【5】大公閣下の秘密
初めての大公邸にリタ嬢は不思議そうに見上げている。
「お帰りなさいませ、旦那さま」
「ああ、ロベルト。今帰った」
出迎えたのはダークブラウンの髪にグレーの瞳の青年。この大公邸の家令である。
「そちらはリタ嬢で?」
「そうだ。部屋に案内してやってくれ。本邸でいい」
「おや……」
ロベルトは一瞬意外そうな表情をしながらも頷いた。
「承知いたしました」
ロベルトが早速メイドに指示すれば、カルラに手を引かれリタ嬢も続く。
「ではリタ嬢、後程お会いしましょう」
「はい、アルドさま」
にこりと微笑む彼女。どうしてこうも名残惜しいのだろうな。
「アルドさま、どうなされました」
「……ロベルト。いや、何でもない」
彼女の後ろ姿を見送りながらハッと思い付く。
「そうだ、彼女の服を幾つか見繕ってくれるか」
「ではすぐに手配いたしましょう」
「ああ、頼む」
あの荷物では服のレパートリーも少ないだろう。公爵邸では相当切り詰めた暮らしをしていたようだし。あの部屋を見れば分かると言うもの。
「しかし婚前だと言うのによろしいのですか?」
「……保護せねばならなかった。兄上も了承済みだ」
「それでしたら。しかし夜はどうされるので?」
「一応夫婦の寝室を挟んで向こう側の夫人用の部屋だ。リタ嬢には念のためカルラもつける」
「承知いたしました。ですがもしもの時は」
「……別棟を準備しておいてくれ」
「そのようにいたしましょう」
ロベルトの心配も分からないわけではないのだから。
※※※
サロンではメイドたちがいつもよりもかわいらしい茶菓子を用意していた。
「旦那さまがお連れになるなんて、秘蔵の菓子をお出しすべき御方ですから」
「いやいや、どういう意味だ」
「以前は大真面目に物置を改装しようとされていましたもの」
「う……っ。それは仕方がなくてだな」
あの性格だし、遂には化け物扱いだ。本人のためにもなるべく離れた方がいいと思った。だけどリタ嬢は……何故か離れがたいと言うか。
――――その時、扉が開かれる音にハッとする。
「その……アルドさま」
リタ嬢はロベルトが用意させたと見られるワンピースを身に付けている。
「リタっちもお召しかえしたよ。隊長ナイス」
カルラがそう言うとすれば……やはり勘は正しかったのだ。
「このようなすてきなワンピース、良いのでしょうか」
「構わない。ここで暮らすのなら用意するのは当然だ」
「アルドさま……」
「次はリタ嬢の好みに合わせてオーダーメイドにしようか」
「その……私はそんなっ」
「婚約者同士なのだ。贈らせてくれ」
「は……はい」
嬉しそうに微笑む所作が愛おしく思えてくる。
「それと……話さないといけないことがある」
ジョヴァンナはあんなだから離れに押しやる時に見せ付けてやろうと思っていたが……リタ嬢には話しておかねばと思う。
「ここで暮らす……いや婚約者となるに当たって必要なことだ」
「は……はい」
俺と一緒にいることを望んでくれた女性だから。たとえそれを知って別棟を使うことになったとしても構わない。
「ではまず……俺の魔力は闇だ」
「闇……だから」
「リタ嬢?」
「いえ、何でもありません!続けてください」
「あ……ああ。俺の闇魔力は濃くてな。放っておけば漏れ出て周囲を脅えさせる」
「そんな……っ」
「今は抑えているが……夜の就寝時はどうしても漏れ出る。恐ろしければいつでも別棟を使えるように手配している」
「わ、私は平気です!」
「だが」
「魔力がないからでしょうか……こうすれば……」
リタ嬢がそっと俺の手を引き寄せる。
「優しいアルドさまだと分かります」
「……っ」
そんなこと、初めてだ。この世界に転生して闇魔力をもって生まれたことを悲観して。兄上がいなければずっと牢の中だった身。
「だから大丈夫です」
「あ……ああ」
何を期待してるんだ、俺は。本当に夜が来れば彼女は恐ろしがるかもしれないのに。
それでもどうしてか彼女の優しい笑みが脳裏から離れなかった。
※※※
――――その夜。
任務意外でこんなにも緊張する夜が来るとはな。
「出来るだけ起きていた方がいいか」
読みかけの本を手元に手繰り寄せる。
「いやいや、ちゃんと寝てよ?」
ごく普通にそこにいる腹心を恨めしげに見る。
「だが……リタ嬢が恐がったら……」
あの優しい少女を恐がらせたくない。
「それでもみんなついてるから大丈夫だよ。もしもの時もね」
「……もしもの時」
「そうそう。カルラもリタ嬢に相当懐いてるみたいだし、その時はしっかり役目を果たすよ。年齢に見合わずしっかりしてるから」
「そう言えば……アイツ、そうだな」
顔も知らなかった頃はずいぶんと警戒していたと言うのに、今ではリタ嬢の側に控えることが楽しそうに見える。
「それに心配なら俺が添い寝してあげようか?」
何を言い出すんだコイツは。
「バカッ!俺にはリタ嬢と言う婚約者がいるんだからっ」
しかも今夜はひとつ屋根の下。
「仕方がない。そう言うことなら俺は朝だけ起こしに来るね!」
「いや、普通はそうだからな?ヴィー」
ほんとコイツは。
「カルラはリタ嬢と寝るようだよ」
「……護衛も兼ねてるからな」
いや、でも一緒に寝……いや最強の護衛にはなるか?何かあればカルラならすぐ起きる。
「メイドたちも嬉々として明日のワンピースを選別していたし」
「まぁ今日のも似合っていたからな」
明日もリタ嬢に似合うものを見繕ってくれるだろう。
「みんなリタ嬢を相当気に入ってるのかもねえ」
「……珍しくな」
「アルドもだよ?」
「……っ、そんなわけじゃ……ない」
浮かれては行けないのだ。夜が来ればそうはいかないかもしれないのだから。
※※※
――――一番古い記憶は悲鳴から始まった。
「キャアァァァッ」
「……その……ごめんな、さい」
「もう……もうアルド殿下のお世話は出来ません!だって……だってこんなに……恐ろしい」
城の侍女が震えながら睨んでくる。彼女を壊したのは俺だ。俺がいなければ彼女は普通に優秀な侍女でいられたのに。
脅える侍女を前に、駆け付けてきた兄上が慌てて俺を抱き締める。
「アルド、もう大丈夫だ。兄上が来たからな」
「あにうえ……」
しかし侍女は脅える自分ではなく俺が守られたことに憤怒の目を向ける。
「どうして……どうしてオルランド殿下はそんな呪われた王子をっ」
【呪われた王子】。もう何度も聞いた忌み名だ。
「やめなさい」
兄上の厳格な物言いに侍女が黙りこくる。
「彼女を下がらせるように」
「は……はい!」
兄上付きの近衛騎士たちが侍女を下がらせていく。
「あにうえ……おれは……おそろしいの?だからははうえもあってくれないの?」
生まれてこのかた、母の顔すら見たことがない。俺にあったのは俺を憎む父上と、牢から救いだしてくれた兄上だけ。
「違うぞ、アルド。母上は体調を崩しているだけだ。良くなればきっと会ってくださる」
「あにうえ……」
でも知っているのだ。その原因は俺にあること。俺を身ごもったせいで母上は闇魔力に身体を侵食されてしまったこと。だから父上すらも俺を遠ざけたこと。
「だからお前は何も心配しなくていい。ただ健やかに育ってくれればいい」
俺にその資格があるのか……?
周囲を不幸にしている俺に……そんな資格があるのか?
『アルドさま』
※※※
「……っ」
聞こえないはずの声が記憶の中に入ってきた。
だらだらと冷や汗が伝っているのに、握られた掌の感覚は澄んだように身体を満たしていく。
「……リタ嬢、どうして」
「アルドさまが魘されているような気がしたのです」
「……」
もしかしてまた闇魔力が漏れ出ていた?悪夢を見た時はいつもそうだ。
だけどどうしてリタ嬢はそんな恐ろしい闇魔力の元凶に会いに来た?
「隊長、ごめん。私も隊長が心配だったから……リタっちを止めなかった」
「……カルラ」
カルラは俺の闇魔力を恐れることはない。しかしリタ嬢は普通の少女だ。かつての侍女のように恐れないのは、何故。どうしてだ……。
「もう大丈夫ですよ、アルドさま」
「リタ嬢……」
それどころか俺を安心させるように優しく微笑むのだ。
「どうぞリタとお呼びください」
「……」
「ダメ、ですか?」
「いいのか……こんな俺で。俺は恐ろしいだろう?」
「そんなことありません!アルドさまは優しいアルドさまのままです」
そんなバカな……。悪夢を見る時は特段闇魔力が暴走する。まさかリタ嬢が来た夜に一番に来るとは思っていなかった。なのに。
「……リタ」
「はい、アルドさま」
「……」
「アルドさまが健やかに寝られるよう私がついております」
「だが寝不足に……」
「それはアルドさまも同じです!」
「それは……そうだが」
「もう夫婦の寝室で一緒に寝ちゃえば?」
響いた腹心の声にハッとする。どこから湧き出た、ヴィー。いや俺の就寝時に誰か入ってくればコイツも来るか。
「だが嫁入り前だぞ」
「私は構いません」
「え……」
リタはもっと控えめな性格だと思っていた。しかし意外にもそう力強く告げたのだ。
「アルドさまは無能な私でも『大切』だと仰ってくださいました。だから私もアルドさまのために出来ることをしたいのです」
「……リタ」
どうしてか拒めないのは、俺も彼女を求めているからか。側にいてくれる存在を……。
「……分かった。だが……辛くなったらすぐに言ってくれ。コイツ……ヴィーなら呼べばすぐに来るから」
「お任せを」
ヴィーがニッと笑みを浮かべる。
「ヴィーさまは……寝なくて平気なのですか?」
「寝てるよ。夢の中からアルドのことも見てるだけ」
コイツ闇魔法でそんなことまでやってたのか?
「近衛騎士ってすごいのですね!」
感心するところか?そこ。それとこれは完全にヴィーの趣味だから近衛騎士は関係ないような。
「それじゃ、移動する?」
「……そうしよう」
リタを寝不足にするわけにはいかないものな。
「夫婦部屋は続き部屋になってる」
「こちら側からは行けるのですね」
「……それは」
「私の部屋からは扉はあるのに行けないようになっていました」
「その、嫁入り前だからな」
嘘だ。きっと俺のことなど恐ろしいと思うだろうと鍵をかけた。夫婦用の寝室など使うこともないだろうとも。
「だが……後で開けておく」
「はい。これで行き来が楽になりますね」
「そうだな……」
そんなに嬉しそうに言われるとは思ってもみなかった。
「夫婦用の寝室は……」
ガチャリとドアノブを鳴らす。
「準備まで出来てるのかよ」
「メイドたちはいつでも準備万端にと張り切ってたからね」
「ヴィー、俺はそんなこと知らなかったんだが」
「俺もまさか使うことになろうとは思ってもなかったし、言うの忘れてた」
「お前な」
しかしながら本当に使うことになろうとは。
「ここのメイドさんたちはみなさん親切で、ここもこんなに丁寧に用意してくださったのですね」
「ああ。アイツらの気遣いに感謝だな」
ここのメイドたちは俺を恐れたりはしない。他ではやっていけなかった闇魔力持ちもいるし、慣れたものもいる、うちの元部隊員も紛れているから。
「ん……ふかふかで寝心地が良さそうだ」
「はい!2人で寝てもまだまだ余裕があります!」
嬉しそうに告げるリタが愛おしく映る。
当主の俺だって初めて使う。結婚しても使うことはないだろうと思っていたが貴族の体裁上とロベルトに押しきられたものとはいえ。今では感謝しかないな。
ベッドに横になれば、自然とリタがその手を握ってくる。どうしてだろうな。こうしていると良く眠れる気がしてしまう。
「おやすみなさい、アルドさま」
「おやすみ、リタ」
そしてその夜はどうしてか……再び悪夢を見なかった。




