小説で固有で独創性の高いキャラクター作るのが面倒くさ過ぎる
俺は一応小説を書いている、
その主眼はまあ、プロレベルの書き手、高いレベルの情報精神世界で生きる奴、
の気持ちを理解して高いレベルの娯楽にしたり、とまあいろいろ目的はあるが、
っぱ自給自足的に、文字って言う再現性の高い情報媒体で、無上なほどに溢れるほど、
自分自身で自分が面白いと思えるレベルの小説みたいなの、書けたり、生み出せたら人生が神ゲーになると思ったから、
ある種の確信、宇宙には絶対の神秘があるって思うレベルくらいの、絶対の確信が俺にはあった、あるからだ。
さて、こんな俺は小説を書いて何十年になるが、やはりドヤ顔で出せる、
言うなら、そのキャラクターが居るだけで、面白いレベルのキャラクターだ、は少ない。
まあハッキリ言って、元カノのような存在だ。
愛し合ったヒロイン、そのキャラクターの好感度を、少なくとも俺や読者に向けて上げまくったから、必然的になる。
っぱ少なくなるわけよ、そのヒロインの実像、演じるだけでも完璧に再現度を上げるには、時間が掛かるのだ。
とにかく、再現度が一定以上で高くないと駄目駄目だ。
というよりもう、そのキャラクターが、現実世界で通用するレベルの仮面、ペルソナやな。
このエッセイのキャラクターだって、同じようなモノだ。
常に即興で途切れなく、圧倒的にブレないキャラクター性で、再現し続けられる、
現実世界を生きるに値する、又は生きてきたと想定し想像できる、そんなキャラクター存在が、やはり少な過ぎる。
誰だって一体くらいは持ってるだろうがよ、最低限、それは自分だって良いのだ。
活き活きと描ける、それは真に思い入れのあるキャラクターなのだからなあ。
でもまあ、本当に苦労するぜ、
いまこの瞬間だって、キャラクターの維持ってモンがある。
維持しなきゃ、アルツハイマーみたいに、どんどん成り立たないモノとしてエントロピーが低くなって、順次崩壊していくモンだ。
人間の脳味噌ってのは、本当に面倒くさ過ぎる風にできていると、俺は心底から思うね。
さて、物語を創作するなら、登場人物が最低でも一人必要だ。
舞台設定によっては、一人以上だろうがよ。
門番や村人なら、手抜きでも許される、モブキャラクターって奴なんだからよお。
だがよ、ヒロインのキャラクターが魅力的じゃないとか、友人キャラが、もうモブとか、そりゃ駄目だ。
だからよお、魅力的なキャラクターは沢山描けた方が、物語の幅も広がるわけだわ。
もちろん二次創作的に、プロが描くキャラを真似るのも良い、
だがやはり、再現性が著しく堕ちるだろうがよ、所詮は有名人のモノマネなんだからよお、クオリティーは低い、
さらに特定の物語世界で動かすとなると、シミュレーションの過程でエラーが出まくる、
物語にリアリティーが伴わず、違和感だらけ、フィクションってばれて読者が冷める訳だ。
時間を掛ければ、多少は改善するだろうが、
スローモーションで描かれる世界に、作者脳内でシミュレーションされる世界に、誰が魅力を感じるよ?
作者自体がそもそも、そんな作り方じゃー楽しめない、疾走感や切迫感とかが足りないって言われるのがオチよ。
ゆえに俺は、若すぎる人間の書く、登場人物二人くらいの物語なら許容範囲だが、それ以外の小説は読まない。
大天才で若い感性を武器にして頑張ってるなら、多少は見所もあるが、そうじゃないなら駄目駄目だ。
俺が言いたいのは、若者は分を弁えて、相思相愛の、ナルシスト入ってる感じの、
実質一人の世界で、自分のようなヒロインと、自分のような主人公で、恋愛しているのが一番良いと思う。
これは俺の実体験な。
俺が若いころに描いていた、シャルっていう猫目のツンデレヒロインは、
今でも成長続けて、深いバックシナリオとエピソード、作者っていう奴と深い人間関係を構成したりしてて、異様に頻度高く使えるキャラだ。
まあ頑張れや、無駄な事はするな、建設的な事だけをしろ。
人生ってのはどんどん苦しくなるのだ、日本は落ち目だしな、有意義に時間を尽くす一助にコレが成ってたら最高だわ、あばよ。




