現実
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、ルナ様」
霙さんに挨拶をして歩き出す。
こうして景色を楽しみながら森を歩くのは初めてだ。
「こんなに綺麗だったんだぁ~」
空の青さと葉の青さ。
それらが日の光で透けて重なる美しさ。
「わぁ~」
ひだまりと影。美しく咲く花と静かにたたずむ苔。
反対なのに世界と調和してる。これが自然美なのかな……なんて、ちょっとクサイかな?
『───アホ面に磨きがかかってるぞ、バカ勇者』
「むぅ~っ」
森の美しさに見惚れ、自分なりの感性で感動していたルナに突然のビンタ的暴言。
『口を開けて呆けているからだバカ勇者』
「先代様! 私がバカなのかアホなのか、はっきりしてください!」
『素晴らしい、今日からお前が歴代勇者の中で一番のたわけ者だ。おめでとう』
「嬉しくない!? そ・れ・に! 私の名前はルナですから!」
『名前で呼ばれたいならもっと勇者らしくなることだな』
静かな森で叫ぶルナと煽り続ける剣。
敵の脅威は去っていないと忠告した霙がこの場にいたら、間違いなく二人は怒られていただろう。
「勇者らしく……」
『そうだ。もっと気品と知性を身に付けろ』
剣の半ば呆れた言葉に思わず足を止めるルナ。
しばらく考え込むように手を顎につけ……。
「先代様って霙さんがいなくなると喋りだすんですネ」
『はぁ!?』
今度はルナから目の覚める発言が飛んできた。
「だってそうじゃないですかぁ~。さっきまで一言ぐらいしか話さなかったのにぃ~」
『違う! あれは魔力回復に専念していたからであって、決して霙と気まずい訳では……』
「気まずかったんですか?」
『うっ、違う。違うんだ』
もちろん本当に霙と仲が悪い訳ではないが、大人には大人の事情というものがある。
「何が違うんですか?」
どんどん追い詰められていく剣。
本当なら今すぐにでも逃げ出したいが、彼はルナの腰にある剣。
『そ、それはだな……』
逃げられる訳がない。
『お前の身体強化などにも魔力を使ったからだ』
だが、逃げ場がなければ作ればいい。
「え?」
『いいか? 今のお前は我の魔力でも強化されている。だから我は魔力回復に専念せねばならなかったのだ』
長年の経験による判断。真実に少量の嘘を混ぜる戦術。
そう……大人には大人の戦い方がある。女性に口喧嘩で勝てないと知っている剣は女性との修羅場を回避するためならば、それこそ「獅子は兎を狩るにも全力を尽くすように」たとえ相手がルナであろうと手加減しない。
「ん~? それで静かになるんですか?」
話題は切られ、剣の思惑通りにルナの注意が逸れる。
切るのが剣の得意分野であることは、まぁ言うまでも無いだろう。
『今の我は剣に封じられた魂に過ぎない。そして、魂は魔力を貯蔵し使役する大切なものだ』
「そっか、普通の人間が魔力切れになっても気絶するだけだけど。先代様がなると死んじゃうのか!」
『そうだ。魔力が無くなれば、我は魂を維持できずに自然に溶けていく』
「そしたら魔王も完全復活しちゃって超ピンチですね!」
『お前……楽しんでないか?』
「それでそれで! 霙さんとはどんな関係なんですか」
剣は、話題を切ることはできても話題を変えることはできなかった。
『っ、覚えてたか』
声だけは憎々しげだが、剣に変わった様子はない。
「ふふっ、そりゃ~覚えてますよ~」
そのギャップが面白くて、笑ってしまうルナ。
そんなルナを見て、剣は諦めたようにため息をついた。
『はぁ~、わかった。話すから、歩きながらにしよう』
「は~い」
だが、剣は諦めてなどいなかった。
『その前に、霙からもらった魔道具はしっかり使ってるんだろうな?』
「あっ!」
ポケットから慌てて魔道具を出し、設定を始めるルナ。
その姿を見て剣は確信する。
「あれ!? 短針が行きたい場所だっけ? どっちでしたっけ先代様?」
よし。やはりルナは思った通りのバカだな。
これだけ慌てていれば、話題も忘れるだろう。
『さぁ? どうだったかな?』
後は勇者村に急ぐように言葉巧みに誘導すれば……。
「ふぇ~……あっ、できた!」
試行錯誤するほどの難しさでは無いのだが、どうにか。
やり切ったと、満足そうなルナ。ここまでの機械音痴は、もはや芸術の領域である。
『そうか。ならば勇者村に───』
「霙さんとの初めての出会いはどうだったんですか!」
剣は目をキラキラと輝かせるルナの瞳を見つめ、今度こそ完全に諦めた。
『出会い……か』
そして彼は語りだす。
『初めての出会いは、今から六百年ぐらい前───』
と同時に、彼の言葉は切られた。
「あ、長くなりそうなのでやめときます」
『なに!? お前が聞きたいと言ったのではないか!』
それはもうバッサリと。
まるで薄刃包丁のように。
「いやぁ~。だって、過去の話をしたら……私もしないとじゃないですか」
薄刃包丁。
剣に比べて角ばった包丁は、まるで彼女の固まった心のよう。
『…………』
「それよりも、なんでさっき静かだったのか気になります」
野菜を切るために産まれたその包丁は、軽く。そして他の包丁よりも薄い。
ルナの言葉。意味も興味も薄く、軽い。
剣を握れてなどいないのだ。
『…………言っただろう。魔力回復だ』
「じゃあ、本当に私、先代様の魔力で強化されてるんですか?」
『当然だ。目的地に向かって走ってみろ、一瞬で着くぞ』
「い、一瞬ですか?」
『ああ! 今や、お前の身体は走っている最中に木々や岩にぶつかっても問題ないほどに頑丈だ』
「えぇ~、それって女の子としてどうなんですか?」
『勇者としてはいいだろう?』
ルナは霙からもらった魔道具の長針を確認し、目的地の方向を見つめる。
左足を大きく後ろに引き、体重を前に乗せる。
「い、行きます!」
グッと足先に力を込めてスタートダッシュを決める。
瞬間、景色が一気に動いた。
『着いたぞ』
「えっ!?」
森の中の景色が……花の赤や空の青、それに葉の緑が一瞬で混ざった。
なのに私の目はそれが普通みたいに見えて……目の前に木が迫ってるのに、全然怖くなくて。
そんな自分に怖くなって、足を止めたら到着なんて……。
「なに……これ、」
なんて凄くてカッコイイ力なんだろう。私ってばやっぱり選ばれし勇者なんだ! そうやって喜びたかったのに。
『これが現実だ』
先代様の声が、いつもより重く低く聞こえた。
「嘘だ……」
村の周りが壊れていた。
村が壊れていた。
家は焼かれ、壊れていた。
村人は死んでいた。
焼かれ、切られ、ちぎられ、物の下敷きとなって死んでいた。
「た、確かに霙さんが助けられなかったって言ってたけど……こんなに」
壊れているはずが無い。人が死んでいるはずが無い。
私が思う『無い』なんて、どこにも無かった。
『もう一度言う。これが現実だ』
私は目を背けた。
先代様に念を押されたからなのか、それとも物や人の焼けた臭いが辛かったからか。
私は後ろを向いて、そこで気づいた。
「…………あぁ、やっぱり私のせいだ」
私が走ってきた森に、歪な『道』が出来ていた。
その道に邪魔な物は何一つ無かった。だって私がすべて破壊したんだもの……この強靭すぎる勇者の体当たりによって。
村の惨状と森の破壊を見比べて、なんの違いがあるのだろう。
『おい、バカ勇者?』
前に読んだ本にも「ありあまる幸福は許されない」と書いてあった。
ありあまる勇者の力。まともに制御できない今の私じゃ、結局ガーゴイルと変わらないじゃない。
『おい! 聞いているのか!』
呼吸が浅い。視界が狭い。音が遠い。
「グ、グギギギ……」
忘れもしない魔物の声が、後ろから聞こえた。
『まさか!? 生き残りか!』
その時だけ、どうしてか先代様の声がはっきりと聞こえて振り返る。
「グギギガ……グガァー!」
血だらけのガーゴイルがこっちを威嚇するように叫んでいる。
下半身は壊れた家の下敷きになっていて、動けないようだ。だけど、私は一歩も近づけなかった。
『大丈夫か? ルナ』
「だ、大丈夫です」
声が震える。
大丈夫な訳がない。
『ルナ───殺せ』
「え?」
『毎回戦闘のたびに気絶されては困る。少しは血に慣れ、相手を殺すことに慣れろ』
あぁ、似たような言葉を村の先生から言われたな。そういえばナラーシャにも言われたっけ?
そうやって意識を過去に飛ばしてみても、どうしようもない現実から逃げられる訳ないのに。
「で、でもほら! あんなに血だらけですし、そのうち死んじゃいますよ」
どうしてこんなに嬉しそうに話すんだ、私は。
この笑顔はなんなの。この震えはなんなの。
「グェェエエエエ!」
ガーゴイルの叫びと共に放たれる火球がルナに向かって一直線に飛んでくる。
「ひぃいッ!」
咄嗟に顔を守るルナ。
ルナにぶつかった火球は、まるでシャボン玉がぶつかったみたいに弾けて消えた。
『分かっただろう? 人間とは違い、彼らは生まれつき魔法が使える』
「あ、あれ? 痛くない」
『あの程度の魔法であれば、今のお前に通用しない。だが、今のが普通の人間ならどうだ?』
血だらけで、死にかけなのに。
いや、だからこそ最後の最期まで勇者を殺そうと……文字通り必死なんだ。
それが分かってしまった以上、ルナは目の前の魔物を殺さなくてはいけない。
「───分かりました」
左手の魔道具を、お守りのように握りしめる。
怖くない怖くないと自分に言い聞かせて右手を静かに剣の柄に乗せた。
「グェエエ! グェエエ!」
一歩近づくたびに敵は叫ぶ。
殺されるのが分かっているからなのか、それとも本能的な叫びなのか。
「い、いきます」
『いちいち宣言するな』
それとも───助けてほしいのかな。
「…………」
『どうしたルナ───』
混乱を極めた私の頭が、さっき思いついた『事』でいっぱいになって一色になる。
真っ白になった私は先代様の言葉を遮って叫んだ。
「こんなの……できる訳ないでしょう!」
足元のガーゴイルの顔が少し強張り、そして安堵したように柔らかくなったのが見えた。
───見えてしまった。
「どうしてみんな殺すことしか頭にないの! どうしてそんなに殺したがるのよ!」
『じゃあ聞くが。お前はそこの村を破壊し、家族や友人を殺したガーゴイルを許せるのか?』
「ッ!!」
息を飲むとはこういうことなんだと、ルナは自覚した。
「……分からないです」
『それは分からないのではない。思考から逃げているだけだ』
切っ先のように鋭い言葉がルナの心を貫いた。
そんなの考えるまでも無く許されない。分かってる、分かっている。
『───我が封印されていた丘でも、似たような口論をしていたな』
その言葉を聞いた瞬間、私の心がスッと冷たくなっていく。
『私は争う気が無いから関係ないと、お前はそう言ったな?』
「…………はい」
『どうだ? 争いを拒めなくなった気分は』
逃げ場なんてない。
殺さなければ殺される。平和な世界は昨日で終わったんだ。
そうやって何度、何度覚悟を決めたら私は自分が『勇者』だって心の底から理解できるんだろう。
「もう逃げません」
触れているだけの右手はもう、柄を握っていた。
『───はぁ、その言葉が今日で最後であることを願うよ』
圧倒的な緊張が私に驚異的な集中力を与えてくれる。
あんなに苦しかった息も、狭かった視界も元に戻って、紙にこぼれた小さなインクの染みを見るように敵の急所を見つめる私は───笑っていた。
『(また逃げ出したな)』
緩やかで静かな時間の中では、尊敬する先代様の小声が私に届くことなく。
黒地に金の装飾が施された鞘から剣を抜き、逆手で持つ。
見上げるガーゴイル。狙うは眉間。振り下ろす腕。
「ルナ!」
私を見つめる丸くて大きな黒い瞳。
その眉間に剣が刺さる前に聞こえた乾いた音。
「───え?」
その瞳が大きく見開かれ、霙さんよりも虚ろになって狭まっていく。
勇者となった私にはガーゴイルの右側頭部から頭を撃ち抜く銃弾が見えていた。だから私は腕をピタリと止めて銃弾が飛んできた方を向いた。
「無事だったんだな、ルナ」
そこには親戚の集まりで何度か見たことのあるオジサンが立っていた。
「…………」
決意も覚悟も、何もかも無くなった気がする。
覚悟を決めたのに。それなのに。頼んでもいないのに、わざわざ私の代わりに小銃で殺したオジサン。たいして記憶にも残らなかったオジサン。
私の心に嬉しさと恨めしさが溢れてくる。