遠い国から来たおばあちゃん。
おばあちゃん、騙されてるよ。
あたしは、何度も電話越しにそう忠告したんだ。おばあちゃんは一人暮らしで、電話をかける相手といえば私くらいしかいない。だから、私が忠告してあげなければならないのだ。
「でもねえ、ミサキ。とってもいい人なのよ」
おばあちゃんは少しボケている。
あたしの名前を言い間違えたことはないけれど、お母さんの名前はたまに間違える。お父さんを集金のおじさんだと時々勘違いする。だから、交渉役はあたしなのだ。いわば、あたしは、おばあちゃんの国のパスポートを持つ唯一の人間であり、渡航許可を持っており、唯一おばあちゃんと言葉が通じる人。だから、おばあちゃんが外の世界に出る時、通訳をかってでるのはあたしの役目なのだ。世の中には色んな人がいるから。そいつらは、おばあちゃんのような、小さくて可愛らしい善良な老人を見ると、だまし取って金をむしらずにはいられないのだ。サカリのついた狼よりタチが悪い。
だから、そいつもそうだと思った。
おばあちゃんの家に住みついたという、変な男。
旅芸人を名乗り、いつもピエロの扮装をしているという。そんな旅芸人がいるだろうか。お風呂の時も寝る時も、ずっと白い顔に大きな唇、涙のメーキャップをしているような?
でも、おばあちゃんはそういうのだ。
そいつの話をするおばあちゃんはどんどん若返っていくみたいだ。おばあちゃん恋してるの。あたしはそう訊きたくて、言葉を飲み込んだ。恋というよりは、これは――まるで子どもに戻っているみたいだ。
男を見定めてやりたくて、おばあちゃんの家を何度も訪ねたけれど、いつも会えなかった。
とうとうおばあちゃんは存在しないものを見るようになってしまった?
ううん、あたしにはわかる。
おばあちゃんは、たとえあたしの顔を忘れても、あたしがいることを認識してくれるし、壁に知らない男が立っているなんていわないのだ。これだけは絶対だ。おばあちゃんは違う国に住んでいるだけで、ちょっと言葉が通じにくいだけで、この世界を旅行している、地に足をつけた一人の人間なのだ。
ねえ。どんな人なの。おばあちゃん。
その旅芸人のピエロ。おばあちゃんにどんな笑顔を向けるの。
「あなたもきっと気に入るわ。一輪車で太平洋を横断しそうな人なの」
あいつは、おばあちゃんをいじめたりしない?
「トランプを武器にして戦いそうな人よ。きっと私を守ってくれる」
ああ、その時のおばあちゃんの笑顔をあたしは忘れないだろう。
ほどなくしておばあちゃんはいなくなってしまった。
ある日訪ねた家は空っぽで、靴はそのまま、洗濯物もそのまま、おばあちゃんだけがいなくなってしまっていた。
周りの人は、ついに来たよと囁いた。ついにボケてどこかに行ってしまったんだって。
違う。違うんだよ。
あたしだけが知っている。
旅芸人の男がおばあちゃんを連れていったんだ。
子どもに戻してもらったおばあちゃんは、旅芸人の男の力を借りて、自分の国に帰ったんだ……。