衝撃といやな味
僕の生活は様変わりした。小さく。ほんの少しだけ。
アルバイト先と安アパートを往復する日々は変わらない。その間に、ある小さなホテルを挟んだ、ただそれだけ。
けれど気持ちの上ではかなり大きな変化だったと思う。僕は笑顔でいる時間が多くなった。笑顔でない時も気分がよかった。
職場の苦手な正社員に、
「何にやにやしてんだ気持ち悪い」
と面と向かって言われた時もそんなに気にならなかったほどだ。
まあ「ろくに仕事もできないくせに気も緩んでるなんて救えねえ」というのは少し響いたけれど。
とにかく、僕はおおむね幸せだった。もちろん理由は彼女だ。
「こんばんは」
「ん」
ドアを開けてくれた彼女は、そっけなく僕を部屋に招き入れた。
ソファーに座ると向かいのテレビがついている。
「見てたの?」
「ええ」
「ドラマ? 面白い?」
「全然」
言いながらも彼女の目は画面にくぎ付けだ。
「だってせっかく見始めたんだから全部見ないともったいないじゃない」
僕は飽きたらそれまでがどんなによかろうと消してしまうので、そこは分かりあえそうにない。
彼女がドラマを見ている間に僕はシャワーを浴びた。
ドラマが終わって彼女もシャワーを浴び終えると、僕たちはいつものようにベッドに寝そべる。
向きあい、見つめあう。吸い込まれそうに深く黒い彼女の瞳を見つめているうちに僕の心は静まっていく。
それから僕は顔を近づけて彼女の首に舌を這わせる。
我ながら情けないほどたどたどしく彼女の肌をねぶった。
無反応の少女を隅々まで唾液で濡らすと、今度は彼女の番だ。
手慣れた様子で僕の耳にしゃぶりつき、それから肩、胸、腹と唇を滑らせていく。
僕の身体がびくびくと震える。
そしてとうとう僕の下着まで達すると、彼女はそれをそっとはぎ取る。
それから優しく口づける。
身体中の神経や意識がそこに集中する錯覚。
血もそこに行ってしまったようで、僕は相変わらず気絶しそうな気分だった。
回数をこなせば堪えられるようになると思ったがそうでもないらしい。
たちまち僕は絶頂し、彼女は僕のそれをすする。
そして呑みこんだ彼女はさっさとティッシュで口元をぬぐってベッドから立った。
僕は満足していた。
彼女の技術は僕にはもったいないほどのものだったし、とても気持ちがよい。
買春行為であることの罪悪感を忘れるほどに。
ただ、と思う。彼女自身はどう思っているんだろう。どう見ても楽しんでいる風ではない。
考えても仕方のないことではある。だってこれは彼女にとってビジネスなのだから。彼女にも気持ち良くなって欲しいというのは自分勝手な願いだ。
もう一つ気になることがある。
僕たちは最後まではやっていない。彼女が僕のそれを口にふくんで、僕が出して、それだけだ。そこで終わる。彼女はさっさとうがいに行ってしまうので、事実上終了だ。
その後僕は帰り支度をすることになっている。そのことについて訊いたり、無理矢理迫ったりするほど僕には勇気がない。
なんとなく現状で満足していた。僕には過ぎたことにも思えたからだ。
ある夜、アルバイト後。
僕は鼻歌を歌いながらホテルに向かっていた。
手にはビニール袋を提げて。
中身はプリン。安物が二つ。彼女と一緒に食べようと思って買ってきた。
彼女は貢ぐような男は嫌いと言っていたが、これくらいは許してくれるだろう。
スキップまでしてしまいそうな上機嫌。
最近肩周りも軽い気がする。
漠然とした不安も薄らいだ気がする。
多分彼女のおかげだ。プリンはそのお礼。
喜んでくれるといいな。またあのほころんだ顔が見たい。
夜道を進むと前の方に男女の連れが見えた。男が少女の肩に腕をまわしている。その時は羨ましい程度にしか思わなかった。ヒナとあんな仲になれたらな、とか考えていた。
そして距離が詰まって気づいた。
心臓がいやな音を立てて一度だけ脈打った。
血の気が少しずつ引いていく。口の中がちりちりと乾いてくる。
見間違いかもしれない。思いついて、そうであることを願った。
しかし少女の後ろ姿。長い黒髪、細い肩。
……ヒナだ。
僕は慌ててその隣の男に目を凝らした。
こちらにも見おぼえがある。
背の高いやせ形。だが肩幅は広い。ワイシャツ姿のその男は。
アルバイト先の苦手な、あの正社員だった。
ホテルに入っていく二人を、ビニール袋を手に提げたまま、僕は呆然と見送った。




