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過去、さくらが本気で死のうと思ったのは、たった一度。
惨めでつらく、苦しい日々が続いても、周囲に対してこうしてほしいああしてほしいといじけたり、じぶんがこんな人間であればよかったのにと妬んだり、あるいは寒い暑い眠いと愚痴るのと同じ軽さで死にたいと口にしたりするくらいだった。つまりまったく、本気で死のうとはしていなかった。
けれどもあるとき、どうしようもなく気分が落ち込んで、小さな切り傷から血が滲むのを穏やかに眺め続けたことがある。痛みはもちろん感じていた。傷を癒さずにおくのが気持ち良くてわざとそうしていたのだ。痛みを感じ続けることで、罰を受けた気になっていたのだと今になって思う。周囲から必要とされないじぶんにじぶん自身が一番苛立ち、厭って、いじめてやりたいと思っていたのかもしれない。
他の誰かにいじめられるのはつらく苦しいのに、じぶんでじぶんを傷付けるのはひどく心地いいのだから不思議なものだ。
それでも何度かじぶんを傷付けているうちにむなしくなった。こんなことで生きる許可を得なければならないのなら、いっそ死んだほうがいい。いつになく強い思いが生まれ、そしてその思いが消える前に機会が巡ってきたから、さくらは選んだ。
死を選ぶのは、だからこれで二度目。
往生際悪く生きようとしたけど、どちらの世界でもうまくいかなかった。さくらがクズたる証だろう。悪い人になりたいわけではなかったけれど、善人になるには性根が腐りすぎていたのだ。
……今度こそちゃんと死ねるといい。ちゃんとこの世から消え去って、生まれ変わるのでも生まれ変わらないのでもどっちでもいいから、「さくら」という人間の人生をこれ以上引き伸ばすのだけはやめてほしいと切に思う。
壁が崩れる音がする。
屋敷中に飾られた絵画が焼け焦げ、花が枯れていく。華やかなドレスを着せられた人形の、白い陶器の肌にヒビが入る。眼孔に埋め込まれている蒼いガラス玉の中で、まぶしく発光する炎が踊っていた。
今にすべてを燃やし尽くす、どす黒い焔がさくらの裸の爪先をかじった。熱いと思って反射的に足を引いたとき、強い風が吹いたように炎がうねった。
「──……」
また、気を引かれる。どこかで誰かが助けを求めているのだろうか。地下だけじゃなく、他の部屋にもまだ逃げ切れていない少女がいるのかもしれない。
どうしようか。立てる気がしないけれど、誰かを見捨てたまま死に逝くのも悔しい。
目を閉じ、背中を丸めて、じぶんの身体があとどれくらい動けそうなのかを考える。かなり厳しい気がした。さすがにもうあちこち歩き回れる体力はない。そしておそらく、その気力も。
床に額を押し付けて、さくらは声にならない吐息をついた。
「ごめん……」
助けてあげられなくてごめんなさい。
神はさくらの自己満足を許さない。
じぶんらしい最期だなと思い、意識が遠退く。
また気を引かれた。足音を聞いた気がした。
かろうじて身体のはしっこに引っ掛かった意識が、人の声まで聞き取った気がした。
そしてそれは、気のせいではなかった。本当に本気で神に見放されているらしい。さくらがもっとも恐れていた事態がすぐそこまで来ていた。
「だれかいるか!」
意識と身体が伸縮する紐で繋がれているのだとしたら、早く切れろとさくらは思う。どうしてこうも思い通りにいかないのか。
轟音を立てて崩壊する屋敷の中に、まさか彼が来ているとは欠片も考え付かなかった。声の主は勘違いでなければリンナ・ローウェルだ。もはや目を開けて視認することはできないが、確かに彼らしき声が要救助者を探している。
なぜ、ここに。なぜ、彼が。
さくらはほとんど身体から切り離され、意識体になったようなおぼろな感覚で彼が近付いてくるのを感じていた。
「……っプリンシア!」
あ、見つかってしまった。さくらは鬼に見つけられてしまった子どもみたいに逃げを打とうとしたが、当然のように身体は動かない。もしかしたら身体のほうはもう死んでいるのかもしれない。
「プリンシア……? こんな、ところに……っ」
駆け寄ってくるリンナは、いつもの、詰め襟の騎士の制服を着ていなかった。目を開けていないのに、さくらには彼の服装や表情まではっきりとわかる。
麻のシャツは煤けて黒ずみ、さくらの肉体に触れようと伸ばされた手も汚れ、火傷していた。彼は熱傷の痛みを感じていないのか、どこも庇うことなくさくらの肉体を抱き起こす。
「大丈夫ですか!? 目を開けてください、私です、リンナ・ローウェルです」
彼は険しい顔つきで何度も叫んだ。さくらを揺さぶり、呼吸を確かめ、胸に手を当てて顔色をなくす。
「プリンシア? プリンシア! 聞こえますか? 目を開けてください」
見開かれる彼の瞳が、炎にあおられて黄金色になっていた。死ぬほど熱いはずなのに、顔面蒼白でさくらの閉じられたまぶたを凝視している。
ゆさ、とさくらの肩を揺する。
もう一度、揺する。
起きてください、と起こす気のないようなかすれ声が言う。
「冗談はやめてください……。目を開けて、起きてください。プリンシア・サクラ」
じっとさくらの顔を見下ろし、彼は、息を吐くのと変わらないささやき声で「目を、開けてください」と繰り返す。その表情はプリンシア邸でさくらの罪を暴いたときのように厳しく険しく、けれどあのときとはまったく違う眼差しをしていた。傷付いた目を、している。さくらはそう思った。
リンナは一度目をつぶると、じぶん自身に言い聞かせるように強い口調で言った。
「──すぐにここから離れましょう。安心してください、私が必ずあなたを助けますから」
だめ!
さくらは思いきりリンナの腕を押し退けようとした。ここで助けられてしまっては、さくらの苦悩は終わらない。いつまで経っても人を不幸にし続けて、何も解決しない。
ところがさくらの身体はまったく身じろぎさえしなかった。どうやら本当に肉体と精神が解離しているらしい。
脱け殻となった肉体がリンナによって抱えあげられようとしている。さくらは焦りよりも苛立ちを感じて、怒鳴った。「もう放っておいて!」だが当たり前のようにリンナには聞こえていない。
彼には伝わらない。今、さくらが何を叫んでいるのか。それから、どうして叫んでいるのか。
自ら生を捨て、リンナを含めた世界中すべての人間たちと二度と会わないで済む道を選んだその覚悟を、悲哀を、彼は理解しない。
助けるな、助けるな、助けるな、ここでさくらを助けるということはこの先に待つ膨大な苦痛によってさくらの精神を幾度も幾度も殺すということだ。それに気付かず炎の棺桶からさくらを連れ出すというのなら、彼こそが鬼畜で、悪魔で、そして、神でもあるのかもしれない。
やめて! やめて! やめて!
抱き上げられたさくらの肉体を、さくらの精神が引き留める。物に触れられない精神体は生者であるリンナに干渉できなかったが、じぶんの肉体を弄ることはできそうだった。微弱な鼓動を止め、呼吸を止め、全身のこわばりを解く。やり方は簡単だ、じぶんの身体にすがりついて死ねと念じるだけでいい。そうすると、いっそう死者のようにさくらの肉体はだらんと脱力してリンナの腕の中で死んでいく。
なのに、リンナはかまわずさくらを抱えて階段を駆け上がってしまう。腕の中にいる物体が死んでいるのか生きているのか、確かめたくもないというふうに視線は常に前方に注がれている。
さくらの中で、怒りが恐怖へ変わっていく。
本当にこのまま助けられてしまったらどうしよう。痛みも苦しみもない場所へと向かっていた心が、無理やり荒野まで引きずり戻されようとしている。もう、嘘をついてごまかす気力も、傷付いて泣く気力も、膝を抱えてじぶんを守る気力も、ないのに。
廊下を彩っていた美術品に阻まれても、走ることをやめないリンナが心底恐ろしい。炎に包まれた絵画を飛び越え、髪を焼かれた人形を踏み越え、砕けた女神の彫刻を乗り越えて、さくらを地獄へ放り込もうとしている。屋敷の外に待っているのは医者ではない、駆け付けてきた騎士団でもない、無機質な針の山と罪の重さを計る天秤だ。さくらは裸足で針の上を歩かなければならないし、一生罪の天秤から降りることはできないだろう。
戻りたくない、行きたくない、どうかここで灰にしてくれ!
さくらは質量のない無色透明な意識で、リンナの前に立ちはだかった。いや、立ってはいなかったかもしれない。人の形すらしていなかった気もした、それでもリンナを引き留めるため、彼に正面からぶつかっていった。
すると、どうだろう、リンナは息を飲んだような顔をして、いきなり足を止めた。勢いがついて前のめりになったがなんとか持ちこたえ、たたらを踏んで一歩下がる。そこへ、装飾柱が倒れてきて、さらにリンナは後退した。驚愕に見開かれた黄金の瞳で焼け落ちた柱を見下ろしたあと、誰かに名を呼ばれた風情で周囲に視線を走らせる。
ふ、と彼の視線がとまる。目が合っている気がした。けれども彼はじぶんの背よりも高い虚空を凝視している。さくらはどうも宙に浮いているらしかった。
「プリンシア……?」
疑っているというよりは、夢を見ているような不安定な声色で彼は呼ぶ。さくらはぎこちなくうなずく。
リンナは目を見開くと、宙に浮いたさくらからいったん目を離し、じぶんが抱えているものをようやく確認した。そしてそれが間違いなくさくらだとわかるや、かつて一度も見たことのない表情をした。今まさに崖から落ちている途中のような、どう頑張っても回避できない絶望と恐怖に支配された、ひどくこわばった顔だ。彼がそんなにも動揺し、震えるさまを想像したことすらなかったさくらは、どきりとした。心臓は肉体のほうにあるのに、もう止まっているはずなのに、鼓動が乱れて少し苦しいと感じる。
「どういうことだ、あなたは、いったいなんなんだ……?」
彼は腕の中のものをしっかりと抱え直し、宙にいるさくらの視線から隠そうとしていた。無意識のうちに、さくらがさくら自身を殺そうとしているのを察して、守ろうとしているようだった。
どんなにさくらを嫌悪しても、宮廷でずっとそうしていたように、ここでも命懸けで助けようとしてくれるのだなとさくらは不思議な思いで彼を見下ろす。本当に本気で、彼はさくらの肉体が死んでいないか不安に思っている気がする。
「──どうして助けるんですか……?」
「この声、あなたが話しているのか?」
呆然とつぶやき、彼はさらに腕に力を込める。
もしかしたら彼には、宙に浮いたさくらがただの光にしか見えていないのかもしれない。あるいは、さくらの姿を借りた神がかった何かの存在と思っているのだろうか。
さくらは、どちらでもいいと思った。とにかく、炎は屋敷全体を飲み込みつつある。こんなところで立ち往生していては、リンナのほうが死んでしまう。それに、地下にはまだ少女が取り残されているのだ。さくらの死んだ肉体など持ち歩かれてはたまらない。そんなものはさっさと放り捨てて、命ある者を大事にするべきだ。
さくらはリンナに、語りかけた。いつもと違って、喉が詰まることはなく、声が小さすぎて聞き返されることもない。
「──それを置いて、地下に戻って」
「それ……?」
眉をひそめ、リンナが唸る。
「私の抱える荷です。手放すつもりはありません」
「──それはもう生きていないのに」
「嘘です。まだ息がある」
「──違います、それはもうごみです。そんなものをあなたが抱えていく必要なんてないんです、早くそれを置いて、代わりに地下に閉じ込められている女の子を助けてください」
生まれて初めてなんじゃないかというくらい、すらすらと言葉が出てくる。さくらは地上の何もかもから解放されたような心地がしていた。とても心が軽く、どこへでも飛んでいけそうな感じだ。
だが、リンナのほうは高い室温にも関わらず顔色をなくしていく。
「地下とは、先ほどの階段の……」
「──はい。でもあの先へわたしは行けなかったんです。向こう側にいるのが、わかっているのに」
「あなたは、その少女を助けようとしていたのですか」
反らされない強い視線に、さくらはたじろぐ。
「──分不相応で身のほど知らずでした、だけど最期に一回でいいから人のためになることがしてみたかった」
わたしには無理だったが、リンナにならできるかもしれない。さくらはそう言って、彼を促す。リンナはしばし眉間にしわを寄せて目を伏せた。
だが数秒後には瞳に強固な意思をたたえて、しっかりと顔をあげる。いつも見てきた、任務を遂行しているときの騎士の顔だった。
「わかりました、必ず助けます」
彼はさくらを抱えたまま、来た道をとって返した。
どうして荷物を下ろさない。
どうして重荷を捨てていかない。
さくらはリンナの背中を追いながら、泣きたい気持ちになった。
「──なんで、置いていってくれないの……」
ささやかな、それでいて切実な問いかけに、リンナが前を向いたままはっきりと応えた。
「置いていったらあなたが灰になって消えてしまうかもしれないからです。プリンシア・サクラ」
彼はちゃんと、話している相手がさくら本人だとわかっていたようだった。もし肉体があったら、さくらは唇を噛みしめていただろう。
「少女を助けて戻ったとき、あなたがいなくなっていたなんてことは絶対にごめんなんです。私は、今あなたを失うわけにはいかない」
じゃあいつだったらいいんだ、とさくらは反論したかったが、地下への階段にたどり着いたので口をつぐんだ。
「この向こう側ですね」
「──そう、です、でも……」
「問題ありません、簡単な仕掛け扉です」
リンナはさくらを下ろすそぶりを一切見せない。片手に荷物を抱えたまま、右手と革靴の先で扉の上方と下方を同時に叩いていた。なにも反応がないとわかると少しずつ場所を移動して、何度目かのノックでついに扉を開け放った。とたん、地下と地上で渦巻いていた煙たちがまるで再会を喜ぶ母子のように混じり合う。
開いた拍子にこちら側へ倒れ込んできた小柄な身体を、リンナがしゃがんで支えた。
少女は意識が朦朧としている様子だったが、リンナの手に抱かれるとむずがってうめく。ひとまず手遅れになっていないことがわかり、リンナは咳き込む合間に短く吐息した。
とはいえ、崩れかけた屋敷を脱出するのに、二人の人間を抱えていくのは難しいように思われる。少女は子どもであるのでまだいいとして、意識もなくおよそ死体と変わらないありさまのさくらまでもを連れて逃げるのは容易ではない。
今こそ説得の好機だとさくらは思ったのだけれど、妥協の二文字を母の腹の中へ置き去りにして生まれてきたようなリンナがさくらの言葉など聞くはずがなかった。選択肢は一つだとばかりに二人とも担いで立ち上がるので、さくらは信じられない思いで強く咎めた。
「──置いていってと何回も言ってるのに……!」
「あなたがそう言うたびに私も同じ言葉を返します。私はあなたを置いていくつもりは微塵もありません」
しまいには、つらそうに咳をしながら「息がしにくいので、少しおしゃべりは控えていただけますか」などと言うので、さくらは苛立たしくてしょうがなかった。
煙を吸って苦しいくせに、なんでもない顔をして。
身体が重く感じられるはずなのに、二人も抱えて走って。
軽蔑しているんじゃなかったのか。視界に入れるのも嫌なほどの相手を、まるで義務を課されたように明確な意志を持って助けようとするのはなぜなのだ。どうしてそこまで、揺るぎなくいられるのだろうか。
「──わたしを置いていってください!」
「まだ言うのですか」
リンナがいらついたように目を細める。
「お話があるのならあとでうかがいます。この屋敷から出て、医師の診察を受けて、あなたが自力で起き上がれるようになってからでしたら、いくらでも」
「──それが、わたしは嫌なんです!」
「……どういう意味ですか?」
ますます目付きを鋭くさせて、リンナがちらりとこちらをうかがう。倒れかかってきた壺に危うく足をとられそうになって、彼はすぐに視線を外した。
「まさか世の中に嫌気が差して、自死なさろうと考えておられるのですか? だから先ほどから、かたくなに置いていけと? ……甘えるのもいい加減にしてください、こんなところに置いていけば確実に死にます。死んだら、二度と取り返しがつかないんです! それをわかって言っているのですか?」
「──二度と取り返しがつかないから、置いていってほしいんです!」
「……なにを」
リンナが、ふっと足を止める。今度は前に進めなくなったことを信じたくないみたいにゆるやかに止まったから、前につんのめることはなかった。彼は、ぱりんと熱で弾けた花瓶の欠片を背中で受け止め、少女らに被害のないようふるまう。次の一歩を踏み出せずに立ちすくみ、あちこちに目を向けては表情をなくしていく。
「……プリンシア? どこに」
「──わたしは死にたい」
リンナがひゅっと息を吸う。彼はさくらの思念体を探していた。どこから声がしているのかを、探っている。
「──わたしを置いて、その子を助けてください。助けられる命から助けるのが、災害時の鉄則で……」
「あなたもこの子どもも助けられる命です。置いてはいかないと何度も申し上げている! プリンシア、どこです、どこにいらっしゃるのですか。あなたの姿が見えない」
彼の目にはもうさくらが映っていないようだった。おそらく肉体のほうが限界を迎えたのだろう。いつになく焦燥に駆られた様子でリンナが叫んでいる。
もういいじゃないか、とさくらは言いたかった。だって、リンナがそこまで必死になる必要なんかないじゃないか。プリンシアを失ったからといって、国益が損なわれるわけではない。何しろプリンシアとは、地の竜を倒すために喚ばれる天からの貸与物だ。だからすでにその役割を果たしたあとのプリンシアが死のうが元の世界に帰ろうがこの国の人にとっては同じことではないか。むしろ役目を終えても帰りたがらない厄介者をここで消し去り、プリンシアは故郷に帰ったとでも発表したほうが宮廷の人間たちも気が楽になるだろう。
正義感の強いリンナのことだから、嫌っているとはいえ目の前で死にかけている女を見捨てるのは信条に反するのかもしれない。だが、ここでさくらを助けてしまうことで、彼が一部の人間から責められる可能性もあると思うのだ。なぜ助けた、死にたいと言っているその面倒な女を、なぜ捨て置いてやらなかった、そいつのわがままで我々がどれだけ苦悩していたか知らないわけではなかろう、と。たぶんリンナはどんな文句もものともしないだろうけれど、さくらとしてはとても嫌なことだった。さくらがいかに嫌われているのか、恨まれているか、あらためてリンナに知らしめられているみたいだからだ。そんな惨めは、いい加減耐えられない。
「──わたしはそのからっぽの身体の中には戻りません。そんな血と肉の詰まった皮袋なんてさっさと捨てて。わたしを死なせてください」
「お断り申し上げます」
さくらの精神がどこにいるかわからないくせに、彼は揺るぎなく拒否する。かたくなに、さくらの死を認めようとしない。それどころか死んだ身体を抱え直して、彼は毅然と背筋を伸ばす。
「あなたの姿が見えずとも、私のやるべきことは変わらない。あなたをここから連れ出す、それだけです」
彼は再び走り出した。さくらが何を思おうが、考えようが、まったく意に介さない。絶対に死なせないという強い意思のもとに、さくらの心の声を無視し続ける。