未知を感じる
自己紹介を終えたルナは霙にいくつか質問した。
村が襲われてから何日経ったのか。外を出歩いてもいいのか。この家と村はどのくらい離れた場所にあるのか。
「───距離ですか? 大した距離ではありませんね」
「なら、ガーゴイルが来たのは」
「現れたのは昨日の夜です」
「そうですか……」
「ルナ様。出歩くのは結構ですが、あまり遠くには行かないで下さい」
私と違って、霙さんは変わらない。
黒のローブに隠れた肉体と一緒で、表情からは何も伝わらないし、瞳は虚ろ。
「分かりました」
分からない。だから怖い。
もしかしたら、すべてが嘘なんじゃないかって。そう思うと心が不安でいっぱいになる。
「あっ、そうでした。少しばかりお待ち下さい」
「???」
小首を傾げるルナを置いて霙が部屋から出ていく。
ルナも後を追って外に出ると、ちょうど霙が向かいの扉に入っていくところだった。
「あの……」
扉の前でソワソワと周囲を見回すルナ。
結局。なんだか入ってはいけない気がして、右側に見えたリビングらしき場所に足を向ける。
「リビングで待ってますねー!」
「……」
返事はない。別に、気にしてなどいなかった。
声をかけても話しかけても返事がない事に……悲しくもルナは慣れていたから。
「わぁぁ!」
少しだけ心が沈んだルナだったが、リビングを見た瞬間に気持ちが明るくなる。
木造の家。木製の家具。
差し込む太陽の光が眩しいお洒落なリビング。
「……綺麗」
廊下からは見えなかったが、キッチンも清潔感があって良い。
「お気に召したようで、ルナ様」
「凄いですね! 霙さん!」
私は興奮した気持ちを抑えられなかった。
部屋も気持ちも暗くなる『あの家』とは違う。綺麗で明るい素敵な家。
「実はこの家、大木の中をワタクシの魔法で改造したものなんですよ」
諭すように話す霙さんに連れられて玄関から外に出る。
振り返ると、そこにはとてつもなく巨大な木があった。
「す、凄すぎません?」
ルナが動揺するのも無理はない。
まさしく天を貫かんばかりに大きな木なのだ。
「この木もワタクシの魔法で創ったものです」
「えぇッ!? やっぱり本物の魔法使いは違いますね!」
私は大げさに驚きながら思考を続ける。
そして、さっき感じた違和感の正体に辿り着く。
村からさほど遠くない場所にあると言われたこの家。
だとしたら村から見えないはずが無い。
「───この家はワタクシの魔法で隠されています。その『隠す』術式が、このような大木としてルナ様に映るのです」
「ッ!?」
まるで私の心を読んだみたいに……。
霙さんはいつまでも微笑を絶やさない。
いつでも無表情と変わらない微笑。その美貌。その異様さ。
私には『神無月 霙』という人が分からなかった。
「あっ私、ちょっと散歩しようとしてたんでした───」
ルナは喋りながら隠れ家と霙から距離を取ろうとするが、まるで「逃がさない」とでも言いたげな白く美しい手に肩を掴まれ阻まれる。
「───ひっ!?」
ビクッと跳ね上がる心臓に合わせて声が漏れた。
息を殺し、ゆっくり振り返ると霙さんが時計と部屋に置いてきた伝説の剣を差し出してきた。
「申し訳ございません。ワタクシの手が冷たかったでしょうか?」
「え? あっ、いや、大丈夫ですよ? アハハハハ」
そうやって私は逃げるように誤魔化す。
すぐに差し出された剣を腰に差し、ジロジロと秒針の無い不思議な時計を凝視する。
「…………」
ルナには凝視する理由があった。
時計のガラス部分の反射を利用し、後ろの霙を観察する。
霙に変わった様子は無い。
ただただルナを見つめている。その何もかも見透かしたような瞳で。
「この時計ってなんですか?」
ルナが振り返る。
それにしても……たったの二日で、どれだけルナの世界は変わってしまったのだろう。村の最底辺と呼ばれていた少女は、今や世界の滅亡を止められる唯一の存在『勇者』と呼ばれている。
「魔道具です。短針はこの隠れ家を指し、長針はルナ様の行きたい場所を指し示します」
「へぇ~」
生返事をするルナだったが、内心は違う。
細かな装飾。目的地と帰るべき場所を指し示すという二つの術式が組み込まれた魔道具。
ルナの頭の中は前にラギーから教わった話でいっぱいだった。
魔道具の使用には持ち主が魔力を送る必要がある。魔道具は、その構造や内面に術式を組み込む。そのため小さな魔道具には二つ以上の術式を組み込むのは非常に難しいとされているのだ。
「あ、でも私。魔力が無いらしいんですよねぇ~」
恐ろしいまでの才能と技術を感じ、ルナはとりあえずアハハと笑って誤魔化す。
忘れちゃいけない。どれだけ周りが凄くても、私は私のまま……何も変わって無い。
「え?」
私の何気ない言葉が霙さんには驚きだったらしい。
いかにも「ありえない」と言いたげな表情に、私まで困惑してしまう。
「昔、小さい時に親に言われたんですよ。お前には魔力操作適性が無いって」
嫌な記憶が蘇る。心が沈み、視線が下がる。
ルナの目に映るのは地面だけ。ぼんやりとした思考の中でのルナは、自分が下を向いていることに気付けないでいた。
「そんな訳がありません!」
私の目の前をサッと肌色のナニカが通る。
それに気づいて顔を上げると、真剣な顔の霙さんがいた。
「霙、さん?」
吐息が聞こえそうなくらいの至近距離に心臓のドキドキが止まらない。
むしろ、相手は美人で中性的な霙さんだ。こんなに真剣な表情で見つめられて意識しない方が難しい。
「失礼します」
そう言うと霙は絶賛勘違い中のルナの薄い胸の上と背中に優しく手を当てる。
「ひゃっ!?」
突然触れられたルナは感じていた……霙の手から流れ込んでくる『ナニカ』を。
「ルナ様?」
感じる。もちろん変な意味じゃないよ? 声は漏れちゃってるけど……。
霙さんの手を通じて私の中に未知のナニカが伝わってくる。それが堪らなくくすぐったい。
「あっあっあっ、いひっ!?」
お腹の底から力が溢れて指先までビリビリと巡ってる。私の中に霙さんが流れ込んでくるみたい。
いっぱい弄りまわされて頭がおかしくなりそう。新しい何かが私の中で目覚めちゃってる。
「これが……魔力なの?」
「その通りです」
魔力の流れを感じる。
あれだけ村の最底辺と罵られていた私が、魔力を感じている。
『───いつか、いつの日かお前が話したくなったら霙に話せ。霙からすれば勇者に選ばれるほど強者がどうして村の最底辺などと呼ばれているのか……分からないんだ』
今の剣の言葉は明らかに意味深だった。
それはルナにも分かった。きっと昔の話……ルナが思い出したくない記憶だろうとも。
だが、今のルナには意味深な剣の言葉よりも自身の新たな力の方が興味がある。だから……。
「凄いです! なんだか分からないですけど、こう……内側からブヮーって!」
だからルナは話さない。
お互いの齟齬を正そうとしない。
「ルナ様の体内魔力生成が術式によって封じられていたので、それを解放しました」
「え? それじゃあ誰かが私に魔術的な封印を施したってことですか?」
剣だけが知っている『私』にも霙だけが知っている『私』にも興味はない。
ただ私は強くてカッコイイ誰かに褒めてもらいたい。
それだけなんだ。
「そう、なりますね……」
考え込む霙を見て、ルナも考える。
自分の魔力を封じて得をする人間は誰なのか。魔力が封じられているのを知っていたから母親は分かり切った様子で私の魔力操作適性を調べたのだろうか。
そこまで思考を巡らせた私は「違う」と確信する。
「あれ?」
そもそも、どうして霙さんは私が魔力を操れるという前提で話してきたんだろう。
操れないと知った瞬間の、あの表情……本当に驚いていた。それに、あんな短時間で『封印術式』を解くだなんて。
まさか私に封印術式があるのを知っていた? 封印の犯人? それとも……術式が分かる?
「何かお心当たりがありましたか?」
「えっ!? な、何もないですよ?」
結局ルナの考えは推論でしかない。
大前提として彼女は───神無月 霙は───新しい勇者である『ルナ・スリート』の数少ないパーティーメンバーであり、天才魔法使い。
過去、勇者『アタラクシア・ラインハルト』と共に魔王を封印した『終滅ノ魔女』の子孫。
「そうですか」
その言葉に私はなんとなく「封印の犯人は彼女ではない」と思った。
「では、気をつけて行ってらっしゃいませ」
「???」
丁寧にお辞儀する霙と、最初の目的を思い出せずに呆けているルナ。
「お散歩に行かれるのでは?」
「あっ、そうでした」
アハハと照れくさそうに頭の後ろに手を置くルナに、霙は再び諭すように話す。
ルナの気付かぬ内に霙の瞳はいつのまにか、いつもの憂いを秘めた虚ろな瞳になっていた。
「一応、魔力の解放と剣の装備効果でルナ様の身体能力は非常に高くなっています。ですが、何かあった場合はすぐさま隠れ家に向かって下さい」
「何かって……?」
「ガーゴイルの群れはワタクシが殲滅しましたが、必ずしも敵がいなくなった訳ではありません」
「んッ!?」
突然の重圧に私の呼吸は乱れ、唾をうまく飲み込めなかった。
心なしか心臓の鼓動が普段より大きく聞こえる。
「すぐには無理でしょうが、少しずつ慣れていきましょう。魔法も、魔術も……ワタクシ達の関係も」
「霙さん……」
私は何か大きな勘違いをしていたのかもしれない。
霙さんが剣の中にいる勇者様と再会した時に見せた表情……あれが本当の霙さんなのかな。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、ルナ様」
じわりじわりとルナの胸に広がる複雑な感情。
初めての感覚。他人と関わるというのも、案外悪くないのかもしれない。
そう思えた。