とある公爵家侍女と護衛騎士
公爵家の侍女になってから約2ヶ月が過ぎた。
心配していたお手当の使い道も、淑女教育の先生に3割、賠償の支払いに6割で、元実家へと送る分がきちんと残せたので一安心だ。
元父からは感謝を伝える手紙が来て、大変ありがたいが仕送りはいいから公爵家の侍女として身なりを整えることを考えなさいと書いてあって、なるほどそれも必要かと思い直す。ということで元実家への仕送りは数ヶ月に一度程度になると思う。
あと変わったことと言えば、ローラン第二王子殿下が内々に連絡を取って来られて大変驚いた。なんで私なんかに、と思ったものだが、よくよく聞けばお嬢様が恥ずかしがって殿下になかなか会おうとしないのだとか。
なるほど、それでお嬢様の動向を流してほしいわけね。専属侍女としてもお嬢様と殿下のお仲を取り持つことにやぶさかではないし、いっちょ殿下に協力しますか。
まあお嬢様は恥ずかしがって逃げ回るでしょうけど、おふたりが睦まじくすることは国の将来のためにも必要だし?まあ諦めてもらうしかないよね!
ただまあ、そんな私のことをよく思わない人はやはり多いわけで。
今もこうして、詰られている。
「貴女は自分の仕出かしたことを、本当に解っているのか」
もちろん。それが分からないほど愚かなら、今頃処刑場の露と消えてます。
「お嬢様の温情に甘えてばかりいないで、少しは身を引くことも考えてはどうか?」
でも私をお嬢様専属にしたのは、お嬢様だけでなく奥様も侍女長さまも了承なさったことですし?私ごときが否やを言えるとでも?
「黙っていないで、何とか言ったらどうなんだ」
そう言って目の前で腕を組んで偉そうに見下ろしてくるのは、お嬢様専属の護衛騎士のおひとり。確かアルトマイヤー伯爵家の次男ラルフ様と仰ったはず。
詰られているとは言っても、別に声を荒げて非難されてるわけじゃない。高位貴族特有の、『空気を読んで身を引け』の圧力アピールだ。
まあこの方は日頃からお嬢様はじめ多くの人たちから忠義を称えられているから、今回もその一環でお嬢様に仇をなそうとした女をお嬢様から遠ざけたいのだろう。
「ご忠告、痛み入ります」
だから習い覚えた淑女礼をしてみせる。姿勢なんかもだいぶ身についてきたとは思うけど、まだまだ完璧とは言い難いと思う。顔だって『微笑みすぎです』と先生に叱られるし。
「ですが、お嬢様のお決めになった事ですので。わたくしが勝手に命に背くわけにも参りませんし」
「貴女はそうやって、何かといえばすぐお嬢様のご意向だと言えば済むと━━」
「では、」
私が言葉を被せたら、彼の言葉も止まる。
多分、目下の者から発言を遮られる経験なんてほとんどないのだろう。少しだけ驚いた顔をされていた。
「騎士様の方でご注進なさって下さいませ。家中の大半がわたくしの雇用に反対するとなれば、お嬢様も奥様もお考え直しくださるやもしれません」
まあオーレリア先輩をはじめ侍女の先輩方とは仲良くやっているし、お嬢様にも奥様にもお褒め頂いてますけどね。
「い、いや、そこまでは━━」
そこまでは、何?告発する勇気も正当性もないから、お前が自分で身を引けって?
「………なるほど。わたくしが勝手に出て行けば、責められるのはわたくしだけですものね?」
そうハッキリ口にすれば、ラルフ様は気まずそうに目を逸らされた。ご自身で泥を被るつもりもないのに人のことを思い通りにしようとか、ちょっと褒められた話ではないですよ?
というか、高位貴族なのに腹芸のひとつもできないとか、他人事ながら心配ですけれど。確か今年19歳でいらっしゃいましたよね?伯爵家は継げずとも、士爵を賜ったり家門所有の爵位株もらえたりするんじゃないですか?
「…っ。あ、貴女が従うつもりのないことは分かった。だがこのままで━━」
「違います」
「………なに?」
「『従うつもりがない』のではなく『従えない』のです。そもそもわたくしが公爵家で雇って頂いているのは、高い賠償を確実に支払い続けるためです。わたくしを雇うアクイタニアの名があってこそ、賠償を受け入れてくださった貴族家の皆様にもご納得して頂けたのです。
それとも騎士様は、公爵家の用意する高いお手当と、公爵家に匹敵する信用を備えた働き口を他にご存知なのですか?ご存知であればぜひお教え願いたいものですわ」
「い、いや、そんな働き口は━━」
「ありませんよね?」
黙ってしまわれるラルフ様。
そもそもお嬢様が私を手元に置いてらっしゃるのは、私への監視監督の意味合いも含んでいるというのに。どうしてそんな簡単なことも分からないのだろうか。
「さて。わたくしお仕事がありますので、これで失礼致しますわ」
話が終わったようなので切り上げに入る。本当はお嬢様の登城をお見送りした後なのでこれからは待機時間なのだけど。
「では、ご機嫌よ━━」
「━━分かった」
「っえ?」
「お嬢様と奥様にご納得頂ければよいのだろう?確かに自分では動かずに貴女に身を引かせようとするのはいささか傲慢であったかも知れぬ。きちんと具申を申し上げて、ご理解とご納得を頂いてくる」
ラルフ様はそう言って踵を返される。
「えっ、あ、ちょっと━━」
そして止める間もなく立ち去ってしまわれたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから数日、何故か一度もラルフ様をお見かけしなかった。いやまあ護衛騎士の詰所は別棟だし、本館に居ること自体があまり無いのだけど、それでも他の騎士様はお見かけするのに。
ははーん、これは謹慎か何か食らったな?
と思ってお嬢様にそれとなく話を振ってみると。
「ラルフ?ああ、貴女を追い出せとかバカなことを言うから、叱りとばしてやったわ」
案の定だった。
特に奥様のお怒りを買ったようで、私を雇っているのは賠償の支払いの他に罪人の監視の意味合いがあること、それは王家からの命であること、アクイタニア家で囲っておかないと他の貴族に悪用されかねないこと、また被害を受けた貴族家のどこかに命を狙われる恐れもあることなど、お嬢様とおふたりで指折り数えて教えてやったのだとか。
まさか王家の意向まで絡んでるとラルフ様はご存知なかったようで、顔を青くなさっていたそうだ。その上でバカなことを二度と言い出さないように、週の謹慎処分とその間の減棒を言い渡して、それで今は実家の伯爵家で大人しくしているらしい。
ということは、ご実家からもこってり絞られているに違いない。公爵家に子息子女を奉公に出している寄子のお家は先月のシュザンヌ先輩の件でどこも震え上がっているから、もしかするとラルフ様も戻って来られないかも知れない。
でも、あの方は本当に忠心から行動なさっただけだし、シュザンヌ先輩みたいにご自身が私を嫌っていた感じではなかったから、辞めさせられるのは少し可哀想かも。
「でもラルフ様は心からお嬢様と公爵家のご心配をなさったわけですし」
「あら。庇いだてするの?」
「庇いだてというか、きっとラルフ様のお考えとしては、私みたいな罪人が働いていることで公爵家の名に傷がつくことを恐れたのでしょうし」
「それこそ、余計な心配というものよ」
まあ確かに。
その程度で筆頭公爵家の名が揺らぐとも思えない。
「それに、王家のご意向があるというのは対外的には知られていませんし」
「そんなもの、貴女が死を賜らずに公爵家で働いている時点で察せられなければダメなことよ。特に貴族の出身ならばね」
それもまあ、確かに。
「でもまあ、貴女が許すというのならお母様に申し上げても構わないわ」
「いえ、許すなんてそんな」
そんな偉そうなこと言えませんよ。
私は平民で、あの方は伯爵家のご令息なんだし。
まあそんなわけで、翌週にはラルフ様も謹慎が解けたようでお姿をお見かけすることができた。ただ私には会いに来ないし、私からも話しかけに行くことはないけれど。
でもまあ、あの方が職を失わずに済んだのならそれでいいんじゃないかな。
…と、思っていたのに。
「先日は大変失礼した」
なんで今、私はラルフ様に頭を下げられているのだろう?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
父に公爵家侍女として必要な身だしなみにも金を使うように言われたこともあって、私も買い出しの荷物持ちに参加するようになっていた。基本的には上級侍女が見習いや使用人を連れて行くのだけど、女性ばかりになることが多い事から護衛騎士が帯同することもある。念の為、というやつだ。
そして、その日はたまたまラルフ様がついて来てしまったのだ。
「さて。奥様とお嬢様に頼まれた物はこれで全部ね。
私は自分の買い物を済ませてくるけれど、貴女はどうする?」
「えっと、そうですね━━」
「では、私にしばし時間を下さいませんか」
「えっ、あの」
「貴女とは一度きちんとお話をすべきでした。お時間は取らせませんので、どうか」
「は………はあ」
というわけで、今謎の謝罪シーンなわけである。
「あの、騎士様。頭をお上げください」
そんな罪人に軽々しく頭下げちゃダメですよ。
「しかし私は貴女を侮辱するような発言をしてしまいました」
「い、いえ、そんな。お気になさらず」
「にも関わらず、私が復職できるようお口添えまで頂いたとか」
あっ、お嬢様余計なことをお話しになりましたね?
「貴女はご自身に猜疑と嫌疑が向けられていることを解った上で、日頃からそれに耐えて何も言わずに黙っている。そんな貴女に、私は」
「だって、私が罪人なのは事実ですし。罪人を雇うことで公爵家の名に傷がつくのを恐れるのは、公爵家に仕える者としては当然の懸念ですから」
「しかしそれでも、私が無礼だったことに変わりはない」
うーん、これはもしかして言い出したら聞かないタイプ?
「私は身寄りなき平民です。そんな者に、伯爵家のご令息が無礼も何もないでしょう?」
「しかし貴女は男爵家の」
「平民です。男爵家なんて存在しません」
「しかし…」
引かないなあ、この人。
「というかですね。ここは人目も多いのであまり目立ちたくはないのですが」
そう、ここは首都ルテティアにいくつかある広場のひとつ。真ん中に噴水があって、その周りにベンチがあって、周囲にまばらに銀杏が植樹してあって、市民の憩いの場になっている。
そのジャンコの木の下で、大柄な騎士に頭を下げられる侍女の図。道行く平民でさえ何事かと二度見するレベルですよホント。
「ですからもう、頭をお上げくださいませ。わたくしは気にしておりませんから」
というかさっさと立ち去りたい。オーレリア先輩だってとっくに戻ってきてて、仲間と思われたくないから遠巻きに眺めてるってのに。
「しかし、それでは私の気が━━」
ああもう。この人面倒くさいなあ。
「でしたら、そのままそこでずっと頭を下げててください。わたくしは帰りますので」
そう言い捨てて先輩に駆け寄る。先輩だって私が荷物持ってるから帰るに帰れないんだよね。ホント、人の迷惑ってものを少し考えて欲しいわ。
ラルフ様は驚いてポカンとした顔で私達を見てたけど、私達が放ったらかして帰り始めたから慌ててついて来た。その後も何か言いたそうにチラチラこっちを見てきたけれど、敢えて全部無視した。
伯爵家のご令息に対する態度ではないと分かってたけど、もうこの際知るもんですか。
でも、途中で1回だけチラッと様子を伺ってみたら、なんだかラルフ様が叱られてしょげる大型犬の仔犬みたいに見えてしまって、それだけがいつまでも印象に残っていた。




