表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/40

011頁



5



 孤児院から報告があがってきたのは、プリンシアが王宮を出て一ヶ月ほど経った頃だった。彼女の侍女には定期報告を義務付けたので、王は何の気なしにそれを受け取った。受け取って、深いため息をつかざるをえなくなる。


「……ローウェルを呼べ」


 脱力感で肩が外れそうだったが、ひとまずそれだけは言った。

 今頃はおそらく団長不在の穴を埋めるべく書類と格闘しているであろう、副団長リンナ・ローウェル。彼に直接の関係がある案件ではないし、今すぐどうするという話でもなかったが、これは彼にも一応伝えておくべきだと王は思う。



 やがて不眠不休の疲れも見せずに現れた彼は、報告書を手にしたままじっとして動かなかった。いつもならさっと目を通して数秒で返事をする男なのに、熟読しているのか考え込んでいるのか、しばし王を待たせた。


 そしてやっと紡がれた一言は、彼らしく端的で抑揚がなく、それゆえかえって雄弁だった。


「陛下」


 たった一度敬称を呼ばれただけで、王にはなにもかもが伝わった気がしていた。「ですから、私は申し上げたはずですが」と彼は言ったのだ。規模の大きな孤児院になど預けるべきではなかった、と彼は声を大にして言いたいことだろう。


 ローウェルが返してきた報告書に今一度目を落とし、ふう、と息を吐く。


『孤児院の少女たちと一悶着あり。プリンシアの気を引くべく常から彼女のご機嫌とりが横行しており、祈れば願いが叶うとプリンシアが彼女たちを誘惑した可能性が疑われる。先だってはプリンシアの祈りの力を利用しようとした少女たちが少々見境をなくした。プリンシアを取り囲み、自らの幸福を願うよう迫った少女らをすぐにマザーと共に引き離したが、孤児院の空気はいまだ落ち着かず。商家の出の来客を迎え、ますますの混乱が予想される』


 プリンシアが悪いと言いたくなってしまうこの問題を、さて、いかに処理するか。大きな事件ではないので顔色を変えて取り組む必要はないと思うが、放置するのにも不安がつきまとう。

 次にまた同じようなことが起これば、世間には【祈りの姫君ティフェイクス・プリンシア】という存在に対して悪感情が広がってしまうかもしれない。事は、プリンシア・サクラだけの話では収まらなくなる。


 かといって勅命を下してまで対処する問題とも思えない。それをしてしまうとかえってプリンシア・サクラは居心地の悪いものを感じるだろうし、孤児院側でも彼女の待遇を改めなければならなくなる。


「ローウェル。私にはもう彼女をどうするのがよいのか、まったくもって見当がつかん。王たるものが面目ないことだが」

「いいえ、陛下に苦労を強いているのは彼女の責任です」


 無表情で、ローウェルは断じた。


「ごじぶんが孤児院へ移住することになった意図を、あの方は理解なさっていないようです。祈れば願いが叶う? そのようなこと、間違っても言える立場ではないはずでしょうに」

「いや、まだ本人がそう言ったとは」

「どちらにせよ同じことです。できもしないことをできるように見せている、そういった態度が問題なのです」

「しかし……祈れば願いが叶うというのは事実だろう。できないことではないから、彼女も強くは拒否できなかったのではないか?」


 王の娘は彼女の祈りでは救えなかった。何事にも例外はあるものだし、ワーム討伐任務後の代償として彼女の祈りの力が衰えただけという可能性も視野に入れている。民がプリンシアの力を信じているように、王もまた、その力を使う使わないは置いておいても基本的には信じているのだ。いや、信じたいのだ。【祈りの姫君ティフェイクス・プリンシア】に不可能はない、そう思っていたい。


 ローウェルは再び黙り込み、王に賛同することはなかった。


「まあ、彼女の祈りで姫が目覚めなかった以上、プリンシアが万能の存在だとまでは言わんが……」


 おまえの最大の懸念はそこだろうと思って付け加えてみると、彼はようやくうなずいた。


「ええ。ですから、ごじぶんのお立場を彼女には理解していただかなければなりません。できぬこともある、それを受け止めてくださらなければ、彼女の偶像だけが神に近づいていくことになります」

「そうだな……。それはかわいそうだ」


 王は唸った。

 もしもプリンシアが神に等しいほど名声を得たとしたら、あの子どもは今よりもっと生きづらくなるのではないだろうか。


 王とてひとだ、辛いことも苦しいことも民と同じだけ感じている。けれどもそれを表に出してはならぬというのが、王族の習いだった。これがけっこう苦痛だと王は思うし、王族の血も継がぬ脆弱な娘にまでこれを求めるというのは心底酷だ。

 しかし神と同列に扱われるようになれば、今以上に「ひとと同じであってはならぬ」という無言の圧力がかかってくる。


 そのとき彼女が耐えられるか。王族としての教育、言い換えれば「ひとと同じでないもの」としての教育を受けてきた王にも辛いことなのに、世間のこともろくに知らなそうなあんな娘に耐えられるだろうか。


「またなにかあれば、そのときはおまえの言った孤児院に移してみるのも悪くないのかもしれんな」


 これにも、ローウェルは答えを返さなかった。ただ黙って頭を下げ、御意のままにとでも言いそうな雰囲気で退室していった。


 王は報告書を机に放って、椅子の背にもたれかかった。

 ローウェルが推薦した孤児院のことを、彼は一度も口にしなかった。前回はあんなに強く推していたのに、今日は顔色ひとつ変えずにいた。

 それほどまでに、プリンシアの無責任な行動に憤っているというのだろうか。


 彼は最近、寝る間も惜しんで机に向かっているという。かと思えばふらりとどこかへ姿を消したり、牢にいる団長のところへ顔を出したりしていると聞いた。

 本当に後継を見繕うつもりなのか、王は最初焦燥に駆られていたのだが、この一ヶ月のあいだに彼からプリンシアの名を聞いたこともなければ騎士団の人員配置について報告を受けたこともない。


 嵐の前兆のような、この沈黙した態度を王はどう捉えるべきか悩んでいる。


 ローウェルのことだ、もとより甘っちょろいことは言うまい。今回の件でプリンシアに愛想を尽かしたというのでなければ、すべての算段を整えてプリンシアのもとへ向かうつもりだろう。そのときはもう王には止める手立てはないと思われる。王も、そこまでされてはなにも言わず行かせてやるしかない。


 ただプリンシアにとっては酷なことなのではないかと少しばかり哀れみをもよおした。なにしろ彼は甘くない。本当に甘くない。他人に完璧さを求めるような人間ではないと思うけれども、甘えや妥協を許さないという点において彼ほど頑固な者もない。

 彼のような厳しい男がそばにいたほうが彼女のためになるかと思う反面、その厳しさにさらされる彼女が哀れでならない。彼女は、彼とは正反対の道を生きているように見えるから。


 王はとりあえず、ローウェルの言っていた孤児院のことを、調べてみることした。






「舌でも噛み切って死なれたらどうするんだ? さっさと辞表でもなんでも出して迎えに行け」


 暗くて寒い牢屋に放り込まれていればもう少し本気で外に出ようとも思えたのだが、いかんせんじぶんが入れられたのは室牢と呼ばれる個室だった。窓がないというだけで、あとはどこぞの宿の部屋とたいして変わらないつくりをしている。つまり、まったく不便はないわけだ。


「グズグズするなよ、おまえがどうしたいかなんて俺はすでに知っているんだぞ」

「別に迷っているわけではありませんよ」


 扉の上方に取りつけられた鉄格子から、最近足しげく通ってくる男の仏頂面が見える。室牢の外はひんやりとした石造りの廊下で、こちらは常に薄暗く無駄に地下らしさ満点だ。牢の中に閉じ込められた囚人よりよっぽど、外に立っている彼のほうが罪人のようだった。


「俺は恩を仇で返す真似をしたくないだけです」

「そりゃ誰に対するあてつけだ?」

「心当たりがおありになるのでしたら、そのひとで間違いありませんよ」

「おまえな……」


 からかおうと思っても、格子越しにうかがう男の表情はそっけなく、いっそ冷酷なほどだ。廊下の冷えた空気が入り込んできたように、足元が寒い。


「……そういう嫌みはよくないと俺は思うが」

「申し訳ありません。忘れてください」


 即座に謝罪した声に、いつもは感じない性急さがあった。

 何やら思い詰めているのか、焦っているのか、あるいは憤っているのか。

 そのくせ彼は女子どもが見たら涙をにじませそうな厳しい顔を崩そうともしない。少なくとも負の感情渦巻くどろどろの底無し沼のような心境なのだろうと、彼の上司であるところのジンは勘づいていた。


「何があった? 王に呼ばれたんだろう」

「ずいぶんと耳が早いですね」

「囚われたっつっても体裁保てりゃいい話だしな。牢の中にいたって王と連絡を取る手段がないわけじゃない。ぶっちゃけると王が相談に来たりするしな、ここに」

「ここにですか?」

「そうだ」

「それはまた……大胆な」

「だろ?」


 ジンはわははと笑って、ベッドに腰を下ろした。


「で? 騎士団をほっぽり出すなって釘刺されたか? 定期的に言っておかないと安心できないそうだぞ、我らが王は」

「今回は違います。プリンシアがトラブルに巻き込まれたようだと報告がありました」

「ははあ、本人はおとなしいもんなのに周りばかり騒がしいなあの方は」

「そうですね……──なんだってそう騒がせてしまうのか」


 同意するなりさらに厳しい顔をして、ジンの部下はいらついている。ジンは笑みを苦笑に変え、ベッドの上であぐらをかいた。


「なあ、リンナ」

「はい」

「あの方は本来どういったひとなのだろうな」


 問いかけの意味がわからないのか、そもそもくだらない問いだと思っているのか、上司の質問に部下は眉を寄せるだけだ。

 とりあえずのようにいい加減な答えを返さないところが、リンナ・ローウェルだなとジンは思う。適当におもねり、ジンの考えに沿うように答えておけばよいものを、彼は絶対にそういうことはしない。


「プリンシア・サクラは、本当におとなしい方なのか? 俺たちが勝手にそう見ているだけで、内情は苛烈である、とか」


 腹黒い女ならいくらだっている、そうだろうと肯定の返事を求めると、リンナはしかめた顔をそむけた。


「何を今さら」

「今さら?」

「あれは口をつぐんでいるだけです。ただ言えないでいるだけなのです」

「それがプリンシアの本質だと?」

「あなたにだってわからないはずがないと思っていましたが?」


 今度は言葉でなく、表情で「何を今さら」とジンに伝えてくる。

 まったくその通りだ。

 ジンもプリンシア・サクラがおとなしいだけのひとではないとわかってはいたが、あえて口には出さないでいた。隠したいならそうすればいいし、優しくされるのが望みならば叶えてやろうと思っていた。どんなにわがままが過ぎても、プリンシア・サクラの願うことなどたかが知れているとわかっていたからだ。土地がほしい国がほしいと言い出さない小心な振る舞いを知っていたからこそ、好きにさせたのだ。


「そうだな……俺にもわかっていたさ。けど、別に何も思わなかった。あの方は本当の金の使い方を知らない。人の使い方を知らない。たぶん大きな金を持ったことのない方だ。だから願うことのことごとくが、庶民じみて人間臭く、そして子どもの戯れ言のようだった」


 ジンはわざとらしく、軽口のように続けた。


「だから止めなかった。好きにさせた。あの程度のわがままで宮廷は揺らがないと思ったからだ。俺はな、リンナ。おまえのように、プリンシアに怖がられてまであの方に何かを進言しようと思ったことはない」


 リンナが鋭い眼差しで、格子の奥にいるジンを見ている。まるで善か悪かを見極めようとするみたいに、まばたきもしない。苦笑したくなるのを我慢して、ジンはまた口を開く。


「この国は、いや、この世界は、あの方の献身によって救われた。もちろんすべてが彼女のおかげとは思っていないさ、第一に讃えられるべきは前線で戦った英雄たちだ。けれども、身一つで誰も知り合いのいない世界に突然連れてこられた女の子に、俺は何も言えなかった」


 考えてもみろ、まったくの別世界になんの予備知識もなく誘拐されてきたようなものだぞと言うと、さすがのリンナも渋い顔をした。あえて誘拐という文句を使ったが、リンナは否定しなかった。


「親元で、命の危険もない平和な世界で生きていた女の子を、なんの訓練も教育も受けていない女の子を、我々の都合だけで呼び出したんだ。これがどこぞの成金貴族のように個人の店を買い上げたり、人を戦わせたりする豪気な女だったら、俺だとて苦言のひとつくらいこぼしたさ。けどあの方はそうじゃない、あわれみをもよおすほどに器が小さかった。思い出してみろ、プリンシアが言ったわがままを」


 プリンシア・サクラは基本、じぶんから口を開かないひとだ。

 いやだ、いやだ、と首を振るから、周りがあれやこれやと気を使わなくてはいけない。厚意で差し出した贈り物をいらないと突っぱねたりすることも多く、気難しい印象が次第に悪化していった。

 具体的に何をしろとは言わない代わりに、あんまりにもいやだと拒否するので使用人たちも辟易したのだろう。じゃあどうしろというんだ、とジンも思ったことが何度かある。

 それでも、咎めなかった。ひとの命がかかっているわけじゃないから、たいしたことではないと思っていた。


「茶会に出るも出ないも好きにしたらいい、祈るも祈らないも好きにしたらいい、なぜならお役目はすでに終わっているからだ」


 けれどもリンナだけは、言葉にしてプリンシアに不快感を伝えた。


「おまえだけだよ、本気であの方に向き合おうとしているのは」


 するとリンナは嫌そうに眉を寄せたが、違うとは言わなかった。


「俺はあの方を適当にあやしていただけだ。放任と言えば聞こえはいいが、実際、放置していただけなんだよ。プリンシアの本当の心をな。おまえはどうだ? リンナ。俺には、おまえがあの方の心をじっと見つめているように見えたが」

「……俺は、優しくするのがうまくないだけですよ」

「おまえらしい言い方だな」


 プリンシアの本音を掬い上げてやろうとはしないこの男を、誰より厳しい奴だとジンは思う。

 先回りして優しくしてやるのではなく、プリンシアが自立できるように手を差しのべる機会をいつも測っている。そういう男だ。少々言い方にトゲがありすぎるきらいもあるが、慣れればその言葉に悪意がないことくらいわかる。だからこそ、どんなにつらい訓練を課しても騎士団内で彼を悪く言う者は少ない。


「リンナ。ことプリンシアに関して王は強攻策をとれない。だがこの国唯一の正当なる王位継承者が途絶えようとしている今、その限りではなくなるかもしれない」

「はい」

「焦る必要はない、だが待ちすぎるな。近衛騎士団は、長が不在でもそう簡単に狼狽えはしない。このまま膠着状態が続くようなら、じきに俺も外に出られるはずだ」

「……はい」


 若干の間をあけて、リンナは神妙に返事をする。その様子がどうもわかっていなさそうだったので、ジンは久々に彼をからかってやることにした。


「いいか、だからリンナ、こそこそと城下に降りて人を雇うんじゃなく、その足で直接出向けばいいと俺は言っているんだ。騎士団を出たら金はいくらあっても困らない。給金は大事にしまっておけよ」

「なぜ、ご存じなのです」


 舌打ちしたいような顔で、リンナがそっぽを向く。ジンはそれを笑いながら、俺の情報網を甘く見るなと言ってやった。

 リンナが城下で人を雇い、ひそかに孤児院の偵察へ行かせているのを最近知った。危うく見逃すところだったけれども、ふだんまったくといっていいほど給金に手をつけない男がまとまった金を使えば、そのうちジンの張った網に引っ掛かる。

 もっとも、これを知っているのはジンだけで、金の流れを報告した財務官さえ勘づいてはいない。


「孤児院の子を雇うんじゃなきゃ、中の様子までは探れないだろう。手遅れになる前に、よく見極めて動け。いいな、リンナ」

「簡単に言ってくれますね」


 リンナが疲れたように吐息するので、ジンは笑った。

 彼の苦労はまだまだ続く。たぶん、この先一生、彼はこんな感じなのかもしれない。プリンシアに関わろうがどうしようが、そういう定めのもとにこの男は生まれている。

 ちょっとだけ不憫に思ったので、ジンはいつまでもリンナの上司でいてやろうと心に決めた。彼のほうがジンを追い越して出世しなければの話だが。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ