公爵家侍女とまさかの再会
年が明けて、フェル暦676年になった。
私は16歳に、お嬢様や殿下は17歳に、ラルフ様は20歳に、それぞれ歳を重ねた。
年が明けると同時に花季になる。けれどさすがにすぐ暖かくなるわけではなくて、少しずつ、寒い日と暖かい日を何度か繰り返しながらゆっくり季節が進んでいく。
この世界、年明けとともにどの国でも一律に年齢が加算される。誕生日はそれぞれ記録され当日にはちゃんとお祝いもするのだけれど、年齢だけは分け隔てなく揃えられる。同じ年に生まれた人は、全員が年中通して同い年だ。
これは大昔の、大半の人が個人の誕生日を記録できなかったような古い時代からの名残の風習なんだけど、まあ分かりやすいし、廃止しようとするような話も聞かないから、きっとこの先もずっと続いていく風習なんだろう。
ってことで、私とラルフ様は永遠に4歳差のままである。
年末年始は年越祭。越冬祭から2ヶ月かそこらでまた祭りかよ!?と思わなくもないけれど、寒季は娯楽が少ないからねえ。厳しい寒さを乗り切るために昔の人もあれこれ考えたのだろう。まあ楽しいことはたくさんあっても困ることはないし、私もラルフ様とデートできたし、何も文句はない。
あるとすれば、彼がどんどん蕩かしてくるたびに顔が真っ赤になってからかわれるのが困るだけ。
………うん、考えてみれば死活問題だな、これ。
まあそれはいいとして、年明けてすぐにひとつハプニングがあった。
ある日、ラルフ様に談話室に呼び出された。
そこで私はとんでもない話を聞かされるハメになったのだ。
「兄が亡くなった」
「えっ!?」
ラルフ様のお兄様。お会いしたことはなかったけれど、私が弟の嫁に来ることをとても喜んでくださっていたとお聞きしている。私も婚約式でお会いする予定で、ちょっと楽しみにしていた。
なのに、そのお兄様が亡くなられたなんて。
「兄は元々身体が弱いところがあってな。それもあって父も爵位を継がせるのを躊躇っていた部分があったんだ。せめてもう少し体調が改善しなければ、伯爵としての責務も果たせないからと」
「そうだったんですか…」
「年末の冷え込んだ時季から体調を崩して臥せっていたのだが、先日容態が急変してな。[治癒]も[回復]も間に合わなかったらしい」
青加護の加護魔術の[治癒]はそもそも身体的な怪我に対応する術式で、病気に対しては効きが悪かったり効かなかったりする。
黒加護の加護魔術の[回復]は病気の対処療法としては一般的だけれど、そもそも患者の体力や魔力が弱っていたらやはり効きが悪い。患者の持っている生命力を活性化させる術式だから、弱りすぎると効かなくなるのだ。
魔術は別に万能じゃない。だからこそ街には施療院があり、魔術に頼らない医術を駆使するお医者様がいるし薬も各種ある。わが公爵家に専属の侍医たちがいるのもそのためだ。そして普段から健康に留意して不摂生や無理をしないよう、子供の頃から何度も教えられながら私たちは大人になる。
だからお義兄様のことは残念で悲しいけれど、きっとこれが彼の運命だったんだと考えるしかない。とても寂しく辛く、心が痛むけれど、私にはどうすることもできない。
だけどせめて、ラルフ様のお心だけはお慰めしないと。そう思ったら、私は無意識のうちに彼の握られた拳に手を添えていた。
「それでだな、」
辛そうな顔のラルフ様が言葉を続ける。
「私がアルトマイヤー伯爵家を継ぐことになる」
「えっ?」
…………………あっそっか!ラルフ様は次男で、ご長男のお兄様が亡くなられたんだからラルフ様が新しく嫡男になるんだ!
あっ、てことは…………
私、伯爵夫人になるの!?
マジか!?
「すまない」
驚愕する私の顔を見て、申し訳なさそうに彼が呟く。
「元々男爵家の生まれで、貴族復帰後も男爵夫人だったはずなのに、いきなり高位貴族の夫人になれと言われても戸惑うばかりだというのは分かっている。だが父の息子は私と兄だけだったから、兄が亡くなった今、他に選択の余地がないんだ」
「いやまあお兄様がそんな状態だったのなら嫡子の変更も充分考えられたでしょうし、そのうちそういうお話にもなっていたかも知れませんけど…」
でも心の準備のあるなしじゃ大違いだよう!
お義兄様!そこだけはお恨み申し上げますわ!!
あっ、でも待って?
「あの、お兄様はご結婚などは………?」
「病状が数年前から一進一退だったから婚姻も済ませていない。婚約者は一応おられるが、こうなることを見越して待って頂いていた」
あーそうなるよねえ。
じゃあお兄様のお子とかもいないわけか。
「その婚約者さまは?」
「我が伯爵家で責任持って縁談をまとめる算段が整っている。服喪期間があるからすぐにとはいかないが、彼女の次の婚約予定の相手とも顔合わせは済んでいる」
うわフォローばっちりじゃん。
ますますもってラルフ様が後継になるのに支障なさそうね!詰んだ!
「えっと、じゃあ、今度の婚約式と継承式は家督相続になるん………ですよね?」
婚約式まであと1ヶ月。
1ヶ月後には“将来の伯爵夫人”かあ………。
「それなんだがな、服喪期間があるから婚約式の方は延期になる」
あ、それもそうか。
「そして継承式はそのままウェルジー男爵位の継承ということで話を進めているところだ」
………はい?
「それでな、その、」
唐突にラルフ様が気まずそうな顔になる。
えっいやちょっと?そんな顔されたら急に不安になるじゃない!?
「将来伯爵位を継ぐことに関して、話があるから是非一度我が家へお呼びするようにと、母が」
ギャアー!お姑さまとの対決イベントキタ━━━━!!
そりゃ避けては通れない道だけど!
そっちも心の準備がしたかったわ!!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次の週、つまり花季上月の下週に入って、私はラルフ様に連れられてアルトマイヤー伯爵家の首都公邸にやってきた。
ブロイスからの投降貴族らしく、伯爵家にしては慎ましやかな目立たないお邸だ。まあ普段から公爵家の壮麗なお邸を見慣れている分、余計にそう見えてしまうのかも知れないけど。
馬車が正門を潜って正面玄関前の馬車停まりで停まる。ほぼ同時に玄関が開いて、執事以下使用人たちが総出で出迎えてくれた。
その中を、ラルフ様にエスコートされて馬車から降りる。
「ようこそいらっしゃいました、コリンヌ様。アルトマイヤー伯爵家使用人一同、心より歓迎申し上げます」
「あの、わたくしは姓なき平民ですので、過分なお心遣いはどうか無用にお願い致します」
「何を仰いますか。貴女様はゆくゆくは伯爵夫人、この邸の女主人となられるお方でございます。ゆえに現在のご身分など関係なく、我ら使用人は取るべき態度を取らせて頂くのみでございます」
やだもう。お義母様の前に執事さんが手強いわ!そりゃ蔑まれるより何倍もいいけど、これはこれで逆にムズムズする!
「カールマン、早速で済まないが母上にお会いしたい。どちらにおられるだろうか」
あっ執事さんのお名前、カールマンさんって言うんだ。お顔立ちからしてもやっぱりブロイス系よね?もしかしてこのお邸の使用人みんなそうなの?
とかちょっと思ったけれど、もちろん口にも顔にも出さない。ガリオンは元々西方世界各地から多くの民族が集まっている多民族国家だし、人の出自を過度に気にするのは民族差別にも繋がりかねないから忌避すべきこと。
でも、同郷の人たちが集まって固まるのも自然なことだから、そういう意味でブロイス出身者で固めている可能性はあると思う。
そうなると、生粋のガリオン系である私は異物となる可能性も捨てきれない。これはちょっと心しないと。
「奥様は応接室にてお待ちです」
「分かった」
私が内心で仮定に仮定を重ねているうちに、ラルフ様とカールマン執事のやり取りが終わったみたい。「行こうか」と背に掌を添えられて、ラルフ様に導かれるように応接室に辿り着いた。背中ポカポカする。
うん、もう考えたって仕方ないや。覚悟決めろ、私!
ラルフ様が扉をノックして入室を求め、中からやや高い、とても神経質そうな硬質な声で許可が返ってきた。それを聞いてラルフ様がノブを回して扉を開きにかかる。
………………ん?今の声、聞き覚えのある声のような?
「我がアルトマイヤー伯爵家へようこそいらっしゃいました。さあ、お掛けになって」
開かれたドアの先。
ニコリとも笑わない、その人はいた。
質素だが上質なロングドレスを身に纏い、背筋を真っ直ぐ伸ばした直立不動の姿勢はさすがの一言。そして今日の彼女は冷たい印象の逆三角形の眼鏡ではなく、片眼鏡をかけていらっしゃった。
「ろ、ロッチンマイヤー先生!?」
「久しいですね、コリンヌ嬢。お変わりありませんか?」
そう。
そこにいたのはあのロッチンマイヤー先生。
私の黒歴史のど真ん中に今でも燦然と居座っているお方だ!
いやいやいやいや!待ってくださいよ!
ロッチンマイヤーって姓じゃなくて名前なの!?
「一応、誤解なきよう申し上げておきますが、わたくし仕事中は旧姓で通しておりますの。
改めまして、わたくしはエーデルヴァイス・ド・アルトマイヤー。アルトマイヤー伯爵夫人を名乗らせて頂いておりますわ」
「そ、そうなんですか!?」
ていうことは。
もしかして、ホントに!?
日頃の淑女教育も忘れてしまって、不躾にも先生とラルフ様のお顔を交互に見比べる私を見て、やっぱり知らなかったかというお顔のラルフ様。
「母だ」
と彼は一言だけ仰った。
いやあああああそうだ!そうだよ!
家族全員私のことをよく知っているってラルフ様言ってたじゃん!よく考えればあの時お母様の話が出てなかったのに、なんで気付かなかったんだ私!?
ていうか先生の名前初めて聞いたけどずいぶん可愛いな!ちっちゃくて可憐な白い花だよね!?ガリオンの東、ブロイスの南にあるヘルバティア共和国の国花じゃなかったっけ!?元はゲール語で「高貴な白」って意味よね!?
「コリンヌ嬢」
「あっハイ」
冷めた声で名前を呼ばれて、驚きと興奮は一気に冷えた。
「驚くだろうとは思っていましたが、それにしても驚き過ぎです。どうやらデュボワ夫人の教育が足りていないようですね」
「あっいえ、違います!今のはわたくしがまだまだ未熟なせいであって!デュボワ先生のご責任ではありません!」
「同じことです。もう1年近く任せているというのに、表情ひとつ保たせられないとなると、交代も視野に入れなければなりません」
やっばー!あたしのせいでデュボワ先生がクビになる!
ていうか、それを言うならここで出てくるロッチンマイヤー先生が反則なんじゃん!こんなんビックリするに決まってるよ!
「まあ、どのみち交代する予定でしたから良いでしょう」
「………えっ?」
「今後はわたくしが直々に鍛えて差し上げます」
「えっ先生が!?」
いやでも、先生は我が国の全ての淑女教育の総監であって、最初にお願いした時に報酬額がまるで払えないほど高額で契約できなかったのに!?
「い、いえ、先生にお支払いできるほど稼いでいなくて━━」
「何を言っているのですか?」
冷ややかな先生の声に肝が冷える。
同時に背中にヤバい汗が吹き出す。
「我が家の嫁になる人から、授業料など取れる訳がないでしょう?」
「……………………は?」
えっ、まさか、タダで!?
「3年です」
先生はおもむろに指を3本立てて私に突き付けてきた。
「今年からの3年間で貴女をどこに出しても恥ずかしくない本物の淑女に鍛え上げてみせましょう。ラルフが伯爵位を継いで、貴女が伯爵夫人となるのはその後です」
え、それって。
「それまではウェルジー男爵夫人として、社交の場も経験してもらいます。当然、次期アルトマイヤー伯爵夫人として、です」
貴女の教育修了が遅れるほどラルフの伯爵襲位が遠のきますからそのつもりで、と決定事項みたいに宣告する先生。
いや決定事項なんだろう。
うわあマジか!?責任重大!
「うわあマジか、という顔をしていますね。多少はマシになったとはいえ、相変わらず貴女は淑女には程遠い。先が思いやられますわね」
ゲッ完璧に表情読まれてる!
「今度は完璧に表情読まれてる、という顔になりましたね。全く、これではしばらくは扇が欠かせませんね…」
ううう、さすがロッチンマイヤー先生。あの時の恐怖と絶望が蘇るなあ………。
でも、お願いですから打鞭だけはカンベンしてくださいよう………!




