【9】スクード伯爵邸
――――修羅場と言うものはまさにこう言うのを言うのだろう。
「ベニートさまぁっ!ベニートさまに合わせてよぉっ!私たちは愛し合ってるの!」
「ふざけないでいただけます!?ベニートさまと愛し合っているのは妻の私ですわ!」
伯爵邸に文字通り押し掛けているジョヴァンナにフェデリカは臆さず立ち向かう。
伯爵夫人がこんなにも逞しいとはいざ知らず、ジョヴァンナが悔しげな表情を隠せない。
「だ、だけど……ベニートさまの妻になるは私ですわ!」
「はぁ?ベニートさまは私と結婚しているのよ!」
「別れればいいじゃない!ベニートさまだって伯爵から公爵になれるのよ?私を選ぶに決まっているわ!」
「そんなわけありますか!ベニートさまはスクード伯爵家の血筋に誇りを持っておられるわ!」
「そんなものが何なのよ!公爵家の方がいいに決まっているわ!」
「はい!?あなた、自分の家に誇りがないの!?」
「うっさいわね!」
「何て態度なの?」
「いいから、お邪魔虫は何処かへ消えなさいよ!」
「お邪魔はあなたでしょう!」
ほんっと……フェデリカの言う通りである。
「フェデリカ!」
ジョヴァンナと言い合うフェデリカ目掛けベニートが駆けていく。
「フェデリカ、大丈夫だったか!」
「ベニートさま!?来てくださったのですね!隊長たちが呼んでくださって……?」
「そうだ、フェデリカ」
お前の暴走を止めるためにはそれが一番だ。
「そんな……何でよ……」
しかしこの状況に納得いっていないのがジョヴァンナである。
「ベニートさま!ベニートさまの妻になるのは私の方ですわ!」
「何を言っているのだ、君は。私の妻も愛するのもフェデリカだけだ!そもそも妻のいる男に何を言っているのか分かっているのか!」
「そんな……ベニートさまがそんなこと……言うなんてっ!嘘よ嘘よ嘘よ!」
いや嘘じゃない。ジョヴァンナのことだから顔だけで選んだのだろう。しかしベニートは愛妻家で有名な男だぞ。
「ベニートさまだって伯爵家なんかより公爵家の方がいいでしょう?」
「何を言う!我がスクード伯爵家を侮辱する気か!」
どんな爵位であろうが貴族とは家に誇りを持つもの。
それすらも分かっていないとは。ジョヴァンナはやはりろくな貴族教育を受けていない。
「そんなそんなっ、ベニートさま、どうして分かってくれないの!?そうよ……そうだわ。分かったわ。あんたね、アルド!」
ジョヴァンナが俺に指を向けてくる。
「私に婚約破棄された腹いせにベニートさまを操っているのよ!」
「はぁ?」
何て言いがかりだ、それは。
「あんたみたいな闇魔力の化け物ならわけないでしょ!?」
「俺はなにもしていない」
むしろベニートを操る?
そんなことはフェデリカが許さんだろう。さすがに元部下の愛しの伴侶にそんなことをしようとは思わないし必要もない。
「でもあんたは恐ろしい化け物で……っ」
「いい加減にしなさいよ!」
フェデリカがジョヴァンナにバシンと一撃を食らわせる。
「な……何をするのよ!暴力よ!」
「ふざけんじゃないわよ!いきなり屋敷に押し掛けて私の夫に横恋慕しようとするなんて!当然の報いよ!」
「だからベニートさまは私のっ」
「何だと言うのだ。私の妻はフェデリカしか有り得ない」
ベニートがフェデリカの肩を抱き寄せる。
「まぁ、ベニートさま!」
フェデリカが恋する乙女の顔に戻る。
「この2人の愛は本物だ。これ以上邪魔をするって言うのなら」
「な……何なのよ!何する気!?」
「俺はなにもしないさ。何たってここは騎士団の縄張りだ」
貴族街も王都エリアなのでな。
「承知した、オスクリタ隊長」
ベニートが頷くと同時に部下の騎士たちがやって来る。どうやら副団長が必要になるだろうと寄越してくれたようだ。
「みな、貴族邸に不当に押し寄せようとしたこの無作法者を捕らえよ!」
『はっ!団長!』
「ちょ……何よ!セクハラよ!」
「済まないな、騎士団にはまだまだ女性が少ないのだ。だから……少々粗っぽくなるぞ」
そこを容赦してやる必要もないわけだ。
「連れていけ!」
『はっ!』
「イヤァァァッ!放して放してよおぉっ!助けてぇベニートさまぁっ!」
しかしベニートはジョヴァンナを睨んだまま大事そうにフェデリカを抱き寄せるだけだ。
「そ……そんな……私の、王子さま……」
何言ってんだ。ベニートは伯爵であって王子じゃない。
ジョヴァンナは戦意喪失したように引きずられていく。
「さて、ようやっと静かになったか」
「ええ、オスクリタ隊長、エルネスト副官。協力感謝いたします」
「いやいや何の」
「まぁ我々は見ていただけですし」
「騎士団の縄張りだものな、エルネスト」
「ええ。たとえ父が先々代とは言え大きな顔は出来ません」
「あなたは随分とご謙遜なさる。先々代騎士団長は我々にとって伝説であり英雄なのです」
「過去の話ですよ」
エルネストは過去を振りきるように告げる。
「ま、今の騎士団長はベニート、お前なんだから」
「ええ。代々の騎士団長に恥じぬよう務めて参ります」
「ああ。それならば俺たちも安心して王都を任せられるよ」
近衛騎士団と騎士団の関係と言うものは本来それでいい。相互に背中を預けあってあるべきだ。
「じゃ、フェデリカとこれからも仲良くな」
「もちろんです。フェデリカ、恐かったろうがよく頑張ったな」
「はい!ベニートさま!」
十中八九フェデリカが恐がってはいないだろうが……ま、部下が退役後も幸せそうならば元上司としてよしとしよう。
「さて、エルネスト。俺たちも帰ろう」
「そういたしましょう、隊長」
俺たちは大公邸と王城の近衛騎士団詰所にそれぞれ向かう。
※※※
「ああ……疲れた」
何たってジョヴァンナを相手にしたのだから。
「やっぱり殺っとく?」
「こらやめなさい、ヴィー」
エルネストと一緒の時はずっと身を潜めていたが相変わらずそこにいたらしい。
「アルドさま!」
その時トタトタと駆けてくる可愛らしい足音にハッとする。
「リタ」
「お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま」
どうしてこんなにもホッとするのだろうな。
「あの……アルドさま?」
「……っ」
しまった……無意識にリタの頭を撫でていた。ちょっとスキンシップが過ぎたか?
「その……すまん」
「いえ……えと……嬉しいです!」
「……っ」
「私もこうしてアルドさまに触れると落ち着くのです」
リタが俺の腕にそっと触れればまたあの晴れ渡るような感触。これは何なのだろうな?しかし……。
「俺もだ」
この愛しい妻を抱き締めないと言う選択などなかった。
「……アルドさま」
そして安心したように身を委ねてくれる彼女にホッとする。
「さて、いつまでもここにいては冷えるな。中に移動しようか」
「はい、アルドさま。それと……その」
「どうした?」
「焼き菓子が出来たので……その、食べていただけますか?」
そうか……そう言えば焼くのだと聞いていたっけ。
「ああ、もちろんだ」
「では早速サロンにお持ちします!」
「楽しみにしているな」
「はい!」
特注でしつらえたソファに腰掛ければ、彼女の焼き菓子を楽しみにしつつもやはり覚えるのは疑問だ。
『ヴィー、いるか』
『ここに』
『リタは本当にスキルがないんだろうか』
『それか……俺も気になってはいるよ。何たって最近の隊長は夜の闇魔力も落ち着いている。悪夢も見ていないでしょ?』
『そうなんだ』
『魔力……と考えたとしても光なら拮抗し合うはずだし闇なら闇同士受け入れ合う。だからその可能性は低いんだよ』
『となると考えられるのはスキル』
『そうだよねぇ。けれど隊長の闇魔力を抑えられるスキルって何だろうね』
『感覚で言えば抑えられているのではなく澄んでいるんだ。闇が澄んで無害な夜の静寂ようになっている』
『分かるよ。俺も闇の持ち主だ。だけどそうできるスキルか……』
『ひとつ思い当たるものがある』
『それは……?』
『俺が第6隊への呪印を刻むことをやめた時。俺は既に呪印を刻まれた隊員たちの縛りを継承しなかった』
『故に先代の死と共に呪印は消えてしまった』
『代々受け継がれ堅固となっていた呪印は俺の代で消滅してしまったんだ』
『そうだったねぇ……俺はアルドの代からだから呪印のことはそんなに知らないけど』
『だがそれを……呪印の喪失を先代はどう称しただろうか……』
『それってあの時の手紙のこと……?』
『そうだ。確か……』
その時、パタパタと駆けてくる足音に念話が中断する。
「アルドさま!」
「リタ」
「こちらです!」
「わぁ……旨そうなクッキーだな」
「はい!頑張って作りました!」
「ああ、よく頑張ったな」
自然とリタの頭に手が伸びる。
「その、味はどうでしょうか?」
「早速いただくよ」
口に含んだその味はまるで前世の手作りクッキーのようなバターの旨味と懐かしさが濃厚に蘇る。
「ん……旨い」
「やりました!ふふ、嬉しいです!」
そうして喜ぶリタは愛おしいほどに愛らしい。
調査のことはひとまずおいておいて、今はリタお手製のクッキーを楽しむとしようかな。




