1.
「え? 新入生ですか? この時期に!?」
寮の部屋を出たところ、寮長に呼び止められたスピネルは、その内容に目を瞠る。
「うん、そうだよ。どうやら訳有りらしくってね。オニキス寮に入寮することが決まったのだけど……」
白エルフ族の寮長は、曖昧な笑みを浮かべる。
「あぁ。今、空いているのは俺の部屋だけですからね」
今まで二人部屋を一人で使っていたのはスピネルだけだと思い出し、肩をすくめて同意する。
「まぁ、そういうことだ。もちろん、キミじゃなければ新入生を同室にはさせなかったけれどね」
「は?」
「訳有りって言っただろ? キミじゃなければ、その子の同室者には推薦できなかった」
「どーゆー訳ですか? 龍族並に凶暴とか、エルフ族だとか?」
理由を言わなければ寮長命令だとしても同室に同意しないと睨みつければ、オニキス寮を預かる寮長である若者は溜息を吐く。
「学園長の話では、まぁ、ハーフエルフということらしい。詳しいことは僕にもまだわからない。今からキミを連れて学園長室へ来いとの通達があったばかりだしね」
「ハーフエルフ?」
告げられた内容に首を傾げるスピネル。
力の弱い人族に比べると少数氏族であるエルフ族であるが、ハーフエルフというのは存外多い。
主に人間との混血だが。
スピネル自身は黒エルフである。
生粋の黒エルフのため、黒髪に褐色の肌、紫の瞳を持ち、その容姿もかなり整っている。
力が容姿と比例するこの世界で、スピネルが無力だとは誰も思わないだろう。
それは目の前の寮長にも同じことが言える。
だが、混血のエルフが生粋のエルフより上の力を持つことは多くない。
訳有りの理由がわからなかった。
「とりあえず、学園長からの指示だと相手に飲まれないだけの強い意志を持つ者が望ましい、ということだ」
「だから、俺?」
「詳しいことは見ればわかるよ。さぁ、行こう」
「……しかたないですね」
寮長を通した学園長命令なら、従う外ない。
大仰なまでに溜息を吐いたスピネルは寮長の後に続いて学園長室へと向かったのであった。
クレイドル学園は城塞都市のような造りをしている。
一番端にぐるりと城壁が取り囲み、六つの門がある。
その門の向こうは何も見えない。
それどころか、門はあってもこれまで一度も開いたことはないのだ。
門の手前に移動の魔法陣が敷かれ、学園が許可した者のみがこの転移門を使って行き来することが出来る。
更に内側にも城壁がある。
その向こうがクレイドル学園であり、城壁の間にあるのは街である。
ここで学生や学園関係者が必要なものを揃えているのだ。
この街にある店が揃えている商品の数々は、他のどの場所よりも質がよく、そうして滅多に手に入らないような特殊なものまである。
入学し、卒業するまでは、ここにあるものを無造作かつ大胆に買い揃えることが出来るが、一度卒業してしまえば、二度と手に入らない商品が数多くある。
それゆえ中には卒業を渋る者まで出てくる始末だ。
学園内には、関係者しか立ち入ることは出来ない。
例え生徒の肉親だとしても、学園の敷地内どころか狭間へ辿り着くことすらかなわない。
だが、ここで学ぶ生徒たちにとっては、何の障害もない普通の学校である。
事務棟にある学園長室へと辿り着いたスピネルは、自分たち以外の生徒の姿があることに戸惑いを覚えた。
「……皆、集まってくれたようだね。忙しいところをありがとう」
重厚な執務机の向こう側に座っていた青年が穏やかな笑みを湛えて礼を言う。
学園長と言われるにはあまりにも若々しい外見だが、その新緑の瞳が見た目の印象を軽く裏切っている。
年若い者では到底出せない静けさと重みを映している。
何よりも目にした瞬間、魂を奪われてしまいそうな美貌を誇りもせずに彼らに晒している。
神が造り給うた狭間の学園の長を引き受けることが出来る力の持ち主であることを如実に物語っている。
そう、彼は、伝説と謳われるまでに稀少な種族、ハイエルフであった。
ドワーフ、ダークエルフ、ライトエルフと一般的にこの三つの種族をまとめてエルフ族と言っているが、更にもうひと種族存在する。
エルフの王族とまで言われ、世界の頂点に立つほどの力と美貌を持ちながら、権力というものに一切興味を示さず、外界との接触を極端に厭うて己の心の赴くままに時を過ごすため、その数は非常に少ないといわれている。
あまりにも美しすぎる存在は、敵意すら捻じ伏せ、見る者を無力化させてしまうほどの誘引力を持つ。
あらかじめ、相手がハイエルフであることを承知していなければ、色々と困ったことが起こるのだ。
学園長がハイエルフであることは周知の事実であるがため、最初から身構えていれば何とかなるものである。
もちろん、力の弱い者や、自我がはっきりと確立していない者などは、どう足掻いても学園長に魅了されてしまうだろう。
そうしてスピネルは、この場に呼ばれた者たちが学園長の美貌に耐性があることに驚く。
改めて顔を眺めやれば、オニキス寮長以外は全員、今年入った新入生の男であることに気付く。
しかも、それぞれ得意分野で突出した能力を発揮し、第一人者とまで呼ばれる成績上位者ばかりだ。
「さて、本題に入ろう。本日より一名、新入生が入ることになった。その子のサポートを君達に頼みたい」
「……失礼ですが学園長。今頃、どうして、今頃になっての入学ですか? それと、何故サポートが必要なのでしょうか?」
本題を切り出された直後、知識学部の魔法学科所属の少年が挙手をし、問いかける。
白の六枚羽の天使族の少年だ。
エンジェライトという名前だと、スピネルは思い出す。
「特殊な生まれの子でね、入学許可証が手許に届かなかったのだよ」
「まさか! 深淵の森でもない限り、許可証が届くのに問題があろうはずがない」
同じ知識学部で大綱を学んでいる人族の若者が神経質そうに眼鏡の弦を弄りながら断言する。
「アイオライト……まったくその通りなのだよ。その子は、両親と共に深淵の森奥深くで過ごしていたのだから」
「……は?」
にこやかな笑顔を貼り付けたままの学園長の言葉に、一瞬、その場にいた全員がきょとんとしたような表情を浮かべて彼を見つめた。
「今言った通りだ。特殊な生まれのその子供は、両親と共に誰も訪れない深淵の森深くで今まで育てられてきたのだよ。つまり、両親以外の存在と接したこともないのだ」
「他人と接したことがない……深淵の森……」
あまりにも恐ろしい情報に、ただ呆然と言葉を繰り返すだけ。
「へぇ。深淵の森ってヒトが住めるんだ」
感心したように呟いたのは、火龍族の若者だ。
武術学部の傭兵科のチャロアイトである。
「いや。普通は住めないね。ご両親も特殊な人たちで、彼らとその子供でなければ、深淵の森で暮らそうなんて思わなかっただろう」
「……確かに、それが妥当な考え方ですね」
エンジェライトが同意する。
「ご両親が特殊だからできたこと……ですか。わかりました。その言葉、納得いたしましょう」
アイオライトが頷けば、学園長も嬉しげな笑みを浮かべる。
「納得してくれてありがとう。そこをクリアしないと話が先に進まないのでね。その子の両親がどういう種族なのかは、親しくなってから本人に聞いてくれ。これは極めて重要な個人情報でね、許可がない限り私でもおいそれと教えることは出来ないのだよ」
「ハーフエルフだと聞きましたが、それは便宜上ということでしょうか?」
オニキス寮長であるジャスパーが問いかける。
「大きな意味で言えば、ハーフエルフに間違いない。ただ、その子はどちらの特質もきれいに受け継いでしまっているため、まだどちらの種族だとは言えないのだよ。見事に調和しているので、いっそ新しい種族だと言っても差し支えないのではと思えるほどだ」
「他人というものに慣れていない新入生に我々をサポートさせるというより、守護者として傍に配置するように聞こえますが」
どこか憮然とした表情で獣人のオプシディアンが告げる。
虎の獣相を持つ若者は、武術学部騎士科に所属していた。
「そうだね。ただし、新入生に対してではなく、他の生徒に対しての守護だけれどね」
「……それは、どういう意味でしょうか?」
オプシディアンの耳がぴくりと動く。
「実際の話、何故、その子が深淵の森で育てられたかというと、もし力が暴走したというような場合に被害が大きすぎるからなのだよ。両親二人がかりで封じるためにも他の者の心配をしなくて済む場所を子育ての場所として選ぶしかなかった。もしもの場合、私ひとりで抑えることは出来ない。少なくとも副学園長の力を借りて何とかなるかもしれないというレベルだ。だから、万が一の場合に、君達が他の生徒の安全を護って欲しいというわけだ」
『人外魔境』や『壮絶』な美貌と言われる学園長ですら抑えきれないと断言してしまった新入生に、彼らはわずかに顔色を変える。
「もちろん、そう簡単に暴走するような子じゃないから、そこは安心してくれ。ただ外界を知らずに過ごしてきたために純粋無垢でね……規格外の力と比例して、誘引力が桁違いだと思って欲しい。本人が望まなくともトラブルに巻き込まれる可能性も高い」
「……と、言うと……つまり?」
「凄まじく美しい。勿論、本人に美醜感がまったくないので綺麗だとか美しいと言ったところで首を傾げるに違いないが。あの子を形容するために『月光を編み上げたような』という言葉が陳腐に感じられるほどだ。まぁ、私を前にして会話が続けられる君達なら、何とか耐えられるとは思うけれど」
にこやかに笑って告げる学園長の言葉が死刑宣告のように聞こえたスピネルは、深々と溜息をついた。
「同室、辞退してもいいですか?」
確実に厄介ごとに巻き込まれると、予感ではなく確信がある。
本人がどんなに人畜無害の性格のいい人間であっても厄介でしかない。
「スピネルが同室なのか。それはありがたい。ということで、勿論、却下。まだ、十五歳の子供にそんな酷いこと言わないよね、君?」
「十五歳!? 子供っていうより、幼児とか赤ん坊のレベルだろ、それは!!」
短命種である人族や獣人族であれば、十五歳といえば立派に成人と同じ程に成長しているが、長命種のエルフや龍族、天魔族にしてみれば、まだよちよち歩きの赤ん坊か、言葉を覚え始めのおしゃまな幼児の年頃だ。
ハーフエルフといえど、人族よりは充分に長命だ。
それならば、まだ一人でお遣いが出来るだろうかと親がはらはらするような年頃に違いない。
そんな幼い年頃の子供を何故親が手放して学園に入れようとするのかと、長命種族の生徒たちは驚愕の表情で学園長を見る。
一方、人族と獣人族の生徒たちは顔を見合わせて首を傾げている。
「十五歳は確かに幼いだろうが、我々とそう変わらない年だぞ? 何をそんなに驚いているんだ?」
人族のアイオライトが不思議そうに問いかける。
「個人差があるけれど、ここにいる我々長命種が、少なくとも八十歳超えていることは理解しているかな? アイオライト」
ジャスパーが苦笑しながら応じれば、アイオライトとオプシディアンがひくりと引き攣る。
「チャロアイトなんて二百五十歳を超えてるし」
「龍族は成長が遅いんだ!」
何気にじじいと呟いたオプシディアンの言葉にチャロアイトが怒鳴り返す。
「そんなに小さな子供を入学させて大丈夫なんですか、学園長!?」
少しばかり傷付いたらしいチャロアイトだが、やはりハーフエルフの子供の年が気になったのだろう。
眉間に皺を寄せながら声を落として問いかける。
「だから、規格外なんだよ、あの子は。外見は、君達より少しばかり幼いくらいだ。通常の成長速度なら、君達の言うとおり、まだ幼児ぐらいなのだが、抱える力が大きすぎて、通常の速度では器の方が保たないのだろう。ほぼ人族と同じ速度で成長しているようだ。これから先の成長速度はわからないけれど」
「……見た目は、わかりましたが。中身はどうなんです? 中身が幼児では、我々としても困りますが」
本気で困ってるらしいエンジェライトが問いかける。
金髪碧眼の如何にも天使族らしい外見の少年が溜息を零す。
「知覚に関しては、教授クラスの知識と判断力を持っていると言っても過言ではない。対人スキルに関しては、まったくの未知数だ。何しろ、他人に接触したのが今回初めてという純粋培養だからね。まぁ、面接した限りではかなり天然だと思ったけど」
「その、救いになるようでいてまったく救いになっていないフォローは止めてください」
「おや? ダメかな? 正直な感想なのだけれど」
くすくすと笑ったハイエルフは、机に肘をつき指を組む。
「まぁ、会ってみればわかることのほうが多いと思うよ。あちらでも準備が整った頃だ。こちらへ呼んでもいいかな?」
ふと真顔に戻った青年の言葉に、生徒たちは身構える。
「副学園長、新入生を連れてきてくれないか」
学園長室にあるもうひとつの扉に向かって声をかける。
「失礼します」
青年の声に応えるように、艶やかな声が入室の許可を取り付ける。
わずかに軋む音を立て、重厚な扉がゆっくりと開く。
扉の向こうに現れた二つの影に、生徒たちは呆然と立ち竦んだのであった。




