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上を見上げればキリがない

「身の程も弁えずにシャルル様のお妃なんて目指してすいませんでしたーっ!」


 コリンヌは無知で愚かだがバカではなかった。王子妃なんて自分には無理だ。そうと分かったからには全力で逃げを打つだけだ。


「え、今さら何言ってるの?」


 だがエドモンがそれを許さなかった。


「今日この日のために講師陣の先生方には全員予定を空けてもらっているんだよ?今さら取り消し(アニュレ)なんてできるわけないだろう?」


 王子教育、王子妃教育を受け持つような識者といえば国内でも最高峰の教養と能力を持つ者たちばかりだ。彼らは当然、王子や王子妃の教育だけでなく他にも様々な仕事を持っていて、多忙な生活を送っている。

 それを『コリンヌに王子妃教育を体験させるため』だけに1日押さえてあるのだ。

 その調整にたっぷり7日もかかったのだ。宰相の子であり将来はシャルルの側近として国の中枢で働くことが決まっているエドモンをもってしても、それは大変なことだったのだ。


 しかもコリンヌに受けさせる教育はお試しとはいえれっきとした国の事業(・・・・)である。講師陣も慈善活動ではないから報酬を出さねばならないが、その報酬は国庫から(・・・・)出される(・・・・)のだ。

 つまりこれは伊達や酔狂ではなく、文字通り国家(・・)()承認した(・・・・)正式な教育(・・・・・)である。それを途中で辞めるなど許される(・・・・)はずがない(・・・・・)のだ。


「言ったでしょ、『セッティングするのに苦労した』って。関係各所にどれだけ無理言ったと思ってるの?」


「そ、そんな………」

「だからほら、続きやるよ?もうこれ受けるのは君の義務(・・)だからね?」

「ヒィィ!」


 もはや涙目でガクガク震えるしかないコリンヌ。

 もう耐えられないだろうと分かりながらも、付けられた予算とかかった人の手を思えば鬼になるしかないエドモン。

 まあ正直言えば彼だって彼女がここまで出来ないとは思っても見なかったから同情を禁じえないが、だからといって裏で動く多くの物事やそれを調整した自身の労力を無にするつもりもない。


 それを見ながら、ブランディーヌがロッチンマイヤーに近付いてひっそりと声をかける。


「………ロッチンマイヤー先生」

「どうしました、ブランディーヌ様」


 ロッチンマイヤーとブランディーヌは王子妃教育が始まって以来10年目の師弟関係である。ロッチンマイヤーにとって彼女は自身の教師生活で一、二を争うほど優秀な、自慢の生徒であった。

 だから厳しい教育で知られる女史も、彼女には幾分と甘い。彼女が第二王子妃になることを信じて疑っていないため、すでに王族と見做して敬称で呼ぶのもそのためだ。


「コリンヌ様は地方の男爵家のご令嬢です。ですからその、それなりの(・・・・・)手心(・・)をお願い出来ないでしょうか」

「なんとまあ。男爵家の娘でしたか」


 それならばこの娘がこんなにも(・・・・・)粗野である(・・・・・)のも納得がいく。ロッチンマイヤーにとって、男爵家の娘など平民も同然(・・・・・)である。

 だがそれだけに、ロッチンマイヤーはブランディーヌを追い落として王子妃になろうとしたコリンヌを赦すつもりはなかった。


「であるならば、尚更厳しく躾けないとなりますまい。こんな愚かなたくらみを企てる者が二度と現れないように、きっちりと見せしめ(・・・・)なければなりません」

「えっ、そ、そこを何とか」

「なりません。そもそも自らの地位を、今までかけてきた時間と労力とをむざむざ奪われかけているのに、ブランディーヌ様はお優しすぎましょう。貴女様は我が国にとって唯一無二。もっとご自身の価値を正しくご理解下さいませ」

「そ、そんなことは………」


 思いがけず絶賛されて思わず俯くブランディーヌ。今まで褒めたことなどほとんどないロッチンマイヤーの言葉なだけに、思いの外破壊力が半端なかった。


 そして、そんなブランディーヌの向こうでは、今度はコリンヌがシャルルに縋りついていた。


「殿下ぁ〜!殿下からも言ってやって下さいよ〜!もうあたしには無理ですう!お願いですから助けて下さぁ〜い!」

「うん………いや、あのなコリンヌ?」


 シャルルは苦笑するしかない。可愛らしいとばかり思っていたコリンヌの言動が、今となっては浅はかで打算にまみれた、無責任で愚かな姿にしか見えなくなっている。


「今日のこれにかかった費用がな…………講師陣と場所と急な依頼での加算分も含めてな………だいたいこれくらいでな」

「ヒィ!?そんなに!?」

「今やめるとなると、賠償としてそなたに払ってもらわなくてはならなくなる」

「ゲェッ!?」


 そもそもが“お試し”として受けさせて(・・・・・)やっている(・・・・・)に過ぎない。それも無理を言って組まれたものだ。しかも受けさせてやるのは王家なのである。

 それを受けさせてもらう側のワガママで(・・・・・)中断する(・・・・)というのなら、それ相応の賠償を払わなくてはならないのは当然である。特にコリンヌはすでに成人しているのだから、『子供のワガママ』などでは済まされない。

 そしてシャルルが概算してコリンヌに伝えた額は、コリンヌどころか男爵家が逆立ちしたって出せないような金額であった。


 つまり、コリンヌに逃げ場などない。諦めて最後までやり切るしかない(・・・・・・・・)のだ。



「さて、ではそろそろ再開しましょう。よろしいですわね、コリンヌ嬢」


 そして、無情にもロッチンマイヤー女史の宣告がコリンヌを絶望に突き落とした。


「そ、そんな………!」

「時間も押しております。本来ならばとうに昼餐が始まっている時間ですからね、さっさと席に着くように。淀み無く進ませますから、そのつもりで」

「まっ、待って!あたしもう無理ですう!」

「………その言葉遣いも一人称も度し難いですが、本日の“来賓”の前でもそのような話し方ができますか?」


 そう言って女史が小食事室の扉を見る。

 いつの間にか室内にいた王宮侍女たちが恭しく開けたその扉から入ってきた人物を見て、コリンヌだけでなくシャルルもブランディーヌも驚きで思わず目を(みは)った。


義姉(あね)上!?」

「ジェニファー様!?」


 入ってきたのはなんと王太子妃、つまり王太子レオナールの妃となったジェニファーだった。隣国アルヴァイオン大公国の公太子の末の姫であり、先ごろ大々的にガリオンへと輿入れしてきた、正真正銘本物の“お姫様”である。


「シャルル殿下、そして皆様ご機嫌よう。本日はわたくしをもてなして頂けるとのこと、楽しみにして参りましたわ」


 花もほころぶような可憐な笑みを見せるジェニファー妃18歳。生まれついてのお姫様は、ブランディーヌをも上回る“淑女のなかの淑女”である。

 そして彼女は“隣国のお姫様”でもある。彼女に対して粗相でもあろうものなら、冗談抜きで国際問題になりかねない。


 想定もしてなかった至尊の御方の登場にコリンヌは卒倒してシャルルに抱き止められ、ブランディーヌはかろうじて表情を保ち、臣下に過ぎないオーギュストとベルナールは大慌てでその場に跪く。

 平然としているのは彼女がこの国に来てから王太子妃教育の“確認”を担当しているロッチンマイヤー女史と、予め登場を聞かされていたエドモンだけだ。そのエドモンにしたって自身でセッティングしたわけではなくロッチンマイヤー女史から話を通したと聞かされていただけなので、内心穏やかではない。


(先生ホントに御出まし願ったのかぁ…)


 冗談だったら良かったのに、と思いつつ、彼女がそんな冗談など言わない人だとエドモンは嫌というほど知っている。


「あらあら、ふふ。皆様そんなに畏まらないで。この場は公式の場(・・・・)ではない(・・・・)のだから、少しくらいは大目に見て差し上げますわよ?」


 少しくらい、ってどのくらいですか!?

 ロッチンマイヤー以外の全員の心の声が綺麗にハモった。だが当然ながらそれを口に出す度胸のある者などひとりもいない。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「久しぶりに、楽しい昼食になりましたわ。皆様に御礼を申し上げます」


 結論から言えば、王太子妃を迎えての“昼食”はつつがなく終えることができた。シャルルとブランディーヌが持てる教養と作法を総動員して、失礼のないよう彼女を(もてな)したからだ。

 ジェニファーにとっては気を張ることもない、気楽な食事になったのかも知れないが、ぶっちゃけそう思っているのは彼女だけだろう。

 ちなみにコリンヌは、末席で小さくなって無礼な振る舞いが出ないよう、とにかく縮こまっていることしか出来なかった。何を食べたかも、その味も何も記憶に残ってはいない。


「ですが、これでは“教育”の目的を達成したとは言いがたいのではありませんか、夫人?」


 ジェニファーがロッチンマイヤーに声をかける。ロッチンマイヤーは肩書としては伯爵夫人の身分を持っている。


「妃殿下の仰せの通りでございます」


 ロッチンマイヤーが恭しく頭を下げる。ジェニファーが『昼食』と発言した時点で“昼餐”とは認められないのだから当然である。というか率先して饗さなくてはならなかったコリンヌが何もやって(・・・・・)いない(・・・)のだから、そもそも合格のしようがなかった。


「コリンヌさん、と仰ったかしら?」

「は、はひぃ!?」


 唐突に王太子妃から御言葉を下され、コリンヌが掠れた悲鳴をこぼす。その様子にロッチンマイヤーのこめかみがブルブル震えているがコリンヌはもちろん気付かない。

 コリンヌは大慌てで椅子から崩れ落ち、そのまま土下座して額を床にこすりつけた。


「貴女への“罰”としてはもう充分かと思うのだけれど、残念ながら貴女にはまだまだ思い知ってもらわなくてはならないの」

「ヒ…!」


 王太子妃直々に『罰』と言われて、コリンヌは本日何度味わったかしれない絶望にまたしても叩き落とされる。

 もういっそ死を賜りたい。その方が絶対に楽になれる。


「だって、貴女がこのまま王子妃の地位を奪うことになれば、こちらのブランディーヌ様は死を賜ることになるもの」


「……………えっ?」


 意外な事を言い出した王太子妃に、コリンヌは不敬になるのも忘れて思わずその尊顔を見上げてしまう。


「義姉上?なぜブランディーヌが死を賜らねばならないのですか?」


 彼女の言葉がよほど意外だったのだろう、シャルルも発言を許されていないのに思わず声を出していた。


「だって、彼女は優秀だからもう王太子妃教育(・・・・・・)()入っている(・・・・・)のだもの」


「本当か、ブランディーヌ」

「はい、妃殿下の仰せの通りにございます。わたくしはもう、“国秘教育”が始まっておりますわ」



 王子妃教育とは、最高峰の高度な教育ではあるものの内容としては上位貴族の受けるそれと大差はない。それは誰にでも施せるものに過ぎず、きちんと修了できればどこに出しても(・・・・・・・)恥ずかしくない(・・・・・・・)淑女の(・・・)完成(・・)だ。

 だが、“王太子妃教育”となると話が違う。

 王太子妃とは即ち、将来の王妃である。その教育ともなると国家の機密、そして王家の秘事までも受け継ぐことになる。真の意味で国の中枢に在るために、王妃は国家の全て(・・・・・)をも(・・)知らねば(・・・・)ならない(・・・・)のだ。


 そして、そればかりはロッチンマイヤーなど識者たちでは教育出来ない。臣下に過ぎない彼女らが知り得ない内容だからだ。

 故に、王太子妃教育を担当するのは王妃となる。ジェニファー王太子妃はまだ輿入れしたばかりでロッチンマイヤーが教養の確認を行っている段階だが、それが済み次第、現王妃アレクサンドリーヌによる真の(・・)王太子妃教育(・・・・・・)が始められる予定だ。

 そして、もう10年にわたって王子妃教育を受けてきているブランディーヌには、それに先立って王太子妃教育が始まっていた。


 つまり、もうブランディーヌは王家の一員(・・・・・)になる(・・・)しかない(・・・・)のだ。それはシャルルの婚約者として、彼と婚姻する事を前提にブランディーヌ自身の了承を得て始まっていることなので、関係者全員に周知が済んでいることだ。

 そして彼女がもしも王子妃にならないのであれば、王家の秘事を外に漏らさないために彼女を(・・・)始末(・・)するしかない(・・・・・・)のだ。


「そんな………!」


 婚約破棄は考えていたものの、ブランディーヌの命まで取ろうと考えていなかったシャルルは、自らの認識の甘さに目が眩む。

 コリンヌに至っては想像力のキャパシティを遥かにオーバーして茫然自失だ。


 そして、そんな未来を想定することなくコリンヌがシャルルを唆し、まだ王子教育を修了しておらず王家の秘事を含む王太子教育にまで進んでいないシャルルが、独断でブランディーヌに婚約破棄を突きつけたのが7日前。

 だから今、実のところ王宮内では上を下への大騒ぎである。今回のコリンヌに対する“お試し”の王子妃教育も、発案こそブランディーヌだったが王宮内では本当にコリンヌに王子妃そして王太子妃が務まるものか、多くの人々がその結果に密かに注目していたのだった。


 まあ、昼に至るまでの体たらくでとっくに“不適格”の烙印を押されてしまっていたのだが、そんなことはコリンヌは知る由もない。


「そういうわけでね、貴女が自分の仕出かした事の罪を受け入れて死を賜るか、ブランディーヌ様が王家の秘事を守るために死を賜るか、どちらかの道しか残っていないの」


 困ったような顔でジェニファーが告げる。

 その声を、絶望に包まれつつもどこか安堵するような気持ちで、コリンヌは聞いていた。





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