第62話 レヴォスの大軍勢
「聖なる光よ、不浄を断ち、ここに浄め給え!」
聖女セレスの凛とした声が、『ローロー飯店』に響き渡る。
その解呪の言葉が、目の前に並んだ獣人たちの首元を包み込んだ。
カラン、という乾いた音。
それは『奴隷の枷』からの解放を意味し、鉄くずとなった枷が床に転がった音だった。
「おお……! 本当に……本当に外れたっ!」
「自由だ……俺たちは、ついに自由になったんだ!」
『ローロー飯店』の従業員たち。
いや、正確には『奴隷の枷』を嵌められ、諜報活動を強いられていたバルトロの奴隷たちが狂喜の声を上げる。
だが、その奇跡の代償は安くない。
数十人もの呪いを一度に解呪したセレスは、ハァハァと荒い呼吸を繰り返していた。
ソファに倒れ込むようにポテンと座ったセレス。
俺は、そんなセレスの傍らに歩み寄った。
「よくやったセレス。少し休め」
湧き上がる称賛を抑えきれず、汗に濡れたセレスの頭を、労いを込めてグシグシと撫で回す。
「は、はい……えへへ……!」
セレスは疲れ切っているはずなのに、まるで極上の喉撫でをされた猫のように目を細め、幸せそうに微笑んだ。
「嘘だろ……本当に『奴隷の枷』が外れるなんて……もしかしてあんた、まさかあの『聖女』なのかい……!?」
狐族の獣人である『ローロー飯店』の女主人、アンズ・プラムコットが驚愕し、セレスを凝視する。
「ふん、何を言っている」
俺は鼻で笑い、セレスを背に隠すように一歩前に出た。
「お前は視力が悪いのか? こいつは俺の領地で畑を耕している、ただの娘だ」
「そ、そうです! 私はただの……レヴォス様のお手伝いです!」
俺の脇からヒョコっと顔を出したセレスが、俺の言葉に合わせるように、ぶんぶんと首を振る。
「なるほど……事情は察したよ、野暮なことを聞いて悪かったね。……だが、礼を言わせておくれ。私たちを地獄から引き揚げてくれて、本当にありがとう。あんたが言っていた『奴隷の解放』、口先だけの道楽じゃないってことが、骨身に染みて理解できたよ。それで……私らは、何をすればいいんだい?」
アンズの瞳に、絶望ではない確かな覚悟が灯っていた。
「バルトロが隠し持っている『商品』――奴隷の監禁場所を全て教えろ。根こそぎ解放しに行く。今からな」
「い、今からかい!? 確かに場所は知っているけど……無茶だよ! 監禁場所には、バルトロが金で雇った荒くれどもの守衛が、掃いて捨てるほどいるんだよ!?」
バルトロの私兵。原作『エル戦』の知識によれば、数は多いが所詮は金で繋がれた烏合の衆。
窮地に陥れば真っ先に逃げ出す連中だ。
だが、それでも数が集まれば脅威に見えるのだろう。
「こちらの戦力は充分にある。今夜のうちに終わらせるぞ。場所はどこだ?」
「戦力が充分ってのかい、さすが『大軍勢』を持っている公爵家だね。いいかい、同胞たちは3つの拠点に分散させられているんだ。どこか一カ所でも騒ぎを起こせば、残りの拠点にはすぐに情報が回り、奴隷たちは証拠隠滅のために逃がされるか、あるいは……『枷』の呪いで、見せしめに殺される。同時に叩かなきゃ、意味がないんだよ」
「そうか。ならば、3カ所同時に壊滅させればいいだけの話だ。救助と同時にセレスが『奴隷の枷』を解呪する。それで文句はないな?」
「簡単に言ってくれるねぇ……本当に、そんなことが可能なのかい?」
「無論だ。……では、日が落ちた頃にまた来る。精々、祝杯の準備でもしておくことだ」
俺は不敵な笑みを残し、セレスを伴って店を出た。
――――――――
夜の帳が下り、街が闇に包まれる。
約束の時間、俺たちは再び『ローロー飯店』の扉を潜った。
「本当に来たんだね……で、あんたの誇る『大軍勢』ってのは、どこに潜ませているんだい?」
アンズが期待と不安の混ざった表情で外を伺う。
「どこにだと? お前は本当に視力が悪いらしいな。目の前に揃っているだろうが」
「目の前って……え? どういうことだい?」
俺が今回、『ローロー飯店』へと連れてきた戦力である、イカれたメンバーはこうだ。
まず、この俺、レヴォス・ムーングレイ。
次に、『奴隷の枷』解呪のための聖女セレス。
執事であり、剣士のフォルテ。
そして、俺の妹であるルナリア。
以上、4名だ。
「いや、少なすぎるだろ! たった4人じゃないか!? バルトロの兵隊たちは何人いると思ってんだよ!?」
アンズの弟、巨漢のネクタが、怒りに顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
ネクタは鎧に身を包み、巨大な斧と盾を構えた完全装備だ。
「戦いは数ではない。質と、そして効率だ。大軍で動けば、それだけ奇襲の成功率は下がるだろう。お前は、脳まで筋肉でできているのか?」
「数じゃないだと!? お前らガキが三人、老いぼれ一人が混じって、何ができるっていうんだ! 死にに行くようなもんだ!」
やれやれ。言葉で説明しても理解できない手合いか。
ならば、その鈍い身体に、直接叩き込んでやるのが一番の近道だろう。
「見た目だけで実力を測るのは、三流のすることだ。……おい、その無駄にデカい盾を構えろ。俺が一発叩いてやる。耐えられたら、お前の言い分を聞いてやろう」
「……あぁ? ガキのパンチを盾で受けろってのか? 笑わせるな」
「いいから構えろ。ほら、いくぞ」
ネクタはアンズと顔を見合わせ、「ヤレヤレ」という仕草をしたネクタが盾を構える。
「怪我すんじゃねえぞ、坊ちゃん」
「安心しろ。……お前は、今日という日を休めることに感謝するんだな」
「は? どういう意味――」
ネクタの言葉の終わりを待つ必要はない。
俺は一歩踏み出し、勢いを拳に乗せて、正面からネクタの盾へと叩きつけた。
――ゴォォォォンッ!!
巨大な鐘を打ったかのような衝撃音が店内に響き渡る。
直後、ネクタの巨体が、まるで石ころのように後方へと弾け飛んだ。
「ぶべべええぇぇ~~~~~っ!!!」
ドン!
ドドン!
ドォォォン!
客間の壁をブチ抜き、調理場の壁を粉砕し、更には裏庭の塀までをも貫通していく。
ネクタの身体が巻き起こした土煙が収まる頃には、ネクタの姿は遥か彼方、闇の中に消えていた。
「ネ、ネクタァァー!? 大丈夫かい、ネクタァァー!」
アンズが絶叫しながら、壁に空いた巨大な穴の中へと飛び込んでいく。
「……フォルテ、ついて行って手当してやれ」
「御意に。……少々、派手にやりすぎましたな」
フォルテは苦笑を浮かべ、アンズの追った穴の中へと悠然と消えていった。
「あ、あの……レヴォス様?」
俺の横でルナリアが引きつった顔をしながら、おずおずと服の裾を引いてくる。
「なんだ? ルナリア」
「もう少しこう、何というか……手心と言いますか……相手は一応、協力者なのですから……」
「……分かっている。これでも、指一本分くらいの出力に抑えたつもりだったのだがな」
俺は自分の拳を眺め、深く溜息をついた。
どうやら、俺の『普通』と世間の『普通』には、未だに埋めがたい溝があるらしい。
だが、これでアンズたちも理解しただろう。
今夜、この街の支配図を塗り替えるのは、たった四人の『軍隊』であることを。




