【12】【閑話】王弟殿下の記憶
――――初めて光を見たのは4歳の時だ。
物心ついた頃には牢屋にいた。自分にあるのはこの牢屋と、違う世界で生きた記憶。
その記憶の年数が俺にこの状況が何なのかを考えさせる。
どうしてここに入れられているのか、次第に理解していく。俺は……怨まれ憎まれ、母親の顔すら見たことがなく、父親にすら見捨てられたのだ。
「どうして……」
どうしてこれが俺の人生なのだろう。前世の記憶などなければこんなことに気が付くことなどなかったろうか。
「なんで……おれは」
この世界でこんなにも嫌われているのだろう。世界に嫌われているのだろう。
声を立てずに泣いた。
泣いて、泣いて、泣いても何にもならないと悟った時。泣くのをやめた。涙などとうに渇れ果てていたことを知った。
そうして牢屋の中で一生を過ごすのだと思っていた。
――――そんなある日のことだった。
「ここにいたのか、アルド!」
暗い牢獄の中で初めて燈籠以外の光を見た。その人は俺の名前を呼ぶと、焦ったように走ってくる。
急いで牢屋の鍵を開けるとふわりと抱き締めてくる。
「もう大丈夫だ、アルド」
「……だれ?」
「私は……私はアルドの兄上だよ」
「あに……うえ?」
「そうだ。だからアルド。兄上と一緒に暮らそう」
「いっしょ……?」
「そうだ、こんな牢屋じゃない。私の宮だ」
ここから出ていいの?一生ここで生きなくてもいいの?光のもとに還れるの……?
それは一種の救いだと思った。
俺はその日兄上に救われて、再び陽の光の元に戻ることが出来た。
しかしこの世界に生を受けて初めて見る太陽は明るすぎて、暫くは兄上の宮の中で過ごすことになった。
「アルド、もう大丈夫。ゆっくりゆっくり慣れていこう」
「うん、あにうえ」
「いつしか外で遊ぶことも出来るようになろう」
「うん……」
カーテンに仕切られた外の世界に想いを馳せる。太陽の光がこんなにも恋しいものだったとは。前世では気が付くことはなかった。
でもあにうえと一緒なら。いつか俺もあの向こうに行くことが出来る。そんな希望を胸に抱いた。
※※※
――――けれど世の中はそんなに甘くはなかった。
「イヤァァァッ!!もうイヤァァァッ!!」
突然侍女が錯乱したのだ。
「もうこんな恐ろしい化け物!たとえ王太子殿下の命でも我慢出来ません!!」
俺の闇魔力は母上の身体だけではなく、時に他者の精神すらも蝕むのだと知った。
「おれは……ばけものなの?」
「呪われた王子」
「呪われた王子」
「呪われた王子」
誰もがそう呪いの言葉を吐いていく。
「おれは……おれは」
呪われているのか。だからみんな俺に脅えるのか。あの牢屋を出ては行けなかったのか。
兄上の手を取っては行けなかったのか。
「あにうえのそばにいちゃ……いけないの?」
「そんなことはない、アルドよ」
だけど兄上だけはそう言っていつも抱き締めてくれた。
「お前は呪われてなんていない。私の大切な大切な弟なのだから。私は最愛の弟の誕生を祝福しよう」
「あにうえ……うぅ……」
渇れたはずの涙が溢れる。
それはこの世界に生まれたことを初めて祝福された瞬間だった。
ずっとずっと怨まれながら憎まれながら生きていくのだと思っていた。
だけど兄上だけはこうして俺を愛してくれたから。俺の生を祝福してくれたから。
――――俺はこの世界で生きていていいのだと知ったのだ。
※※※
――――そして7歳になった頃。
「本日より王子殿下の魔力の訓練を担当いたします」
その黒ずくめの人は顔色ひとつ変えずにそう告げた。
「我々のほとんどが闇魔力を持つものや闇に慣れたもの。闇に生きるもの。あなたと同じです」
「同じ……」
ふわりと頭を撫でるのは兄上がくれたものとは違う。しかしながらそれは前世の何処かで感じたような気がした。
「早速訓練をいたしましょう。我々にとって魔力の制御は何よりも重要なこと」
「重要?」
「ええ。多くのものたちは我々闇魔法使いを恐れますから」
そうだ……そうやってずっと恐れられてきた。恐がられてきた。彼らも同じなのだ。その時初めて【仲間】がいるのだと知った。
「もう牢屋に戻らなくていいの?」
「制御を身に付けられたのなら、もちろん」
「兄上の側にもいられる?」
「ええ。それが我々の務めですから」
それはどういう意味なのだろう?その意味を知るのはまだまだずっと先のことであったが。
兄上の側にいるために……そのためだけに俺は生きた。その人の示す闇の中へ足を踏み入れた。
※※※
――――そうして9歳。闇魔力を制御できるようになった頃には……俺はもう、『彼ら』の中にいた。
「我々には呪いがある」
「呪い?」
「そうだ。王の剣として、決して裏切らず。仕えるべき主君が道を誤れば手をも下す」
「……っ」
それはあの父親すらもと言うこと。
「我々は二重の意味で監視人だ。この国のために、この国があるためにただひたすら闇に生きるもの。お前は……こちら側でしか生きられない。私には分かる」
「……じゃぁ俺にも……呪印を?」
「まだ陛下に許可をいただいていない。お前は陛下の御子……王子だから」
怨まれていても、憎まれていてもあの父親の子であることに変わりはない。その事実は今もなお俺を苛める。
「……しかし」
「……?」
「お前にはいずれ受け継いでほしいと思っている。私の……長の座を」
俺に彼らを呪いで縛れと?それに意を唱えたくなるのは……前世の記憶故だろうか。
「だから……考えておいてくれ」
「……」
俺はその答えを見付けられるだろうか。
王の剣としての訓練、闇魔力の制御。まるであの人の背中を追いかけるように一心不乱に駆け抜けた。
光魔力を持つ兄上は眩しすぎて。闇の中でしか生きられない俺の居場所はここしかないと思っていたから。
一心不乱に闇の中へ駆けた。
10歳の頃、王権が交代し、兄上が即位した。これからは兄上のためにこの忠誠を捧げられることが何よりも嬉しかった。
――――16歳。世の令息令嬢たちが学園などと言うぬるま湯に浸かり青春を謳歌している間も、俺は闇の世界にいた。
「学園なんて……前世で散々行ったんだ」
今さらと言う気持ちがあった。
時折任務で潜入し懐かしく映ることはあった。
だが俺はあの輝かしい青春の中に混ざる資格はないのだと踵を返した。
兄上の側にいるために、任務の毎日を過ごしていたある日のことだった。
「混ざりものの討伐?」
「そうだ。近頃王国の辺境に出るそれを討伐せよ」
「だけど混ざりものって何?」
「一説には竜の子と言われている。人智を越えた力を持つ存在。竜は自らの子を10~12かそこらで一人前として野に放つ。そう言った混ざりものがひとりで発見されるのがその年頃だからそう呼ばれる」
混ざりもの……か。俺のように両親に捨てられたのだろうか。俺が捨てられたのはもっともっと前。生まれた瞬間だったが。
しかしその境遇ゆえにどこか放っておけなさを抱いたのだ。
※※※
闇と炎が混じり合う。
そんな辺境で竜を拾った。
「お前の名前は?」
「……ヴィート」
言葉を交わすひとりぼっちの竜の子を放っておけるはずもなかった。
「なら……愛称はヴィーかな。俺はアルドだ」
「アルド!」
「ああ」
どうせ俺も化け物だ。こんな化け物を救いだしてくれた兄上。拾ってくれた第6隊。なら俺はこの子を拾おうと思ったのだ。
そしてあの人はそれすらも予期していたかのように『好きにすればいい』と言った。
――――そうして彼らの中……近衛騎士団第6隊に所属し、俺は一人前の騎士として18歳になっていた。
「アルド、次の長はお前だ」
「だけど……」
それは俺が呪いで彼らを縛ると言うこと。
「俺は……」
「覚悟を決める時だ。お前自身が望むのなら陛下も意は唱えぬと仰った」
「兄上が……」
「だから最後はお前が決めろ」
「なら……俺は」
こんなことを言ったら怒られてしまうだろうか。でも……この人もまた、救いたいと思ったのだ。悠久の呪いから。
「継承を拒否する」
「……それは、拒否すると言うことは私を殺して長となると言うことだ」
「……っ」
「お前の闇魔力ならこの呪印を呑み込むことも出来るだろう。だが……それは私を殺さなければ成すことは出来ない」
「そんなこと……他にも方法がっ」
「ない」
「え……」
「他者を呪うと言うことはそう言うことだ」
「そんな……っ」
「時間だ」
無機質だった空気が殺気に変わる。
「……っ!」
「殺すつもりで行くぞ!そうでなくては長など務まらん!」
「やめてください……っ」
ガツンと暗器がぶつかり合う。魔力がぶつかり合う。
「覚悟を決めろと言ったろう!今度は本気で行く……っ」
脅しじゃない。本気でやらなきゃ……殺られる!
ガツン。
何十、何百回と言う撃ち合いの末、突き刺した一刀が布を破り、肉を裂き血飛沫が舞った。
闇魔力が呪印の呪力と攻勢し、呑み込むように覆い尽くす。
「お前なんかがあるから……!」
みんな……誰もが……あなたも……。
「殺し合わないといけなかった」
そうするしかなかった。
この人を救うには。みんなを救うには。
「うぐ……っ、あ……るど」
「……っ」
「あ……りがとう、な」
「何で……っ」
ずしゃりと崩れ落ちた身体。最後に見せたあの人の安心しきったような笑顔。
「待って……っ!」
手を伸ばした。
しかしその身体はボロボロに崩れ燃え消えていく。
残ったのはあの人の血まみれの衣服と、暗器と……ひらりと舞い落ちた紙。
「これ……手紙?」
◇◇◇
アルドへ
この手紙を読んでいる頃、私は呪印の反動で跡形もなくなっていることだろう。
きっと君は呪印の継承を拒否し私にトドメを刺したに違いない。
だが気に病むことはない。私の消滅は他者を呪うことに対する当然の代償だ。
君が継承したとしても拒否したとしても結果は変わらない。呪印は前任者の死と共に後任者に受け継がれるもの。
長が死して後任者が決まっていなかった場合は国王の手に返り国王からまた長が任じられ呪印は受け継がれる。
そうして呪いは延々と続いていく。
恐らくは陛下も国王を継承するまでは知ることもなかったのだろう。
国王を継承し、王の剣の呪印の真実を知りアルドだけは長にしないでくれと懇願された。
長になる。それはつまり代替わりと共に亡骸すら残らないと言うことだ。
だがしかし私は君を次の長に推した。君はきっと呪印の継承を拒否する。そしてどんな光魔法でもどうにもできなかった呪印を闇で覆い尽くせるほどの闇魔力を君は持っている。
君ならばこの呪印を無効化させることができる。この呪印は闇のもの。闇を以て闇を制することこそが正解なのだ。
これからは呪印に縛られない、真なる忠誠心と絆で新しい王の剣にしてほしい。
◇◇◇
手紙を読み終え、泣き崩れる。
「うう……あああああっ」
全て分かっていて受け入れたんだ。自分が最後に呪印の全てを背負って……この世から亡骸すら消え失せた。
「アルド」
拾った竜の子はすっかり成長して泣き咽ぶ俺にそっと寄り添う。
「ああぁぁぁっ」
この呪印は光魔法でも消えない。唯一抗えるのは闇魔法だけ。しかし呪印は消えても一度呪ったあの人だけは救えなかった。
もう脱け殻になった着衣と暗器しかない。それを掬い上げ、手元に引き寄せた。
もう二度と会えない。だけど俺の……父親みたいなひとだった。
「……」
呼んでいたら、何かが変わったろうか。いや……情など持つなと怒られるだろうか。
最後のこの、死闘のために。あの人はずっとずっと分かっていたのだから。
※※※
カツカツとかつての道を辿る。闇にまみれながらも必死に生きた彼らの記憶が眠る道。
「王の剣に墓はない」
「そりゃぁね……呪印を刻んだ側も刻まれた側も亡骸すら残らないんだから」
後ろを付いてくるヴィーが溜め息を吐く。
「徹底的に証拠を消すってことだからね」
「そうだ。だが……墓くらいあったっていいだろう。今までなかったのは亡骸すら残らなかったから作れなかったんだ」
「でもこれからは違うからね」
ヴィーがあの頃のようにそっと隣に寄り添う。
「ああ。ここは……近衛騎士の殉職者の墓だ」
「普通は名前が刻まれているけど」
「これは……名が刻まれない墓だ」
「機密情報でもあるからね」
「だな。中には情報すら残っていないものもあるから。今までの名もなき同志たちに」
あの人のために。花束を供えれば、くるりと身を翻す。
「行こうか」
「もういいの?」
「あんまりしんみりしたらあの人に叱られそうだからな」
「はははっ。それもそうか」
ついに呼べなかった。けれどあなたは間違いなくこの世界での俺の……父親だったよ。




