そしてそれぞれの未来へ
「ああ、それとね」
ブランディーヌかコリンヌか、どちらかが死を賜らなければならない。その絶望的な二者択一を聞いて立ち尽くすシャルルに向かって、何でもない事のようにジェニファーが声をかけた。
「シャルル殿下、貴方の王位継承権は剥奪されることになります。もちろんブランディーヌ様との婚約を貴方の有責で破棄された上でね」
「……………は?」
「詳細は陛下と王太子殿下がお決めになることだけれど、シャルル殿下の継承権と“第二王子”の地位の剥奪、そしてゆくゆくは臣籍降下か、あるいはどこかの貴族家へ婿入り、ということになるのではないかしら」
一方的に突き付けられる内容に、さすがのシャルルも言葉が出ない。
「な………義姉上、何を………」
「だってそうでしょう?貴方の愚かな選択でこの国はブランディーヌ様という他国からも絶賛される淑女を失うかも知れないのよ?」
そう言われてしまっては、シャルルには返す言葉がない。今日これまでコリンヌの醜態を見せつけられて改めてブランディーヌの淑女ぶりを再確認するとともに、コリンヌに王子妃は務まらないと思い知ったばかりだ。しかも国秘教育を含む王太子妃教育まで始まっているとなれば、それを含む王太子教育にまだ進んでいないシャルル自身よりもブランディーヌの方が王家にとっては価値が高いのだ。
「孤の継承権の剥奪が、ブランディーヌの助命に繋がるというわけですか」
「ええそう。ブランディーヌ様には貴方は相応しくないというのが、王太子殿下の御考えよ」
悔しげに声を絞り出すしかないシャルル。
何でもない事のように返すジェニファー。
「それでね」
ジェニファーはそのままブランディーヌに向き直る。
「貴女には、改めてローラン様の婚約者として話が上がっているの」
そしてまたもや爆弾発言を飛ばしたのだった。
しかも、そうすればブランディーヌの賜死は回避できる、とジェニファーは言うのだ。
「ローラン様、ですか………」
ローランはシャルルの異母弟で第三王子、今年14歳で学園の1年生である。まだ成人前ながら兄シャルルよりも優秀だと一部で密かに噂されている。
そしてブランディーヌも王家の私的な茶会などで何度も面識があり、全く知らない間柄でもなかった。
しかもローランにはまだ婚約者がいない。本人の意思なのか王家の意向なのかは分からないが、どうにでも動ける身軽な立場を保っているのがローラン王子だ。
だがシャルルが第二王子、つまり王太子の予備としての立場と、王位継承権を剥奪されるのであれば、それを代わって受け継ぐのはローランになる。そのローランの婚約者に収まるのであればブランディーヌの立場は何も変わることなく、国家も彼女という逸材を失わずに済む。
そういう意味では、極めて妥当な落とし所と言えよう。
「それは、わたくしの一存では何とも………」
「ええそう、そうよね。アクイタニア公のご意向も伺わなければね」
戸惑うブランディーヌの心中を的確に言い当てるジェニファー。だがおそらく、ブランディーヌの父であるアクイタニア公爵に否やはないだろうことも解っている口ぶりである。
実際、アクイタニア公爵がこの話を拒否することはないとこの場の全員、そう、コリンヌにすら分かることでもある。どう考えても自明の理というやつだ。
「というわけで」
パン、と手をひとつ叩いてジェニファーが席を立つ。
「この話は決まり次第お沙汰があると思うので、全員それを待つように。
それとロッチンマイヤー夫人、今回の教育はもうここで終わりにして構わないわ。結論は出たようですからね」
「畏まりました」
ロッチンマイヤーがジェニファーに恭しく頭を下げ、ひとつ遅れてシャルル、ブランディーヌ以下全員が跪き頭を垂れた。
それを見て、満足そうに微笑むとジェニファーは静かに部屋を出て行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シャルルはその日のうちに父王に謁見を願い出て、王位継承権の返上と廃嫡を申し出た。廃嫡、つまり王妃アレクサンドリーヌの子としての権利を全て放棄することで彼は自身の失態と責任を認め、代わりにブランディーヌの助命を自らの意思で願ったのだ。
そんな息子に父王であるアンリ41世は小さく嘆息しつつも、最後の最後に判断を誤らなかった我が子を褒め、彼の願いを全て叶えた。シャルルとブランディーヌの婚約は彼が宣言した通りに破棄された。もちろんシャルルの有責でだ。
今後はシャルルとローランの立場が逆転し、シャルルは婚約者のないまま王位を継ぐ者たちの“予備の予備”としての立場に甘んずることになる。
大方の予想通り、アクイタニア公爵は娘の婚約者の変更を黙って受け入れた。公爵家にも娘ブランディーヌにもほとんどなんの影響も出ないため、これは当然のことであった。
数日で話がまとまると直ちにシャルルの廃嫡とローランとブランディーヌの婚約が発表され、あの卒業パーティー以来社交界を騒がせていた一連の騒動も急速に下火になっていった。
シャルルの側近候補だった三名は、やはりお試し教育当日のうちに各家の当主、つまり父親に事の次第を報告し、その日から自主的に蟄居に入った。
その後しばらくして正式な処分が下ったが、それは以下の通りである。
エドモンは例のお試し教育をセッティングした調整能力が買われて宰相府での出仕を許された。ただし、向こう三年は一切の昇進が見込めない下積みから始めなくてはならないだろう。
父の宰相は息子の不始末の責任を取って辞職を願い出て受理された。それとともに侯爵位を嫡男、つまりエドモンの長兄に譲って、首都を発って領地で隠居生活に入ったようだ。
ベルナールは伯爵家とは切り離され、一介の平民扱いで中央騎士団への配属が決まった。勘当こそ免れたものの、しばらくは伯爵家の援助を受けられない状態で一から出直さなくてはならないだろう。
父である騎士団長も宰相と同じく辞職を願い出たが、こちらは受理されなかった。代わりに副団長に降格され、地方騎士団の統括に回ることになった。
オーギュストは先のふたりよりもやや処分が重くなった。内定していた宮廷魔術師の就任は取り消され、伯爵家の嫡男であったが廃嫡された。そして魔術師としての才能はそれなりに高かったため、彼はそのまま領地へ引っ込んで一年間ほど自主的に蟄居を続けることになるが、これは魔術によるテロ行為の懸念を払拭するためである。オーギュスト自身にそのような意思は全くないのだが、世の中には魔術師というだけで不安視する層が一定数いるものだ。
そして父の伯爵もまた、筆頭宮廷魔術師の職を辞して宮仕えからも引退した。ただし彼には息子がオーギュストしかいなかったため、今後は縁戚から養子を迎えるか、オーギュストの歳の離れた妹に婿を取らせるかしかないだろう。
エドモン、ベルナール、オーギュストの三名はまた、それぞれの婚約者とその家からも婚約を破棄された。そもそもが婚約者がいながらコリンヌにべったりだったのだから、これはある意味で当然である。
そしてコリンヌだが、本来死を賜るべきところをブランディーヌの嘆願で一命だけは安堵された。
当初、死一等を減ぜられた彼女は地下の罪人牢に収監され、黥を入れられた上でイェルゲイル神教の神殿へと入れられる予定だった。これでも処分が甘すぎるのではないかとの批判もあったが、彼女があの『お試し教育』で自身の愚かさをこれでもかと思い知ったこと、その直後に自ら死罪を願い出たこと、自身の一命をもって父と男爵家の赦免を願い出たこと、自身の身勝手な言動で婚約破棄に至った全ての貴族家に謝罪して回りたいと述べたことなどから、ブランディーヌ自身が彼女の助命と身柄の引き取りを願い出て、結局それが赦されたのだ。
そして、そのコリンヌは今、ローラン第二王子の婚約者となったブランディーヌの侍女として仕えている。
無知がどれほど愚かなことか、学ぶことがどれほど重要なことかをあの一件で嫌というほど思い知ったコリンヌは、自らロッチンマイヤー女史に教育指導を受けたいと願い出て女史を驚かせた。そして現在、多忙な女史の代わりに女史の教え子のひとりを紹介され、週に二度のペースで授業を付けてもらっている。その授業料は彼女がブランディーヌの元で働いた給金から全て捻出している。
というのも、父のリュシオ男爵が娘の責任を取って爵位を返上し、それとともにコリンヌも平民に落ちたからである。実家にも迷惑をかけたからと彼女は自ら離籍し、今は姓なきただの“コリンヌ”だ。平民が貴族の講義を務められる教師に師事することは容易ではないし、迷惑をかけた多くの貴族家にも賠償を支払うことで合意している。それも含めて到底平民に払える金額ではなかったが、そこはブランディーヌが貸し付けることで補ってやった。
無論、コリンヌは何年かかろうとも働き続けて全て返済する覚悟である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
よく晴れた日の昼下がり。アクイタニア公爵家のテラスで側にコリンヌを従えて、ブランディーヌは優雅にお茶を楽しんでいる。
「ブランディーヌ様にはいくら感謝してもし足りません。あのような無礼を働いた私をお救い下さり、あまつさえ取り立てて下さって、本当になんとお礼を申し上げてよいやら」
「いいのよ。貴女が教養を身につけ汚名を返上することで、わたくしの評価も上がるのですからね」
実際、多くの貴族子息を誑かしブランディーヌ自身の命をも脅かしたコリンヌを見事に矯正させたということで、ただでさえ評価の高かったブランディーヌの名声はいや増すばかりだ。
「ですが、それでもジェニファー様には及びません。それに我が国にはノルマンド公爵家のレティシア様もおられますから、わたくしももっともっと上を目指さなければ」
コリンヌからすれば遙か高みの存在であるブランディーヌにも、まだ目指すべき“上”がいる。それも少なくとも二人も。その事実に目眩がしそうになる。
「でしたら、私などは本当にまだまだですね」
「それでも努力と研鑽を積んでいれば、いつかは望む高みへとたどり着ける時がきっと来るものよ。それまでお互い、気を緩めないようにしなくてはね」
「はい!」
公爵家のテラスに、朗らかな主従の笑い声が拡がっていった。
「何やら楽しそうですね」
声をかけられてブランディーヌが振り返ると、そこにはやや暗めの赤みがかったブロンドの、穏やかな紺碧の瞳の少年が立っていた。少年と言っても体型はすでに大人とほとんど変わりなく、上背もブランディーヌより少し高いほどだ。
その姿を見て、ブランディーヌともあろう者が慌てて立ち上がる。
「ローラン様!先触れを頂けたらお迎えに上がりましたのに!」
そう、そこにいたのは新たにブランディーヌと婚約を結んだローラン第二王子だ。
「いいんです。僕が急に貴女に会いたくなって、学園の帰りに立ち寄っただけですから」
「…っ!」
そう言って輝くような笑顔を見せるローランを直視できなくなって、思わずブランディーヌは顔を逸らしてしまう。歳下だとばかり思っていた少年は、シャルルと婚約していた6年の間にすっかり見目麗しい美丈夫になっていて、おかげでまだまともに顔も合わせられない。何というか、心臓に悪い。
そんなブランディーヌにクスッと笑みを漏らしながら、ローランは歩み寄ると跪いて彼女の右手を取り、その甲にそっと唇を落とす。
「…っぃ!」
「そうやって照れる貴女も可愛らしいですが、そろそろ慣れて頂けないでしょうか?」
「っぜ、善処いたしますっ…!」
学園に通っていた頃、ブランディーヌが3年生でローランは1年生だった。その頃にも何度も顔を合わせていたし、その時はこんなに顔も見られないほど気恥ずかしくなることはなかったはずなのだが。
全くどうして、婚約した今こんなことになっているのか、ブランディーヌには不思議でならない。
(照れてるブランディーヌ様って、本当にお可愛らしいわね…)
そして、そんな主人とその婚約者の甘すぎるやり取りをうっとりして見つめるコリンヌである。
(思えば、あの時からずうっとブランディーヌ様はローラン様にメロメロなのよねえ)
そう、あれはあのお試し教育の数日後。改めて主だった当事者が集められ、それぞれに“処分”を申し渡された時のこと。
玉座の脇に控えていたローランは、シャルルとブランディーヌの婚約の破棄を言い渡された直後に彼女に駆け寄って、今みたいに跪いて彼女の右手にキスを落としてこう言ったのだ。『兄の婚約者として紹介された貴女を見て、ひと目で恋に落ちました』と。
それからずっと彼女が忘れられず、さりとて兄の婚約者を奪うわけにもいかず、その想いを一生心に秘めて生きていかねばならないと覚悟していたというのだ。それが思いがけず兄の失態によって自分にもチャンスが生まれた、ならばもう我慢することもない、貴女に愛を囁いてもいいだろうか、貴女はそれを受けてくださるだろうか、私を弟のように思って下さっているのは知っているが、どうか願わくば弟ではなく良人として見て欲しい。
そう熱烈にかき口説いて、鉄壁の淑女の微笑を誇るブランディーヌを赤面させタジタジにしてしまったのがこのローランなのだ。
そしてそれ以来ずっと、ローランを見るたびにその時のことが思い出されるようで、ブランディーヌはなす術なく“敗北”を重ねている。おかげで彼と出る夜会のたびに『ブランディーヌ様は随分とお可愛らしくなられた』『より魅力が増したのではないか』と囁かれまくって、もはや今となっては夜会だろうが茶会だろうがからかわれイジられまくっている。
「本当に、今からそれでは婚姻を結んでから身が保ちませんよ?」
「よっ、余計なお世話ですっ!」
現在14歳のローランは、婚姻が可能な成人の儀までまだ1年近く残している。その間ずっとこうして蕩かされていては、婚姻式の頃には原形を留めていないかも知れない。
仮にローランが学園を卒業するまで待つのであれば、婚約期間は丸2年ほどになる。ますますもって耐えられるのか、ブランディーヌには甚だ自信がない。
というか、まだ14歳なのに色気ありすぎではないのですかこの王子は。本当にわたくしの2歳歳下なのかしら?
とは思うものの、シャルルはこんなに熱烈に口説いてくれなかったし、完全に未知の経験でブランディーヌにはどうしていいものやら見当もつかない。
「まあ、だからといって蕩かすのを止めるつもりはありませんけどね?」
「…っひぃ!」
最後の悲鳴はローランが立ち上がってブランディーヌを抱きしめ、その頬にキスを落としたせいだ。そのまま額と言わず髪と言わずキスの雨を降らされ、「愛しています、私のブランディーヌ」と囁かれ、もはや彼女は息も絶え絶えである。
なす術なく立ち尽くして、首から上が茹で上がったように真っ赤なブランディーヌは、確かに“完璧な淑女”と呼ばれていた以前よりも魅力的だなあ、としみじみ思うコリンヌであった。