お義母様と、私
その日は伯爵家に泊めて頂けることになった。公爵家の方にはロッチンマイヤー先生が連絡して下さって、私は客間を用意されて侍女まで付けられて、晩食をご馳走になって湯浴みまでさせてもらえた。
いや侍女に侍女付けるて。
そういうのはせめて男爵夫人になってからでお願いします。
ちなみにラルフ様はおひとりで寂しく公爵家に戻っていかれた。例によってしょげた大型犬の仔犬みたいになっていて、だらんと力なく垂れた尻尾が見えた気がする。可愛い。
「継承式を終えてからは、週に2度伯爵家に顔を出すように。しばらくは公爵家でのお休みの日だけで構いません」
晩食後、食後のお茶を頂きながらロッチンマイヤー先生にそう言われた。ということはつまり、公爵家の侍女のお仕事がお休みの日は全部“淑女教育”に取られるということだ。
まあ公爵家の侍女のお仕事をすぐに辞めるわけにもいかないし、ある意味仕方ないかな。
「お休みの日には先生に来て頂いているのですけれど、それはどう致しましょうか」
「わたくしの方で手配しておきますから貴女は何も心配いりません。公爵家と伯爵家との行き来もこちらで馬車と護衛を用意しておきますから、貴女はそれをお使いなさい」
うん、完全に逃げ場がなさそうです。
まあ逃げる意味も意思もないけどね!元々先生に教わりたかったんだし!
あ、でもそう言えば、お義父様になる伯爵様にまだご挨拶してないな。
「旦那様は普段は任地か領都の本邸におりますから、本日この邸にはおりません。継承式までに顔合わせの機会を設けますから、そこでご挨拶なさい」
「はい、畏まりました」
お舅さまとの対決イベントはまた後日、と。
そのあと、先生とふたりきりでたくさんお話を聞かされた。思いもよらない話ばかりで、夜が更けるのも気付かないほど話し込んでしまった。
「貴女は、わたくしのことをどう考えていますか?」
「どう、と仰いますと?」
「礼儀作法や教養に煩い、嫌な女とでも思っているのではありませんか?」
「いえ、とんでもありません!確かにあの“お試し教育”の時はそのように思っていたことを否定はしませんが、知識や教養の大切さ、礼儀作法の重要性、淑女としての心構えや立ち居振る舞いなど、わたくしに無いものを、何が足らなくて何が必要なのかをお教えくださった御恩は忘れておりません!」
本心からそう思う。あれは確かに荒療治だったと思うけど、ああでもされなければ私は絶対に自分だけでは気付けなかったはず。
それに気付かないまま暴走を続けていたなら、間違いなくこの命は今頃この世から消えていたと、今なら分かる。それを気付かせてくださった先生と、やり直す機会を与えてくださったお嬢様には感謝してもし切れない。
「わたくしは、貴女のことが他人事には思えないのです」
「えっ?」
「わたくしもね、貴女くらいの娘時分には、礼儀作法など知りもせぬ田舎娘だったのですよ」
そうして、先生はご自身の生い立ちを語ってくださった。
それは今の先生しか知らない私にとって、にわかには信じがたい話だったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
先生はブロイスの片田舎の貧乏男爵家の三女だったそうだ。ブロイスでは男爵家にも小さいながら領地が与えられるため、先生のご実家は先祖代々その地を守ってきたのだそうだ。
だけど先生のお父様には領地経営の才能がなかったそうで、家勢はどんどん衰え、ついには借金で首が回らないほどの事態にまで陥ったのだとか。
そこで、先生のお父様はやってはならない手段に手を出した。
当時14歳だった先生を使って、婚約詐欺を働いたのだ。
まだ未成年だった先生に拒否する手段などなかった。その日暮らしで貴族子弟の通う学舎にも通わせてもらえなかった先生は、言われるままに金持ちの伯爵家子息を誑し込んで、まんまと婚約と婚礼支度金をせしめたのだ。それがどういう事態を引き起こすかも解らずに。
先生は15歳の誕生日に婚礼を挙げる手はずになっていて、その前日夜に密かに家を出され、密かに雇われた冒険者上がりのゴロツキに引き渡された。
お父様の思惑としては、そのまま国境を越えさせて「不埒者どもに拐われた」とでも言い逃れ、ほとぼりが冷めた頃にこっそり家に戻すつもりだったのでしょう、と語った先生のお顔が、珍しく苦痛に歪んだのがはっきりと分かった。
先生はその男たちに手篭めにされたのだ。
当然、国外へと逃してなどもらえず、そのまま地下市場の奴隷市場へと売り払われたのだそうだ。
先生はそこで奴隷商に買われ、図らずもその奴隷商に連れられて国境を越えさせられた。もちろん密出国だ。
だけど国境を越えたガリオン北部の街で、当時北方騎士団長を務めておられた先代のアルトマイヤー伯、つまりラルフ様のお祖父様に偶然救い出されたのだという。
捕まった奴隷商の供述から冒険者崩れのゴロツキたちの犯行も明らかになり、芋づる式にお父様の男爵の詐欺行為まで明らかにされた。お父様は犯罪者として捕縛され、詐欺被害の伯爵家からも賠償請求され破滅。
伯爵家は国境を越えてガリオン側にも先生の引き渡しを要求してきたのだそうだ。だが先生の身の上を哀れんだ先代アルトマイヤー伯爵が、分家のロッチンマイヤー子爵に養子として迎えさせることで守りきったのだという。
私は、自分の身の上を決して恵まれているとは思っていなかった。むしろ地方の貧乏男爵家に生まれて不幸だとさえ感じていた。
だけど先生の身に起きたことを聞かされた今となっては、とてもそんなことは言えなかった。世の中の不幸には底がないのだと、身震いすることしかできなかった。
「貴女も、わたくしを不幸な女だと思ったことでしょうね」
先生が、寂しそうに微笑う。
先生が笑うのは初めて見たけれど、こんな顔は見たくなかったと心の底から思ってしまった。
「けれど、わたくしは幸せだったのです」
先生の話には続きがあった。
養家となったロッチンマイヤー子爵家も決して裕福ではなかった。けれどもアルトマイヤー伯爵家の援助も得て、養父のロッチンマイヤー子爵は先生に出来うる限りの淑女教育を施してくださったのだそうだ。
下位貴族のそれではなく伯爵家令嬢としても恥ずかしくないほどの教育を施され、その過程でアルトマイヤー伯爵家子息、つまり現在のご主人である現アルトマイヤー伯爵と愛を育まれ、妻にと請われたのだという。
その時の先生の喜びはいかばかりだったろうか。話を聞いただけの私ですら思わずもらい泣きしそうで、けれどもそんな話をしながらも先生の表情はほとんど崩れることがない。
いや先生?そういう時くらい喜んでいいのでは?
「わたくしは本当に幸せ者でした。義父であるアルトマイヤー伯爵にも、養父であるロッチンマイヤー子爵にも、どれほど感謝しても足らないほどです」
あっ、声が喜色に満ちていた。
先生、ちゃんと喜んでらっしゃる。
「だからわたくしは、私生活ではアルトマイヤー伯爵夫人を名乗り、公の仕事ではロッチンマイヤーを名乗るのです」
ただし本名である男爵家の姓名は捨てた、と冷めきった声で先生は語った。エーデルヴァイスという名も、ロッチンマイヤー家に養子に入ってから頂いた名なのだそうだ。
その後、アルトマイヤー伯爵家に嫁として迎えられた先生はお義父様の先代アルトマイヤー伯に願い出て、より高い教育を受けさせてもらったのだそうだ。教育さえきちんと受けられていたなら前半生の不幸はなかった、だから学びたいと強く願われたのだそう。
そして学ぶことに楽しさを覚えた先生は、より高い教育を求めて高名な教育者たちに次々と弟子入りして回ったのだそうだ。そうしてふたりの息子とひとりの娘を産み、伯爵夫人としての務めも果たしながら学び続け、いつしかガリオン国内でも並ぶもののないほどの教養を身に着けて逆に弟子入りを志願されるほどになっていたのだそう。
その名声に目をつけたのが先代ガリオン王ルイ40世陛下。陛下は王孫、つまり現在のレオナール王太子やシャルル殿下の教育係として先生を招き、それ以降先生は王子教育と王子妃教育、それに王子の側近教育を担当するようになったのだとか。
それが、今からおよそ15年前のこと。
そして今に至るのだそうだ。
「わたくしの出自は公的には明らかにしてはおりませんから、この話を知っているのは事実上、王家とアルトマイヤー伯爵家の者とロッチンマイヤー子爵家の者だけになります。公的にはわたくしは『ロッチンマイヤー子爵家の養子』であり、それ以前の経歴は全て抹消してあります」
うん、私もそれがいいと思う。
先生に残るのはガリオンに来てからの経歴だけでいいと思う。
そして先生が私に包み隠さずお話しくださったのは、きっとラルフ様の妻として認めてくださったからだ。
「分かりました。わたくしも外では一切他言致しませんからご安心くださいませ」
だから、私は先生の目を見てしっかりと誓った。先生の、いやお義母様の名誉をお守りするのは、今後は私の務めになるのだから。
「………そう言って頂けて、わたくしも安心致しました。ブランディーヌ様の、そしてラルフの目はやはり間違っていなかったようですね」
そう言ってお義母様は微笑った。
今度こそ穏やかな、安心したような笑みだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お義母様は私のことについてもお話くださった。
私のしでかしたことを初めて知った時、ご自身の婚約詐欺を思い出して震えが止まらなかったのだそうだ。形こそ違えど、教養も何もない下位貴族の小娘が自分より高位の貴族子息を誑かしたことに変わりはない。しかも誑かされた者の中に、ご自身が手塩にかけて教育してきたシャルル殿下まで含まれていることに戦慄を覚えたのだそうだ。
怒りを覚えると同時に、私の将来の破滅まで見えてしまって血の気が引いたのだそう。“あの子はあの時のわたくしだ”と、そう思ったらいても立っても居られず、アンリ41世陛下に私の再教育を願い出たところでお嬢様が私に“お試し教育”を提案なさったことを聞いたのだそうだ。
そしてお嬢様から講師役を打診され、当然のように引き受けたのだそう。
お義母様の身の上を聞いた今なら分かる。お義母様は誑かしたのが伯爵家子息に過ぎなかったから、国際問題に発展させてまで奪い返されることはなかった。けれども私は殿下を誑かしたのだ。当然、王家としては面子にかけても私を死罪にしなければ収まらない。
まさに王太子妃殿下の仰った通りだ。「私が死を賜るか、お嬢様が死を賜るか」しかなかったのだ。
無知なだけの小娘が、無知だというだけで死ななければならない。そんな未来は間違っている。
お嬢様とお義母様と、おふたりがともにそう考えてくださったからこそ、今私は生かされている。
それだけじゃない。私は本当に多くの人に見守られ、助けられ、機会を与えられて今ここにいる。
殿下、ベルナール様、オーギュスト様、エドモン様。それにアクイタニア公爵家の旦那様、奥様、オーレリア先輩。王太子妃殿下にレティシア様。さらにベルナール様のお父様やオーギュスト様のお父様、私のお父様。
そして何より、私に寄り添ってくださったラルフ様。
本当に、私は人に恵まれた。
なんと幸せなことだろう。
「お義母様、改めてありがとうございました。貴女をはじめ多くの皆様がいてくださったおかげで、私が今こうして生きていられるのだと、改めて実感できました」
「いいのですよ。わたくしのような不幸な女は、増えないに越したことはありませんからね」
それに無謀にも王子妃を狙うような愚かな娘をこれ以上出さないようにするためにも必要な措置でした、と語るお義母様は、すっかりいつもの教育者のお顔になっていた。
「そういう意味では、今後は貴女にも責任を取ってもらわなければなりません」
「えっ?」
「貴女が提議したのでしょう?“お試し教育”の継続公務化を」
「えっ、あれを提議なさったのはお嬢様では?」
「そのブランディーヌ様が貴女の名義で提議なさったものです。そしてすでに承認も下り、今後の開催こそ未定ですが予算も付いています」
うげ、マジか!?
お嬢様そんなこと全然仰ってなかったのに!
ちょっといやマジで何してくれてんのお嬢様!?
「相変わらず驚きを隠せませんね貴女は。
まあいいでしょう。そういうわけですので、わたくしが貴女に施すこれからの3年間の教育は、わたくしの“後継者教育”です。一切手を抜くつもりはありませんから、覚悟なさい?」
「ぎゃあああああ!!」
「何ですいきなりはしたない!早速今から始めてもいいのですよ!?」
ゴメンナサイお義母様カンベンしてくださいマジで!
義娘なだけでなく後継者とか、あたしには荷が重すぎます〜!!




