子供たちへの依頼
夕食を終えた頃、王国から来た商人の滞在する宿に使いが来た。
ユイリとその家族が住んでいるのは、森の中にある泉の傍の、かなり大きな二階建の館だ。
「お義兄さん、お久しぶりです。夜分遅くにお呼びしてすいません」
商人でユイリの父親であるギードは、この商国では『神』の代理としても働いている。
元は獣人だけだった村をすべて買い上げ、村人もすべて従業員にし、新たな国として宣言した。
やがて、暴君として広まるギードの噂に、弱々しいあのエルフの姿を思い出し、王国の知人たちは首を傾げたものだった。
しかし、ギードは『黒いエルフ』として一部では恐れられているのもまた事実だった。
「相変わらず忙しそうですね、ギードさん」
義兄である彼は頻繁にこの町を訪れているが、さすがに毎回ギードと会うことは叶わない。
「ここでは、さん付はいらないですよ」
照れたように黒い髪のハイエルフが微笑み、椅子を勧める。
さすがに子供たちは部屋に追いやられている。
「お兄様、商売以外の御用って何?」
自ら入れた薬草茶を菓子と供に置き、人族の女性がギードの隣に座る。
彼女はギードの妻のタミリアである。王国から実兄が来たというのにあまり歓迎していないようだ。
仲が悪いというわけではなく、昔からタミリアの顔を見ると説教のような小言の多い兄に辟易としているのだ。つい顔に出てしまう。
「まずはこれを」
と言って、蝋封された封筒を出す。
ギードはちらりと見ただけで手に取ろうとはしなかった。
「国王陛下が、私どもに何か」
蝋封の紋様を見て、嫌な予感がひりひりとするのだろう。顔をしかめている。
「母から話は聞いている」
タミリアの母親には時々来てもらい、商国の従業員に礼儀作法や接客の講師をお願いしている。
もちろん高額の移動魔法陣は使わず、直接ギードが移転魔法での送り迎えをしている。
王都の服飾関係の大きな商会を営むタミリアの両親は、そろそろ引退を考え、長子である息子に少しずつ仕事を渡しているそうだ。
空いた時間を使い、孫に会いに来るついでにお小遣いも稼いでいる。
その母親から義兄は孫である子供たちのことで相談を受けたそうだ。
「王都に来るならいつでも歓迎するよ」
タミリアは不思議そうな顔をしている。
「どういうこと?」
タミリアは目の前にいる自分の兄ではなく、隣に座る夫に顔を向ける。
「あー、いや、国王陛下にね。ユイリとミキリアを行儀見習いに王宮へ出さないかと打診された」
それがいつの間にか妻の実家に伝わってしまっていた。
王国の王太子の子供はもうすぐ二歳になる。その子供の友人という名目の、同年代の従者として打診があったのだ。
「でも、あのお話はお断りしたはずですが」
ギードは妻にではなく、義兄のほうに話かける。
「そうなのか?」
どうも彼の母親のほうはすでに話を受けたと思っているようだ。
「王宮に勤める前に王都に慣れる必要があるだろうと、一年はうちで預かって教育すると言っていたが」
驚きながら義兄は母親の言葉を伝えてきた。
ギードはますます眉に皺を寄せる。
あのお茶目な国王は、ギードに断られたために外堀から埋めようと祖父母のほうに話を持っていったのだろう。
「とにかく、自分はまだ子供たちを外に出すつもりはありません」
まだ六歳である。
ギードは日頃、忙しくてあまり構ってはやれていないが、同じエルフであるユイリに関しては、もっとエルフ族のことを教えなければならないと考えている。
王都の人族の中にやるくらいなら、エルフの森の養父である最長老の元へ、と思ってはいるが、実際それが出来るかどうかは別である。
ギードは幼い頃、エルフの森で謂れ無い虐待を受けた。
そのせいで今でもギードはエルフの森にはいい感情を持っていない。滅多に行かないのである。
そんな場所へ彼は自分の子供を送り出せはしない。いくら養父である最長老が保証したとしても。
「ギドちゃん、なんで私に話してくれなかったの?」
タミリアに胸倉を掴まれ、顔を引き寄せられる。
彼女の笑顔が怖い。
「いや、だから、すぐに断ったよ。それで終わったと思ってた」
先日、ギードは王宮に呼び出された。
商国の主力である駅馬車は、それ自体を王国から譲り受けている。その運営方法についても担当者から色々教えてもらった。ようやく軌道に乗ったところなので、お礼がてら報告に伺うことにした。
その時、話のついでのように子供たちの件を持ち出されたのだ。
「お前の子供たちならば護衛も務まるだろうし、大人の事情など気にしないであろう?」
ギードはまた無茶ぶりか、と国王から目を逸らした。
この国王は孫である姫が産まれてから爺馬鹿ぶりが目立つ。人族である王太子とエルフ族の妃との間に生まれたエルフ族の赤子である。かわいくて仕方ないのだろう。
「お断りします」
「なぜじゃ」
唖然とした顔になる国王にギードは当たり前だと平然としている。上流貴族の子供とか、親が権力争いに熱心なら喜ぶだろうが、普通の子供なら嫌がると思う。
「子供の将来は安泰だぞ?」
「将来なんて、そんなの親だからって勝手に決めていいことじゃないでしょう」
ギードは国王に対しても特に従わなければならないとは思っていないし、国王も彼を思い通りに出来るとは思っていない。
睨みあう両者の間に入った王太子が、
「うちの子は二歳です。まだ友人が必要になる年齢じゃありませんから、その話はまた後日」
と話を遮った。
後日とは、きっと何年か先の話だと思っていたが、あれからまだ半年と経っていない。
本当にあの国王は、やるとなったらやってしまえる実力をお持ちである。
ギードは深い溜め息を吐いた。