公爵家侍女は静養する
目が覚めると、そこは自室ではなかった。
なぜこんな部屋で寝ているのだろう。
どこだ、ここ?
…………いや、待てよ?
なんか見覚えがあるような…………
ガバッ、と身を起こす。
そうだ、ここは公爵家の客室だわ!
「あっ、痛ててて……!」
慌てて飛び起きたら脇腹がひどく痛む。
なに?なんで痛いの?
………あ、そっか。あたし刺されたんだっけ。
「コリンヌ!良かった、貴女、目覚めたのね!」
名前を呼ばれて声のした方を見ると、そこには目に涙をいっぱいに溜めたオーレリア先輩の姿が。
うわあ、その綺麗なエメラルドの瞳をそんなにうるうるさせてたら、思わず見惚れちゃうじゃないですかー。
先輩はベッドから少し離れたソファに座ってご本を読んでいたみたい。テーブルの上にティーセットが出ているところを見ると、きっと私の看病と様子見のためにずっと傍にいてくれたのだろう。
何だか申し訳なくて、それ以上に嬉しくなる。
と、先輩が駆け寄ってきて、何かする間もなく抱き締められた。
嬉しいけれど、ちょっとそれどころではなく。
「いっっっ!った、痛いです先輩!」
「あっ、ご、ごめんなさい!まだ傷が塞がってないんだったわね」
分かってるなら抱き締める前に気付いてくださいよ〜!
その後、すぐ先輩が人を呼びに行って、帰って来られた時にはお医者様に加えてお嬢様と奥様まで一緒で、ちょっと肝が冷えた。
「怪我の具合はどう?丸一日近く眠ってたから、ずいぶん心配したのよ?」
「えっ、私そんなに眠ってたんですか!?」
心配げなお嬢様の言葉に我ながらビックリ。
いやまあ、何だか陽が高いなあとは思ってたんだけど。
「そうよ。初めての施術だったからもしかして何か失敗したんじゃないかって、わたくし気が気でなかったわ」
「えっ?」
「なに、どうしたの?」
「いや……………、もしかしてお嬢様が[治癒]をかけてくださったんですか!?」
「そうよ?まあ最初は現場に駆け付けた青加護の護衛たちが応急処置してくれていたのだけれどね」
うわあ、まさかお嬢様が自ら治療魔術を施してくださってたなんて。何だか気恥ずかしくて申し訳なくて…………………いや、待てよ?
「もしかしてそれって、“王子妃教育”の……?」
「ん、まあそうね。わたくしは幸いにも青加護ですから、嗜みとして治療系の加護魔術は全て履修しているの。
でも、ほら、そういうのってなかなか実習の機会がないじゃない?」
「いや施療院とか行ってくださいよ」
「もちろん、そういう場所でも定期的にお手伝いしているわ。だけれどほら、近しい人で緊急で、となると………ね?」
いや「ね?」じゃないです。
確かに殿下が怪我したりして混乱してテンパった状況下でどれだけ冷静に施術できるか、なんて練習じゃなかなかできるもんじゃないから、気持ちは分かりますけども。
でも実験台にはなりたくなかったなあ。
「まあでも、傷が浅くて正直助かったわ。応急処置をやってくれた者たちも『命に別状はない』と言ってくれたし、そういう意味では気を落ち着けて冷静に対処できたから、良かったわ」
聞けば、シュザンヌ先輩は短剣の扱いにも不慣れだったらしく、力が込めきれずに刃先が筋肉で留まっていて、内臓まで達していなかったらしい。だからあんなに血が出て、死ぬかと思うほど痛かったのに、傷としては軽傷なのだとか。
いや軽傷て言われても。ホントに死ぬかと思ったし。
まあでも、私だって刺されたのなんて初めてだったから、傷の重い軽いなんて分からないけれど。
「そう言えば、シュザンヌ先輩はどうなったんですか?」
「………そうね、貴女には知らせておくべきでしょうね」
先輩はあのあと、一度は立ち去ったけれどすぐにあの男たちに捕まっていたのだそうだ。リーダーの男が言っていた「もうひとり」とはシュザンヌ先輩のことだったらしい。騎士たちが突入して私が気を失ったあと、何も知らない男たちの仲間が暴れる先輩を拉致してきたらしく、まとめて捕縛されたんだとか。
あいつら、どうやら私を犯すところを先輩に見せつけた上で先輩も犯そうと企んでいたらしい。そう考えると先輩は私を襲わせるために金まで払ったのに、自分も騙されて酷い目に遭わされる予定だったわけで、なんとも哀れな人だと言うしかない。
ていうか、そうなるとあいつら私に自分たちを雇い直しさせた上で、結局私も犯すつもりだったということになる。どこまでも下衆なやつらだし、その悪辣さには改めて恐怖しかない。
先輩は公爵家からお暇を出されたあと、伯爵家も勘当されて平民に落ちていたらしい。ただし住む家は用意されて仕事も生活資金もある程度面倒を見てもらっていたのだとか。それなのに、その渡された資金であいつらを雇って私を襲わせたのだそうだ。
本当に、どこまでも自分の見たいようにしか物事を見ない人だったんだなあ。
「今は王城の地下牢で取り調べを受けているはずよ。余罪がないか厳しく詮議されているみたい」
まあ、余罪はないんじゃないかな。あの人私への憎しみで一杯だったから。
ちなみに公爵家の護衛騎士たちがあのタイミングで間に合ったのは、私の持ってた通信鏡から入信があったからだった。あの時適当に押しまくったのが幸いにも護衛騎士詰所に入ったらしく、ポーチ越しに聞こえてくるシュザンヌ先輩とのやり取りや男たちに連れ去られる脚竜車の音、それにアジトに連れ込まれてからの会話などが全部筒抜けだったそう。
ずっと通信が繋がっていたから、発信元を辿ってアジトの場所も容易に見つけられたらしい。
ちなみに、見てみぬふりをされていると思ってた通行人からも王城の首都衛兵詰所に複数の告発連絡が入っていたそうで、それで首都衛兵も捜索に乗り出していたのだとか。だからあの時アジトを囲んでいた騎士たちのおよそ半分は首都衛兵だったってこと。小娘ひとりなんて見捨てられて当然だとか思ってたけど、案外みんな優しかったんだなあ。
救出の先頭に立ったのはラルフ様で、青加護の騎士を呼んでくださったのも公爵家まで連れ帰ってくださったのも全部彼だと聞いて、なんかめちゃめちゃ恥ずかしくなった。
だってその間ずっと横抱きにされてたなんて、いくら意識がなかったと言ってもヤバすぎるでしょ!しかもこの部屋に私を寝かせたあとも傍を離れようとしないで、お嬢様とオーレリア先輩に叩き出されたなんて聞かされた日には、もう……!
ていうか、もしかして今この瞬間もその扉の向こうで待機してたりするんじゃない?してそうよね!?
「大丈夫よ、ラルフなら今はお父様が領地の視察に連れて行ってるから」
「あ、いないんですか。良かった…」
「とか何とか言っちゃって。ホントはラルフ様がいなくてちょっと寂しかったりするんじゃないの?」
「ないです。私、あの人苦手です」
だって人の言うこと聞かないし、なんか大型犬っぽいし。
まあ助けに来てくれたのは嬉しかったし、駆け寄ってくれて抱き起こされた時はすごい安心したけれど。
そのままお医者様に検診してもらい、しばらくは経過観察とのことで安静にするよう言われる。この方は公爵家に長年仕えている侍医団の中で唯一の女性医師で、だから脇腹も腰回りも安心して診てもらえる。
「大事なさそうで良かったわ。ある程度治って動けるようになるまでは、気にせずゆっくり休んで構わないから、しっかり治すのよ」
「分かりました奥様。ありがとうございます」
最後にそれまでずっと黙ったまま、お嬢様やオーレリア先輩の後ろで見ていてくださった奥様にお優しいお言葉を頂いて、それで今日は解散ということになった。
治るまでの間は狭い使用人棟の自室ではなく、明るく広く清潔で安全なこの客間を使っていいとまで仰って頂けて、本当に奥様には頭が上がらない。
この御恩は、いつか絶対にお返ししなきゃ。
しかも治るまではオーレリア先輩が身の回りの世話までしてくださるらしい。先輩はあの日私を連れ出したことを気に病んでいらして、それで私の世話も買って出てくださったそうだ。
そんな、気になさらなくてもいいのに。
「いいのよ、こうでもしないとわたしがわたしを許せないもの」
「だって先輩のせいじゃありません」
悪いのは、逆恨みの果てに傷害と暴行未遂まで起こしたシュザンヌですから。
「それでもよ。いくらシュザンヌが悪巧みをしていたからって、さすがにお邸の敷地内にいたなら手を出せなかったはずだもの」
ああ、そうか。
先輩は彼女が本当に破滅してしまったことさえご自分の責任として捉えているんだわ。歳が近くて仲良しだった彼女のことも、先輩は悔やんでるんだ。
「じゃ、あとはゆっくり休んでね。何かあったら隣の控室にいるから、ベルで呼んで」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
そうしてやっと先輩は、安心したように微笑んで部屋を出て行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、傷があらかた治るまで私は15日ほど静養に努めるハメになった。とはいえ傷そのものは[治癒]でほぼ塞がっていたし、断裂した筋組織も10日もすればおおむね再生したみたいで、最後の方は体力回復のために庭園を散歩したりしていたのだけど。
これ、腕の良い青の術師だったら傷そのものは最初からほぼ完治させれて、あとは体内魔力の回復のため2、3日ほどの静養で済むらしい。けれど私に施術したのが誰ひとり本職ではなかったため、筋組織の接合が上手くいってなかったのだそう。
まあ、施術したのって護衛騎士とお嬢様だしね。
お嬢様は接合が上手くいってないと女性侍医から聞かされて「わたくしもまだまだ、ということね」などと呟いていらしたけれど、初めてだったんだし気にされることないですよ。いくら“完璧な淑女”の貴女でも、最初から何もかも上手くやれるわけもないのだし、次頑張ってください。
あ、次は誰か違う方で練習お願いしますね。
で、今日も私は庭園を散歩しています。時々身体を大きく動かしたり屈伸したり、軽く走ってみたりと色々試しているのは、少し離れたところから女性侍医とお嬢様と奥様と侍女長さまが見ているから。私の身体の動きを見て、問題がなければ明日から仕事復帰させると、その最終判断をなさっているらしい。
まあ自分的には身体の動きに問題はない。痛みももうほぼ無いし。
問題があるとすれば━━
「あ、いや。まだそんなに激しい動きをなさらない方が………」
なんで貴方が私の傍に張りついてらっしゃるんですかねえ?
「問題ありません。痛みもありませんし、なんならもっと激しい動きだってできます」
「しかし貴女はあれほど多量に血を流したわけで」
「領内の魔獣の巻狩りなどで負傷者が出た際にはあんなものではないと、護衛隊長さまから伺っていますが?」
「いや、怪我に慣れた我々と貴女とでは違うでしょう?」
「お嬢様からも軽傷だったと教えられています。問題ないはずです」
「しかし…」
ああもう。しつこいっ…!
私は早く仕事復帰したいのっ!
私はラルフ様がこちらに近寄るタイミングでわざと逆方向に動いて彼の大きな腕を躱し、わざと上半身を動かさない“淑女の歩法”を心掛けつつお嬢様たちの元へ歩み寄る。お嬢様たちの前まで来て、おもむろに淑女礼を決めてみせた。
うん、我ながら今のはいい出来。体幹もブレなかったし、怪我する前と遜色ない感触で優雅に決めれたはず。
「問題なさそうよお母様」
「そうね、すっかり淑女礼も身に付いたようだし、復帰でいいわね」
「異論ございません。では早速、明日から仕事に戻らせます」
「侍医としても問題ないと認めますわ」
「しかし奥様、まだ少し早いのではありませんか?」
うわ。奥様にまで異論を挟むなんて、ラルフ様どうしちゃったの?
ほらあ、奥様が訝しんでおられるじゃない。
「ラルフ、貴方に何の権限があって反対意見を述べているの?」
「は、いや………その」
「堂々と反対するからには、それ相応の根拠があるのでしょうね?」
あーあ。奥様怒らせた〜。
どーするのラルフ様?
「いえ、その。怪我の専門家としましては、初めて刺し傷を受けたご令嬢が心因的恐怖を克服するためには、少し時間が足りないように感じまして」
「「「「……………。」」」」
ちょっと何言ってるか分かんないけど、奥様たちのお目がすっっっごい冷めきったのが傍で見ててもよく分かる。
(過保護ね)
(過保護だわ)
(あら、そういうことですか)
いや待って?
これ冷めてるっていうか?
「「「「却下ね」」」」
あ、やっぱり冷めてた。
ということで、明日から仕事復帰です!
ちなみにラルフ様は、相変わらず叱られてしょげる大型犬の仔犬みたいになっていた。
名前出さずに済ませようと思ってたのに、とうとう出してしまいました(笑)。
まあ名前呼ばないと逆に不自然なシチュエーションだしなあ。




