第一章 第七話
1
サビだらけの鉄板の上に、滴る血が線を引いていく。
エルと放心状態のユウリを連れて格納庫に戻ってきたディーは、左足をずるずると引きずりながら何とか壁まで歩きたどり着くと、倒れるように座り込み背を壁へと預けた。
それが、ディーの限界だ。
「ディー……。だいじょうぶ?」
「……ああ」
エルに問われ、ディーは声を絞り出し答えた。
いくら死者と言えども、全身に深手を受け血を流してはまともに話すことすら出来ない。
「コライダーは?」
「いない……」
唯一この事態に対処出来そうなのはコライダーくらいなものだが、見回す二人の視界にあの特徴的な白衣はなかった。
「そうか……」
「ディー……? ん……」
ディーはそれを確認すると、静かに目を閉じた。
寄り添うエルもまた、同じ様に。
「おやすみ……なさい」
そして、エルの挨拶を最後に音が消えた格納庫。
その中で時の激流は速度を落とし、ゆっくりと流れ始めた。
それから、どれだけの時が経っただろうか。
永遠か、あるいは一瞬だったのか。
制止した時間、思考。
その氷結を、耀く光が突き、溶かす。
「あ」
気が付くとユウリは、見知らぬ暗く大きい部屋に立ち尽くしていた。
「私……」
縛めが解けた途端、幾つもの情報がユウリの脳に飛び込んでくる。
月に照らされ耀く血にぬれた硬質の破片。
重力に逆らい続け疲労した脚の痺れ。
涙を出し尽くし乾ききった瞳。
寒さに痺れ小刻みに震える唇。
鉄の香りに包まれ寄り添い眠る二人。
全てを処理しきれずぼんやりとした頭で、ユウリはゆらりと──床に落ちていた血塗れの欠片を拾い上げた。
夜の冷気に冷やされた、鋭い金属の破片。
掴んだ手を傷つけ痛みを与える茨の刃。
「……」
ユウリはそれを、ディーの前で振り上げた。
アロンダーク──思考と回想が乱れ狂う。
恨み、憎しみ、怒り、悲しみ、そう言った固形化した感情ではない。
もっとどろどろと、ふわふわと、実体のない思いがユウリを苦しめ駆り立てるのだ。
覆い被さるユウリの肢体。
突きつけられる狂気の刃。
後は震える手に少し力を加え進めれば、苦しみの元は消える。
「無理だよ……」
しかし、ユウリには出来なかった。
手が、どうしても前へと進まない。
激しい意思の片隅に残された小さな思いが、その動きの邪魔をする。
そんなユウリの気配を察し、ディーが目を開く。
「ユウリか……」
視界に映った小さな、震える復讐者。
ディーは何故だか、彼女を傷つける気にはなれなかった。
「……」
倒れ込み声を殺し泣くユウリの体温を感じながら、ディーは驚く。
俺にも、こんな感情が、あったのか──と。
────
まどろみ。
混濁した意識の中、感じるのは人のぬくもりか、それとも──。
「はあ……。ここはいつから連れ込み宿になったんじゃ?」
コライダーはぺしぺしと、三人組の足を蹴った。
「ふぇ……?」
「ん……」
その衝撃に、ユウリとエルの二人が目を開ける。
すると、いつの間にやら日が登り、陽光が天井の裂け目から差し込んでいた。
既に朝……を、通り越して昼に近い時間帯だ。
「コライダーか」
ディーに至ってはとうの昔に起きている。
では、何故動かなかったのか?
「きゃ!」
それは、ユウリがディーの上で抱きついたまま寝ていたからである。
「べ、別に私はそう言うつもりじゃ……!」
「どうでも良いからさっさと出ていくんじゃな」
ユウリは寝起きとは思えぬ素早い動きで飛び退くと、顔を真っ赤にして言い訳を始めた。
が、コライダーにとっては別にどうでも良いことである。
むしろ、コライダーに用があるのはユウリの方だろう。
「貴方は……あの時の!」
「コライダーじゃ。ああ、お主は別に名乗らんでも良いぞ。名前は知っとるし、別に興味も無いからのう」
「貴方が……」
「そうじゃ。ワシがディーを戦わせとる。ま、所謂元凶じゃな」
「じゃあ……!」
「断る。ディーはワシにとって貴重な戦力じゃからのう」
ユウリの問おうとする事を、コライダーは次々先回りして答えた。
最後の一つを除いては。
「どうして、こんな事をするのよ!?」
「ふむ。そう言うところはアリアにそっくりじゃな。なんの疑いもなく、世界人類全てが平和になれると思いこんどる。周りは良い迷惑じゃ」
常にずばりとモノを言うコライダーにしては珍しく、言葉を濁した。
だが、答える気が無い──と言う訳ではない。
「どう言う……意味よ」
「ふん。ディーよ、仮にワシがお主を生き返らせなければどうなっていたかのう?」
「死んでいた」
コライダーは意図を明かさず、ディーに聞いた。
勿論、ディーはただ正確にそれに答える。
「ならば、ワシがいなければユウリに出会うこともなかったのう」
「ああ」
ここまで来て、ユウリにもコライダーの言いたいことが解った。
「お主は戦わなければ人は死なんと思っているようじゃが、それがそもそもの間違いじゃ。温室育ちに解れというのも無理な話じゃろうが、放っておいても人は死ぬ」
抗わなければ生きては行かれない。
死は直ぐ隣りに付き添い、口を開けて待ち構えている。
それが貧民街──いや、この世界の正常な姿なのだ。
市街地こそが異常なのだ、と。
「なんで……」
「そこまで教えてやる義理は無いわい。どうしてもと言うならお主の親父に聞くんじゃな」
コライダーの言う事は全て、正論だ。
今、この街を支配しているのはコライダーではない。
機構なのだから。
「っ……!」
「ほれ」
駆け出そうとしたユウリに、コライダーはボロ布を放り投げた。
正確には、体をすっぽりと包めそうなボロマントと、中に包まれた拳銃だ。
まるで用意していたようだ。
と言うより、実際用意していたのだろう。
「これ……」
「その格好で行ったら即ジ・エンドじゃからな。お主の母親は一応ワシをかばっとったから、まあその礼じゃ。使うかどうかはお主の勝手じゃがのう」
「……!」
コライダーが言い終わるか言い終わらないかと言う内に、ユウリは再び駆け出した。
そして──それを追うためにディーは、立ち上がった。
「行くのか、ディーよ」
「ああ」
「なら、お主にはこれじゃ」
「これは……?」
すると、コライダーが、今度は白い布を投げた。
「機構の制服と偽造IDカードじゃ。そいつを使えば無駄な苦労をせんでも本部ビルに入れるじゃろう。その方がワシとしても都合が良いからのう」
「わかった」
ディーは頷くと歩き始めた。
もちろん、その後をエルが追う。
「それと、エル。お主には別の仕事がある」
だが、エルはコライダーに引き留められた。
「……」
「安心せい。ディーの身を守る、ある意味一番重要な仕事じゃ」
「ん……」
ディーの身を守る仕事──そう言われれば、エルに断る理由は無い。
「それと……」
頷くエルを見て、コライダーはディーに耳打ちをした。
そっと、囁くように。
「伝言じゃ。もし、ソルと言う男に会ったら伝えるんじゃな」
「わかった」
ディーはその囁きを聞き終わると、再び歩き出した。
「行ってくる」
目的地は伏魔殿。
或いは魔王城と言ったところか。
今、二人はシティの禁忌に触れようとしていた。
2
何食わぬ顔で貧民街を抜け、門を護る衛兵に掛け合い市街地へ。
後は、バスへと乗り込むだけで良い。
ここまでは意外な程、簡単に来ることが出来た。
管理塔──シティ中央に槍の如くそびえ立つ機構の本拠地。
今、ユウリはその前にいる。
「これはユウリ様」
「お勤めご苦労様です」
ユウリは普段通りを装い塔の中へと足を踏み入れた。
少し前、ほんの少し前までは、父の仕事場くらいにしか思っていなかったこの場所。
だが、今は違う。
「ふう……」
エレベーターに乗り、ユウリは溜息をついた。
一歩進む度、鼓動が高鳴る。震えは全身を支配し、平常心を奪っていく。
しかし、逃げるわけにはいかない。
ユウリは恐怖を振り払い、タワーの中を進んで行く。
そして、気づけばもう目的地。
目の前には父、レドアの執務室の扉があった。
「お父様。ユウリです」
「ああ。構わんよ」
ユウリが自動ドアをくぐると、レドアは普段通り、ごく自然に椅子に座っていた。
ガラス一枚隔てれば、そこは既に一面の夜景。
美しい宝石箱を愛でることが出来る。
しかし、ユウリはそんな訳にはいかない。
「お父様。お聞きしたい事があります。貧民街の人達は何故あんな生活を強いられているんですか? そもそも何故、貧民街が必要なんですか!?」
ユウリは机に手の平を叩きつけ、問い糾した。
「お前が知る必要は無い」
だが、レドアは言下に告げる。
知る必要は無い──こちらも実に端的だが、その意味は言葉通りではあるまい。
知ればタダでは済まないと言う事だ。
しかし、ユウリは引かなかった。
「……お答えください。お父様」
ユウリはコライダーから受け取った銃をレドアに向け構えた。
心臓を握りつぶされそうな重圧を感じながら、それでも──
「っ……」
怖い。逃げたい。
もしかしたら、今自分は死ぬかもしれない。
もしかしたら、自分は人を殺してしまうかもしれない。
人と戦う事がこんなにも怖いことだと言う事を、ユウリは今まで知らなかった。
そして、悔いた。
私は今まで、何も知らなかったんだ──と。
3
ユウリがレドアと対決しているその頃、ディーもまた管理塔へと入っていた。
偽造IDのできが余程良かったのか、特に怪しまれることもなく。
だが、ディーには一つ、重大な問題があった。
ユウリの居る場所を知らなかったのである。
「ふむ」
ディーは周囲を見回すが、当然、そんな事で見つかるはずもない。
既に幾人もの機構の構成員とすれ違った。
幸い怪しまれた様子はないが、このまま続ければいずれはばれてしまうだろう。
しかしだからと言って、特に良い手段も思い浮かばない。
と、ディーが途方に暮れていたその時だった。
「……!」
ディーの横を、一人の男が通り過ぎた。
すれ違う、二人の男。
互いに知らぬ顔だ。
怪しむ所は何処もない。
だが、二人は止まった。
「貴様……何者だ?」
男は振り返り、ディーに聞いた。
ディーもまた、振り返り男を見た。
白い制服を着たディーと黒い服を着た長身の男。
二人の男が向かい合う。
「ディー」
「そうか、貴様は……」
ディーの名前を聞き、男は目を細める。
いや、違う。
言葉など交わさずとも、全ては分かっていた。
「ふん。ならば俺も名乗ろう。俺はソル。この、絶対正義機構を束ねる者だ」
男は機構最強の男──ソル・ブレイダー。
ディーが倒すべき、敵だ。
「お前が……ソルか」
「そうだ。フランシスに聞いたか?」
ディーはコライダーに頼まれた伝言を思い出した。
が、しかし、残念ながら、悠長に会話を楽しむような状況ではない。
「ぬん!」
瞬間、影が走り、ソルの拳がディーの腕にめり込んだ。
「……!」
強大な魔力が練り込まれた拳だ。
もし、ディーが防がなければ、今頃頭蓋骨ごと砕かれていただろう。
「破ァ! ぜぇい!」
ソルの攻撃は続く。
ボディを狙う一撃でディーを壁まで弾き飛ばし、瞬時に間を詰め追撃。
ディーの背に在る壁面ごと、打ち抜く。
「……強いな」
ディーは隣の部屋でバク転し、その態勢を立て直した。
「本気を出せ。この程度ではないだろう?」
そこに、黒服の男が歩み寄る。
悠然と、獲物を狩る百獣の王の如く。
4
自らの執務室で娘に銃を突き付けられ、明らかに不審な震動を感じながら、それでも、レドアの心はまるで夕凪のように落ち着いていた。
組織が盤石だと思っているからか──いや、そうではない。
レドアは忠実に職務に準じながらも、同時に感じていたのだ。
虚しさを。
「良いだろう」
故に、レドアは語り始めた。
「二十年前、まだ世界がこの街だけではなかった頃の話だ」
「どう言う……意味ですか?」
「ふ。お前達にとっては、まるで思いもよらぬ事だろうな。だが事実、世界はこの街など砂の一粒にすら値しないほど広いのだ。ただ、皆それを忘れているだけでな」
レドアは続ける。
「地球……人類が生息する球状の土地を、敵が襲った。邪神と呼ばれる、人類を遙かに上回る力を持った敵が。恐らく、フランシスがいなければ3日とかからず我々は滅ぼされていただろう。そう言う意味では、彼が世界を救ったと言い換えてもいい」
「フランシス?」
「会ったのではないのか? 白衣を着た老人だよ」
「……!」
コライダーだ──ユウリには直ぐに判った。
つまり、コライダーはユウリが思うような悪人などではなく、世界を救うため戦った英雄であったと言う事だ。
物事は、思うほど単純ではないと。
「人類はフランシスの指揮の元、拠点に結界を張り、精霊を内に込めた巨大なマシンを作って邪神に対抗した。だが、それも所詮はあがきだ。人類は確実に戦力を削られ死に絶えていった。そんな時──」
レドアは一度深呼吸をし、告げる。
「選択の時が訪れた」
「選択の時……」
「この街を被う結界は特別なものだ。結界内に存在する人間達の精神・生命エネルギーを一定量搾取し無限に展開、強化し続けるようフランシスが設計した。そして、ある限界を過ぎれば一切の物質が通過できなくなる。例え、内部からでも」
「それじゃあ……!」
「そう。この街は結界に捕らわれている。外界に興味を示さぬよう、人の心まで操作して」
「そんな……」
「信じられないか? だが、事実だ。そしてだからこそ、この街は二分されている。結界維持に最低限必要な人口を市街地に、残りのスペアを貧民街に。全ての人間を食べさせて行くには足りないのだから、当然の事だろう? お前が高級料理店で食事をしている間、貧民街では飢えて死ぬ者が出る。それがこの街の理であり、否定したところでお前一人が死ぬだけに過ぎない」
レドアは言い終わると、ゆっくり立ち上がった。
「さて、話は終わりだ」
「動かないで!」
ユウリに銃で脅されても、怯むことはない。
「真実を知った者を生かしておくことはできないのでね」
レドアはユウリを侮っているわけではない。
例え撃たれたとしても、問題が無いのだ。
管理者にとってはタダの銃など、玩具以下の存在でしかないのだから。
そんな事など知らないユウリは、引き金を引くべく指に力を込めた。
「っ……」
だが、引けなかった。
例え自らが殺されるとしても、父親を殺すことなどできない。
「さようなら。ユウリ」
レドアはユウリを殺すべく、魔力を込めた手刀を振るった。
──はずだった。
「な……がっ!?」
ユウリの銃から撃ち出された巨大な魔方陣に吹き飛ばされ、レドアはガラスへ磔となった。
ユウリが撃ったのではない。
暴発でもない。
銃が、勝手に撃ったのだ。
5
管理塔を破壊しながら拳を交え、死闘を繰り広げるディーとソル。
二人は、同時に異変を感じ取った。
強大な、魔力の放出を。
「そこか」
瞬間、ディーは床を蹴り砕き、天井を破った。
「発見した」
「ディー!?」
ユウリとディーは再会を果たした。
階が違っただけで、二人は意外と近くにいたのである。
だが、呑気に喜んでいる暇はない。
「撤退する」
「っ……!」
ディーはユウリを抱きかかえると、磔のレドアごと蹴り飛ばしガラスをぶち破った。
「……え?」
途端、三人を夜の冷たい空気が包む。
一度外に出れば、ここは地上500メートルの空の上だ。
「きゃあああああ!」
「来たか」
だがディーは、問題無いと分かっていた。
「ディー。だいじょうぶ?」
「ああ」
ディーは落ちる途中、高速で飛来した黒色の物体に掴まった。
エルの駆るフリューゲルだ。
つまり、コライダーは全てを予測していたのである。
「あ……あはは……」
ユウリはまだ正気を失っているが、一応命だけは助かった。
しかし、管理者二人が手をこまねいているはずもない。
「レドア。お前の管轄だ」
「……判っている」
ディーを追い現れたソル。
レドアは三度宙を蹴りバク宙して執務室に戻ると、その問いに事も無げに答えた。
「クリス、出番だ。彼を殺したまえ」
そして、携帯デバイスを取り出し、狩人を呼ぶ。
「ユウリは殺しても?」
「構わん。ただし、取り逃すなよ」
「了解。くくく……」
クリスはアシュウィングのコクピットで、下卑た笑いを浮かべた。
彼には既に、ユウリの心を得るため努力した少年の面影はない。
「アシュウィング、出るぜえええ!」
それを裏付けるように、三機の飛行マシンが空を舞った。
管理塔の袂にある出撃ハッチから飛び立ち、瞬時にフリューゲルの背後へと着く。
「ハハハハハハ! 見つけたよユウリぃ。この裏切り者があああああ!」
「っ……。かいひうんどう」
白銀の砲火が夜空に刻まれ、フリューゲルはそれを躱すため横方向に回転運動を行った。
「死ねよおおおお!」
「きゃああ!」
当然、外装部に掴まっているディーとユウリは遠心力で振り回されることになる。
こんな事を続けていては、遠からず落下するだろう。
「随分楽しそうじゃな。ディーよ」
そんな二人の窮状を見透かしたように、コライダーの声がディーの頭の中に響いた。
「コライダー、か」
「ディー、どうしたの!?」
ユウリは状況を理解できていないようだが、説明している時間は無い。
「お楽しみのところ悪いんじゃが、こっちでピックアップの準備は整えた。適当に手を放して降りてこい」
「わかった」
ディーはコライダーの指示に従って、落下の準備を開始する。
「ディー……?」
ユウリには相変わらず伝わってはいないようだが、問題はないだろう。
「落下する」
「……はい? きゃああああああああ!」
ディーとユウリは木の葉の如く、虚空に舞った。
「逃がすかあ!」
「インヴィレーゲン」
「ちい! 邪魔をおおおおお!」
追撃しようとする銀の翼を、赤色の誘導弾が疎外する。
しかし、そもそもそれどころではない。
「ディー! 落ちる、落ちるってば!!」
「問題無い」
涙目のユウリにディーは言ったが、この状況では信じることなどできないだろう。
風を切る音がカウントダウンとなって、転落死の時が刻一刻と近づいていく。
3……2……1……。
「接触する」
そして、落下した。
「……!!」
目を瞑ったユウリの脳内を、光速で思考が駆け巡る。
だが、何時まで経っても二人に衝撃が訪れることはなかった。
「あ……れ?」
ユウリが目を開けると、涙で歪んだ視界にその理由が映った。
数枚が重なり層になった魔方陣と、その下でにやつく白衣の男が。
「見事じゃ。さすがはディー、と言ったところかの」
「ああ」
ディーは事も無げに答えると、魔方陣から離れてフワリと地面に降り立った。
そして、ユウリを手早く地面に降ろす。
まだ戦いは終わっていない。
空中戦は続いているのだ。
「待って」
しかし、ユウリがディーを止めた。
その瞳には決意の光が宿り、力弱くも服の背を掴み、離す気配はない。
「私も連れて行って……お願い」
ユウリは言った。
その言葉に宿る決意は、鈍感なディーにさえ伝わるほどだ。
そして伝わった以上は、無視するわけにもいかない。
「コライダー」
「ワシは構わんぞ。ま、精々死なんよう気をつけるんじゃな」
許可は出た。
ならば、ディーはただ従うだけだ。
「転送する」
ディーとユウリは手を携えて魔方陣の光へと消えた。
そして、目を開ければそこはグレイヴリッターのコクピットだ。
慣れ親しんだ無重力感がディーを包みこむ。
「……大丈夫」
「わかった。出撃する」
ぎゅっと、抱きつくユウリの感触。
ディーはそれを確かめると、告げた。
「起きろ。グレイヴリッター」
すると、棺桶は転送を開始。
赤色の閃光を爆発させ、エルの元へと現れる。
大地に突き刺さった棺桶からグレイヴリッターが這い出ると、そこは貧民街だった。
「やっと来たかぁ」
分離状態のアシュカイザーとフリューゲル。
クリスとエルは高速でチェイスを繰り広げていたため、管理塔から離れていたのだ。
「エル。無事か?」
「ん……だいじょうぶ」
ディーの問いに、エルが答える。
幸いエルは無事だ。
フリューゲルは目立ったダメージもなく、空中を飛び回っている。
それを確かめ、ユウリは胸をなで下ろした。
だが、ディーが気を抜くことはない。
クリスが、アシュカイザーがそれを許さない。
「くくく、はは、あははははは! エサを生かしておいて良かったよ! ユウニオン! アシュカイザアアアアアア!」
三機の飛行マシンが合体し、作り出される銀翼の勇姿。
その輝きが、狂気を宿す。
「……コネクト完了」
「ん……」
グレイヴリッターもまた、フリューゲルを背に翼を得て、闇夜へと飛翔した。
二機が相対した以上既に、戦いは始まっているのだ。
「ひゃっはああああああ!」
「……!」
グレイヴリッターが翼を広げ滞空した瞬間、クリスが動く。
剣を構え矢の如く吶喊するアシュカイザー。
回避など知らず、尚、守りの事など頭の隅にすらありはしない。
この命を捨てたとも思える攻撃は、愚直を通り越して蛮勇と言える。
とても、まともな精神で行えるものではない。
「来い……シャルフリヒター」
対してディーは血晶剣シャルフリヒターを生成し、それを受け止めた。
完全生成まで多少時間のかかる巨剣だが、柄と刃の付け根さえあれば鍔迫り合いは可能だ──が、そうはならなかった。
「遅えんだよぉ……。うおらおらおらおら!」
「っ……速い」
クリスが間髪おかず、連撃を繰り出したのだ。
二機の間で交わされる斬撃の応酬。
気を抜けば即座に切り裂かれる刃の嵐。
互いが互いの心臓を喰らい合う、命の取り合い。
「だが、甘い」
「ちいい!」
十二撃目で、その均衡が崩れた。
グレイヴリッターの膂力が勝り、アシュカイザーが弾け飛ぶ。
「シュティル・ゲヴィーア」
その隙をディーが見逃すはずもない。
口部に展開した魔方陣より放たれる、赤い魔力の渦。
それがアシュカイザーを巻き込み引き裂くべく、クリスの眼前に迫る。
「あたるかよお!」
クリスはその攻撃をすんでのところで回避した。
だが、一連の動きは未だディーの予測を超えてはいない。
「エル」
「ん……インヴィレーゲン」
ディーは更に、その回避運動を確認する間も無く追撃を放つ。
敵機を追尾し確実に破壊する八つの光、インヴィレーゲン。
アシュカイザーがこの攻撃に対応できないことは、以前の戦闘で確認済みだ。
この連続攻撃で、クリスを完全に仕留めることが出来るだろう。
「俺をコケにするなぁ! ぬえりゃりゃりゃりゃあああああああ!」
「……!」
しかし、予測は裏切られた。
アシュカイザーは高速で迫り来るインヴィレーゲンを、避けるどころか斬撃で相殺、消滅させたのだ。
八発全弾全てを同時に。
「……」
ディーは敵を見極めるため、距離をとり動きを止めた。
すると、何故ディーの攻撃を凌ぎきることが出来たのか、その原因が示される。
アシュカイザーの機体内を循環する魔力は、以前に比べ目に見えて増加している。
単純なエネルギー量だけで言えば、アロンダークのグランアクトすら凌駕する程に。
「知りたいかあ? なら、教えてやるよお。俺は強化されたんだ。頭のネジを抜いてさあ……気持ちいいぜえ?」
クリスは自ら種を明かした。
強化──それが何を意味するのか、状況を鑑みれば想像は可能だろう。
クリスの性格変容。魔力の増大。
そこから導き出される答は即ち、精神操作による能力の向上である。
「お父様はそんな事まで……」
「んーその声、ユウリかあ? はは、こりゃ良い!」
悪魔の所行。
その無慈悲であまりに利己的な行いを聞き、思わず漏れたユウリの声。
それを聞いて、クリスは笑った。
一石二鳥だ──と。
自らの人生を狂わせた二人を、同時に殺す事ができるのだから。
「クリス、もうやめて! 機構は貴方が思っているような組織じゃない……。そんな機構のために戦うなんて、馬鹿げてる!」
一方、ユウリはまだクリスを救えると考えていた。
まだ少しでも、許嫁であった頃の実直さが残っているのなら。
僅かでも、人を思いやる気持ちが残っているのなら。
共に歩むこともできるはずだと。
しかしそれは、幻想に過ぎない。
ユウリは直ぐに、それを思い知ることになる。
「はは、ははははは! ユウリぃ、君は絶対正義の意味をはき違えていたみたいだねえ? 教えてあげるよ、正義とは勝者が……生き残った者だけが持つことのできる権利なんだよお。死人に口なしって言うだろお? 君だってその恩恵で生きてきたんだからさあ、そんなに気になるなら地獄にでも言って詫びてくればあ? 俺が送ってやるからさあ!」
クリスは至って正常だった。
彼はただ強化されただけだ。
思いを、思想を。
ならば彼の根底にあるものは、今も昔も変わってはいない。
「どうしても戦うの!? くだらない正義のために!」
「殺すんだよ! 奪うんだよお!! ははははははは!」
初めから話し合う気など無い。
敵は倒す、それは当然のことだ。
相手が自らの意に添わぬ存在であるのなら。
ディーもクリスも、相手を許し手を取り合うことなど一欠片も考えてはいない。
「……殲滅する」
「ちっ害虫風情がぁ」
「お前は、違うのか?」
「言ったなあああああ!」
そして戦いは、再開された。
アシュカイザーは剣を構え、再び突撃する。
だが──止まった。
「失せろ」
破壊的なまでの魔力を、グレイヴリッターが纏う。
常人すら視認可能な程凝縮した殺意が、クリスを貫く。
「な……ぐうああ」
その圧倒的な存在感を前に、クリスは恐怖したのだ。
身の裂かれるような、絶対の恐怖を。
ディーと言う悪竜の逆鱗に、彼は触れてしまった。
「うあああああ! このゴミが! 屑やろうがあああああああ!」
迫る漆黒の騎士。
その脅威を払うべく、クリスは剣を振るう。
錯乱し追い詰められた者の刃が、乱れて狂う。
だが、しかし、その行為に意味はない。
「があ!?」
グレイヴリッターが放つ赤の斬撃。
それを受け止めたアシュカイザーは剣ごと強引に押し切られ、後方へ吹き飛んだ。
そしてそのまま、強烈な圧力の前に為す術もなく、大地へと突き刺さる。
「くっ……う!」
クリスは戦慄した。
あと少し、もう少しだけ力を抜き弾かれるのが遅れていれば、自分は剣ごと斬り裂かれ消えていたと、知っていたから。
「ああああああああ! ぎざまああああああ!」
そして、激昂した。
怒りは恐れを隠すのには絶好の隠れ蓑だ。
たとえその先に、死が待っていたとしても。
アシュカイザーが再び宙に舞い、グレイヴリッターに襲いかかる。
「お前は、俺には勝てない」
「ああああああ! げぶ!?」
だが、無情にもアシュカイザーの顔面を、クリスの顔面を、ディーの拳が貫く。
「あが……あ」
その衝撃と痛みに、アシュカイザーはふらふらと後退した。
最早、流麗たる銀翼の威厳などどこにも無い。
今、ディーが剣を振るえば、彼の命など容易く奪い去ることができるだろう。
しかし、その程度で済ませることは出来ない。
確実に止めを刺す必要が有るのだ。
「グレイヴリッター」
いつだったか──コライダーは言った。
グレイヴリッターは魔術師の使う杖だと。
ならば、所有者の力量次第で、奇跡さえ起こせるだろう。
「奴を、縛れ」
ディーが手の平を翳すと、それは起きた。
強大な魔力で編まれた魔術文字の鎖。
それが蛇のようにアシュカイザーの四肢を這い、縛り付けて磔にする。
鎖の根源たる魔力は拳に載せて撃ち込んだもの。
つまり、拳撃を受けた時点でクリスの命運は尽きていたのである。
「……」
ディーは無言のまま、シャルフリヒターを逆手に持ち替えた。
殺せ。殺せ。殺せ。
本能が囁く。
目的など、結果を正当化する手段に過ぎない。
戦いの意味など、沈黙した敵を見下ろし、それから考えれば良い。
ただ、敵を、殺せ。
「ディー……!」
そんなディーを、ユウリは止める事が出来ない。
躊躇えばこちらが殺されると、知っているから。
知ってしまったから。
「終わりだ」
「うあああああああああ!」
アシュカイザーの胸部に巨大な刃が突き刺さっていく、ゆっくりと、火花を散らし、金属を裂く叫びにも似た音を響かせながら。
「このおおおおお害虫がああああああ!」
どんなに叫んでも、中傷を行おうとも、逃れることはできない。
生まれは関係はない、過程も同じだ。死は平等に訪れる。
「嫌だ! 僕は……僕は……ユウリさ……」
「……!」
アシュカイザーだった金属の塊は、光の柱に呑まれて消えた。
最期まで自らの行いを悔いることも、謝罪することもなかったクリス。
或いはそれこそが、彼の、唯一誇れるものであったのかも知れない。
「戦闘を終了する」
「ふ……よくやった、ディーよ」
ディーとコライダー、勝者は敗者を見下ろした。
────
しかし、見下ろすのは勝者だけではない。更にその上から、全てを見下ろす者達も居る。
「最後の駒が消えたな、レドア」
管理塔のソルとレドアはディーを見ていた。
配下が討ち死にしたと言うのに、二人の顔には恐怖も焦りもありはしない。
それはディーが、未だ彼らの正義を脅かす存在ではない事を意味していた。
「私が倒せば良いだけのことだよ。もっとも……ソル、君からすれば、私達管理者すらもどうでも良い事だろうがね」
「不服か?」
「いいや。君はこの街の秩序そのものだ。結界の中、最後に一人残っていればそれで良い」
レドアは街に背を向け言った。
「まあ、私も死ぬ気はないがね」
管理者達の宴が始まる。
空前絶後の力が集う、豪華絢爛な戦いの宴が。
その主賓は──ディーだ。
あ……暑すぎて今日は体調が最悪状態でした……。
皆さん、熱中症にはくれぐれもご注意を。