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「あー何でこうなるかな〜。」
「 知らねーよ。
高畑がガサツだからじゃない?」
頭を拭きながら高畑に答える。
「ひでぇ」
ソファーの上でぐしゃぐしゃと頭を掻きむしる彼は、昨晩彼女に振られたらしい。
しかも今回は過去最短だとか。
傷心中の彼の背中を優しく叩いてやりながら、俺は何をやっているのだろうと溜め息を吐いた。何の因果で好きな相手の失恋を慰めなければならないのか。
「ま、風呂でも入ってこいよ。」
「ん〜・・わかった。」
『タオル借りるな』と一言断る彼に頷いて、風呂場に消えるのを見届けると、俺は大きく息を吐いた。
失恋をして何故か此処へやって来た彼に軽い殺意を覚えたが、それでもまだ彼を好きなのだと自覚してしまう自分が一番腹立たしかった。
高校を卒業後、俺たちは都心にある別々の大学へと進んだ。彼は理系で俺は文系だから、離れてしまうのは無理もなかった。それを残念に思う一方で、良い機会だとも思った。
今ならまだ忘れることができる。
男を好きになることも、況してや人を好きになること自体初めての俺が、元の道へ戻るにはまだ遅くない。
幸いなことに携帯を持っていない俺と高畑を繋ぐものは何もなかった。強いて言えば彼が俺の家を知っていることくらいだ。
用も無いだろうし、訪ねて来ることも無いはずだとタカを括っていた。
それがこのザマだ。
初恋だからこそ、忘れられなかったのかもしれない。
年初めからこんなことになってしまった。
彼は知らない。
恐らく欠片も気付いていないだろう。
俺がどんな目で、どんな風に、どんな気持ちで彼を見ているかなんて。
訪ねて来ないだろうと言いながら、心の何処かで彼との繋がりを完全に無くしてしまうことが怖かったのかもしれない。
切ってしまわぬように、けれど近づかぬように。
そうやって少しずつ逃道を残してきたのか。
しかし、この片想いも今年で4年目。
いい加減区切りを付けなければと、焦っているのも確かだ。
明日になれば、彼は何処かへ帰って行くのだろう。そして忘れかけた頃にまた戻ってきて、俺の心を掻き乱す。大体何故俺のところへ来たのかも分からないのだ。大学の友人とか、家族とか頼る当てなんて他にいくらでもあるだろうに。
「上がったぞー。」
「・・・」
やはり玉砕覚悟の上で告白しまおうか。その方が気持ちの整理はつけやすいだろう。しかし、何と言えばいいのか。
どんな顔で言ったら良いのか。
正解のない問いが頭の中でぐるぐると廻る。
「おーい佐山?」
「っ・・・ああ、上がったんだ。」
振り向くと湯気立つ高畑が立っていて、布を纏っていない上半身に目がいく。なんでもないように会話しているが、心臓がこれでもかと高鳴って止まない。
「風呂さんきゅ。スッキリした。」
「ん。」
細い割に筋肉がしっかりついている。
高校時代、体育のたびに盗み見ては羨ましく思っていたその体躯は今でも健在だ。
ジッと見つめていると、すげえだろと言わんばかりにニヤつかれる。
「・・上 着れば?」
「あちぃんだよ。」
さいですか。そんなに見せたいならお望み通りに、とじっくり観察する。すると困ったことに今度は目が離せなくなってしまった。
彼の動きの一つ一つがどうにも俺を刺激して、なんだか変な気持ちになってしまいそうだ。頭を拭く度に盛り上がる腕の筋肉とか、ビールを飲む時に上下する、喉の、動き、とか・・。
「・・・おい、どこから持ってきたんだよソレ。」
手に持っている銀色の缶は、うちには未だかつて置いたことのない代物だ。
「ん?来た時渡したろ。」
「そう・・だっけ。」
気が動転しているうちに気づかず受け取っていたらしい。アルコール度数低めのそれをぐびぐびと流し込む彼は、少しヤケになっているようにも見える。
「飲み過ぎるなよ。」
「わーってるって。」
彼女に振られたのだからそれも無理はない。念のため注意はしておいたが、今日くらいは飲ませてやろう、とこれ以上は何も言わず放っておくことにした。
かくいう俺は酒とか煙草とか、そういうものには一切手を出していない。興味がないのもあるが、‘出せない’というのが本当のところだ。
理由は一つ、
そう教え込まれてきたからだ。
幼少期から耳にタコが出来るほど言われ続けてきて、ほとんど催眠のように手を出してはいけないと脳に植えつけられている。
特に1番口うるさく言っていたのは姉であったが、とうの本人はかなりの酒豪で、その恋人もまた酒と煙草を愛する人ばかりだった。
俺は、大学へ入ってからも面倒臭さから、なるべく人との関わりを避けてきたが、全く付き合いが無いわけではない。運悪く飲みに誘われてしまった時にはアルコールに弱いなどと適当に誤魔化して、ジュースだけ注文してそそくさと帰るのを繰り返している。
周りの人間から付き合いの悪い奴だと思われているのは百も承知だが、此方側からすればむしろ好都合だ。
変に気を使って声をかけられなくていい。
「次からうちでビール禁止な。」
「何、飲めねーの?」
「まぁ・・。」
理由は言わず言葉を濁す。成人した男がする言い訳としては情けなすぎて、とても公表出来たものじゃない。
「・・次から、な。」
高畑の小さな呟きが耳に入ってハッとする。彼を見れば、ビールをちびちびと煽りながらその口元には弧を描かれていた。
・・やってしまった。
ついさっき彼との関係をどう断ち切るかを思いを逡巡させていたばかりなのに、自分から『今度』を期待させる言葉を発するなんて。
本当に無意識だった。
うっかりを通り越して、これではただの馬鹿だ。
「高畑っ、あのさ」
「ん?」
自分で自分の首を絞めるような真似をして、結局深みに嵌るのは自分だというのに。
今更やっぱり来るな、とは言えないじゃないか。
「いや、・・何でもない。」
嬉しそうに微笑む彼を見て何も言えなくなってしまった。苦しくなる。惚れた弱みに雁字搦めにされて、そのまま海の底に沈んでいくように。それでも、息が続く限り俺は彼を思い続けるかもしれない。
いつの間にか随分と重い愛になってしまったようだ。
「ずるい。」
「ん?」
そうやって俺を惹きつけてやまない彼はずるい。つい零れ落ちた本音を高畑が広う。
「・・お前だけビール飲めてずるいって言ってんの。」
「あー。お前もそのうち飲めるようになるよ、佐山お坊ちゃん?」
適当な理由をつけてごまかす俺は。
「誰が坊っちゃんだ。」
彼なんかよりずっと狡い奴だ。