番外:お試し教育は定期開催へ
番外編、っていうかほぼほぼ本編ですが。
せっかく設定した王子妃教育が半分も書けなかったので。
サブタイトル:『今日も王子がグイグイ来る。』
「ところで、ずっと気になっている事があるのですが」
アクイタニア公爵家の庭に設けられたガゼボ。その八角形の屋根の下でブランディーヌが優雅に昼下がりのお茶を楽しんでいると、側に控えた侍女のコリンヌがやや控えめに声を発した。
「気になっていること?何かしら?」
「はい、私が今さら気にすることでもないかとは思うのですが…」
ふと見ると、コリンヌの手に紙が握られている。
あの時の“時間割”だ。
自身の大きな転機となったあの“王子妃教育1日無料体験”。その時配られた時間割を彼女は捨てずに大事に取っておいたのだ。それも自分の分と、あの時ブランディーヌから引ったくったまま返さなかった分と、二枚とも。
「これ、改めて見直してて気付いたんですが。
『毒物講習』って何ですか?」
コリンヌが持っている時間割は何度も見直していたのか、随分とくたびれているように見える。
その時間割には上から順に、
朝三『マナー講習』
朝四『世界史講習』
『休憩』
朝五『語学講習』
朝六『ダンスレッスン』
『昼餐』
昼一『武術講習』
昼二『王族講習』
昼三『茶会講習』
昼四『政治学講習(国内)』
昼五『政治学講習(国際)』
昼六『魔術講習』
昼七『毒物講習』
夜『夜会講習』
『試験』
とある。
「ああ、それ」
何でもないように返事しながら、ブランディーヌは紅茶のカップを優雅に傾ける。
「飲むのよ」
「えっ?」
「だから、毒を飲むの」
「……………は?」
いやいやいや、なんで!?
なんで王子妃教育で毒なんて飲むの!?
それ絶対ダメなやつでしょ!
思わず素の口調で叫びかけたコリンヌだが、辛うじて声だけは呑み込む。ブランディーヌに仕えるようになってから励んでいる教育の成果がきちんと出ているようだ。
もっとも、表情が全然作れてないので、そういう意味ではコリンヌはまだまだ“淑女”には程遠いようである。
「そんなに驚くような事でもないわよ。
王族に対して毒を盛るなんて、ありふれ過ぎてて例示すら面倒なくらいよ」
いやまあ、そう言われれば確かにそうかも知れないが。
「だからね、王子妃や王太子妃ともなると、ある程度の毒には耐性をつけるよう訓練するのよ」
「そ、それがこの『毒物講習』、ですか………」
「そう。例えば麻痺毒、麻酔毒、幻覚毒、発疹毒や神経毒、他にも色々あるけれど、一通り飲んで耐性をつけるの。まあさすがに痙攣毒とか致死毒みたいな劇毒は飲まないけれどね」
とはいえ耐性をつけたところで効き目を多少鈍らせたり遅らせたりするだけだから、あまり効果はないのだけれど、と苦笑するブランディーヌ。
「アレクサンドリーヌ様は致死毒に挑戦されて、半月ばかり生死の境を彷徨われたと伺っているわ」
「ヒィ!?」
あたまおかしい。
この国の王族、絶対あたまおかしい。
とてもではないが信じられず、ガチでドン引きするコリンヌである。
「えっじゃあ、あの時ここまで講義が進んでたら私もそういうの飲まされたんですか!?」
「まさか。耐性の全くない状態でいきなりそんなもの飲ませたら、普通に効いちゃうじゃない。最初は試料をちょっと腕に塗ったりして、どういう症状が現れるのか経験してもらうだけよ」
「いやそれ、あんまり変わらない気がしますけど…」
皮膚越しにじんわり食らうのと、体内からダイレクトに広がるのとでは雲泥の差なのだが、それは学んでいないコリンヌに理解できなくとも仕方ないだろう。
「というか、言ってしまえば[魔力抵抗]を覚えればそれで済む話なのだけれどね」
ブランディーヌが身も蓋もない事を言ってしまった。わざわざ毒物に抵抗力など付けなくても、魔術で毒そのものを効かなくすることが可能なのだ。だから本質的にはもうやる意味もあまり無い講習なのだけど、と言いながら彼女は頬に手を当てて苦笑する。
ここ最近ローラン王子に淑女の微笑を崩されてばかりのブランディーヌは、普段の私生活ではこうして相好を崩すことも少しだけ増えてきている。
だが、魔術を行使するための魔力は人によって保有量に差があるし、中にはいわゆる“魔力なし”の人間だっているのだから、そういう意味では毒物講習も全くの無駄でもないのだが。
「……………ハッ!」
将来の第二王子妃として、ブランディーヌも今まさに毒を飲んで耐性をつけている最中なのだと唐突にコリンヌは理解した。
だとすれば、これ以上は聞いてはダメだ。
「あとですね!この『武術講習』なんですけど!」
これもまたコリンヌにとっては謎の講習だった。王城の最奥で守られるはずの王子妃や王太子妃に、果たしてこんなものが必要なのか。
毒物への耐性はまだ分かる。ブランディーヌが言うように、王族の毒殺など枚挙に暇がないのは歴史が証明しているのだから。だが武器を取って戦う必要などないはずだ。
「ああ、それ」
だが、またしても何でもないようにブランディーヌは呟いた。
「兵士も護衛の騎士も全て倒された時、最後に王子妃が身を挺して王子をお守りするために必要なことよ」
「いやいや、どんな非常事態を想定してるんですかそれ!」
「そんなに驚くようなことかしら?他国の侵略、国内の反乱、果ては民衆の革命など、王族が命の危機に晒されることなんていくらでもあるじゃない」
特にガリオンは北西のブロイス帝国と何度も戦争しているし、そのせいで地方は疲弊して不満も溜まっているしね、とブランディーヌは続ける。
言われてみれば確かにその通りだが、王子妃が自ら戦わなければならないような事態に陥った時点で終わりなのではなかろうか。
「そういった万が一に備えて、王子妃たるもの剣や槍の取り回し、徒手格闘の心得、それにドレスの裡に隠し持つ暗器の扱い方を覚えておくのよ」
「格闘や暗器まで!?」
「当然じゃない。いつでもどこでも武器を所持できるわけではないのよ?というかわたくし、今も身につけているのだけれどね?」
「ウソぉ!?」
「ウソなものですか」
そんなことを言われたって、どこをどう見てもブランディーヌが暗器を隠し持っているようには見えないのだ。そもそもここは彼女の実家であるアクイタニア公爵家の庭である。少し離れた所には侍女が控えているし、見えない所には護衛の騎士や王家の影たちも控えているはず。
近くに王子がいるわけでなし、この場には完全に無用の長物のはずなのに。
「ほら」
そう言うが早いか、ブランディーヌはサッと着ているワンピースのスカートの裾の中に手を差し込む。次の瞬間には彼女の手に刃渡り10デジほどの細身の黒塗り刃の鍔のない短剣が握られていて、コリンヌは息を呑む。
「他にも、魔術の講義では一通り有用な術式を習うわ。修得していればそれも王子をお守りするための力になるもの」
「あ〜、書いてありますね『魔術講習』」
「それから、あの無料体験には組み込んでいなかったけれどまだ色々あるわ。例えば閨事の講義は必須だし、」
「ねやごと!?」
「殿下の子をなすことが王子妃の務めだもの、当然でしょう?あと音楽の講義もあるし、」
「いやまあそうですけど、って音楽!?」
「自国や来賓の国々の流行りを押さえておくことも重要なの。それにロッチンマイヤー女史もピアノを弾きこなしていたでしょう?楽器演奏も教養のひとつなのよ」
「あー、確かにそう言われれば弾いていらっしゃいましたね」
「他に料理の講義もあるわね」
「それ要ります!?」
「王族にとって一番安心できる料理というのは、一番身近な人の手によるものよ。そうじゃない?」
「そ、そうかも知れませんけど…」
やっぱ、あたしには無理だ。
王子妃なんて務まりっこない。
やっぱりあの時ごめんなさいして良かった!
「やっぱり私には王子妃なんて無理ですねー…」
「こんなもの、そもそも務まる方がおかしいのよ」
そう言ってブランディーヌは、何事もなかったかのように短剣をスカートの中に差し込む。その手が再び出てきた時にはもう短剣はどこにも見当たらない。
というか、王子妃や王太子妃でもなければ武器を隠し持っている時点でアウトのはずだ。そういう意味では、王家にとって武器を持たせても心配ないほどに心から信頼できる者でなければ、王子妃や王太子妃の候補にすることも出来ないのだろう。
やはりあの時、コリンヌが目論見通りに王子妃になることなど最初からあり得なかったのだ。
だが王子妃教育や王太子妃教育に関する実態は、それこそ機密事項であって一般には知られていない。だからこそコリンヌも知らずに大それた望みを抱いたし、これからもきっと彼女と同じ過ちを繰り返す者が出るだろう。
「あの」
「まだ何か?」
「私の受けた1日無料体験ですけど、あれ定期開催に出来ないでしょうか」
唐突にも思えるコリンヌの提案に、ブランディーヌは少しだけ首を傾げた。
「あの時も言ったけれど、王子の婚約者候補は6歳の頃から王子妃教育を受けて育つわ。だからわざわざ別途に無料体験など必要ないと思わなくて?」
「無料体験が必要なのはそういった候補者の皆様ではありません。私のような、候補にも選ばれないのに分不相応な高望みをするような者たちにもきちんと現実を教える必要があると思います」
「………ああ、そういうこと」
確かにそれは、身をもって身の程を思い知らされたコリンヌならではの発案だと、ブランディーヌも得心する。
「けれど貴女にもあの時殿下がお教え下さったと思うのだけれど、あれ結構費用が嵩むのよ?」
「それは急に組み込まれた予定外の業務だったからですよね?正式に公務化して、きちんと予算を組めばずいぶん変わるのではありませんか?」
なるほど、確かに一理ある。
「それに、あの時は王太子妃さまやロッチンマイヤー女史までお出まし頂いたから、それもあって高くついたのではありませんか?」
つまりコリンヌは、無料体験業務を公務化して関わるホスト側のグレードを落とせば、その分経費も抑えられるのではないかと言っているのだ。
確かにそれは間違いないだろう。そして経費を圧縮できるなら、継続業務として認められる可能性も上がるだろう。
「ふむ…。あの無料体験を業務化して、希望者を募って定期的に開催するようにすれば、貴女やシャルル殿下のように将来を狂わす者も減るだろうと、そう言いたいのね?」
「はい。私は自業自得ですが殿下は本当に巻き込んでしまったようなものですし、今にして思えばエドモン様たちも私が将来を奪ってしまったわけですから」
そう。コリンヌはブランディーヌに拾われてやり直す機会を与えられただけまだ幸せなのだ。その一方で取り巻きとして彼女を愛でてくれた男子たちは、軒並み将来を棒に振って辛い状況下に置かれている。
だがそうした不幸に陥る者を今後少しでも減らすことができるなら、彼らの不幸な境遇も、貴重な前例として無駄にはならなくなるに違いない。
「………そう。それも貴女の“贖罪”なのね」
「………はい?」
かすかに呟いたブランディーヌの声は、コリンヌには届かなかったようである。
「分かりました。では貴女の提案はもう少し詳細を詰めて、わたくしが正式に政務議会に提議することに致しましょう」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
でも提議は貴女の名前で出しますからね。
パッと花開くような笑みになるコリンヌを見ながら、声に出さずにブランディーヌは微笑む。
「それにしても、そろそろいらっしゃるはずなのですが……」
「えっ?」
「ブランディーヌ!」
コリンヌが呟き、それにブランディーヌが反応しかけたところでガゼボに響く声。少しだけ低くなって、男らしくよく通るようになったその声の主は、もちろん。
「ロ、ローラン様!?」
「また今日も来ちゃいました♪」
「ででででですから!先触れをお出し下さいといつも申し上げているではありませんか!」
「だって知らせたら、貴女恥ずかしがって逃げちゃうじゃないですか」
会話しながらも歩み寄ったローラン王子は、いつものようにサッと跪いてブランディーヌの右手にキスを落とす。
近付いて来たときに彼が一瞬だけコリンヌを見て、コリンヌもそれに微笑みを返したのをブランディーヌは見逃さなかった。
「コッ、コリンヌ!?もしかしてわたくしの居場所を殿下に流しましたわね!?」
「えっ、だってブランディーヌ様がご自宅にいらっしゃるのはいつものことでしょう?」
「こ、この裏切り者ぉ〜!」
「いいえ、私はブランディーヌ様の“心のお声”に従っただけですわ」
満面の笑みで、習い覚えた淑女礼をしてみせるコリンヌ。ブランディーヌから見ても腹立つくらいに、それは完璧に決まっていた。
あの時の礼儀も知らなかった無礼者が、よくぞここまで。そう思うと同時に、どんどん手強い存在になっていくコリンヌに少しだけ戦々恐々としないでもないブランディーヌである。
「私の存在も、忘れないでくださいね?」
「キャアッ!?ででで殿下!お顔、お顔が近すぎますわ〜!」
「このままくっつけたいのだけど、ダメ?」
「〜〜〜〜〜!?」
今日もローラン殿下がグイグイくる。
しかもいつの間にか自分の侍女まで味方につけて。
ブランディーヌが殿下に陥落するまでそう遠くない、というかもう陥ちてるだろ、と控えるコリンヌも侍女たちも護衛も影たちも、ブランディーヌとローラン以外の全員が、微笑ましい気持ちで若い恋人たちの甘すぎるやり取りを眺めているのだった。
ここまでで本編は一応の完結となります。
ですが、作品そのものは第2部エピローグまで含めて「ひとつの物語」です。
本編に比べて第2部があまり読まれていませんが、もしよろしければ最後までお読み頂けるとありがたいです。
どうかよろしくお願い致します。