女生きてるの?死んで償うべきとは思わないのかしら?」
「ですが、私にはまだ賠償の支払いが残っていますから」
「そんなもの、貴女の命で償えばいいでしょう?」
でもそれだとお金にはなりません。
肩代わりをして下さったお嬢様の出費も丸ごと損になってしまいます。これ以上、ご迷惑はかけられません。
それに、こんな私の安否をそれでも気遣ってくださる殿下の御心にもまだお返しができていないので。
だから私は、死ぬわけにはいかないのです。
「だいたい、あんな大それたことを企んで、それでも平気な顔をして生きてられるその神経が信じられないわ」
平気ではないのだけど。
泣いて暮らす暇があるなら働かなければ賠償がお返しできないから働いているのだし。
でも、そんなことを言っても納得しなさそう。
「みっともなく浅ましくも生き恥を晒して。どこまで強欲なのかしら?まあ所詮は男爵の娘ね。どこまでも無知で愚かだから、名誉とか尊厳とかそういった事さえ理解できないのね」
罪人に名誉なんてあるはずがない。
尊厳なんてなおのこと。
でも、男爵家のそれを貶められるのは我慢ならない。無知で愚かだったのは私個人であって、お父様や実家は関係ないじゃない!
「そこまでにしときなよシュザンヌ」
不意に声をかけられて、先輩とふたり、声のした方を見る。植え込みの向こうから姿を現したのは、私をいつも気にかけてくれているあの先輩。何でもない顔をして、真面目に働けばいいと言って下さった、優しいほうの先輩。
そういえば奥様の御用聞きに一緒に行ってくださるはずだったわ。私が来ないから探しに来てくださったのかしら。
「なによオーレリア。貴女には関係ない話よ」
シュザンヌ先輩が暗に「邪魔だ」と言っている。同格の伯爵家でオーレリア先輩のほうが歳上で、彼女には強く出られないから話に入って欲しくないんだろう。
私としても、オーレリア先輩にまで迷惑をかけるのはちょっと避けたいなあ。普段から優しくしてくれる、恩ある先輩なだけに。
「その娘の素性、知っているのは貴女だけではないのよ」
でもオーレリア先輩は引く様子はない。それどころか。
「お嬢様も奥様も旦那様も、お分かりになった上でその娘を雇ってらっしゃるの。貴女がどうこう言うことではなくてよ?」
そう。公爵家の方々だけでなく、家令さまも執事さまも侍女長さまも、全員私のことを、私が何をした女なのか分かった上で、その上で黙って働かせてくださっているのだ。
それなのに、いやそれだからこそ、私は自死を選んではダメなのだ。生き恥を晒そうがこうして非難を浴びようが、生きて償わなくてはならない。
それが、私を生かす決断をしてくださった殿下や王太子妃殿下や陛下、何よりもお嬢様のご恩に報いるただひとつの道だと、私は信じている。
「…っ、そんなもの、この娘がそれに甘えているだけじゃない!礼儀も何も知らない男爵家の娘ごときが、お情けで生かしてもらったことにいい気になって!」
シュザンヌ先輩。その先はダメです。
それ以上は我慢が利かなくなります。
「田舎者の小娘ごときが調子に乗って!どうせすぐにご恩も何もかも忘れて━━」
先輩の言葉は、私が胸ぐらを掴んで引き寄せたことでピタリと止まった。
「死罰すら、賜れなかったんですよ、私」
先輩が息を呑む。
そりゃそうだ。だって私、今自分を抑えきれてると思えないもの。
「死ぬことさえ許されなかったのに、私が勝手に死ねるとでも?それって陛下のご裁可に異議を唱えるのと同じことですけど。分かってて発言してますか?」
「な━━」
「公爵家の侍女ごときが、陛下と王国への不忠を口にしたなんて。知られたら公爵家はどうなると思います?」
「あ、んた、この私を脅すつも━━」
「ご実家の伯爵家だってただでは済みませんよ?男爵家は爵位の返上だけで済みましたけど、高位貴族ともなると………ねえ?」
どんどん青褪めていく先輩。私の言い分の方が通ってしまうと理解できたのだろう。
「うちの父なんてねえ、娘が首都で何やってるのかすら知らなかったんですよ。私が『学園での生活は順調で、友人も多くできて楽しい』としか伝えなかったもので。
それなのにある日突然、娘が死罪を犯したって聞かされて、それでも勝手に自害なんかせずに首都まで裁かれに出頭したんですよ」
先輩の襟元を掴む拳に力が入る。
もうこうなれば最後まで言わせてもらおう。
「父は陛下に直々に褒められましたよ。『安易に自死を選ばぬその忠を嘉する』って。だからこそ爵位の返上だけで済んだんです。
先輩、貴女言いましたね?『無知で愚かだから名誉も尊厳も分からない』って。
でも本当に分かってないのは、男爵家の娘と伯爵家の娘と、どっちなんですかねえ!?」
先輩はすっかり怯えが顔に出てしまって、もう伯爵家令嬢がしちゃいけない顔になっていた。
でも知るもんですか。自分の卑しい感情に飲まれて下に見た相手を貶めようとしたのだから。
自分の軽々しい言動が、周囲にどれほどの影響を及ぼし迷惑をかけるのか、嫌というほど身に沁みた私が教えてあげましょうかね。
「オーレリア先輩」
「ん、なに?」
先輩、反応が遅れたってことはもしかして唖然としてました?
「奥様にご注進を。王家の決定に異を唱える不忠者は外に知られる前に手を打たないと、公爵家の存続に関わります」
右手で掴んだシュザンヌ先輩の胸ぐらをそのままに、無防備な彼女の右手首を左手で掴み、右手を離すと同時に後ろ手に捩じり上げながらオーレリア先輩にそう告げる。
さすが伯爵家のご令嬢、荒事は全くお得意でないご様子。私は王子妃教育の話を聞いてたからお嬢様に体術の基礎訓練の内容を教わっていて、少しだけ自分でも始めてたから、咄嗟の判断だったけど上手くできた。
「痛っ!ちょ、離しなさ━━」
「そうね、分かったわ」
「えっ嘘オーレリア?待って!」
シュザンヌ先輩が止めるのも聞かずに、オーレリア先輩はさっさと立ち去ってしまった。あの顔は私の意図したところを正確に察してくれたと信じよう。
………察してくれた、のよね?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
中庭の私たちの所に最初にやって来たのは公爵家の護衛騎士たちだけで、オーレリア先輩は来なかった。多分、途中で騎士たちにシュザンヌ先輩を拘束するように言ってそのまま奥様の所に行ったのだろう。
先輩が何をどう伝えたのか分からないけれど、シュザンヌ先輩はかなり荒々しく引っ立てられ、悲鳴を上げながら奥様の元へ引きずられて行った。もちろん私も事情聴取のため連行されたけど。
結局、シュザンヌ先輩が泣いて許しを乞うたのでその場での処分は見送られた。けれど自室に軟禁され、夜にお戻りになった旦那様が伯爵家へお戻しになると決定なさった。シュザンヌ先輩はまさか本当に自分の軽はずみな発言で責任を追及されるとは思っていなかったようで、旦那様に泣いて縋ったらしい。
いやいや先輩。いい大人なんだから、冗談でしたでは済まないんですよ?本当に分かってなかったんですか?
ちなみに私はと言えば、最初の奥様の裁定の時にお褒めの言葉を頂いた。もしも私が先輩の言葉に萎縮して従ってたり、黙って隠していたりしたら私も処分対象になりかねなかったと言われて、やっぱり間違ってなかったんだと胸を撫で下ろした。
シュザンヌ先輩のご実家の伯爵家は、翌朝一番で報せを受けて執事さんが大慌てで飛んできた。本来ならばご当主でお父様の伯爵様が自ら来るべき重大な案件なのだけど、ちょうどその日は朝から重要な予算会議があってどうしても外せなかったらしい。
執事さんは可哀想なほど平身低頭しながら、絹帯で縛られたままのシュザンヌ先輩を馬車に乗せて連れ帰ったそうだ。私はそのお帰りは見てなかったけれど、見てた先輩が教えてくれた。
「いやあ、それにしてもさあ。貴女も案外言いたいこと言うじゃない」
その日の夜。オーレリア先輩がニヤニヤしながら話しかけてきた。
「私のことだけなら、まだ我慢したかも知れません。けどシュザンヌ先輩は父のことまで馬鹿にしましたから」
だって父には本当に頭が上がらないのだ。首都の国立学園に進学したいとねだった私のために苦しい家計をやりくりしてまで家庭教師を付けてくれて、にも関わらず私のせいで爵位を失う羽目になった父。
もちろん叱られはしたけれど、それでも最後は「おまえが死を賜らなくて良かった」と言って抱きしめてくれたのだ。
こんな愚かな娘を、それでも愛し許してくれた父。陛下にもお褒め頂いたその父を愚弄されたことだけは許せなかったのだ。
まあ私だって、シュザンヌ先輩がまさかお暇を出されるとまでは思っていなかったけれど。せいぜい厳重注意と何日かの謹慎くらいだろうと思っていたから、さすがにビックリした。
「まあでもあれは仕方ないわ。公爵家の面子も、伯爵家の立場も危うくさせる不敬発言だったからね。
だから、貴女が気にする必要はないわ。それまでがどんなに優等生でもたったひとつのミスで全てを失いかねないって、貴女は解っていて彼女は解っていなかった。それだけのことよ」
「でも、それでも私のせいでまたひとり、将来を棒に振った人が出てしまいました」
そう。私が気にしているのはそこだ。多くの人の人生を台無しにして、それがどれだけ罪深いのか解っていながら、それでもまたやってしまったのだから。
「ああいうのはね、自業自得っていうのよ。貴女を責めたいばっかりに冷静に物事を考えられなかった彼女のミスであって、貴女のせいじゃない。
だからもう、忘れなさい?」
オーレリア先輩の言葉は、どこまでも優しい。
「シュザンヌにもさあ、貴女が受けたっていう“お試し教育”、受けさせた方がいいのかも知れないわね」
先輩はそう言って、穏やかに微笑んでくれた。
それで少しだけ、私も救われた気持ちになった。
お嬢様はご自分付きの侍女がひとり減ったことに関して何も仰らなかった。ただ「そう」とだけ呟いて、私にも何のお咎めもなかった。
お嬢様が何も仰らないのなら、それ以上私にできることはない。今までどおりに、真面目に仕事に取り組むだけ。
結局、シュザンヌ先輩は公爵家に二度と戻ってこなかった。
彼女がどうなったのか、怖くて聞けないままでいる。