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第17話 追憶、録藤綴

 ――時計の短針は一年の間に七百三十周する。


 一日で二周。

 それを三百六十五回ほど繰り返すのだから、当然といえば当然である。

 地道にチクタク。無休でグルグルと短針は時を刻んでいく。

 こうして考えてみると、三つの針の中でも一番動きの遅い短針でさえ、随分と働いていることに気がつく。いやはや、ご苦労様である。


 そんな働き者である短針は今宵、左に回っていた。

 今からおよそ二年前。僕が十五歳、すなわち中学三年生だった時のこと。

 劇の発表を終え、文化センターから帰宅している途中。夕暮れ色の路地にて。


「智くんはよくやったわ。お姉ちゃんと違って、凡人なのに」


 僕の頭を撫でまわしながら、姉さんはそう言った。

 こんな発言を喜々とした表情でするのだから、始末に負えない。たぶん、生まれながらにして頭のネジが何本か外れているのだと思う。世間一般にあるところの『姉』という存在から姉さんはいつだって逸脱していた。

 いや、姉さんが逸脱していたのは、おおよそ全てだったのだろう。


 だって、姉さん――録藤綴は天才なのだから。


 身内である僕が語るとちょっと噓くさいけど、録藤綴は全国模試で上位二パーセントを維持し続けていた。身体能力にも恵まれており、彼女が助っ人として参加したアイドル部は創部初の全国大会出場を果たしたとかなんとか。

 しかもタチの悪いことに、姉さんはその優秀さを驕ることはなかった。そうやって獲得した人望によって生徒会長の地位に登り詰めたそうだ。学内では男女問わず、憧れと畏敬の念を集めていたらしい。

 幼少期から習っていた演劇と台本制作はプロレベル。僕が今住んでいる家には、様々な大会で獲得した賞状・トロフィーがズラリと並んでいる。

 頭脳明晰・容姿端麗・文武両道・才色兼備・立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。


 そんな存在を姉に持つと、よく「嫉妬のような感情を抱かないのか」と訊かれるのだけど、あいにくそんな思いになったことは一度もない。

 だって、敵わないのだから。

 僕にとっての姉さんは、いわば宗主国だ。彼女の影にいたことで得られた利益というのは、いまさら数えられない。

 敵う、敵わない以前に歯向かう理由がないのだ。

 朝貢国たる僕としては、良好な関係さえ築ければそれでいい。


 僕が演劇を始めたのだってそうだ。姉さんに誘われたからやり始めただけ。そうすることで姉との関係を盤石なものとして、自分を守る処世術でしかない。


 ――そのはずだったのだけど。


 どうやら僕は思ったよりも、役を演じることを楽しんでいたらしい。

 それゆえに姉さんの一言がどうにも癪に触った。

 だから、僕はこう言い返したのだ。まったく本心ではない言葉を。


「そうだね。だから二度と演劇はしないよ」


 姉さんはきょとんとした表情を浮かべていた。

 そして、姉さんがなにかを言おうした瞬間、夢が終わった。


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