公爵家侍女は首都を観光する
なんだかんだと、半年が過ぎた。
季節はすっかり暑季も終わりに近付いて、空には稔季の空気が色濃くなっている。
私もようやく一通り仕事を覚えて見習いから正式に下級侍女に上がり、お茶の淹れ方もだいぶ上手くなったし、お嬢様のお茶に侍ることも増えてきて。ついでに第二王子殿下にお嬢様の動向をそれとなくもお知らせしたりして。
お嬢様には「裏切り者!」と謗られるけれど、それはなかなか素直にならないお嬢様がいけないんですよ?どうせ逃げられない、ていうか逃げるつもりもないんでしょう?さっさと諦めて蕩かされちゃえばいいのに。
ああ、でも、おふたりを眺めてるとちょっとだけ羨ましくなる。私もいつかあんな風に恋する日が来るのかなぁ?
…………いや、無いわ。多額の賠償抱えた罪人がなに夢見てんだ、って嘲笑われるのがオチね。
ま、それはともかく、淑女教育の成果もようやく形になってきて、個人的には今すごく楽しい。特に淑女礼に関してはもう自信持って人前で披露できるくらい。今のところはマナー学習を中心に教えて頂いているけれど、これからは日数を増やして、国史とか語学とか、教養学習にも力を入れてみようかしら?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日、私はいつものようにオーレリア先輩の荷物持ちとして街に出ていた。とは言ってもこの日は奥様やお嬢様に頼まれた買い物ではなく、お休みを頂いていた先輩のプライベートのお出かけのお供だ。
いや私は休みじゃないんですが、と断ったのだけど、私が普段からほとんど休みを取っていないことに奥様も先輩侍女の方々も気付いていらして。人手は足りてるから貴女もお休みを取りなさい!とお邸を追い出されてしまった。
大変にありがたいのだけど、そんな急にお休みになってもどうしていいか困ってしまう。ただでさえお休みの日には先生をお招きして一日中淑女教育を受けていたので、もうすっかり自由時間のない生活が身についてしまっていたのだ。
そんな私に苦笑しながらも、今日は一日街で遊びましょ!とオーレリア先輩は私の手を引っ張って行く。その勢いに流される形で、方々連れ回されることになった。
喫茶店でお茶をして、劇場で新作の歌劇を鑑賞して、料亭で美味しいお昼を食べて、服飾店で新作の服を見て触って試着して。久々の一日休みは思いの外楽しかった。
何だか学園時代に戻ったみたいで、そう言えば同級生の子たちは今頃最終学年も半ばを過ぎてるのよねえ、なんて思ってみたりもして。仲良しと言えるほどの子はいなかった………正確には『居なくなった』のだけど、なんとなく懐かしくてまた会いたくなってしまった。
まあ、殿下たちと過ごすのが楽しくて、私のほうが彼女たちと縁を切ったようなものだから、今さら会いたいだなんて虫が良すぎる話よね。
「ねえ、聞いてる?」
「えっ?………あっ、はい」
「聞いてなかったでしょう?」
「…………申し訳ありません」
ヤバい。先輩が何を話してたのかホントに全然聞いてなかった。
「まあいいけど。貴女は他に行きたいところとかないの?」
「そうですねぇ…」
と言われても、咄嗟には出てこなかった。
まあ、そもそも学園時代にだって首都で遊び倒したわけではなかったし、行った覚えがあるのも繁華街や商人通り、それに芸術通りくらいだ。どれも何ヶ所もあるけれど、私が行ったことがあるのは貴族街と学園にほど近いところだけ。
そう考えると、意外と私、首都に詳しくないことに気付いた。今さら?とか思ったけれど、案外“自分の世界”も狭かったんだなあと思い知らされる。
まあでも、気付きは力だ。
これも、あの体験から学んだことのひとつ。
「よく考えたら私、首都で遊んだことほとんどなかったです」
「え、本当に?」
「はい。学園に入った頃は友人もいて、遊びに連れて行ってもらったこともありましたけど、私地方出身だからいつも誰かの後をついて行ってた記憶しかないです」
いやいや、そんな可哀想な子を見る目しないでくださいよ先輩。私別にそれで不幸を感じたことなんてないですから。
「じゃあさ、これからはお互い自由時間にして、好きなところを回ってみるのはどう?」
どう?と言われても。私本当にどこに何があるのか分からないんですが。
「大丈夫よ、首都にはどの広場にも位置図が設置してあるし、貴族街からあまり離れなければ危険も少ないし。もし迷ったとしても“通信鏡”で私かお邸に連絡を入れてくれれば、誰かが迎えに行くから」
通信鏡というのは、[通信]の術式が付与された鏡の魔道具だ。個人で使うタイプの物は手鏡サイズで、鏡の周りに10個の接続器が配置されていて、それを押すだけであらかじめ登録された別の通信鏡へと接続される仕組みになっている。それで音声や映像のやり取りができるというすぐれもの。
接続すると向こうの通信鏡で応答した人の顔が鏡に映し出される。もちろん向こうにはこちらの顔が映るので、それが何となく気恥ずかしい。
私が持たされている物は公爵家からの貸与品で、奉公する限りは借り続けることができる。接続先は執事さま、侍女長さま、護衛騎士詰所、厩舎までが固定で、あとは自由に登録していいことになっている。
ただ、私は登録を追加していない。今日出かける前にオーレリア先輩の通信鏡を追加された以外は。
「でも…」
そんなに甘えてしまっていいのだろうか。
私はただの罪人なのに。
「気にすることないわ。公爵家に奉公に出た人たち、ほとんど全員一度は迷って救難信号出してるからね」
いや救難信号て。
でもまあ、確かに先輩の言うことにも一理ある。何しろここルテティアは人口およそ68万人。西方世界でも一二を争う大都会だから、ここで生まれ育った人でも足を踏み入れたことのない地区なんていくらでもあるだろう。特に周縁部のスラム街なんかに入り込んだ日には、死体すら見つからなくても何ら不思議はない。
いや死ぬと決まってるわけじゃないけども。
「特にお店とか寄らなくたって、ただぶらりと散歩してみるのもいいものよ?観光名所もたくさんあるしね。凱旋門とか行ってみた?」
「あ、凱旋門は行ったことあります」
凱旋門は200年くらい前のブロイスとの戦の戦勝記念に建てられたっていう巨大な門で、城壁もない広場の真ん中にポツンと建っている。ガリオンに生まれたなら一度はその目で見なければ国民と名乗れない、とまで言われる超有名な観光名所だ。
そう、学園に入って最初に行った観光名所がこの凱旋門だった。やっぱ首都に来たなら見ないとね!ってことで地方出のご令嬢が何人も連れ立って見学に行って、帰りに見事に迷ったっけ。
首都出身の同級生に「さすがに凱旋門で迷うのはアリエナイ」とか言われたけど、道知らないんだから迷うよ!学園から遠かったし!
「じゃあルーヴェ美術館は?」
「そこも行きました」
ルーヴェ美術館はこの世界の全ての秘宝を納めたと言われる壮麗な美術館で、全部見ようと思ったら遭難する、なんて言われるほど広い美術館。当然、その当時やってた入口付近の特別展だけ見てそそくさと退散した。入場料けっこう高かったから惜しかったけど、遭難するよりマシでしょ。
元はガリオン王家の王宮だったそうで、そりゃあ広いのも納得だ。
「なら、ガルニエ宮は?」
「外見だけなら見たことは」
「………外見だけ?」
だって上演されてる歌劇のチケットなんて超プレミアもので絶対手に入んないもん。
「まあわたしもあそこで歌劇なんて鑑賞したことないけどね!」
「だったら意外そうに言わないでくださいよ」
「まあね。じゃあリュクサンブール宮殿…………いえ、ごめん何でもないわ」
そこはリュクサンブール大公家の私有地ですよ先輩。
まあ分かってるみたいですけど。
それにしても、他国の私有地が自国の観光名所みたいになってるのも考えたら凄いよね。
「とにかくまあ、色々あるから!」
「いいですけど、私アクセサリー見たいです」
「なら普通に商人通りの宝飾街かしら」
「いやキラッキラの有名工房品とかじゃなくていいんで」
「ランクを落としたいなら服飾街とか職人街に行けば、手頃な値段でそれなりの品があるわね」
「じゃあ、そうします」
商人通りなら場所も行き方も分かるし、それでいいや。
「ちなみに、なんでアクセスワールなんて欲しくなったの?」
あーまあ当然の疑問。
私、公爵家でお仕えし始めてから今までそんなの欲しがったことなかったからなあ。
「侍女の仕事が一通り身についてきたので、お嬢様が王宮に私を連れてくと言い出されまして」
「あーそれなら、自分で見繕って買うよりもお邸の出入りの商人に見立てさせた方がいいと思うわよ?」
「だってそれだと高くて買えません」
「お嬢様が買ってくださるわよ」
だからそれを避けたいんですってば。
「遠慮しなくていいのに。王宮の夜会とかに侍女が随伴する時だって、ドレスから何から一式全部公爵家が用意するのよ?」
「着せられるだけじゃなくて、何かひとつでいいので私物を身に着けたいな、と思って」
「あーそれ、わかる」
「だから髪留めは目立つにしても、耳飾りとかネックレスなら、いいかなと」
お父様にも身なりに気を配れ、って言われてるしね。
「うん、いいんじゃない?ドレスによっては使えない場合もあるでしょうけど、誕生石にしておけば無難に使えると思うわ」
「はい、そうしようかと」
「で?貴女の誕生日っていつなの?」
「はい、花季下月の中週の5日です」
「ダイヤモンドじゃない!」
「えっ?」
「誕生石よ!ディアマンのアクセスワールなんてどれもかなり値が張るものだけれど、貴女買えるの?」
「……………あっ。」
とてもじゃないけど手が出ないことが判明しました。残念。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、私はそのままオーレリア先輩と一旦別れてそれぞれ街をぶらり歩いた。と言っても先ほどの話のままに商人通りの服飾街とか市場とかの見慣れた場所を見て回っただけで、特に冒険はしなかったし買い物もしなかった。
冒険、というのも少々大袈裟かな。要するに知らない場所には行かなかった、というだけの話。だって本当に迷子になってお邸に迷惑かけるのは良くないと思ったから。先輩はああ言っていたけれど、罪人の私がもし本当にそうなったら、また陰で色々言われるんだと思うし。
もうホント、シュザンヌ先輩とかラルフ様みたいに詰られるのは可能な限り避けたいのが本音なのよね。罪人だから仕方ないと思ってはいるけれど、だからといって積極的に絡まれる要因を作りたくはないし、作る必要もないわけで。
本当に、世の中平和が一番よね。
だいたい、お邸からここまで出てくるのだけでも公爵家の馬車と馭者さんを動かしてるんだから、もうそれだけで充分迷惑かけちゃってるわけだし。これ以上は、ちょっとね。
なんて、思ってた時が私にもありました。
まさか、その後すぐ救難信号を発する羽目になるなんて。世の中なんでこう、思い通りにいかないことばっかりなんだろうね。なんていうか、理不尽だなあ。




