混濁する意識
浴室を出た僕はソファーに座っている彼女に声をかけた。
「上がったよ」
緊張で声が上ずった。
彼女は「ん」とだけ返事をして立ち上がると、さっさと浴室へ消えてしまった。しばらくして控えめなシャワーの音が聞こえてくる。一糸纏わぬ少女の姿を想像してしまい、僕は落ち着かなく身じろぎした。
ソファーに座って考える。
これはつまりその、そういうことなのだろうか。さっきは確認する勇気がなくて訊けなかった。
ソファーに残っているかすかなぬくもりを感じる。鼓動がやけに大きく、速く聞こえた。頭に血が詰まったような感覚に襲われ、目眩がした。
白状するのはとんでもなく嫌だけど、僕は女の子に触れたことがない。
いや、あるにはあるか。幼稚園だか小学校だかの催し物で手をつないだことぐらいなら。
それ以外はない。自信を持って皆無と言える。とても悲しい自信だけれど、それが事実だ。
彼女の腕や脚など露出した肌を思い出す。とても白くて綺麗だった。
触れたらひんやりしているのだろうか。それともしっとりと温かいのだろうか。鼓動はさらに大きくなった。もうすぐどちらなのか分かるのかもしれない。
と。シャワーの音がぴたりと止まった。
それを合図にしたように、途端に僕は怖くなった。興奮から急に目が覚めた。血の気がさっと引いていく。
これはもしかすると、いやもしかしなくても買春とかそんな感じじゃないのか。
一夜のアバンチュール? 僕を見てそんなことを考える女性がいるはずもない。これも悲しい自信。
良心が咎めた。いや嘘だ。僕は純粋に恐れていた。
女の子が怖い。犯罪も怖い。なによりこれから行うであろう行為が怖い。
美人局ということだって十分あり得る。
慌てて立ち上がる。素早く荷物をまとめてドアの方へと身体を向けた。同時に浴室へと続くドアが開いた。
恐怖が忽然と消え去った。僕はポカンとしてその光景にただ見入った。
ドアノブに手をかけて立つ少女の髪はまだほんのり濡れていた。艶っぽさを増した黒髪と白い肌のコントラストがまぶしい。下着姿の彼女は先ほどよりさらに色白に見えた。柔らかそうな肌を目一杯さらけ出して、彼女はそこにたたずんでいた。
僕は声も出せずに立ち尽くした。
彼女は怪訝そうにこちらを見上げ、つまらなそうに髪を拭きながら脇を通り過ぎた。そしてすとんとソファーに腰を下ろす。
「なんで立ってるの。座ったら?」
呆けていた僕はそれを聞いて我に返った。
「いや、でも……」
もごもごと言葉を探す。
「もしかして、こういうの初めて?」
彼女の言葉にぎくりとして言葉に詰まった。顔にも出ていたのは間違いない。
「いいよ、変に緊張しなくて」
「いや別に」
「カッコつける必要もない」
冷たく切り捨て彼女は隣を示した。
「とにかく座りなよ」
どこか情けない心地で僕はそこに腰を下ろした。彼女はその一連を冷めた目で眺めていた。
僕はガチガチになって座り、彼女はこちらを横目で眺め続ける。
居心地の悪い沈黙がしばらく続いた。
「あの」
結局根負けして僕は彼女に顔を向ける。
「僕は金もないし、こういったいかがわしいことは」
「したくない?」
思わず下着に包まれた乳房に目が行った。
あわてて視線を引きはがして彼女の目を見る。
「そ、そう。したくない」
「わたしはしたいけど。あなたと」
思わず生唾を飲んでしまった。
「お金のことなら大丈夫。心配しないで。ふんだくるつもりなんてないから」
言って指を二本立てて振る。
「これでいいよ」
「二万円? 残念だけど僕は」
「いえ二千円」
「は?」
理解できずに一瞬思考が手から離れた。
二千円?
こういったことの相場なんて知るはずもないが、そんな僕だってその額がおかしいことぐらいは分かる。
「お得でしょ」
「怪しいよ」
呆気にとられたままでも言葉は出た。
さすがに僕も性交渉が神聖不可侵なものと信じているほど純粋じゃない。それでもそれを商売とするならばリスクは高く、それに伴って取引額も大きくなる。そんなこと子供でも分かる。
彼女は面倒臭そうに顔をしかめる。
「じゃあ初回サービスが二千円」
「じゃあって」
「もっと払いたいの?」
「そんなことはないけど」
腑に落ちない。落ちるわけがない。
僕はいつの間にか緊張が解けていたことに気づき、これ幸いと立ち上がった。
「とにかく、そんな怪しい話には乗れないよ」
部屋の出口へと身体を向けた。
と。
何かが軽く背中にぶつかった。驚いて見下ろすと、身体に細い腕が回されている。
少女に抱きしめられていた。
僕は慌てて振りほどこうとした。
「ちょっと」
手は呆気ないほどすぐに外れたが、次の瞬間甘い衝撃が僕の脳天を突きぬけた。彼女の手が僕の股間に触れていた。情けない声が口から漏れた。長い指がさわさわと優しくまさぐってくる。堪えようという考えすら浮かばなかった。背中にもひどく柔らかいものが押し付けられていた。
心臓が激しく脈打った。
彼女の指がジーパンのファスナーを開けて滑り込んできた。中のそれをもてあそぶ。抵抗できなかった。そんな気は失せていた。
首筋に生温かい湿った感触。耳元で少女の息遣い。彼女は今度は僕の耳をぬるりと舐めた。
くらくらして、ほとんど気を失ったような状態になった。彼女に導かれてベッドに倒れ込んだことだけは分かった。
僕の下半身に顔をうずめる彼女に、はっきりとしない意識の中で訊ねた。
「君は、一体なんなんだよ……」
ちろちろと舌を這わせながら、彼女は少し考えたようだった。
「吸血鬼」
その言葉を聞いたのを最後に、僕の意識は快楽の波に呑まれて、混濁した。




