第54話 血を操る術
『ヴァンパイア・ロード』ブラドニスが俺の身体へと侵入し、どれほどの時間が経っただろうか。
「レ、レヴォスくん……?」
アイリスが、姉のエステラを抱きかかえながら、震える声で俺を見上げてくる。
その瞳には、不安と恐怖が見える。
「……案ずるな。俺は大丈夫だ。貴様はそこで、その姉と一緒にいるがいい……」
俺は冷静に、アイリスに言い放つ。
だが実際には、精神が崩壊するような凄まじい痛みが続く。
しかし、俺は簡単に精神が壊れることはない。
俺のレヴォス・ムーングレイたる身体と精神が、崩壊を許さないのだ。
だが、俺の体内に巣食う異物だけは、無様に弱音を吐き続けていた。
『ぐぎぎぎぎぎいぃぃ……! わ、わかった! 認めよう! 私は二度とこの地へは現れん! だから……早くこの忌々しい剣を抜け! 抜いてくれ!』
「くく……はっはっは! それが『ヴァンパイア・ロード』たる貴様の、敗者の弁か。たかが血風情に身を落とした貴様にふさわしい、情けない鳴き声だな。だが貴様には、この苦しみをもっと味わってもらうぞ……!」
『ぎ、ぎざまあああああああ! 覚えておれ! 貴様など、必ず……!』
罵詈雑言を並べるブラドニス。
どうやら、この終わりのない苦痛の連鎖から逃れたくて仕方がないらしい。
その時、森の奥から複数の足音が近づいてきた。
「レヴォス様!」
駆け寄ってきたのは、執事フォルテ。
そして、俺の領地グリンベルから連れてきた聖女セレスと司祭ポエテ、さらに大精霊のミサミサだ。
どうやら他の連中は、俺の指示通り村の防衛に徹しているらしい。
「なっ!? レヴォス様に剣が……!?」
「ひっ! レヴォス様!? なんてお姿を……!」
「な、なんじゃ! どういう状況じゃ、これは!?」
俺の胸を貫いている聖剣の輝きを目の当たりにし、フォルテたちが血相を変える。
その狼狽ぶりに、俺は短く息を吐いた。
「構うな……そんなことより、俺に『浄化』をかけろ。今すぐだ」
「そ、それより治療をっ!」
「そんなことはいい! 早く浄化をしろ!」
俺の放った怒気に、セレスたちがびくりと肩を震わせる。
有無を言わさぬ圧。
俺の意志が本気であることを悟ったセレスたちは、すぐさま顔を引き締めた。
「わ、わかりました……!」
二人が深く頷き、神聖な力を練り上げる。
静かな空気の中、セレスとポエテの凛とした詠唱が響き渡る。
「「 聖なる光よ、不浄を断ち、ここに浄め給え! 」」
その言葉と共に、血管の中の血液が根こそぎ沸騰するような激痛が走った。
『な、なんだこれはっ!? 術式が……私の術式が、崩壊していく……!?』
「浄化を受けるのは初めてか? 安心しろ、俺も初めてだ。なかなかに刺激的な気分だろう?」
『き、消える……! この私が、消えるだと……!? 貴様、正気か! こんなことをすれば、お前まで死ぬぞ……!!』
狂ったように吠えるブラドニスに対し、俺は薄ら笑いを浮かべた。
「くくく……今さら、何を怯える必要がある。肩の力を抜け。貴様は数百年もの時間を生きてきたのだろう? 貴様の退屈な人生に結末を迎えてやるのだ、感謝してもらいたいものだな」
『貴様ぁぁ……!! ……こうなれば、貴様も道連れだ!! ぐううああああああ!!!』
ブラドニスの意識が、断末魔とともに急速に萎んでいく。
それと同時に、鉛のように重かった手足に感覚が戻り、身体の制御権が俺の手に帰ってきた。
「く……やっと、静かになったか……」
俺は指先を動かし、自らの感覚を確かめると、胸に突き刺さった聖剣の柄を固く握りしめた。
「ぐっ! ……ぬぅんっ!」
一気に引き抜き、傷口から血が噴き出す。
辺り一面の地面が赤く染まる。
さすがに剣を引き抜くと凄まじい痛みだ。
「レヴォス様、すぐに治療を!」
フォルテが駆け寄り、俺の身体を支えようとする。
だが、この場で出来る治療では表面的な傷しか塞げない。
この胸の『穴』を埋めるには、別の手段が必要だ。
だが……幸いなことに、ここは森林だ。
俺は肺に残った空気をかき集め、森の深淵に向けて声を張り上げた。
「……聞こえるか! 『樹木の精霊』のズリュールよ! 今すぐ姿を現せ!」
森の木々がざわめき、風が渦巻く。
「おやおや、レヴォス様。そんなに大声を出さずとも、聞こえておりますよぉ」
大樹の幹から、ニュっと溶け出すようにズリュールが出現した。
「「「 うわっ!? 」」」
突然の精霊ズリュールの登場に、フォルテたちが驚愕の声を上げる。
「おー! ズリュールではないか! 久しぶりじゃのう! お前の力で、すぐにこやつの傷を癒してやるのじゃ!」
「おや、ミサミサ様! お久しぶり……って、レヴォス様! とんでもない大怪我じゃないですかぁ!?」
以前、バレリアの森で助けた『樹木の精霊』のズリュール。
『樹木の精霊』は、木々を通じて音を拾い、瞬時に移動する能力がある。
ブラドニスと戦ったのが、この森林地帯で助かった。
「レヴォス様、すぐに治させて頂きますね」
ズリュールが俺の傷口に顔を寄せ、その唇を寄せる。
正確には樹木の精霊の雫や体液に宿る強力な再生能力を持つ効果。
猛烈な痛みとともに肉が盛り上がってくるのが分かった。
だが完全に塞がる前に、まだ仕上げが必要だ。
「ミサミサ。……聖剣の一部を、切り離すことは可能か?」
「なに?! 可能じゃが……そんな事をしてどうするつもりじゃ!?」
「ほんの少しでいい。先ほどの浄化だけでは、俺の身体に入った『ヴァンパイア・ロード』が復活する可能性があるのでな」
「はぁ!? 『ヴァンパイア・ロード』だと!? そんなのがお前の身体の中にいたのか!? ……ふむ、事情は察した。やるぞ!」
ミサミサが聖剣に手をかざすと、刃の一部が光の粒子となって剥がれ落ち、空中に浮遊した。
俺はその鋭利な光の欠片を鷲掴みにすると、迷うことなく自らの開いた胸の傷口へと押し込んだ。
「……っ!!」
ズブリという鈍い感覚とともに激痛に走るが、俺はそれを無理やり押し込んだ。
「よし……この聖剣の効果でブラドニスが復活することはあるまい。ズリュールよ、続きを頼む」
「わ、分かりました。では失礼して」
ズリュールが治療に取り掛かると、見る見るうちに傷口が塞がれていく。
俺は全身の活力が戻ったのを確認し、立ち上がった。
「ふむ……長く、不快な痛みだったが。耐えた甲斐はあったというものだな」
胸の中心には、消えることのない深い傷跡が刻まれた。
だが、それは俺が死を乗り越え、さらなる力を手にした証でもある。
俺はそのまま、呆然と座り込んでいるアイリスの元へと歩を進めた。
アイリスは今もなお、目を瞑り沈黙した姉エステラを抱きしめていた。
「アイリス。……顔を上げろ」
「お姉さまが……お姉さまが……」
アイリスの頬には、涙が伝っている。
「泣くなと言ったはずだ、アイリス。……少し、その姉を借りるぞ」
「な、何を……っ! お姉さまに、これ以上何をしようというの!?」
アイリスが怒りを露わにするが、俺はそれを無視し横たわるエステラの胸元に手を当てた。
ブラドニスに身体を乗っ取られていた間、俺はただ苦しんでいたわけではない。
奴の『血』の構造を、その根源から解析し続けていたのだ。
奴の正体は血液そのもの。
なぜ物質に人格を宿せるのか――その答えは、極めて単純かつ高度なものだった。
奴は『血液という流体に直接、高度な術式を編み込んでいた』のだ。
どうやって血液に術式を編み込んだのか。
その上、どうやって自分の意識を移せたのかは分からない。
すべてを解明したわけではないが、術式の一部は理解した。
その術式が、これだ。
「エステラ。我が眷属よ、意識を取り戻せ。……貴様を縛る古い主の呪縛を、今、この俺が上書きしてやろう」
俺の指先から、解析したばかりの『血の魔力』が溢れ出し、エステラの身体へと流れ込む。
エステラの血液内にあるブラドニスの血の残滓を、俺の『血の魔力』で塗り潰していく。
そしてブラドニスの眷属であったエステラを、俺が『再定義』する。
やがて……エステラの瞳が、微かに震えた。
「……あ、こ、ここ……は?」
かすれた、しかし確かな生きた声。
「お……お姉さま!? エステラお姉さま!」
アイリスが悲鳴のような声を上げ、姉の身体に縋り付く。
エステラは、潤んだ瞳で自分を呼ぶ妹に、ゆっくりと視線を巡らせた。
「あ、れ……キミは……まさか……アイリス、なの……?」
「……はい! アイリスです! ずっと……ずっと探しておりました……!」
「そう、か……アイリス……無事だったの、ね……よかった……」
エステラは慈愛に満ちた微笑を浮かべると、安堵したように再び静かに瞼を閉じた。
「お姉さま……? お姉さま!?」
「騒ぐな、アイリス。長年の眠りから目覚めたばかりだ、意識が混濁するのは当然のこと。命に別状はない。じきに目覚めるだろう」
「でも……でも!」
俺の言葉に、アイリスは信じられないものを見るような表情で俺を見つめる。
「落ち着け、アイリス。お前の姉、エステラはもう無事だ」
その言葉が引き金となったのか、アイリスは声を上げて泣き崩れた。
それは先ほどまでの絶望の涙ではなく、積年の想いが決壊した、安堵と喜びの嗚咽だった。
「フォルテ、アイリスの面倒を見てやれ」
「はっ! 承知いたしました。……アイリス様、こちらへ。お怪我の治療もさせていただきます」
俺たちは再会を喜ぶ姉妹を保護し、エルレインの村への帰路に就いた。
『ヴァンパイア・ロード』ブラドニス。
奴は最後の最後まで、消滅したフリを装い隙を伺っていたのだろうが……
奴は今、俺の体内の深淵で眠っている。
胸に埋め込んだ聖剣の欠片――それが楔となり、奴の意識を永劫の檻に閉じ込めた。
そして俺は、ブラドニスの真髄である『血の魔法』の一端を掴んだ。
未だ解析の余地は多く、未知のデメリットやリスクも孕んでいるだろう。
だが……これで俺が扱える属性は、ついに『9つの魔法』へと至ったわけだ。
賢者クロエへの、これ以上ない土産ができたな。
あの魔法研究狂いのクロエに、この『血』を解析させ完全に制御下に置くことができれば、俺の覇道はさらに盤石なものとなるだろう。
……そういえば。
出発の間際、クロエと何か妙な約束を交わしたような気がする。
なんだったかな……
あまりに切迫した状況だったため、細かくは覚えてないが。
まあ……たいしたことは約束していないだろう。




